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生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

消えゆく集落・消える食糧生産の現場

  この冬はどこも雪が少なく、寒暖の差が激しい。この急激な温度変化は生き物に大きな影響を与えるに違いない。場合によっては地域個体群の絶滅にもつながる可能性もあるだろう。このことについてはまた別の機会に譲ることにするが、温暖化がもたらすこうした変化は大きな問題となる。

 私が仲間とツキノワグマの調査フィールドとしている細見谷渓畔林地域(廿日市市吉和)は、知る人ぞ知る豪雪地帯でもある。冬の間、2mほども積もることもまれではない。今年はあまりにも雪が少ないのでもしかしたらと思って、ドライブがてら様子を見に行ってきた。

 さすがにまだ車が入れるような状況ではなかった。入山はもう少し待つことに。おそらく、4月初旬には入れるような気がする。もしそうであれば、ヒキガエルのカエル合戦(集団包摂行動)を見ることができる。過去に一度、見ただけだが、それは壮観なものだ。クマの活動もまだ先のことになりそうだし、春の到来を楽しみに待つとしよう。

 さて、その帰り道のことだ。旧吉和村を出て、旧佐伯町飯室にはいった標高700mあたりも沿道は雪に覆われ、小さな集落の畑も雪に埋もれていた(写真)。飯室は佐伯地区の最奥の集落である。写真左側の大きなスギに囲まれてこの集落の社叢があり、このスギの幹にはクマの爪痕も残る。f:id:syara9sai:20160219095944j:plain

 いかにものどかな風景なのだが、じつはこの集落、ほとんど空き家なのだ。畑も耕作されず、ススキの草原へと変貌しつつある。秋には美しい風景となる。日本の中山間地域の典型的な風景である。最近では、研修農場として一部活用されているようだが、経済至上主義の農業では、生き残れるような場所ではない。

 高齢者だけの集落では基盤整備など農業に欠かせない労働力が確保できず、しかも小規模過ぎて、効率化もなにもあったものではない。せいぜい自家消費の自給的農業がせいぜいだろう。つまり、農業としては成り立ち得ない地域なのである。今日の社会においては、こうした自給的農業は無意味なものとして切り捨てられるのが当たり前なのである。人はすべからく職につき、幾ばくかの生活費を稼ぐ場がなければ暮らしていけない。勢い、中山間地域では補助金がでる事業や土建業に頼らざるを得ない。しかしそれは持続しないので、集落崩壊を少し先に延ばすだけのことにすぎない。

 しかしその一方で、世界的に食糧、水が欠乏し、それらの資源を奪い合う国家間紛争の種になっている。わが日本も決して例外ではない。食糧の大半を海外に頼り、その結果、水の乏しい国から大量の水(バーチャルウォーター)を買うという矛盾を抱え込んでいる。今は他国の食糧を買い付けることができているが、そんな時代はいつまで続くのであろうか。破綻は間近に迫っているかもしれない。

 グローバルに活躍することは決して褒められることばかりではない。他人の資源を奪うことでしか成り立たない社会ではなく、自前の自然の中で慎ましく暮らせる社会を選ぶ時期が来ているのではないだろうか。

 食糧生産の現場をつぶして、ひたすら工業製品の製造、サービス、金融に走る社会が持続するはずはない。いい加減に目を覚まそうよ。

 この雪景色の中にというメッセージを見たのである。

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