生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

宮島のシカとサル-シカザル人形と色楊枝

  財団法人日本モンキーセンター(当時)によってにニホンザル47頭が香川県小豆島から宮島へ移されたのが1962年のことである。それからおよそ40年の間、ロープウエイの終点駅付近に設けられた餌場でニホンザルを観察することができたてきた。このニホンザルこそが私の研究対象でもあり、野外博物館活動の主たる対象でもあったのだが、度物愛護法の改定を機に、野生動物の野外飼育に厳しい条件が課され、やむなく宮島のサルたちは日本モンキーセンター(愛知県犬山市)の飼育施設は再移送された。ただは1995年頃に主群から分裂した一部のサルは野生化して宮島西部に遊動域を確保して生き延びている。今でこそ野生動物の移殖には高いハードルが課せられているが、サル学隆盛を極めた1960-70年代にはそうした意識は薄く、有害鳥獣駆除されたサルの処遇の四方として容認されていたのである。

 かつて宮島には野生のニホンザルが生息してたとの言い伝えがあり、明治時代に入って絶滅したと信じられていた。そこで「ニホンザル個体群の復活」が生態学的な実験ケースとして移殖にゴーサインが出されたのである。とはいえ、移殖に当たっては相当厳しい条件が課されていたことは言うまでもない。移殖の目的が学術研究に限られていたし、個体数管理もかなり厳格に守られていた。

 私は宮島でサルの生態学的研究とそれを活かした野外博物館活動を実践するという課題を与えられて赴任してきたのだが、実際、サルの暮らしぶりを見ていると、明治期にサルの群れが絶滅したと推測できる合理的理由が見つからないのだ。そこでこの疑問を説くため様々な資料を当たってみたところ野生のサルの群れはいなかったとの結論に至らざるを得ない。それではまず宮島にサルがいたという話はどこから来たのかといえばどうやら戸時代の観光ガイドブックにその原因があるようにおもえる。

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大経堂(千畳閣)に店を出す楊枝屋と看板のサル・厳島図会


 江戸時代後期になると人々の交流も盛んに成、宮島も厳島詣でと称してそれなりの観光地へと発展してきた。そしてそうした潮流の中で文人墨客による宮島をモチーフにした和歌や漢詩が広まり、その中に「弥山の森に猿の声を聞く」というような創作をしたり、宮島の町中には猿が多いといったような伝聞によるフェイクニュースもどき増えてきた。今も昔も事実は伝わりにくい物だと実感する。宮島のサル絶滅を唱える人はどうやらこれを事実として取り違えたことが原因であるらしい。しかもこうした誤解に基づいてサルを厳島神社に奉納した事実もさらに絶滅説を強固なものにしたのであろう。

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塔の岡の楊枝屋の庇にサルがいる・厳島図会

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楊枝屋で売られていた色楊枝・厳島八景とサル、シカの10本セット、他に弁慶の七つ道具と御幣、サル、シカというセットもあった

 

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色楊枝はこんなデザインの袋に入れて売られていた


 しかし江戸時代末期の観光ガイドブックとも言われている「厳島図会」をひもといてみると、サルとシカの取り扱いに大きな相違があることが見えてとれる。厳島図会にはサルもシカも描かれている。しかし面白いことに、随所に描かれているシカとは対照的にサルが描かれている場面は2カ所しかない。一つは船着き場付近の楊枝屋の軒の屋根の上で、もう一つは大経堂(今の千畳閣)に店を広げる楊枝屋の周辺である。これはどう見ても楊枝屋の看板として買われていたサルとみるのが妥当である。なぜなら、当時、サルは口腔衛生を司るものとして楊枝屋は「さるや」をなのることが多かったという。特に有名なのが、京都粟田口の「さるや」と江戸日本橋の「さるや」で、後者は今でも営業を続けている。
 明治時代千畳閣(大経堂)付近にサルがいたことはまちがいないが、これは、山口県岩国市在住の花房吉兵衛なる人物が15頭のサルを厳島神社に奉納したものである。奉納されたサルはその後街中でいたずらを繰り返し、半年ばかり後には捕獲されたという(芸備日報)。

 それより以前の江戸期にもサルの生息をうかがわせる文書は多いが、いずれも野生個体群の存在を証明するものではない。おそらく、江戸時代にいたサルは、宮島名物「色楊枝」の看板に飼われていたサルというのが真実のようだ。こうした飼われていたサルとシカは街中で暇をもてあましていたのかも知れない。サルは大変好奇心が強い生きもので、暇があれば目の周りの物を何でも遊びの対象としてしまう。楊枝屋の看板ザルも近くで休息しているシカを見れば近づいて毛繕いをしたり背中に乗ったりして遊んでいたのであろう。餌付けされたサルとシカの交渉を見ているとありそうな話ではある。
 そんなほほえましい交渉を土のひねり人形として具現化したのが、シカザル人形でなないだろうか。

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