生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

実質勝訴判決・やんばる訴訟

 2015年3月18日午後2時、沖縄県那覇地裁101号法廷は緊張した面持ちの傍聴人であふれていた。
裁判官が入廷し、2分間の冒頭撮影が済むと、おもむろに判決主文の申し渡しがあった。

1.本件訴えのうち、被告が別紙林道目録記載1ないし30の各林道の開設事業に関して公金の支出、契約の締結若しくは履行、債務その他の義務の負担、又は地方起債手続きをとることの差し止めを求める部分をいずれも却下する(下線引用者)。
2.原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3.訴訟費用は原告らの負担とする。
わずか数分、余りにもあっけない幕切れであった。
無表情で退廷する裁判官、勝ち誇ったような県側の傍聴人。
 負けたの?というつぶやきとも確認ともとれない声での質問がよせられた。
判決理由を読んでみないとなんともいえないですね」と応え、説明会場へむかう。
しばらく不安気な、沈んだ空気がよどんでいたが、 判決文を読んだ市川弁護士がにこやかに登場し、「勝っちゃたみたいですね。これで、県は工事再開はできませんよ」といって、その理由を解説すると、会場から安堵の声が次々に上がったのである。その核心部分を判決文から引用して、紹介しよう。
… こうしてみると、前記ウにおいて指摘した現時点での環境行政等との整合性を図る観点から見て、被告としては、社会通念に照らし、少なくとも、環境検討委員会や環境省から専門的に指摘された問題点について、相応の調査・検討をすることが求められているというべきところ、休止から既に7年以上が経過した現時点においても、被告が、これらの調査・検討等をおこなったことは窺われない。そうすると、現時点において現状のままで本件5路線の開設事業を再開することになれば、社会通念上これを是認することはできず、社会的妥当性を著しく損ない、裁量権の逸脱・濫用と評価されかねないものと考えられるのである。
 前記ウとはいったいどんな内容なのだろうかということが気に掛かるので、少し長いが引用しておくことにしよう。
 (ウ)県営林内における林道開設事業の実施に関する決定については、被告の裁量に委ねられているが、そもそも、本件休止路線の採択当時においても、森林・林業基本法、森林法、環境基本法及び沖縄県環境基本条例等の関連法令の規定並びにこれらの法令に基づく諸計画の内容等から見れば、沖縄県が沖縄北部地域において森林施業及び林道開設を実施するに当たっては、環境の保全に関し、区域の自然的社会的条件に配慮することや、環境基本計画や沖縄県環境基本計画で示された指針との整合性を図ることを要し、少なくとも、当該開設予定地における森林施業及び林道開設の必要性や当該事業が開設予定地の自然環境に与える影響について、客観的資料に基づいた調査を実施し、その調査結果に基づいて、貴重な動植物の生息・生育地の保全、赤土等流出の防止、景観の保全等の観点からの検討を行い、具体的な路線の位置、規模、工法の選定を行う必要があると解される。
 そして上記(イ)のとおり、本件5路線の開設事業休止後、沖縄県は、国と歩調を合わせて、沖縄北部地域の国立公園指定や世界遺産登録をその環境行政上の重要項目に掲げ、同地域が世界的に見ても生物多様性保全上重要な地域であることを明確に打ち出して、その環境保全に本格的に乗り出そうとしているのであり、そのような意味において、本件休止路線の採択当時と比較して、沖縄県の環境行政には顕著な変化が見られるということができるのである。そうであれば現時点において、被告が同地域の林業(林道開設事業も含む。)を実施するに当たっては、前記の調査・検討に加えて、上記のような環境行政との調和を図ることが求められているのであり、本件5路線の再開の可否を判断するに当たっても、このような観点から検討されるべきこととなる。

とまあ、こんな訳だから、事業再開は事実上不可能ということになり、内容的には勝訴というわけだ。
しかしそれなら、なぜ差し止めが却下されたのだろうか。却下と棄却の違いは何だろうかとの疑問が生じてこよう。それについては、市川弁護士から次のような解説があった。
却下と言うのは、訴訟での入り口論で、訴訟要件を満たしていない、簡単に言えば裁判に掛けることができないと判断されることを言うのだそうだ。その代表的な要件が、「原告適格」というももだが、これは県の公金を支出する事案だから問題はない。しかし差し止め訴訟となると、事業の推進や公金の支出が確実性をもつことが要件となる。この場合、すでに休止が決まり、その再開の目途はたたっていないのだから、事業のの推進の確性に問題があり、差し止める用件を満たしていない。ゆえに却下という判断なったのだろうということだ。

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   とりあえず、林道建設も県営林の皆伐もしばらくは止まっている。しかし問題がすべて片づいたわけでもなく、村有林では相も変わらず皆伐は行われている。そして装いを新たにして事業再開をもくろんでいるのだから、保全をめざす市民運動は現地調査を続けながら息の長い活動をしていく必要がある。
 実際、判決理由で示された調査検討の必要性の指摘には、CONFEを中心とした市民の調査活動や現地進行協議で実際に現場を見たという経験が少なからず影響したものだろうと自負している。
これらの調査内容については、「やんばるのまか不思議」「やんばるの今と未来」をはじめ専門的な調査報告書を証拠として提出している。弁護士と生態学者、市民が協働する日本森林生態系保護ネットワークのような活動が今後もますまる重要になるだろう。
少しずつだが確実に司法にも環境問題の意識改革が起こり始めているのかも知れない。「知ること」が何よりも大事なことだ。

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HFMエコロジーニュース111(268)

 

2014-05-28 11:19:47 | ニュース
鳥獣保護法改定-個体数管理では解決しない野生生物の保全
 2014年5月23日に鳥獣保護法が一部改正された。
今後は「改正法案では、集中的に頭数を管理する必要があるシカやイノシシなどの鳥獣を環境相が指定、都道府県や国が捕獲事業を実施し」、
都道府県知事が、安全管理体制や、ハンターの技能・知識が一定水準である法人を「鳥獣捕獲等事業者」として認定。法人の新規参入を促す。一定の条件で森林での夜間の銃捕獲や、居住地域での麻酔銃による捕獲を認める」(毎日新聞Web版)。 
 なぜこのような方針転換がなされたのかというと、「ハンターの高齢化や天敵がいなくなったことなどから、シカやイノシシなどの野生鳥獣は爆発的に増えている。環境省によると、全国のニホンジカの推定頭数は、この20年で9倍近くに増え、2011年度に261万頭となった。
このままでは25年度に500万頭に達するとされる。南アルプスでは希少な高山植物群落が食べ尽くされ、絶滅したケースも出ている。
シカやイノシシなどの野生鳥獣による農作物被害は全国で229億円(12年度)に上る」(毎日新聞Web版)からだという。
20年前と比べてシカやイノシシが増えているというのは事実であろう。
しかしなぜこのように増えたかという原因(背景)を、ハンターや天敵の減少に求めるのは違うのではないかと思う。
この問題を考えるためには、個体数管理ではなく、過去の林業政策や農業政策もっと言えば社会構造の変化に伴う野生鳥獣や生物多様性への視点を持ってこそ解決の糸口が見つかるに違いない。
多様性の喪失をもたらす大面積皆伐とそれに続く拡大造林政策による森林破壊や電源開発などの要求によるダム建設や治山治水に名を借りた砂防ダム、コンクリート護岸による河川の循環機能破壊、エネルギー革命や産業構造の変化に伴う農山村の土地利用形態の変化が特定生物の個体数増加を引き起こすもととなるなど、今日の野生鳥獣とヒトとの確執は根の深い問題である。
 増えているのは、特定の種であり、特定の地域でのことであろう。
野生動物の生息域内の分布偏位も検討すべき課題である。
 そんな視点で現状を見ると、やはりクマは少なくなっているような気がする、いやそうに違いない。
これまで特定鳥獣(ツキノワグマ)保護管理計画策定のための過去3回の個体数調査では、個体数減少という結果はえられていない。
むしろ中央値だけを見れば、増加傾向ということになっており、世間一般にもそう受け取られている。ただし、その個体数調査そのものにも問題というか限界があって、必ずしも実態を正確に反映しているかどうか疑問がつきまとうのである。調査は再捕獲方(注:標識個体の数(M)/全個体数(N)=再捕獲された標識個体の数(R)/再捕獲された個体数(C)
N=MC/R)を用いているのだが、それには、
*標識個体は放獣後、母集団に均一に混じり込む。
*標識個体と非標識個体の捕獲率に差がない。
*調査期間中に母集団内に個体の加入、消失(出生、死亡、移出入)がない。
*標識の脱落がない
といったいくつかの仮定が必要となる。つまりどれも実態とかけ離れた仮定の下に導かれる結果を参考資料として個体数を推定し(ベイリー法によって計算(標識再捕獲法の修正式))、保護管理を行うのである。

 つまり、科学的管理を目指しているものの、現実はまだまだ科学的(生態学的)というにはまだまだ不十分な状況なのである。しかし、だからといってこの調査が無意味といって切って捨てるわけにも行かない。
実際それに変わりうる有効な方法が見いだせていないのが現実なのである。とにもかくにも
1998-99年度  278-679頭(中央値=478頭)
2004-05年度 301-735頭(中央値=518頭)
2009-10年度 450-1280頭(中央値=870頭)(概数)
という推定値をベースに議論する必要があることは認めるが、それはあくまで保護管理計画の足がかり程度のものとして、限界を知っておくことが肝要だ。
さらに言えば、保護管理は個体数管理ばかりでは達成できないということをしっかり認識し、生息地の保全を含めたクマの暮らしという視点からの諸政策が必要だという当たり前のことを議論する必要がある。個体数管理ばかりが議論となる現状を打破することが求められるのだが、これについては予算やマンパワー、そして行政の縦割りと政治家の自然保護に対する認識不足が大きな壁となって立ちふさがっている。
ともかく、こうした数値が公表されると、西中国山地スキノワグマ個体群は増加傾向にあるという言説がメディアを通じて一部の研究者や世間に定着していくこととなる。
それは、クマの生息域の広がりからも推定できるということのようだが、現実にクマの動向を直に観察しているフィールドワーカーの目からすると、この生息域拡という現象は、個体群の拡大の結果ではなく、絶滅前の個体群の分散による拡散の結果ではないかと思える。
 次のグラフは2002年から2013年までの広島・島根・山口三県でのツキノワグマの除去数を示している。
2000年以降、西中国山地(広島・島根・山口)では隔年でクマの集落への異常(?)出没が続き、捕獲、駆除されている(捕獲された個体の内、放獣された個体を除いた数を除去数と読んでいる)。
こうした隔年大量出没の原因はよくわかっていないのだが、堅果類や液果類の豊凶がその背景にあるとの見方が根強くあるのも事実である。
 しかしことはそう簡単ではない。2013年の細見谷地域と苅尾山域では、ブナ、イヌブナ、ミズナラ、コナラ、クリなどの堅果類もウラジロノキやアズキナシ、ミズキ、クマノミズキ、サルナシなどクマが好む液果類も豊作とはいえない状況にであった。
ただ、ミズナラやクリ、ミズキなどは点々と食痕があり、わずかに実った果実を探して食べ歩いている様子が見てとれた。
ただこうした痕跡からは多くの個体が実りを享受しているとは見えなかった。
このような不作の年であれば、これまでの通説からすれば、集落周辺に多くのクマが出没するはずであるが、現実はそうではなかった。
クマが頼るべき実りもなく、それでもなお、集落への出没が少ないという事実をどう説明すればいいのだろうか。
最も単純に考えれば、出てくるべきクマが居ないということである。
 そこでもう一度グラフをよく見てみると、2004年以後、隔年大量出没というパタンが崩れつつあるのが見えてくる。
広島と島根では周期のずれがあり、山口はそもそも隔年大量出没という現象すら見えてこない。
これらの現象をうまく説明する確たる証拠は集まっていないが、奥山から集落周辺の二次林へ個体群全体が移動しつつあることを考えると案外うまく説明ができそうである。
これは奥山と二次林の利用可能な食糧生産量の逆転がもたらす現象である。
人間の収奪がなくなった二次林の生産力は野生動物が利用できる資源となる一方で、奥山の生産量は相対的に減少している。
こうしたことが個体群の集落周辺への分散(拡散)を促し、集落周辺の二次林での生息密度がたかまった。
集落周辺では秋になると堅果類や栽培果実などがクマの主たる食糧資源となるが、ここで野生植物の不作や凶作が重なると安定した栽培種への依存度がたかまる。
そうして里への出没が引き起こされるが、大量捕獲された後は集落周辺での生息密度は低下し、奥山からの分散が始まる。
ただし、これには数年のタイムラグが生じる。
奥山にある程度の個体数が棲息していれば、比較的早く集落周辺への定着が進むであろうが、奥山の生息密度が度低下していれば、個体移動による分散には長い時間がかかる。
このグラフはそうした事情を反映しているように見える。そうだとすれば西中国山地ツキノワグマ個体群は、採捕獲調査の結果とはうらはらに、かなり危機的状況にさしかかっているのではないだろうか。
実態を把握するためには、きめ細かい生態調査が必要である。
個体数管理の限界を認め、生息地の生物多様性を回復させ、生物量の再生を基軸とした保全(保護)策への転換が求められる。
その意味で今回の鳥獣保護法の改定は道を誤っているに違いない。
このままでは自然を反故にしかねない。手遅れにならないうちに自然反故から自然保護への転換を強く望む
捕獲-1 

HFMエコロジーニュース110(267)

ウガンダ紀行 その6
チンパンジー観察記@キバレ&カリンズ

 

 ウガンダエコツアーの目玉は、なんと言ってもマウンテンゴリラとチンパンジーという大型類人猿の観察にある。
これまで霊長類学を専攻してきたものとしては、これらグレイトエイプ(大型類人猿)の生息地にきて、観察せずにすますということはできない。
しかし絶滅の恐れのある大型類人猿の観察はそう簡単ではない。
ここウガンダでは両種とも棲息して入るものの、生息地である国立公園内への立ち入りは自由ではない。
カンパラにある野生生物保護局(UWA)へ申請し、許可受けなければならない。
これが結構面倒だし高額の許可料がいるのだ。
旅行会社に手配を頼めばそれなりに楽はできるが、仲介手数料なども馬鹿にならないし、こちらの希望が伝わりにくい。
今回は、現地に在住している甥のQ君の助けを借りて直接交渉することにした。
その甲斐あって、マウンテンゴリラはこちらの希望がかなう形で許可が取れた(この辺の事情は後日)。
 とにもかくにも許可をもらいに行く。
許可というのは要するに観察許可料のことである。
当然のことながら、生息数の少ないマウンテンゴリラの場合はずっと厳しい制限が課せられている。
しかしチンパンジーの場合には、一人150ドル支払えばほぼいつでも許可は得られるようだ。
さらに言えば、カリンズの森のように必ずしも政府の許可を得る必要のない施設もある。
ただし、ここでは地元のNGOがガイド料をとることになっている。
これはエコツアーを森林伐採に代わる現金収入となる産業として育成する意味もある。
今回はカリンズではなくキバレを観察値とすることにしたのだが、それには理由がある。
キバレはチンパンジー生息密度も高く、観察するには大変良いフィールドであるということ。
そして、もう一つの候補地であるカリンズの森を前回(3ヶ月前)に下見を下結果、教えられてきたほどには期待できそうになかったという理由がある。 
 今回のウガンダツアーに先立ち、2011年の12月~12年1月にかけてこのエコツアーの下見をしたのだが、そのときはクイーンエリザベス国立公園(QENP)にほど近いカリンズの森でチンパンジーウオッチングを実施するつもりでいた。kalinz-2
というのもここは京都大学霊長類研究所のスタッフがフィールワークを行っており、エコツアーの開発にも力を入れていると聞いていたし、カリンズの森で調査経験を持つ知人のすすめもあったからだ。
話を聞く限り、まさに理想的な場所であるように思えたからである。
もしこのツアーがそうした地元の経済活動の一助になるならという思いもあった。
 私たちがここを訪れたのは2011年12月31日、大晦日であった。
朝、ムエヤロッジ(QENP)を出発して約1時間弱走って小さな集落を抜けたところで、写真の様な看板が見えてきた。ここは以前、製材所があったところを利用して、チンパンジー研究の基地として、あるいはエコツアーの基地として再生利用している。
とはいえ、車を降りても古びた建物以外にそれらしい施設は見当たらない。
近くにいた人に用向きを伝えると、ちょっと待てという。今、ガイドを連れてくるという。
手続きはここでOKだという。オフィスというには少々無理があるような、暗い部屋に行って申し込みをする。
利用料(ガイド料)は確か一人100000ウガンダシリング(約3500円)だったと記憶しているが、記憶が定かではない。
しばらくすると、若い女性のガイド(森林局職員?)がやってきて、さっそく観察のためのブリーフィングが始まった。
使い古したパネルを使って、カリンズに暮らす霊長類の種類やここの森の特徴を教えてくれる。
がそれもガイドブックに記されている程度のことだ。
ここは少し高いところにあるとはいえ林内はぬかるんでいる。足下を確認して森へ入る。
ガイド氏は携帯電話を使って、チンパンジーの集団がいる位置を確認している。
頻繁に連絡をしているが、端から見ていてもいらだった様子が見える。
どうやらチンパンジーとの遭遇はあまり期待が持てない雰囲気である。
kalinz-1IMG_6207結局、チンパンジーの集団に遭遇することはできず、2時間ほど森を歩いてこのツアーは終了した。
森を抜けると茶畑が広がっていたが、その日射しの中をゆるゆると歩く足取りは徒労感も手伝って重かった。
 この徒労感は何?チンパンジーとの遭遇が果たせなかったからではない。
私も経験上、目指す動物に出会えないことは何遍もあるし、当たり前のこととして覚悟の上である。しかしである。
であれば、出会えないときにどう対応するか、それがガイドの力量というものである。森の中に素材はごろごろ転がっている。
それをその時々の状況の中で取捨選択し、瞬時に教材化する能力がエコツアーガイドには必須である。
つまり、ガイドは常に研究者でもなければならない。既知の事実に関する情報を伝達するだけではダメなのだ。
自分自身の自然観、分析力などを陶冶しなければならない。その点で、カリンズではまだまだ課題が残っている。
というかすでにこのプロジェクトが始まって10年以上が経過しているのだから、人材育成や運営体制など本質的な問題があるのかも知れない。
 というわけで、今回のチンパンジートレッキングはカリンズではなく涙をのんでキバレということにした。
 キバレでのチンパンジートレッキングは、カンパラでのパーミット取得が条件となるが、前回の下見時に、150米ドル/人を支払って獲得しているので問題はない。
chimp-1キバレでの料金はカリンズの$42(当時のレートで3500円)と比べると約4倍もの高額だが、それはそれなりの理由があった。チンパンジーの群れの動向の把握やレンジャーたちの練度の高さなど、カリンズとは雲泥の差がある。
お金はないが何日も自由な時間がとれるという、学生のような身分であれば、カリンズのような場所がおすすめだが、自由な時間も少なく、日程をやりくりして遠い日本からやってくる人たちには、確実にチンパンジーに出会えるキバレのほうがおすすめである。
 朝7:00、朝靄の残るCVKを出発し、30分ほどのドライブでキバレ国立公園のヘッドオフィスへ到着。
チンパンジートレッキングは、午前と午後に1回ずつ実施され、どちらも6名1組でそれぞれにガイドが付き添う2-3時間ほどのトレッキングである。
8:00から観察のためのブリーフィングが始まる。参加者は欧米人が多く、スパニッシュ系のおばさんの団体も元気に参加している。ということで、英語とスペイン語との2カ国語ということで少し時間が掛かるが、そこはアフリカ、「ポレポレ(ゆっくり)」の精神で行くのがよろしい。
ブリーフィングの内容は特別変わったものではなく、この施設の沿革であるとか、どんな霊長類が棲息しているかとか、ここが以下にチンパンジーの生息密度が高いかとか、観察に際して守るべきこと(たとえば7m以上近づきすぎないとか)などなど。特に餌(食べ物)を与えるという行為は絶対してはならない行為である。
 かつて日本ではニホンザルの研究のために、餌付けという「食べ物」を介してサルと接触することが、当たり前に行われていた。その結果、過度に人間依存をもたらし、サル本来の暮らしを見極めることができなくなったり、際限のない個体数増加といった弊害が大きく、大型ほ乳類の生態学的研究に「餌付け」とう手法はあり得ないという評価が定着している。
それに変わって、「人付け(ハビチュエーション)」という手法が確立された。その最初の成功例がヴィルンガ火山群に棲息するマウンテンゴリラであった。時間を掛けて人間の存在になれてもらうという接近方法であるが、ここのチンパンジーも人の存在に対して馴れてもらう、つまりチンパンジーが文字通り「傍若無人」に振る舞う環境を大事にするということである。
そのために対象となるチンプやゴリラに過度の負担を掛けないように、時間と人数の制限をするということである。
 20分ほどの講義が終わると、いよいよ出発だ。 
チンパンジーの群れがいる位置は、現場のレンジャーやトラッカーが把握しており、どの方向へ向かえば良いか、逐次無線で連絡が入ることになっているようだ。
我々の班はは女性のガイドと共にジープで少し南下して、そこから群れのいるところへアプローチする。
5分ほど林内に伸びる悪路を走り、チンパンジーが休息していると思しき森の近くで位置で下車する。
chimp-5それにしてもアフリカの熱帯雨林はアジアのそれと比べて重量感と多様性が乏しい様な気がする。
重量感がないということはどういうことなのかと言えば、いわゆる巨木や突出木が少なく、林床が比較的明るいというところに原因があるのだろう。
アフリカの森はほとんどが切り尽くされて商品作物(バナナ、コーヒー、茶、綿花など)のプランテーションとなっている。
わずかに残った国立公園のような保護林だけが残されているに過ぎない。
それもかつてはかなり利用された二次林であろう。
そして多様性の貧弱さは過去の氷河期(乾燥期)の影響によるもので、そうした極端な乾燥化による森林の減退が人類進化の要因の一つである。
灌木がまばらに生える林内をしばらく歩くと、突然、あまりにも突然にチンパンジーと遭遇した。
チンパンジーの雄の年寄り連中が三々五々林床でくつろいでいる。それはあまりにあっけないものだった。
 灌木がまばらに生える林床に数頭のチンパンジーが寝転んでいる。
すでに先客がいてカメラを構えて撮影に余念がない。1組6名という制限を設けているにも拘わらず、すべてのグループが同じチンパンジーを観察することになってしまったようだ。
 この群れは最大120頭ほどの規模だと言うが、チンパンジーの場合、ニホンザルとは異なり、群れのメンバーがいつも一緒にいるというわけではない。
同じ群れの中にサブグループと呼ばれる小集団が離合集散しながら時として大きな群れになる。
ここでもそうだが、おそらく老齢オス個体のサブグループが観察しやすいところにいたというだけのことであろう。
おそらく近くに別のサブグループもいるに違いない。
あとでわかったことだが、別のグループに入ったNさんによれば、最初、ヘッドオフィッスから徒歩で出発したものの、途中で呼び戻され車でここへ来たという。
おそらく別のサブグループを見に行こうとしたが、そのグループが遠ざかるような動きをしたか、私たちの見ているグループに接近するような動きを見せていたので、こちらへ来たということのようだ。つまり、そう遠くないところにも別のサブグループがいるということである。
 道ばたの林床に寝転んでくつろぐ個体やグルーミングに興じている個体など6-7頭のオスの老チンプの集団である。
老齢個体ばかりだから活発さはない。
chimp-3chimp-4のんびりと時間を費やしているばかりで、まさに老人の暇つぶしである。
中には、鼻くそをほじって暇つぶしをしているものもいる。
その仕草を見ていると本当に人間くさい霊長類であることを痛感するが、ほじるのに使っているのが薬指というのがおもしろい。ガイド氏によるとここに集まっている老齢個体はどれも40才を超えているという。確かに前頭部ははげ上がっているし、腰のあたりも白髪に鳴ってきている。
老人としての特徴がはっきり見て取れる。
とはいえ、足腰はかくしゃくとしており、まだまだ日常生活に支障を来すようなこともなく、生活に必要な体力は持ち合わせているようだ。
これもこの森に大型の捕食者が少なく、食糧の調達も比較的容易であるという環境のなせる業か。
 さあ、どのくらい時間が経過しただろうか。写真を撮るのに夢中になって時間の経過を忘れていた。
老齢個体集団のなかに、そろそろ移動しようかという雰囲気が見て取れる。
少しずつ他個体の動きを注視し、その動きにつられて動き出しては止まる。
そして軽くグルーミングを行っては、また移動するといった動きが見えてきた。
と、ある時を境に集団での移動が始まった、どの方向へ向かうかはどの個体もすでに了解済みといった動きでずんずんと森の緩斜面を下っていく。
乾期のせいか林床は乾いており熟成した森の林床は比較的すかすかで歩きやすい。
しばらくついて行くとそこにはメスやコドモ、アカンボウを含む集団がイチジクの木で採食していた。
時折、<ヒャーヒャー、ホワッ>というやや興奮気味の声が聞こえてくる。
どうやら、イチジクの果実を採食しているらしい。頭の上からぼとっぼとっとチンパンジーの食べくさした実が落ちてくる。
果実の周辺部分を食べた(しがんだ)だけで後は捨ててしまう。
ニホンザルにも見られるが、雑で贅沢な食べ方である。
chimp-8chimp-7 
 約1時間、チンパンジーの行動や生活スタイルを十分見たというわけではないが、まあまあ充実した観察ができた。
アカンボウを持つチンパンジー母子もいたり、群れの一端に触れただけではあったが、ガイドの練度も高く、こちらの質問にもかなりの部分こたえてくれたりで、充実した時間を過ごすことができた。
これで$150は納得がいく。ということで、午前の観察を終えて、CVKへ戻り、しばしの休息を楽しむことに…。
 ここに棲息するチンパンジーはPan troglodytes shweinfruthi で、中央-東アフリカ(タンガニーカ湖畔-ウガンダ-コンゴ民主共和国)の森林帯に分布するP.troglodytesの亜種である。
chimp-6     編集・金井塚務 
発行・広島フィールドミュージアム
広島フィールドミュージアムの調査研究&自然保護活動はすべてカンパによって行われています。皆様のご協力をお願いします。
カンパ送付先 広島銀行宮島口支店 普通 1058487 広島フィールドミュージアム

HFMエコロジーニュース109(266)

ブナハアカゲタマフシ
 tmahushi-1通い詰めた地域でも、おやっ?と思う出会い、発見があるのが自然というものである。5月6日、巷間で言われるゴールデンウイーク最終日に当たる日曜日。西中国山地細見谷はほとんど人影もなく、強い日射しにブナの若葉が輝いていた。一年の内で最も明るくさわやかな季節は一瞬にして過ぎ去る。細見谷では冬のあとほぼ半月ほど春となり、その後はもう初夏である。このときを逃せば、雪解けの清冽な冷気と強い春の日射しを堪能することはできない。本当に貴重な季節である。ただ、オタカラコウやウド、などはまだまだクマの食糧となるほどには成長していない。この季節は主に、チュウゴクザサのタケノコが食べ頃でクマが食糧に困ることはない。例年だと、深い雪に押されて地面に倒れているはずのササも今年はすでに直立しており、積雪が少なかったことを物語っている。
 この日は、昨年6月から年間を通して測定してた水温計(テータロガ-)の回収が主目的である。これまで長期にわたる水温データはほとんどなく、地球温暖化が言われる今日において長期にわたる水温変動のデータは貴重な資料となる。ただ、本音を言えばもう10年ほど前からのデータがあればと思うが、今からでも蓄積していく価値はある。というのも、最近とくに河川の水量の反動が大きくなって気がするし、それと共に渓流魚の生息密度が低下し、特に秋の産卵期にそれが顕著に現れているという印象があるからだ。一般にサケ科渓流魚は水温18℃をこえると生存率が激減すると聞かされてきた。そこで細見谷水系の水温の年変動を長期に記録し、モニターすることの必要性を感じたというわけだ。幸いこの作業は食性調査の片手間にもでき、調査費もそれほど掛からない。貧乏NGO向きの仕事ではある。
 まずはデータロガーを設置した細見谷川の支流へ入る。ここはゴギの産卵場にクマがやってくる沢で、貴重なフィールドである。沢筋にそってボタンネコノメソウやチャルメラソウ、ンツドウダイといった野草を観察しながらゆっくりと遡上していくと、ピンクのかわいらしい花のようなものが附けた灌木に目がとまった。どうやらブナのきらしい。が、ブナにこんな色と形の花が咲くことはない。試しに花のようなものを割って中を見てみると、中心部にはブナの
花のようなものが認められた。もしかしたら、花芽にできる虫こぶ(虫癭・ちゅうえい)かもしれない。が、どうもこの毛玉は花芽というより葉の表面とまだ展葉していない芽の部分にできているようだ。
 現場ではなんだかわからないが、おそらく虫こぶということにしておき、帰宅後、検索してみたところ、予想通り、「ブナハアカゲタマフシ」というタマバチによる虫こぶであることが判明した。ただ、どの情報でもブナの葉の上面にできると書いてあるのだが、どうも葉の表面だけでなく、葉柄の基部や花芽部分にも形成されるふうにも見える。それにしても、こんなかわいらしい虫こぶには初めてお目に掛かった。新緑が青空に映え、そのなかにぽつぽつとピンクのぽんぽんがアクセントを添えて、春らしさを一段と演出している。こんな小さな発見もフィールドワークの楽しみの一つである。

編集・金井塚務 発行・広島フィールドミュージアム                              
 広島フィールドミュージアムの調査研究&自然保護活動はすべてカンパによって行われています。皆様のご
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HFMエコロジーニュース108(265)オケラを食う-タイの昆虫食

   すっかりなじみが薄くなってしまったケラ(おけらと呼び習わしている)であるが、どんな昆虫か覚えていますか?
昔、子どもの頃によくやっていた遊びの中に、このケラを捕まえて「おまえの○○どーのくらい?」といいながら、すこし指に力を入れると、このケラが前肢をめいっぱい広げる。
なんとも単純な他愛もない遊びだが、なぜかオケラを見つけるとこれをせずにはいられなかったことを覚えている。
 このケラ(おけら)の詳しい情報は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%A9
を参照していただくとして、簡単にその容姿を紹介してみる。なんと言ってもオケラの特徴は、前足にある。地下生活に適応しているためにモグラのような頑丈な幅広のスコップ様の形をしている。
さらにコオロギの仲間でありながら、腹部はビロード状の細毛おおわれて虫のような感触とは一線を画す。
そのなめらかな感触はなんとも気持ちが良い。羽は短く退化し、とても飛べるようなものではなさそうだ。
ただ発音のための装置として残っているようだ。
 そんなオケラはどう見ても食物とは見えないし、食べてみよう言う気はさらさら起きないのが我々、現代の日本人の感覚である。しかし諸外国では事情は全く異なる。
 今の日本では信州の伊奈地方などの一部地域を除いては、そもそも昆虫食そのものが消滅した食文化といえるかも知れないが、少し時代をさかのぼれば、日本各地の山間部でも貴重なタンパク源として昆虫食はそれほど珍しいものではなかったことは、筒井嘉隆著「町人学者の博物史(1987)」や三橋淳編著「虫を食べる人々」(1997)などからもうかがい知ることができる。
このオケラをはじめ、ムチンと呼ばれるオオコオロギやキンバエの幼虫などタイでは比較的よく食べられている。
IMG_4675特に有名なのがタガメなどの水棲カメムシ類で、私は遠慮しているが、好きな人はメロンの良い香りがするといって珍重している。
 質はこのオケラを食べたのは今回が初めてではない。
以前、カオヤイ国立公園でボランティアをしている女子大生たちが私たちの焼き肉パーティーに参加したことがあった。
そのときプラチンブリのマーケットで、彼女らがどこからかオケラの素揚げとおそらくキンバエの幼虫と思われる素揚げのスナックを仕入れてきた。その折に一口試食をさせてもらったことがあり、香ばしくておいしかったことを覚えている。そんな経験をしてからは、このスナックを探し歩いていたのだが、なかなか見つけることができないでいた。それが、このたび、プラチンブリのマーケットで見つけたのである。
 okera-2店は2軒あったがそのうちの1軒を覗いてみた。
どうやら一番右が探していたオケラのように見えた。
店主は若いイケメンのお兄さんである。オケラとおぼしきものを指さして味見を申し出ると、ニコッとほほえんでひとつまみ差し出してくれた。
やはりオケラである。
ただ食感がカリッとしていないので前回食べたものとは違っていた。
しばらく飼うべきかどうか思案していると、運良くお客がきてこのオケラを買い求めていた。てっきり店頭に並べられているものをそのまま売るのかと思っていたら、そうではなかった。その様子を見て、記憶にある食感との違いの原因が氷解した。
これはそのまま売るというのではなく、注文があってから、調理して売るものなのだ。注文を受けたお兄さんは、適量の下処理されたオケラをすくい上げ、香草をまぶすと、それらを脇に準備してある油鍋に投入し、素早く素揚げにする。
カラッとしたところですくい上げ、油を切り、調味料を振りかけて、紙パックに入れて完了。実に手際がいい。
okera-3okera-4okera-5一連の作業を見ていて、決心がついた。続いて私も注文すると、同じく手際よく調理してくれた。料金を払おうとすると、くだんのお兄さんは、にこにこしながら、いらないよ。もっていきなと言う。
ということで、念願のオケラの素揚げをゲットした。熱いうちにひとつまみ口に放り込むと、何とも香ばしく油と塩のコンビネーションが絶妙でおいしい。姿形になれてしまえばなんと言うことはない。かりっとした香ばしいスナックである。
 セミはエビの味というが、これはエビ殻の香ばしさ、天ぷらのエビのしっぽとか頭の部分とかのいわゆるキチン質を揚げた香ばしさである。ポテチチップス感覚に近いが、より動物質の食感。ケビンに帰ってカウチオケラでも楽しもう。
 こんなおいしいものを一人で味わうのももったいないので、同行の皆さんにお裾分けしようとしたら、皆さん生返事ばかりで、食指が動かないらしい。
やはり、昆虫は食べ物ではないという文化圏の人には少々ハードルが高すぎたのかも知れない。
そして店のお兄さんが無償提供してくれたのもこんなところに原因があったのかも知れない。
昆虫を食べたそうにしている風変わりな日本人(イープン)が珍しかったのではないだろうか。
タイの食文化に共感し、勇気を振り絞って注文してくれたと見てくれたのだろう。その勇気に免じて、今回は無償提供しようという気になったのに違いない。
 実においしいスナックをいただいたものだ。これだから旅は楽しい。
異文化を身をもって体験できるからね。
  広島フィールドミュージアムの調査研究&自然保護活動はすべてカンパによって行われています。
皆様のご協力をお願いします。
カンパ送付先 広島銀行宮島口支店 普通 1058487 広島フィールドミュージアム

ニュース107(264)細見谷調査行ーカエル合戦ー

 全国各地で桜の開花が早いという。
 最近の日本の気象が春も秋も短く冬が終わると即初夏となり、長い夏が終わると即、冬というような感じがする。こうした気象の変化が生物の世界にも影響を与えているに違いないのだが、それがどのようなものかすぐにはわからない。
 大型のほ乳類などのようにこうした変化をそれほど苦にせず、乗り越えることが可能な種もあるその一方で、当然、敏感に反応する生物もいるだろうし、対応しきれずに衰退していく種もあるに違いない。
一般的な言い方をすれば、冬の中に秋や春場合によっては初夏が混じり込んで気温の変化が大きければ、外温性生物はかなりのダメージを受ける可能性があるといえるであろう。
たとえば、ヒキガエルのように寒い冬から地温が一定温度に上がると産卵活動を始める種にとって、寒暖の差が大きい冬は不都合である。
産卵をした後で冬がぶり返せば、せっかく産んだ卵が凍ってしまう可能性が高いからである。
 そこで少し早いのだが、3月30日に予備調査をかねて細見谷へ言ってみることにした。

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例年であれば積雪のために4月中旬までは入山できないのであるが、今年の西中国山地では3月下旬にはすっかり雪もなくなり、例年になく早い時期に細見谷へ入ることができた。入山してみて改めて雪の少なさを実感した。3月といえばまだ根雪の下に押しつぶれているチュウゴクザサがすでに直立しているではないか。少なくとも、今まで押しつぶされていましたというがごとく、大雨の後の稲穂のように倒れているのだからまるで5月過ぎの情景だ。
 
 細見谷には雪がないとはいえ、ケモノの気配はまだ感じられない。特にクマはここ数年細見谷で見る痕跡は極端に減ってきている。細見谷でクマの痕跡が目立ち始めるのはブナの花芽やチュウゴクザサのタケノコなどが利用できるようになる5月以降である。とはいえ、何が起こっているかは、実際に現場へ足を運ばなければわからない。だからこそ、この時期に入山できることは大変貴重なチャンスなのである。
 日射しは強くなって入るものの、空気は雪肌をなめてきたかのように冷たい。
水温を簡易測定してみたが、本流では5.9℃、湧水地で7.9℃であった。ちなみに水たまりなどの止水では、20℃を超えるところもあり、太陽の影響をうける場所での水温は大きく変化する。
 実はこの周辺に温湿度や水温のデータロガーを設置し、年間を通じてのデータを収集しており、今回はデータの回収もしようと思っていたのだが、持参したPCのバッテリーが寿命を迎えていたらしく、データの回収には失敗してしまった。
次回以降に期待。
 というわけで早めの昼食をすまし、いつもヒキガエルが産卵する氾濫原内にある水たまりの状況を確認してみることにした。
行ってびっくり、見てびっくり。
 驚くほどたくさんの観点状の卵塊が直径8ミリほどの太さに水を吸って膨らんでいた。bufo-07-1
そればかりか林道上の水たまりにも産卵が確認された。昨年よりずっと多い。むしろ少なかった昨年が異常だったのだろうか。
今年は地温が一気に上昇し、ヒキガエルの活動が一時期に集中したのかも知れない。
に産卵されている林道上の水たまりには一定の傾向があり、近くに比較的安定した大きな止水がある周辺の水たまりがよく利用されているようだ。おそらく水場へ向ながら待ちきれなくなり、ここでもいいやということで産卵をしてしまう個体が少なからずいるのであろう。
卵塊はあれど、カエルの姿は見えない。と目をこらすと、水底に何匹もの死体が沈んでいる。
そこで、池の周囲を探してみれば、なんとあちこちにひからびた死体や骨だけになった遺骸が見つかった。
bufo-10おそらくカラスにでもやられたのであろう。
 残念ながら、この池ではカエル合戦はもう終わってしまったようだ。気を取り直して少し上流域にある別の産卵場も確認してみることに。まだ芽吹きまでしばらくかかりそうな明るい林を歩いていくうちに、遠くからかすかに「フォ、コー、フォ」とやや高い声が耳に届いた。その声はだんだんとはっきりしたものになってきた。
と、目の前の水たまり、林道上にできた水たまりに黄土色の塊がいくつか動いているのが見えた。
それはヒキガエルが団子状にひっつき合ってもがいているものだったが、そのちょっと先からカエル合戦を思わせる鳴き声が聞こえてくるではないか。
いそいでその声の発生現場へ向かう。そこは林道脇にできた10×3mほどの水たまりで、やはり毎年多くのヒキが産卵するところである。ササをかき分けて池をのぞき込んで驚いた。
bufo-11-1そこは黄土色したヒキガエルのバトルロイヤルよろしく、あちこちで組んずほぐれつの修羅場となっていた。
 ここもすでに多くの寒天質の卵塊があるにも拘わらず、さらに産卵が続いている。
どこにメスがいるのか全くわからない。
飛びついてはな馴れ、また別の集団に飛びつく、あるものは陸地へのそのそと帰っていく。ざっと数えても50匹以上のヒキガエルがいそうだ。しかも、どれも体長10センチを超える大物ばかり。
 細見谷にはヒキガエルが多いことは知っていたが、これほどとは。なにしろこうした集団があっちにもこっちにも、つまり、流れの強い本流以外の緩い流れや土石流でせき止められた比較的新しい池のあちこちにこうした集団がいるのだ。
最近、細見谷から生物の気配が消えつつあるが、これを見てまだまだ捨てたものではないと思い直した。
とはいえ、楽観はできない。全体としては、悪化の一途をたどっているのだから。
一刻も早く、西中国山地国定公園の特別保護地区へ指定するよう措置しなければ禍根を残す。
さあ、がんばろう。
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 「ひき鳴いて唐招提寺春いずこ」 という水原秋桜子の俳句がある。本当のことを言えば、これほど賑やかなカエル合戦を見るのは初めての経験だ。ヒキガエルがこれほどまでに鳴くとは思ってもみなかった。せいぜいオスがオスに抱きつかれたときに発するリリースコールを発する程度だと思っていた。ところがオスがだすこの声は、よく見ていると、抱きつかれていないオスもこの声を盛んに発している.どうやら、抱接という繁殖行動の文脈に突入したオスが興奮して発する音声のようだ。
 こうした情景はかつての日本の農山村ではごく普通に見られたに違いない。秋桜子の句は写実であったことを思い知った。だが、今、このカエル合戦は幻となっている。それだけ生物の多様性は失われ、生産力もなくなっているのだ。
bufo-18-1早春のこの時期に、ヒキガエルの鳴き声を聞くことができるとは贅沢なことではある。この贅沢を日本の各地で堪能できる世界を取り戻さねばならない。
「志を果たしていつの日にか返さん」唱歌「ふるさと」の3番をこのように変えて歌わねばならな

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い時代となっていることを肝に銘じよう。物流(金融)栄えて山河なしでは生きてはいけないのだから。
このカエル合戦の模様は「カエル合戦」をクリックしてください。

 

カエル合戦動画は

 

で公開中。

 

ウガンダ紀行ーその5

<キバレへ>
 朝9時過ぎにカンパラを出発して2時間半ほどがたった。すこし空腹を感じ始めてきたところだ。
あと30分も走ればムベンデ(mubende)という町に着く。カンパラから150Kmほどのところにあり、フォートポータルとの中間地点に位置する町である。
地方の中核都市らしく商店が軒を連ねている。車は幹線道から外れ、町の商店街へと入っていく。
町のあちこちに薄紫の花(マメ科の樹木)がほこりっぽい風景に彩りを添えている。
やがて車は町外れのレストラン前で止まり、ここで昼食をとることに。
ここは前回、下見したときにも立ち寄ったレストランで、塩味のスープで煮込んだ鶏肉のおかずと、ごはん、マトケ(バナナ)、ヤムイモの蒸したものの3種類を盛りつけた定食である。
わたしはマトケがどうも苦手である。
img_3373甘酸っぱい、サツマイモにも似ているのだが、この甘さと酸味の組み合わせがどうもいけない。
それに対して、ヤムイモを蒸したものは、ヤマノイモ特有の癖がほどよく、しっとりしたおいしさがある。ということで、私はいつでもマトケを除いたものを注文することにしている。あっさりしたスープとこくのある鶏肉をおかずのアフリカのローカルフードを満喫したのである。

 時刻は午後1時少し前、我々は、キバレへ向けて再び車に乗り込んだ。やがて車窓からの風景は一変し、なだらかな丘陵地帯一面には緑美しい茶畑広がっていることに気がついた。
ウガンダはイギリスの植民地だったこともあって茶の栽培が盛んである。
このあたりは適度な湿度と朝晩の冷え込みもあって、品質の良い茶葉が生産されているという。
 茶畑を貫く幹線道路をしばらく走ると今度はこんもりとした森の中にはいった。
この森がキバレ国立公園の一部なのだという。フォートポータルの手前10kmあたりに、国道をこえて国立公園の一部が張り出している部分がある。まさにその部分なのである。
キバレ国立公園は、ウガンダ南西部、ルエンゾリ山岳地帯の東側に南北に広がる、面積766㎢の公園で北部の森林帯と南部の湿地帯を有し、南部で大地溝帯へと連なる。
 この公園は、チンパンジーをはじめレッドコロブス、アビシニアコロブス(クロシロコロブス)、アカオザルや様々なゲノン類などサル類が多く生息し、その観察には絶好の条件がそろっているが、アクセスの問題やアコモデーションの不備などがあって、チンパンジートレッキング以外ではあまり利用者が多くはなさそうだ。
南部の湿地帯は野鳥観察にはもってこいの場所であるが、同じように利用者は多くはなさそうだ。
私たちの最大の目的は、言わずもがなのチンパンジートレッキングなのだが、オナガザル科の霊長類も魅力の一つである。
 今日の目的地であるCVK(ロッジ)へは、フォートポータルの手前を左に折れて10㎞ほどの距離である。
ということはあと約20㎞、40分ほどのドライブで目的地に到着するはずである。と思っていると車は予定より早く未舗装のあまり広くない道を左へ折れた。
ガイド兼運転手のデウスによれば、こっちが近道なのだそうだ。道がまっすぐに延びていれば、地理的な位置からして近道であることは理解できる。

それに果てしなく続く茶畑の丘陵(写真)を走るのも気持ちいい。
だが、 気持ちいいことは気持ちいいのだが、実は少し複雑な思いもある。アフリカといえば大自然が残る大地という印象を持つ人は多いと思うが、しかし実態は全く逆で、一部の告国立公園や保護区を除いてはほとんど本来の自然は残っていない。徹底的に農地(プランテーション)に転換されてしまっている。
しかもそこから上がる収益の大部分は現地の人々には還元されず、収奪型の農業が蔓延しているからである。
美しい風景の背景には悲惨な実態が隠れているのである。
とはいえ、絶望ばかりしてはいられない。現状を変えるにはまず多くの人に実態を知ってもらう必要がある。このエコツアーもささやかながらそうした目的を持っているのだ。
 ほかに走る車もなく、車は赤茶けた道を砂埃を巻き上げながら、茶畑を疾走する。360度茶畑というところで車を止め、小休止とする。もうすぐそこなのだがそんなに先を急ぐ必要もない。
今日はのんびり行けば良いのだ。おのおのカメラをだしてこの雄大な茶畑風景を撮影し始める。
沼本さんは魚眼レンズを持っているのでそれを借りて畑の風景を撮影してみた(写真)。
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そんな我々を横目に見ながら、バナナを満載した自転車をおして歩く人にであった。
ウガンダで主食となるマトケを栽培し、それを売りに行くのであろう。かなりの距離をこうして運んでいくのだからかなりの重労働なはずだが、そこで手にする現金はいくらにもならないはずである。
 小休止終わり。
 再び車は土埃をあげながら、南下をつづける。とまもなく遠くに森が見え始tea1めたところで、CVK Laleside Resort の看板が目に飛び込んできた。

ここである。CVKとはいったい何を意味しているのだろうか?
実はここは、私の友人の案渓さんが紹介してくれた施設である。
ここの経営者であるRuyookaご夫妻はかつてマケレレ大学で教鞭をとっていた方で、案渓さんとは親しい間柄なのだそうだ。私がウガンダへ行くことを案渓さんに告げると彼は、即座に、「CVKへ泊まりなさい、私の友人が経営しているおもしろい施設があります」と助言とも命令ともとれるようなメールをいただいた。
それにしてもCVKっていったいどんな意味なのか聞いてみたところ、Crater Valley Kibaleの略だという。
確かにここは火口湖のほとりの谷間にある。大変風光明媚な場所である。
ここでRuyookaさんご夫妻は、エコロジー運動の実践として宿泊施設を運営し、数々の環境賞を受賞しているというのだ。
CVKの省エネぶりの一例を紹介しよう。

uganda20120401224写真8はシャワー用の湯を沸かすボイラーであるが、これは利用者自身で薪を割って湯を沸かさねばならない。施設利用の説明時に、シャワーはお湯が出るまでに30分ほどかかると言われたが、その理由がこれである。装置は至ってシンプルでコンクリート製の竈の上に水を入れたブリキ缶をすえただけのものである。我々一行は7名であるから、当然湯は足りない.沼本さんが一生懸命に薪を割って湯を沸かしたのだが、ある一人の女性がそのお湯を全部使ってしまい、沼本さんは汗をかいて水シャワーを浴びるという悲惨な体験をしたのである。部屋もお世辞にもすばらしいとはいえないが、ロケーションはすばらしく、部屋の全面には火口湖が広がり、朝靄に煙る景色はすばらしい。
 とまあ、こんな楽しい体験をしている間に、日も暮れた。明日はいよいよチンパンジートレッキングである。
<続く>
         

HFMエコロジーニュース105(262)

<いざ、サファリツアーへ>
 さて、無事買い物を終えホテル(Shngri-La Hotel)に宿泊した一行はよく3月24日午前9時カンパラを発って、最初の目的地キバレ(Kibale)へとむかった。このサファリツアーは8泊9日間の日程で、ウガンダのサバンナ、湿地、森林で野生動物をじっくり観察するツアーである。カンパラで3泊し、行き帰りの飛行機の中で2泊するので、日本からは13泊14日の長丁場となる。
 日程はおおむね以下の通りである。
1日目 カンパラからキバレへ。宿泊地はCVK(Creater Valley Kibale)
                  http://www.traveluganda.co.ug/cvk/index.html
2日目 午前 チンパンジーの観察   午後 湿地の観察
3日目 キバレを発ちフォートポータルを経由してMweya Safari Lodge(クイーンエリザベス国立公園)へ。イブニングサファリ。
4日目 午前 モーニングサファリ 午後 カジンガチャネル ボートサファリ
5日目 ムエヤを発ち、途中、木登りライオンの観察をしながらブホマ(Buhoma)へ。
6日目 ヴィレッジウォーク@Buhoma 
7日目 ゴリラトレッキング
8日目 ブホマをたってミヒンゴ国立公園(Mihingo)へ
9日目 朝、ホースライディングサファリを楽しんで、カンパラへ戻る
 このように書いてしまえば、ごくごく普通のサファリツアーであるが、さて、どんなツアーになったのか、道中見聞録の始まり始まり。
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 カンパラからキバレへは西へ260km、5-6時間のドライブ。
午前9時少し前、2台のワゴン車がホテルへ到着した。約束をきっちり守っているのに感心する。ともすればアフリカ時間で約束した時間から大きく遅れることも覚悟しなくてはならない場合も多いが、契約したARCは、その辺はきちんとしている。ドライバーは前回下見したときのデウス君である。今回はこれに加えて、荷物専用車も準備しなければならなかった。大型のサファリカー持たない会社なのでそれもやむを得ない。車2台を連ねてのサファリツアーである。高台にあるカンパラのコロロ地区をでて湿地の広がる郊外へ出てると、市街地とは異なる風景が開ける。首都カンパラの中心部は官庁やビジネスの街として庶民の生活のにおいが少ない、ややすました一面を持っているが、こうした高級住宅街を抜けて郊外へ出てくると、一転してバイタリティにあふれた庶民の街となる。街道(国道)にそって、露天か簡単な小屋がけ風の商店が軒を連ねるマーケットに多くの庶民が群がっている。そこではあらゆる物が売られている。靴、鞄(かばん)、ドレス、携帯電話、鶏、バナナ(マトケ=蒸して食べる、芋やカボチャのような味)、豆類、ジャックフルーツやマンゴーなどのフルーツ、炭、肉や野菜などの食料品など何でもそろっている。旅の醍醐味はこうした現地のマーケット(市場)へ出かけてみることにあるのだが、とはいえぽっと出の旅行者がこうした市場へ足を踏み入れるにはかなりの覚悟がいるというか、無事に出てこられるかどうかわからない。現地のヒトと一緒でなければまず無理のようだ。
1 このマーケットの話はまた別の機会に譲ることにして先を急ぐ。
西へ西へと車はひたすら走る。下町の喧噪を離れて更に西へ進むと、パピルスが繁茂する湿地の中を国道が貫いて走っている。パピルスは言わずと知れた紙(ペーパーの)語源となったカヤツリグサ科の植物である。遠目には1mほどの草のように見えたが、実際には3mほどの高さになる。パピルスの茎を薄くそいで乾燥させ、板状になったパピルスを編んで衝立やカーペットに加工するのだが、ここでは天日での乾燥させている過程を見ることができる。
 ウガンダは地球の裂け目として知られた東西の大地溝帯に挟まれた、巨大な盆地状の地域にあって、湖沼が点在する水の豊かな国である。
papirus11_2西地溝帯の西側はコンゴ共和国との国境をなすルエンゾリ山系がそびえており西へ行くにつれ乾燥して赤茶けた大地へと変化してくる。沼地に群生するパピルスは姿を消し、森林(疎林)を焼き払った畑に料理用バナナの畑(プランテーション)が点在するようになる。民家の周辺には日干し煉瓦を積んだ四角い塔のようなものが散見できる。この煉瓦は建築現場でも、赤土を掘って練り、天日で乾燥した後に火入れして作るこもののようだ。新築家屋の軒先で煉瓦造りをしているらしい光景も見受けられる。街道沿いの家々はどれも小さく、簡単な作りのものだが、入り口のドアは鉄製の頑丈な作りになっている。この玄関ドアは規格品であるらしく、ドアだけを道ばたに並べて売っている店をよく見かけた。ウガンダでは商品はみんな道ばたに並べて売っているのが当たり前で、大きなベッドなどの家具もそうして売られている。雨が降ったりほこりをかぶったりすることは気にならないのだろうか。何でもかんでもピカピカにして、傷一つない品質を求める日本人の感覚では理解できない光景である。しかし、そんなきれい好きというか、完璧主義的消費者は世界中探してもそういないのではないかとも思う。あまり完璧を求めることは高コスト社会となり、無駄が多くて合理的でもなさそうだ。これから向かうであろう貧乏時代に向けて、少し傷だらけの人生を楽しんでも良いのではないかと、暑いアフリカで考えた。
 さて、先を急ごう。
 カンパラを出発して2時間半、車はほとんど人家のない道を走り続けている。時折、小さな集落があり、人々が集まっている。そして何もない道ばたにプラスチック製タンクを持った子供たちの集団を見つけた。どうやら水くみに来ているようだ。集落の外れに共同の井戸をもつ集落もあるが、そうした井戸さえない集落も珍しくはない。数キロの道のりを徒歩や自転車で水をくみに来るのは子供たちの仕事らしい。ちょうどトイレ休憩(ブッシュトイレット)もしたくなった頃でもあり、球形がてら子供たちの集まる水場を見学させてもらうことにした。
 水が湧き出ているということで、すんだ水を汲んでいるのだとばかり思っていたが、この道路脇の窪地に水がわき出て貯まっている水は緑茶色に濁っていた。湧き出した水ではあるが決して澄み切ってはいない。これでも貴重な飲料水なのだ。日本国内であれば、どこへ行ってもすんだ水を求めるのにそれほど苦労することはない。したがって水は空気のようにごく当たり前に手に入るものと思いがちである。特に水道の蛇口をひねれば、水もお湯も流れ出るという文明は実にありがたいものだが、そのありがたさはなかなか実感できないくらい当たり前になっている。しかし世界の多くの地域はそうではない。水は生きるために必須のものだが、それを入手するために、どれだけの努力をしてきているか知ることさえ困難な時代である。21世紀はこの淡水資源を巡る紛争が更に激化するであろうことは、多くの人たちの共通認識となりつつあるのに、ふだんその実感さえ持てない状況に身を置いていることは、極めて危険でもあるし不幸なことであろう。
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 この水場周辺は乾燥して荒涼とした草地になっているが、彩りに乏しい褐色の荒れ地にピンポン球ほどの黄色い果実をつけた植物を見つけた。紫色の小さな花も咲いている。花と果実の形から、どうやらナス科の植物らしいと見当をつけたが、何という植物かわからない。海外での観察ツアーでの楽しみはこうした植物との出会いである。とはいえ、多くの場合図鑑というものが手に入らないので検索することもままならない。黄色の果実はフォックスフェイス(角ナスSolanum mammosum)を彷彿とさせるが、角はなく球形にナスのヘタがついているといった案配だ。したがって黄色いイヌホウズキに似ている。 ナス科ナス属の一年草で、学名は Solanum intergrifolium。英名は Chinese scarlet egg plant, Ruffled tomatoに該当するのかも知れないが、確信は持てない。
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 集落周辺は多少の起伏があって、その 丘の斜面の森(ブッシュ)は切り払われ他後に火が入れられ、バナナ畑へと変わりつつある。ウガンダでは主食としてバナナを蒸してつぶした餅(マトケという)?のような物を食べる。ここで栽培されたバナナは、自家消費分もあるが多くは近くの町に集められ、首都カンパラの市場へと送られる。重要な収入源となっているのだそうだ。   やっと、サファリに出かけてきたが、まだ昼飯にもならないうちに紙面が尽きた。
この続きは、また。