生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

成瀬ダム予定地の自然ー北ノ俣沢を歩いて(HFM121)

4度目の北ノ俣沢- その1
 2016年、つまり今年のことだが、なかなか台風が発生しないと思っていたら、8月に入って突然、台風多発状態になった。しかも日本近海で発生し、関東、東北、北海道といった台風常襲地帯とはことなる場所で大きな被害をもたらした。一方西南日本特に沖縄諸島では台風の襲来は少なく、海水温の上昇がサンゴなどの海洋生物群集に大きなダメージを与えている。こうした気象は異常なのか、あるいは常態となっていくのか、地球温暖化と関連づけて考える必要も出てきている。
 9月2-4日に予定されていた成瀬ダム予定地(秋田県東成瀬村)での成瀬川源流域の森林生物調査は台風10号が東北地方を直撃しそうで、実施が危ぶまれたのだが、そこはそれ、究極の「晴れ男」である私のこと、奇跡的に東成瀬村は台風被害を受けずに済み、無事実施することができた。
 今回の調査の主な目的は、北ノ俣沢上流に伸びる湛水域の末端までの沢を歩き、河川周辺の森林植生や地形、地質など野生動物の生活場所を再点検すること、そしてもう一つ、これは市川弁護士の関心事でもある風穴の分布状況などを再点検することにあった。

 そこで今回からシリーズで北ノ俣沢の景観を紹介し、そこでの新たに発見した事実についてその意味を考えてみることにしよう。

f:id:syara9sai:20160916101803j:plain 北ノ俣沢は夢仙人大橋からおよそ直線で2Kmほど上流にある荒倉沢と唐松沢の合流点のすこし上(標高528m地点)までが湛水域として、ダムが完成した後に水没することになっている(上の図)。ここまで実際に曲がりくねった沢を遡上すると往復で約9Kmほど歩くことになる。勾配こそ少ないものの大きな石がごろごろする河原や切り立った岩を超えていかねばならない。年金生活に入った老人には少しきつい行程ではある。とはいえ、風景は素晴らしく、天気も良いとくれば、なんとなく浮き浮きした気分で歩けるというものだ。それに何かしらの発見が待っているとなれば、多少の苦労も何のその、楽しく歩けるというものだ。
 長いトンネルを超えるとそこは夢仙人大橋であった。山腹にトンネルをぶち抜き、深い谷に長い橋をかけて、ダムのための付け替え道路は栗駒山方面へと続く。橋を渡り終わるとまた新たなトンネル工事が始まっていた。ダムは本体工事以外にもこうした関連工事が多く、それだけゼネコンとその周辺が潤う構造となっている。このトンネルの出口すなわち橋の西詰めが調査への出発点となる。橋から北ノ俣沢までは70mほどの高低差がある。ダムが完成すると水面はこの橋の直下まで迫り、橋の上から見えている美しい沢はすべて消滅し、巨大な水面が出現することにになる。

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 その湖底に沈むものは自然だけではなく、多くの文化財や地域の暮らし文化、そして歴史もまた湖底に消えるのである。実際にここにあった集落はすでに消滅している。
 この橋の上から消えた集落のあった下流方面を見下ろすと、古い切り株のようなものが点在しているのが見える。何でもそこは旧石器時代の遺跡(トクラ遺跡)が見つかったとのことで文化財関連の発掘調査が行われているとのことだ。発掘現場は清水の湧くところだったことから考え得れば、あの切り株の一群はもしかしたら埋没林のたぐいなのかも知れない。もしそうであれば貴重な財産であり、興味はわく。しかし残念なことにそこまで行く時間もないので今回はパス。
 さて、いよいよ北ノ俣沢へ降りることにしよう。目指す北ノ俣沢は成瀬川の源流域にあたるが、この成瀬川はやがて皆瀬川に合流し、その皆瀬川横手市内で雄物川と合流して北上し、やがて秋田市内を貫流日本海へと注ぐ。秋田県の物質循環の大動脈ともいえる雄物川水系の源流域にダムを造り、循環系を遮断することが一体どんな意味を持つのか考えた人がいるだろうか?そんな疑問をもちつつ、北ノ俣沢へと足を踏み入れた。
 今回、調査に参加するのは、私の他、市川守弘(弁護士・日本森林生態系保護ネットワーク事務局長)、奥州光吉(成瀬ダムをストップさせる会代表)、斉藤龍次郎(成瀬ダムをストップさせる会)の4名。老骨にむち打っての調査だ。
 急斜面を降りて河畔に着く。ここは木賊沢との合流点のすぐ近くである。この木賊沢をさかのぼるとすぐに左手(北)からが合ノ俣沢が合流する。

 第一の風穴はこのすぐ近く、北ノ俣沢右岸にある。風穴内部の気温と外気温とを測定し、上流を目指す。

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 しばらくは谷も広く左岸は石の河原となっている。前方には崩れかかった吊り橋がかかっている。これはダム建設に絡む調査関係者のためのものだというが、見にくい残骸をさらしているが、人工物はこれくらいのもので、北ノ俣沢には林道もなく登山道もない。ひたすら沢筋を歩くしかない。そんな河原の石の上にはテンのフンがあちこちに転がっている。この時期はミズキの果実を食べているようだ。前々回にはヒミズの脚がひからびて残っていたが、テンの食べ残しなのだろう。

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 さらに遡上していくと両岸はやがて切り立った崖となる。こうした地形は「函」と呼ばれる。鉄砲水に注意しなければならない難所である。成瀬川源流域にも当然のことながらこうした函地形は多い。人を寄せ付けない崖にはまだ未確認の希少種(植物)があるに違いない。川も近くの岩壁にはダイモンジソウが張り付くようにして生育している。花の時期には少し早いようだ。

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 この函を越えるとまた谷は広くなり左手(右岸)に大規模な斜面崩落の跡が見えてくる。まだ新しい崩落のようだ。こうして崩落した岩石が堆積し積み重なると岩と岩の間隙の空気が冷え込み、外気温との気温差による対流が生じ、外部へ冷気を排出することがある。これが累石型の風穴である。新しい岩屑にはまだコケも何も生育していないので、直射日光によって岩が熱せられ、内部の空隙もそれほど冷えることはないのだろうが、やがて表土層が形成され植物が繁茂し、湿度が高まれば徐々に内外の気温差が大きくなることも十分考えられる。実はこの落石現場に隣接した河畔には古い岩屑の堆積があって、風穴と成っていることがこのたびの一連の調査で明らかになっている。岩にはコケやシダ、草本類が生育し、トチ、ミズキ、ホウなどの樹木も生育している。外見上は風穴とは見えないが、よくよく調べてみると小規模ながら累石型の風穴となっている。

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 北ノ俣沢はこうした函、河原、崩落地の繰り返しの連続で、風穴地帯でもあることがこのたび明らかになった。これが北ノ俣沢の大きな特徴である。

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 一方、左岸にも斜面崩落はあちこちに見られるが、右岸に比べると土質の斜面崩落が多い。これは雪崩などによる斜面崩落(雪食地形)の一つかも知れないが、こうした土質の崩落現場は、様々な草本類が繁茂し春先のカモシカニホンザルツキノワグマなどの採食地として利用価値は高い場所である。わたしはこれまで保護運動と関連した全国各地のフィールドを歩いてきた。しかし不運なことに専門とするニホンザルの生息地はほとんどなく、さみしい思いをしてきのだ。だからこそここ北ノ俣沢では久しぶりにニホンザルの姿を拝めるとかすかな期待を抱いていたが残念なことにまだニホンザルの痕跡だけは見つかっていない。
 風穴の調査をすませ、さらに上流へむかう。沢を何度か渡渉し、右岸左岸をジグザグに先へ進む。再び函の難所。ここは岩を攀りテラス状の岩場を歩き淵を回避する。こうした岩場には、凹みに水がたまり止水となった池が出現する。そんなところには、ヒキガエルトウホクサンショウウオなどが産卵していた。夏も過ぎようとしている今、その姿は既にないが、両生類にとって貴重な繁殖の場となっているのだ。ここももちろん水没し、再生の場は消滅する。急斜面の続くこの地域にあって、こうした止水のできる場所はごく限られており、両生類にとって産卵場所の水没は絶滅をも意味する。

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 そんなことを考えながらさらに沢を遡上していく。方形区調査地のあるテラス(昼の休憩場所)まではもう少しだ。
 ということで、今回はこの辺で。今回のハイライトであるクマゲラの巣の発見、イワナの話、河原の成立などの話題は次回以降にお届けすることにしよう。お楽しみに。