生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

やんばるの森事情5-枯れ木の効能

 

 前回は森林の皆伐ノグチゲラの生活の脅威となっていることを指摘しておいたが、今回は枯れ木の効用について考えてみよう。 

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 長い間伐採を逃れてきたやんばるの森を覗いてみると、写真の様な太い枯れ木が林内に点在していることに気づく。これらはおそらく、自然死した、樹木が枯れる要因は細菌類の感染による病死であったり、台風などの物理的な力が加わった結果の事故死であったりと多々ある。まれに寿命が尽きてということもあろう。こうして枯死した古木にも生態学的な価値、あるいは生物学的多様性にとっての価値は存在する。寿命が尽きた古木、もちろん他の要因で枯死したものでも良いのだが、枯死してから姿が消え尽きるまでにはそれ相当の時間が必要で、その時間経過の中で、こうした枯れ木は朽ち果てるまでの間様々な機能を果たし続けるのである。 

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 これなどは、枯死してから間もない状態のイタジイである。どうした加減かわからないが、枯れた幹の空洞に小枝が詰まっている。ノグチゲラの巣穴だったところに他の野鳥かネズミ類が持ち込んだのかもしれないが、よくわからない。ともかくこうして枯死した樹木は材を分解する昆虫類やムカデ類などの節足動物やその幼虫の食料や生活の場となるし、菌類の生活資源ともなる。材はかみ砕かれるなどの物理的破壊や消化といった生物化学的な破壊をうけ、徐々に消滅していき、やがて土壌へ帰って行く。そしてその後には他の植物の生長のための物質として再生していくか無機質となって空気中に拡散していく。これが物質循環という現象である。この物質循環の規模は地球的な規模からごく狭い森林の一部で完結することもある。その循環のシステムは生物が担っていたり河川や空気といった無機的物理的なものに依存している場合もある。この物質循環系がいわゆる生態系(エコシステム)と呼ばれるものである。したがって誤解を恐れずにいえば、この循環系の担い手が誰であろうと物質循環系はなくなることはない。したがって生態系を守れというスローガンには物質循環の具体的な担い手の顔は問わないことになる。とはいえ、系が残っても在来の生物群集が消失したり、極点に変容することを容認することはできないしすべきでもない。つまり守るべき生態系とは進化史を通じて築き上げてきた関係の相対としての在来の生物群集が担う生態系でなければならない。

 話がすこしそれてしまったので元へ戻そう。閑話休題

 昆虫やその他の節足動物の生息場所となれば、それを補食するより大型の昆虫や両生類、は虫類、あるいは陸産貝類などの小動物、さらにそれらを補食する野鳥や哺乳類などの狩り場となる。

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上段の写真の右2枚は、枯れ木に住み着く昆虫類(ホソカタムシ)を採取している青木淳一先生。下段は枯れ木を生活の場とする昆虫類とそれを補食しに集まる野鳥(左からヤンバルクイナノグチゲラホントウアカヒゲ)。

 つまり枯損木はそのものが他の生物たちの生活の場となっていたり、栄養源となっていたりするということだ。およそ生きとし生けるものは水(湿度)を欠かすことは出来ない。水の欠乏を来さないようにどうするか。生理的な対応をしたり生活の場を選択したりとあらゆる努力をしている。そうして視点から見ても枯れ木はある程度腐朽が進んでいくと、材がスポンジ状になることで、保温保湿装置として小さな節足動物や菌類などの生活場に適した環境を有することになる。湿度と温度が安定していることはこうした乾燥に弱い生物にとって大変ありがたいものであることは容易に想像できるに違いない。絶滅が心配されている、やんばるの固有種でもあるヤンバルテナガコガネなどはオキナワウラジロガシやイタジイの巨木の枯れ木を主な生息場所としていることはよく知られている。沖縄が返還された直後からやんばるの森林伐採が行われたのだが、その際に切り出された材を保管しておく土場から、多くのヤンバルテナガコガネが這い出してきたという話を聞いたことがある。皆伐された樹木はすべてが生木ではない。心材が腐朽した古木もすべて切り出されたためにこうした現象がみられたのであろう。

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 腐朽がある程度進んだ枯れ木は地面に倒れてしまうが、そうなるとさらに、細菌類の活動も活発になり土壌中の多様な菌類も加わって動的平衡を保ちながらの独特な細菌ワールドを形成するようになる。そうなるとこれらの菌類の多様性と共生する特殊な生活形をもつ植物、多くはタカツルランのようなランの仲間が顔を出すようになる。タカツルランは絶滅危惧ⅠAに指定されているランであるが、このランは菌類に依存して生活しているラン、菌類を食べるランとして知られている(菌従属栄養植物タカツルランの菌根菌の多様性)。

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 私たちはやんばるの伐採現場を歩いていてこのタカツルランに何度か出会ったことがある。しかしこうした出会いの内のあるものは皮肉なことに皆伐がもたらした一時的なあだ花として出現したタカツルランだったようにも思える(上の写真、上段)。

 つまり、伐採された樹木を捨てた古い土場には多量の腐朽木材が堆積しており、そこがたまたま豊かな菌類相が出現してタカツルランの生育に適した場となっていたからである(下の写真2枚)。こうした土場は本の一時的に出現する菌類多様性ワールドで、数年で雲散霧消してしまうからである。そのあとは乾燥した裸地や(外来種が優占する)草地となり、豊かな森林には戻らないからである。本来のやんばるの森は極めて部分的に、つまり枯れ木の周辺にこうした世界が出現するのだろう。長い時間経過の中で、場所を変えながら転々とこうした偶然の産物を出現させるところに多様性の面白さがある。それ故に希少種といえども絶滅はしない仕組みが存在しているのだ。

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タカツルランが生育していた伐採による廃材捨て場

 枯損木が点在する森林は湿度の安定性もある。スポンジ状の枯れ木に雨水がしみこむと一旦水を保持し、その後ゆっくりと水分を放出する。つまり、枯損木は森林内の保湿器としての機能をも持っているということになる。空中湿度が高く安定していることはやんばるの森に暮らす生きものたち、特にカタツムリやナメクジ類などの陸産貝類などの生存に寄与する。であればそれらを餌とするヤンバルクイナなどの野鳥たちにも豊かな暮らしの場を提供していることにろう。逆にそうした豊かな環境が失われれば、当然そこに暮らす生物にとって暮らしにくくなる。若木も老木も枯れ木も切り倒し、運び去る皆伐が止まない現在のやんばるは間違いなく後者の様相をていしている。

 ということで今回はこれくらいにします。次回は皆伐による森林の乾燥化について考えて見る予定です。