生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

やんばるの森事情 2 オキナワウラジロガシの話

  やんばるの森は、照葉樹に覆われた亜熱帯の森であるが、それがどのようなものななのか本土の人間にとってあまり馴染みがないのである。本土だけではなく、沖縄県民でも都市に暮らす人たちにとってはやはり馴染みの薄いようなので、本土の人にとっては一段と馴染みが薄いのも無理からぬことかも知れない。馴染みがなければなかなか親しみも湧いてこないのも道理である。自然への無関心はその破壊に対しても無関心とならざるを得ない。やんばるの森の皆伐問題はそうした無関心を背景として止むことなく続いている面もあるに違いない。逆にみんなが強い関心を持てば、現状も変わるのではないかと期待して、まずはやんばるの森について、話題提供をしていくことにした。今回は、オキナワウラジロガシの話です。

 日本にはドングリのなる樹種が数多くある。落葉性のミズナラ、コナラ、クヌギ、アベマキなどはいわゆる里山の樹木として知られているし、常緑樹であればアラカシ、シラカシウラジロガシ、ツブラジイ、スダジイなどが身近な存在である。

 たとえば私の地元宮島とその周辺の常緑林には、海岸沿いにウバメガシ(備長炭の原料)、そこから標高が上がるにしたがってシリブカガシ、ツブラジイ、ウラジロガシ、ツクバネガシ、アカガシが見られるようになるが、アラカシは海岸沿いから山頂部まで広く生育している。このようにドングリがなる樹木はごく当たり前の存在となっている。ところが驚いたことに沖縄の人たちは、自分たちの暮らす島にドングリがなる樹があることを知らない人が意外に多いという。この話を聞いて、こちらが驚いた。

 沖縄にはオキナワウラジロガシ、マテバシイ、イタジイというドングリのなる樹はあるし、特にイタジイはやんばるの主要な樹種である。それにも関わらず、知らないとは、驚きの極みである。

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  この写真は国頭村伊部集落近く、県道70号線から西へ30分ほど歩いた伊部岳の麓にあるオキナワウラジロガシである。胸高直径が2mを超えるこの樹はやんばるでも最大級のオキナワウラジロガシである。ちなみに後ろに写っている人物は、一緒に調査をしていただいた故河野昭一先生の懐かしい姿である。

 オキナワウラジロガシ(Quercus miyagii)はウラジロガシ(Quercus salicina)に似ているが、奄美大島西表島までの琉球列島にのみ生育する固有な樹種で、その果実、ドングリは直径2.5cmを超えるものもあり、日本最大である。11月下旬に川沿いのやんばるの森を歩いていると、時々、ドボッという音ともに大きなドングリが落ちてくる。ポチャンではなくドボッという鈍い音は恐怖ですらある。頭にでも当たったらかなりのダメージを受けるに違いない。材質はイタジイよりも堅く、寿命も長い。そんなオキナワウラジロガシだが、林道沿いではほとんど見かけることがない。

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 それはオキナワウラジロガシの生育する場が、ここやんばるでは川沿いの斜面や湿地に限られているためである。オキナワウラジロガシは湿潤な環境でしか再生できないようなのだ。西表島のように一様に温暖湿潤な環境であればほぼ全域で生育できるのであろうが、比較的乾燥がきついやんばるでは沢から離れた斜面や尾根部には生育していない。

 私たちは2009年に、林道敷設予定地の伊江川流域でオキナワウラジロガシとイタジイの再生に関する調査を行ったことがある。その詳しい内容は「やんばるにおけるオキナワウラジロガシの現状と保全」(日本森林生態系保護ネットワーク論文集Ⅰ)か「やんばるの森のまか不思議」(沖縄大学地域研究ブックレット12 2011)に譲るが、オキナワウラジロガシの置かれている現状や特徴についてかいつまんで紹介してみよう。

 私がオキナワウラジロガシと初めて出会ったのは2003年、西表島でのことである。しかしこのときはなんということもなく、その印象もサキスマスオウの板根やマングローブ林に比べれば、極めて薄かったというのが正直なところである。それから5年後、やんばるの林道問題へひょんなことから首を突っ込むことになり、現地視察をすることになった。伊江川へ案内されてそこでオキナワウラジロガシの群落にであい、いくつかの疑問が湧いてきた。そこで見たオキナワウラジロガシはどれも大径木で若木が見あたらないのだ。そしてどの樹にも萌芽した痕跡がない。そもそも萌芽更新はないのだろうか?それに加えて若木もないということはとりもなおさず、オキナワウラジロガシの再生がうまく行っていないことの証なのではないかということである。その阻害要因は何か、やんばるの森林問題に関わる中で、これを解き明かす必要があるという問題意識を次第に抱くようになった。まずはオキナワウラジロガシの生育状況を把握しようと、あちこちの森林を見て回ったが、意外なほど少ないということがわかった。ただ、伐採地に立ってみると、沢筋に近い斜面や谷底の湿地に大きなオキナワウラジロガシの切り株が見つかるということを経験的に学んだ。どうやら湿度(水)がオキナワウラジロガシの生育に大きな要因として関わりがありそうなことがみてとれた。

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 2009年。この年はオキナワウラジロガシが大豊作で、調査地の伊江川の支流には大きなオキナワウラジロガシのドングリが転がっていた。それが翌年の2月には一斉に芽吹いて20cmほどの幼樹となっていた。伊江川の支流では写真の様に川沿いのごく限られた範囲に集中しており、川から十mも離れた斜面にはもうほとんど実生は見られない。

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 植物の種子は、母樹からなるべく遠いところで発芽し、母樹と競合しないような工夫がみられる。たとえば、果実を実らせる多くの樹種は鳥やケモノに運んでもらうための工夫を果実に施しているし、カエデやテイカカズラのようなものは風の力を借りて分散する工夫がみられる。またヤナギやカツラのように水辺に生育する樹種は水流によって種子が運ばれるものも少なくない。

 ではオキナワウラジロガシのこの大きなドングリはどのようにして種子をばらまいているのだろうか。この大きさから見てどう見ても動物や風によって運ばれる種子ではなさそうだ。本土のブナやミズナラ、コナラなどのドングリ類は、アカネズミやヒメネズミなどの哺乳類、カケスなどの鳥類がドングリを運び出して土中に埋設し、そこで発芽するというケースもあることが知られているが、やんばるでは大きなオキナワウラジロガシのドングリを運ぶようなネズミ類も鳥類もいない。ケナガネズミくらいの大きさがあれば、あるいはそれも可能かも知れないが、ケナガネズミそのものも希少であり、種子頒布に貢献することはほぼないだろう。ほとんどのドングリは斜面を転がし落ち、水路へ落ち込んでいく。たまに斜面の岩の凹みや平坦な湿地に落下したドングリはそこで発芽する。ひたすら重力と水流に依存しているとしか考えられない。イタジイなどの小さなドングリであれば、台風などの強い風が吹けば斜面上部へと吹き飛ばされることも考えられるが、さすがにオキナワウラジロガシのドングリでは相遠くへは吹き飛ばされることもなさそうだ。

 つまり、オキナワウラジロガシは母樹の近辺か、それより低いところへ向かって転がったり、流されたりして分布を広げていく樹種なのだろう。実生の分布を調べてみるとこうした実態が見えてくる。

 つまりオキナワウラジロガシの種子は

1.種子頒布はひたすら重力と水流に依存している。

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オキナワウラジロガシの実生

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 つまり、少なくともやんばるでは川沿いに分布を広げていく河川依存型の樹種といえる。そして水辺に分布が限られる要因はもう一つある。それは

2.種子は耐乾性が低く、再生には川沿いなどの安定して高い湿度条件を必要である。

ということである。

 ドングリ類は乾燥に弱く、意外と短期間で発芽能力を失ってしまうものらしい。やんばるの森は、沢から少し離れた斜面は意外に乾燥している。したがって斜面に取り残されたオキナワウラジロガシの種子は発芽することなく、消滅していくことになってしまうのだろう。そしてさらに

3.一定樹齢をすぎると萌芽更新する再生力は低下し、再生が困難である。

という事実が再生を困難なものにしている可能性もある。

 カシ類を始め広葉樹はおおむね再生力が強く、幹が折れたり、切られたりしても根が残っていれば萌芽して再生するが、それもある程度の樹齢までのこと。樹種によって再生能力寿命はことなるが、大木となったオキナワウラジロガシではほぼ萌芽による再生はできないようだ。ほとんどのオキナワウラジロガシは株立ちしていないことも、萌芽更新が少ない樹種の現れなのかも知れない。

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イジュの萌芽

したがって私は当初、オキナワウラジロガシは萌芽更新しない樹種なのだと思っていたのだが、ある場所でそれを覆す事実にであった。若く湿度の高い環境ではちゃんと萌芽更新することを確認してそれまでの考えを改めたことがある。

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萌芽更新しているオキナワウラジロガシ

 伊江川の調査地近くで、切り株の直径が20cmほどの若い樹で萌芽更新をしているのを発見したのだ。幹はもうほぼ腐りきってしまうような状態であったが、萌芽は5cmほどにまで成長していた。おそらく幹の腐朽と萌芽とは時間との競争なのだろう。

 オキナワウラジロガシについては、まだ多くの謎が残されている。たとえば何故あのような大きなドングリを稔らせるのか。これについてはまだ明確な答えが見つからない。一つの可能性としては初期成長の速さが生き残りに重要な性質なのかも知れない。これまで見てきたように、やんばるのオキナワウラジロガシはほとんど土壌のない岩の凹みのようなところで発芽し、生育している。たっぷりと栄養をため込んだ大きな種子は暗い森の中で少しでも他の植物の上に葉を広げ、一定期間を生き延びるのに効果的な形質であることは想像できる。

 これに加えてオキナワウラジロガシにはもう一つ面白い性質がある。それは板根を発達させるというものだ。

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写真の板根はまるでサキシマスオウのものに匹敵するほどだ。これほどではないにしても多くのオキナワウラジロガシは板根を持っている。イタジイなどにもある程度は見られるが、オキナワウラジロガシは土壌層の薄い生育場所とも関連しているのだろうが、よく発達している。川沿いの崖地や急斜面に生育するオキナワウラジロガシの発達した板根は、斜面上部から流れてくる土砂や落ち葉などを根元にため込み、土壌層を形成する。このこともやんばるの生物多様性の創造に一役買っているに違いない。その話はいずれまた、ということにしよう。
 土壌はないが比較的光の届く沢筋で成長すれば、
これまでの話を総合して考えて見れば、皆伐が続くやんばるの森では、オキナワウラジロガシが減少しつつあるのも頷ける。 

 いかに保全に気を遣っている様な印象を与える施業形態でも皆伐は生物の生存に大ダメージを与える。源頭部(河川源流部)のオキナワウラジロガシの喪失は、その下流域への種子供給を根底から破壊する。源頭部の母樹の保存は流域全体の利益につながることを肝に銘じてもらいたい。

 オキナワウラジロガシにまつわる話はこれくらいにしておきましょう。果たして次回はどんな展開になるやら。お楽しみに。