生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

やんばるの森事情5-枯れ木の効能

 

 前回は森林の皆伐ノグチゲラの生活の脅威となっていることを指摘しておいたが、今回は枯れ木の効用について考えてみよう。 

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 長い間伐採を逃れてきたやんばるの森を覗いてみると、写真の様な太い枯れ木が林内に点在していることに気づく。これらはおそらく、自然死した、樹木が枯れる要因は細菌類の感染による病死であったり、台風などの物理的な力が加わった結果の事故死であったりと多々ある。まれに寿命が尽きてということもあろう。こうして枯死した古木にも生態学的な価値、あるいは生物学的多様性にとっての価値は存在する。寿命が尽きた古木、もちろん他の要因で枯死したものでも良いのだが、枯死してから姿が消え尽きるまでにはそれ相当の時間が必要で、その時間経過の中で、こうした枯れ木は朽ち果てるまでの間様々な機能を果たし続けるのである。 

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 これなどは、枯死してから間もない状態のイタジイである。どうした加減かわからないが、枯れた幹の空洞に小枝が詰まっている。ノグチゲラの巣穴だったところに他の野鳥かネズミ類が持ち込んだのかもしれないが、よくわからない。ともかくこうして枯死した樹木は材を分解する昆虫類やムカデ類などの節足動物やその幼虫の食料や生活の場となるし、菌類の生活資源ともなる。材はかみ砕かれるなどの物理的破壊や消化といった生物化学的な破壊をうけ、徐々に消滅していき、やがて土壌へ帰って行く。そしてその後には他の植物の生長のための物質として再生していくか無機質となって空気中に拡散していく。これが物質循環という現象である。この物質循環の規模は地球的な規模からごく狭い森林の一部で完結することもある。その循環のシステムは生物が担っていたり河川や空気といった無機的物理的なものに依存している場合もある。この物質循環系がいわゆる生態系(エコシステム)と呼ばれるものである。したがって誤解を恐れずにいえば、この循環系の担い手が誰であろうと物質循環系はなくなることはない。したがって生態系を守れというスローガンには物質循環の具体的な担い手の顔は問わないことになる。とはいえ、系が残っても在来の生物群集が消失したり、極点に変容することを容認することはできないしすべきでもない。つまり守るべき生態系とは進化史を通じて築き上げてきた関係の相対としての在来の生物群集が担う生態系でなければならない。

 話がすこしそれてしまったので元へ戻そう。閑話休題

 昆虫やその他の節足動物の生息場所となれば、それを補食するより大型の昆虫や両生類、は虫類、あるいは陸産貝類などの小動物、さらにそれらを補食する野鳥や哺乳類などの狩り場となる。

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上段の写真の右2枚は、枯れ木に住み着く昆虫類(ホソカタムシ)を採取している青木淳一先生。下段は枯れ木を生活の場とする昆虫類とそれを補食しに集まる野鳥(左からヤンバルクイナノグチゲラホントウアカヒゲ)。

 つまり枯損木はそのものが他の生物たちの生活の場となっていたり、栄養源となっていたりするということだ。およそ生きとし生けるものは水(湿度)を欠かすことは出来ない。水の欠乏を来さないようにどうするか。生理的な対応をしたり生活の場を選択したりとあらゆる努力をしている。そうして視点から見ても枯れ木はある程度腐朽が進んでいくと、材がスポンジ状になることで、保温保湿装置として小さな節足動物や菌類などの生活場に適した環境を有することになる。湿度と温度が安定していることはこうした乾燥に弱い生物にとって大変ありがたいものであることは容易に想像できるに違いない。絶滅が心配されている、やんばるの固有種でもあるヤンバルテナガコガネなどはオキナワウラジロガシやイタジイの巨木の枯れ木を主な生息場所としていることはよく知られている。沖縄が返還された直後からやんばるの森林伐採が行われたのだが、その際に切り出された材を保管しておく土場から、多くのヤンバルテナガコガネが這い出してきたという話を聞いたことがある。皆伐された樹木はすべてが生木ではない。心材が腐朽した古木もすべて切り出されたためにこうした現象がみられたのであろう。

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 腐朽がある程度進んだ枯れ木は地面に倒れてしまうが、そうなるとさらに、細菌類の活動も活発になり土壌中の多様な菌類も加わって動的平衡を保ちながらの独特な細菌ワールドを形成するようになる。そうなるとこれらの菌類の多様性と共生する特殊な生活形をもつ植物、多くはタカツルランのようなランの仲間が顔を出すようになる。タカツルランは絶滅危惧ⅠAに指定されているランであるが、このランは菌類に依存して生活しているラン、菌類を食べるランとして知られている(菌従属栄養植物タカツルランの菌根菌の多様性)。

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 私たちはやんばるの伐採現場を歩いていてこのタカツルランに何度か出会ったことがある。しかしこうした出会いの内のあるものは皮肉なことに皆伐がもたらした一時的なあだ花として出現したタカツルランだったようにも思える(上の写真、上段)。

 つまり、伐採された樹木を捨てた古い土場には多量の腐朽木材が堆積しており、そこがたまたま豊かな菌類相が出現してタカツルランの生育に適した場となっていたからである(下の写真2枚)。こうした土場は本の一時的に出現する菌類多様性ワールドで、数年で雲散霧消してしまうからである。そのあとは乾燥した裸地や(外来種が優占する)草地となり、豊かな森林には戻らないからである。本来のやんばるの森は極めて部分的に、つまり枯れ木の周辺にこうした世界が出現するのだろう。長い時間経過の中で、場所を変えながら転々とこうした偶然の産物を出現させるところに多様性の面白さがある。それ故に希少種といえども絶滅はしない仕組みが存在しているのだ。

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タカツルランが生育していた伐採による廃材捨て場

 枯損木が点在する森林は湿度の安定性もある。スポンジ状の枯れ木に雨水がしみこむと一旦水を保持し、その後ゆっくりと水分を放出する。つまり、枯損木は森林内の保湿器としての機能をも持っているということになる。空中湿度が高く安定していることはやんばるの森に暮らす生きものたち、特にカタツムリやナメクジ類などの陸産貝類などの生存に寄与する。であればそれらを餌とするヤンバルクイナなどの野鳥たちにも豊かな暮らしの場を提供していることにろう。逆にそうした豊かな環境が失われれば、当然そこに暮らす生物にとって暮らしにくくなる。若木も老木も枯れ木も切り倒し、運び去る皆伐が止まない現在のやんばるは間違いなく後者の様相をていしている。

 ということで今回はこれくらいにします。次回は皆伐による森林の乾燥化について考えて見る予定です。

 


 




 

 


 

 

 

やんばるの森事情4-イタジイとノグチゲラ

  やんばるの森を歩いていると、太い木の幹、地上数mの高さに直径数センチの穴が空いているのを見つけることがある。

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 よくよく観察してみるとこうした穴にはある特徴が認められる。まず穴はそのほとんどがイ20cmを超えるタジイの幹に穿たれていること。そしてその穴の多くは谷側に傾いた幹にあってやや下向きに開いていること。そして穴の前方には一定の空間があること。などである。
 そして比較的新しい穴には穴の下側に写真のように穴の下側が爪でひっかいたような痕が残っている場合がある。

 そう、この穴は、ノグチゲラの巣穴である。

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  ノグチゲラの産卵数と巣立ち雛
 ノグチゲラ(Sapheopipo noguchii)は沖縄やんばる地方のみに生息するキツツキで、国の特別天然記念物にも指定されている固有種である。環境省レッドリストには絶滅危惧ⅠA類に分類されている。ノグチゲラは主に胸高直径20cmを超えるイタジイの幹に巣穴を掘って営巣し、子育てをするが、沖縄県が進める森林整備事業に伴う皆伐によって生息環境は悪化の一途をたどっている。営巣できる太さのイタジイが減少していることは我々CONFEの調査(「やんばるにおける森林伐採・施業とノグチゲラへの影響について(市川他)」日本森林生態系保護ネットワークの報告書2014)でも明らかなのだが、こうした森林植生の破壊は、イタジイのみならず森林におけるあらゆる生物群の生活の場を破壊し、生物生産力を奪う。ノグチゲラも例外ではない。少し具体的に考えてみよう。
 環境省の調査によれば、ノグチゲラの産卵数は平均で4-5個で、巣立つ雛の数は2羽と半減するという(巣立ち成功率50%弱)。このことは環境省発行のパンフレット「ノグチゲラ」に紹介されている。
 一方、帯広におけるアカゲラでは、巣立ち成功率は76.6% (67.7-90.0),巣立ちヒナ数は3.5羽(1-6)という例が知られている(バードリサーチ バードリサーチニュース2009年5月号 Vol.6 No.5 )。事例が少ないので断定的なことはいえないとしても、近似種のアカゲラに比べ、巣立ち成功率はかなり低い。この事実は育雛のための餌の資源量が不足していることを伺わせている。

 ノグチゲラの親鳥は雛がかえってからは育雛のための給餌で忙しくなる。何しろ4-5羽の雛の餌を調達しなくてはならないからだ。かつてノグチゲラの育雛状況を観察した人の話によれば、親鳥は巣穴を離れて数分と立たないうちになにがしかの餌(主に昆虫の幼虫)を採って帰ってきたという。しかし最近ではこの給餌時間の間隔が伸びてきているように感じるという。仮に倍の餌を確保するために以前の倍の時間がかかれば、半分の雛しか育て上げることはできなくなる。つまり、森林の生物資源量が減ったことで巣立ちする雛の数が減ったのではないかと考えることもできる。給餌間隔や餌の種類などの詳しいデータはないのだが、少なくともオオシマゼミやカミキリムシなど様々な昆虫類の減少はノグチゲラの育雛にはマイナスにしか作用しないであろう。

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ノグチゲラは地面でも採餌することがある

 こうした問題を提起すると必ずデータ不足を根拠に推測にすぎないとして森林破壊との関連を無視する傾向があるのだが、少なくとも無関係とする根拠もないことを考える必要がある。野生生物保護においては必ずしも科学的データが必要なものではない。むしろそこに拘泥することの方が弊害が大きいともいえる。特に様々な要因が複雑に絡み合ってのことであることは重々承知してはいるが、少なくとも保護上マイナスとなる要因である可能性があればそれを極力除去していく対策が必要であろう。
 確かにかつてのやんばるの森の生物生産量に関するデータはないのだが、確実に劣化していることを示す傍証はある。たとえば天然記念物のオカヤドカリの採取データによれば、1982年には56tもあったのが30年余り後の2010年には2t程度に激減している。これは、ペットブームによる需要の減少ということも影響されるので、必ずしも個体群の盛衰を反映しているものではないが、どこにでもいたオカヤドカリを最近では目にしないという住民の感覚から観て、かなり減少していることは間違いないだろう。同じことは、オオシマゼミでもみられる。あらゆる野生生物が減少しており、確実にやんばるの森の生物生産力が減衰していることを窺わせる。そのことがノグチゲラの巣立ち成功率に影響している可能性はかなり高い。人造の巣箱の設置などという小手先の対策ではなく、森林の生産性を回復させる努力が求められる。

 このような目に見える森林性の生きものたちの衰退ばかりではない。小さくて普段目にすることもないような生きもの、たとえばササラダニのような土壌生物なども森林伐採によって酷いダメージを受けることになる。これについてはいずれ紹介することにしよう。

 なせノグチゲラはイタジイに営巣するのか?

 ノグチゲラの巣穴は前述したとおり、そのほとんどがイタジイである。最近では林相沿いのリュウキュウマツやタイワンハンノキなどにも営巣する例が報告されているが、これは適当な太さのイタジイが少なく、やむなく代替の樹種で営巣しているようにもみえる。

 ノグチゲラアカゲラに近縁なキツツキで、アオゲラのような生木に穴を穿つだけの力はないという。その点、イタジイは本土のスダジイとはことなり、樹皮に近いところはある程度の堅さが有るものの材は水気を含んで柔らかい。つまり、穴の入り口は強固であるが、内部は柔らかく生木でも穴を穿つことができる。理想的な樹種なのだろう。ただ、水気を含んだ柔らかい材は耐久性に乏しく、一年で内部は腐朽してくるようだ。したがって、ノグチゲラの巣穴は一年限りということになる。沢筋のイタジイはよく成長し、営巣に適した太さになったものが多い。ただ尾根筋のイタジイは成長が遅く、営巣に適した太さのものは少ない。加えて、谷筋では幹が谷方向に傾き、谷側に穴を穿てば、雨の進入も防げるし、前方にはやや開けた空間を確保することができる。

 以上の理由から、ノグチゲラの営巣場所は沢筋のイタジイが多くなるのであろう。

  とにもかくにもノグチゲラが営巣できるイタジイはおおむね胸高直径が20cmを超える太さが必要であるが、本土復帰後からうち続く森林伐採の影響で、こうしたイタジイの林分はかなり少なくなっている。 

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 環境省レッドデータブックによれば、「森林伐採や林道建設、農地開発、ダム建設等により、生息地である天然林が極度に縮小した」ことがノグチゲラ生存の脅威となっていると指摘したうえで、様々な保護策を検討しているというが、現在も森林伐採は放置されたままで、国立公園内でも禁止措置を取り切れていないなどその内容はかなりお寒いものでしかない。

 市川弁護士は報告書の中で、「このような調査は、過去、同一の試験地を用いて皆伐前と皆伐後14年後の林分構造を調査した例や異なる試験地における皆伐後30年後の林分構造の調査(高橋玄et al. 2009)による結果が発表されている。この過去の調査結果ではイタジイの胸高直径は皆伐前に20~25cmのものが多数を占めていた森林において、皆伐14年後では2~4cm、皆伐30年後でも8~10cmの直径にしか成長しないものがほとんどであったとのことである。つまり、皆伐後30年を経過しても、ほとんどのイタジイの胸高直径は10cmほどにしか成長しない、ということなのである」と指摘している。

 やんばるの森の皆伐はこのように直接ノグチゲラの営巣場所を奪い、採食地としての質の低下や喪失をもたらす。このことが他の生きものとの関係を裁ち切り、生物相全体へ影響を及ぼすことになる。そして何よりもノグチゲラの進化史を断ち切ることにもなることをもっと真剣に理解する必要がある。進化する場の保全、それこそが世界自然遺産登録の意義である。

 今回はこれくらいにしておきます。次回もまた森林の破壊による生物多様性への影響を考えてみます。

 

 



 

 

 

アサリ漁の復活はあるか

 私の住んでいる廿日市市大野地区は、知る人ぞ知る「大野あさり」の産地である。宮島の対岸の干潟(前潟)は大野瀬戸に面し、永慶寺川、毛保川などの小河川が流入する砂礫干潟である。干潟の規模はさして大きくはないが、以前からアサリの産地として漁が営まれていた。が、1975年突然アサリが絶滅するほどの大量死が発生し、以後生産猟は大幅に落ち込んだという。しかし近年、全国的なアサリ不漁の中にあって、手掘りアサリとして、大きくふっくらとして、美味なアサリとして知られるようになり、品薄状態が続いている。

 そこで、地元漁協と研究者との協働作業としてアサリの生産量復活のプロジェクトが立ち上がった。その辺の事情については、アサリ漁民となってみた-アサリ養殖は儲からないが役に立つを参照してほしいが、今日は、この稚貝採取の作業風景についてリポートしてみます。

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 4月になり、今年も稚貝採集の時期が巡ってきた。大潮のこの日は宮島の須屋浦で稚貝の採取を行うということで、作業に必要な道具を積み込んで、漁船に分乗し、約30名の有志が大野下の浜漁港を出発した。この日の大野瀬戸の干潮は午後3時30分、潮位50cmの大潮。午後2時に出港し、須屋浦までは10分ほどだろうか。ちなみに須屋浦というのは宮島の最西端に位置している。

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須屋浦海岸

 カキ筏の間を縫って須屋浦海岸に到着。

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 写真にある廃墟のようなものはカキの稚貝採取用の棚で遠景は大竹の化学工場群である。かつてこの工場群から排出された有害物質によって様々な公害が問題となったのが1970年代のことだ。この頃、海はどぶの様な汚水となって異臭を放っていた。これが、アサリの大量死に関係していたのかも知れない。

  それはともかく、作業用品を下ろして準備が整うと、各自十能を使って砂浜の表層約3cmほどの砂を掬い取り、青い網袋に半分ほど入れたら、口を閉じ、砂浜に並べていくのだ。

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 この時期のアサリの稚貝は数ミリ程度の大きさで、なかなか肉眼では見にくい。巣は浜を指でなぞってみると、見つかるのだが、中にはかなり大きく育っているものもある。ただ稚貝はそのほとんどが3cmより浅いところにしか生息していないので、深く掘ってもむだである。ひたすら表面を掬い取って、網袋に入れる。口を閉じる。並べる。といった作業を繰り返すのみ。

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 単純作業であるだけにこれを3時間ほど続けるのはかなりの重労働である。中腰での作業なので腰は痛く、太もももじんじんしてくる。途中で休憩をはさむが、この時間はカキの稚貝採取用の櫓の根元に生えているワカメをいただくことに。

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 持ち帰ってめかぶを三杯酢で食べるとこれが、大変に美味しい。新鮮さが命なのだ。

このワカメは冷凍保存しておいて、通年利用することができる。単純重労働のご褒美だ。

 午後5時潮が満ちてくるのを合図に、作業は終了し、アサリ養殖の復活を祈念し、集合写真を撮って帰途に。

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 こうして稚貝採取の初日は無事終了したのだが、ただこの海域にも問題がないわけではない。一次産業の工業化と商業主義化は生産コストの削減と作業の効率化に飽くことなく突き進まざるを得ない。そのために目的外の生物やその生息地の保全には目をつむることも多い。

 ここ数年、顕在化してきたマイクロプラスチックの問題もその一つである。かつてより海は透明度を回復し、一見きれいになったように見えるが、その実、目に見えない汚染が深刻化しつつあるという。これはグローバルな問題として極めて深刻なもんだいでもある。が、カキ養殖などの零細企業として漁業が成り立っている現状からは目に見える汚染も極めて深刻である。

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 上の写真は須屋浦の景観である。宮島は町の周辺以外は、島の周囲ほとんどが自然海岸でコンクリート護岸はない。そのことが劣化した瀬戸内海の生物的自然をなんとか養っている。大野のアサリ養殖がが何とか存続できるのも宮島の存在が大きいのかも知れない。

 上の写真に写っている森の手前の薄茶色の茂みはハマゴウである。ハマゴウは常緑の小低木で夏に薄紫の花を咲かせる。

 しかしながら、写真のハマゴウは葉をすっかり落としてしまっている。枯れているのかどうかは不明だが、心配な景観ではある。

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 工場群の排出する汚水や廃棄物などはだいぶ軽減されているが、カキ養殖にまつわる別な汚染問題も深刻化しつつある。

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 カキを育てるためのカキ筏はタケを組んで作られる。浮力を増すために筏の周囲には発砲プラスティックの浮きが取り付けられている。その筏からは番線が海中に伸びており、その番線にはホタテ貝の貝殻がプラスティックの管をはさんで吊されている。ここにカキが付着して成長するのだ。数年の耐用年数を経て筏は廃棄されるが、その筏を野焼きしているのが上の写真である。タケそのものを燃やすことにはそれほどの問題はないのだが、タケと一緒に様々なプラスティックや不燃物までもが処理される。もちろんカキそのものも焼かれる。プラスティックからはダイオキシンのような有害物質が発生する可能性も無視できないだろう。焼け残りは海に散逸する。

 こうした作業が終わるのを待っているのがシカである。シカはカキの貝殻やカキの身を食べに集まってくる。カキだけを食べるのであれば、さほど問題はないのかも知れないが、有害物質を含む消化不能なものも口にする。これらはすべて第一胃に滞留し、シカの健康を損ねる原因となる。町のシカもゴミの摂食による餓死が問題となっている。

 筏の処理に関わるゴミ以外にも台風などの自然災害による筏の損傷、沈没などによるゴミ汚染も無視できない。

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 これは損傷したカキ筏の残骸が打ち上げられたものである。もう20年近く前の写真だが、今でもこうしたゴミは管理者が不明なために放置され、蓄積していく。時に行政が処理する場合もあるようだが、それには税金が使われることになる。社会的コストを考えると大変な損失に違いない。

 産業の低コスト化を追い求める一次産業の工業化は、生態学的な矛盾を抱え、時に生物多様性を蔑ろにしかねない。漁業の工業化、つまり養殖漁業の総コストを生物多様性の価値と比較して論じる必要を感じているが、複雑で広範な利害関係が絡んでいるこの問題をどう処理していけば良いのだろうか。

 わかっちゃいるけど、手が出ない。こんな状況が続いている。しかしこの矛盾の行き着くところは、生存の危機である。何とかしようといいう思いが、新たになった稚貝採取作業でした。

 

やんばるの森事情 3 森は生物の暮らしの場

 前回はオキナワウラジロガシについてでしたが、少しだけ補足しておきます。

 やんばるに産する樹木はたいてい成長が速く、材質が柔らかく耐久性に問題が有り、建築材などには余り適していない。そのかなではオキナワウラジロガシ、イジュ、モッコク、イヌマキなどは材が堅く、数少ない有用材として貴重な存在となっている。中でもオキナワウラジロガシやモッコクは貴重で、琉球政府によって厳重に管理され、一般市民用の住宅にはほとんど利用されることはなかったようだ。ちなみにオキナワウラジロガシは首里城の「守礼門」の門柱に使われている。

 わずかにイタジイ(板椎)が利用されていたが、現在でも沖縄の木造住宅に利用されるのは県外産が大部分を占め、やんばる産の建材はほとんどない。このうちモッコクやオキナワウラジロガシは、かなり希少なので古くから伐採が制限されていたようだ。

 もう一度やんばるの森を構成している樹種を見てみよう。典型的なやんばるの森を遠望すると、ブロッコリーのようなモコモコとしている。これらはほとんどイタジイが優占する森なのだが、古い森に足を踏み入れてみると、様々な樹種が生育していることに気づく。

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 やんばる地域には網の目のように林道が敷設されていて驚くばかりなのだが、その林道に車を止め、谷を下って川へ出る。やんばるでは川を道代わりに歩いて森を観察するのも一つの方法である。日当たりが良く水の豊かな場所には、沖縄の森ならではの木生シダであるヒカゲヘゴが見られる。

 ヒカゲヘゴは高さ10mを超えるものもあって、いかにも亜熱帯らしさを醸し出している。春、ヒカゲヘゴの大きな葉が展葉する前、伸びた若葉はゼンマイのように山菜としても利用されるという。湯がいてマヨネーズで食べるとそれなりに美味しいとのことだが、私はまだ試していない。このほかにも着生シダのオオタニワタリも山菜として利用される。

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 亜熱帯のやんばるには大型の木生シダ以外にもリュウビンタイ(写真)やオニヒゴなど多くのシダ類が生育している。

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 さて話を少し戻そう。川を遡上しながら観察してみると、イタジイに混じってイジュ、崖の上にはオキナワウラジロガシ、少し斜面を上がったところにはタブ、小尾根にはヤマモモといった具合に一抱えもありそうな巨樹が点在している。 
 そうした巨樹の幹をたどって情報へと視線を写すと、時に一風変わった植物を見つけることがある。先ほどのオオタニワタリもそうだが、もっと美しいオキナワセッコクやフウランなどのラン科植物が見つかることもある。

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オキナワセッコク

 これら着生植物は他種の幹に着生しているだけで決して寄生しているわけではない。つまり、生息地を提供してもらっているだけで、栄養分を横取りしているのではない。着生植物が多いということはとりもなおさず、空中湿度が高く、安定していることの証でもある。林冠が閉じた古い森は林内の湿度が高く保たれており、様々な生息地を作り出している。これが生物学的多様性の一例でもある。生物の多様性が高いということは多くの種が存在しているということではあるのだが、もう少し深く考えて見ると多様な生物が生きているということは、それだけ多様な関係が存在しているということを意味している。生物はそれぞれに固有な歴史をがあり、その歴史の中で他種との関係を培ってきたのだが、こうした生物同士の相互作用が新しい世界を生み出し、その世界に適応すべく自らの振る舞いや暮らしぶりを変えていく。この生物の歴史を進化という。だから地域の自然はそれぞれに固有なものとなる。とくに琉球列島の島々にはそうした固有性が色濃く残っている。世界自然遺産としての価値はそこにある。

 

薄い腐葉土

 樹上から地面に目を転じてみよう。やんばるの森は本土の山地とはやや異なり、地面が余りふかふかではない。スポンジのような腐葉土層が断然薄い(写真)。

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腐葉土層が薄い

 やんばるの森の腐葉土層はせいぜい数センチほどで、すぐに堅い基質が現れる。湿度の高い熱帯や亜熱帯の多様性に富んだ地域は、当然のことながら生物の活動が活発である。落ち葉や動物の死骸はたちどころに分解され、その産物はそく他種の生産のための養分として利用される。したがって分解物のストックがない。在庫を置かないどこかの生産現場のようにある意味自転車操業的な面がある。一旦森林が破壊されると、薄い土壌層は失われ基質が露出することとなる。こうなると多様性の復活はかなり困難になりかねない。

 オキナワウラジロガシやイタジイ、ヤマモモなどの巨樹は板根状の根を斜面に張り、そこに腐葉土層を形成するという機能が認められる。強い雨樹冠で受け止め、樹幹を伝わってゆっくりと地面に流す。その流れを板根が受け止め腐葉土層を形作るのだ。やんばるの森の巨樹の周辺にできた暑い腐葉土層にはそれこそ多様な菌類など目に見えない生物が様々なネットワークを形成する。そうした複雑な生物ネットワークに支えられてラン科植物が生き抜いてきたらしいこと、ランの研究者に教えていただいた。

 これら目に見えない土壌生物も含めて森の様々な生きものについてはおいおい紹介していくことにするが、とにかく、古い森の皆伐は、想像以上に生物世界に大きなダメージを与えている。次回は、イタジイとノグチゲラについて、その後は森林伐採による湿度の低下がもたらす様々な影響と枯れ木の存在意義について考えてみたい。

 爺のつぶやきー最近どうも頭が働かない。いいたいことはたくさんあるがうまくまとまらない。まさに老化現象。今回もまとまりのない話となって締まったのですが、勘弁してください。一つには自然が余りに複雑なので、やむを得ない面があるのですが、どうか辛抱強くお付き合いください。

 

 

 

 

シカのフンからガラスを作る

サル・シカ・原始林ニュース  139号 2003.04.23

やけくそで作ったガラスー宮島野外博物館セミナーリポートー

 

という記事があったのを思い出した。このサル・シカ・原始林ニュースはこの後、HFMエコロジーHFMエコロジーニュースへと発展し、このブログへとつながるものです。広島フィールドミュージアムの広報誌です。

改めて読んでみて、この頃は実にいろいろな試みをしていたものだと我ながら感心する(冗談です)。

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シカのフンで作ったガラス

埋もれさせてしまうには惜しい記事なので、ここに再録することに。

 2003年4月20日日曜日はあいにくの雨模様だった。この日は久しぶりに野外博物館セミナーを宮島で行うことになっていたのだ。なんでこんなめでたい日に雨が降るのだ。小雨決行(結構)と案内しておいたが、これが小雨と判断する人は少ないかも知れない。はっきりした雨で傘ナシではしんどい。というわけと案内の不徹底とが重なって参加者は少ないと覚悟して集合場所へいった。案の定少ない。今年の春はいつになく花が多く、宮島の森を散歩するのが楽しみだったのだが、雨に打たれてせっかくの花もうなだれて、愛でるに愛でられないといった塩梅だ。大元公園ではモミの新緑と実生がちらほら目に付くが、程なくして全てシカに食べられてしまうことになる。
 大元公園の地面はシバとコケに覆われたところと、それすら生えていない裸地同然のところがある。とりあえず、約束のシカのフンからガラスを作るために、材料となるフンを集めてもらう。そぼ降る雨にフンを拾う姿は決して美しくない。がそれよりも好奇心が勝るのでみんな一所懸命にフンを拾う。

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ガラス作りの原料となるシカのフン

 あいにくの雨なので、大元公園無料休憩所にある事務所を使わせてもらうことにした。窓を開け放ち、換気を良くする。何しろフンを焼くわけだから臭かろうというわけではない。シカのフンは焼いてもまったくそれらしい臭みは出ない。そうではなく、ガラス製造の過程で使う、鉛の化合物の蒸気を排気するためである。ほんの微量ではあっても密室で作業するのは危険である。換気を良くするのに越したことはない。
 では、実際にガラス製造の工程を順を追って紹介しよう。
 まず、集めたシカのフンに着いているゴミをきれいに取り去り、カップ一杯ほどを用意する。このきれいになったフンを100円ショップで購入したステンレスの小鍋にいれ、ガスバーナーで焼却する。

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2台のバーナーで焼かれたフンはまもなく炎を上げる。これでもかというくらい、およそ15分ほど焼き続け、徹底して有機物を燃焼してしまう。有機物が消滅したフンは、ふわふわのねずみ色をした俵のようになる。バーナーにあぶられると飛んでいってしまいそうになるのをなだめなだめてパウダー状の灰にする。

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 もうあぶっても炎が出なくなると、冷やしてからこれまた100円ショップの茶こしでふるい、大きな不純物を除く。この灰を2グラム計測して、そこにホウ砂と一酸化鉛をくわえ攪拌して、るつぼに投入。
 再び、バーナーで1000度C以上に熱すると、るつぼの中の灰が飴のように溶け始める。完全に溶け、流動性が出てくると、今度は冷却してガラス化を待つ。ただ、冷やすときに焦ってしまうと、ガラスは細かく砕けてしまうので、時間をかけて冷やさねばならない。冷却用の鍋を温めておいてるつぼの中で解けている飴をそこへ流し込む。ゆっくりと冷やしてできたガラスはやや茶色がかった鶯色の半透明のきれいなものだった。

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 思った通りシカのフンからガラスを作ることができた。国内初、いや世界で初めての快挙かどうかは知らないが、シカのフンからガラス作りというのはそうそう思い付くものではないだろう。いったいなぜそんなことを考えたのか。とよく聞かれるのだが、そのいきさつはこうだ。
 まず、今回協力してくれた寺山さんは勤務する学校の化学クラブの生徒と一緒に校庭の土からガラス作りをしていた。その話の中で、よく覚えていないのだが、植物からもガラスは作れるでしょうと私が尋ねたときに、シダで作ったことがあるといったように記憶している。シダでできるなら珪酸を多量に含むササでもススキでもできるに違いない。しかもこれらは動物の消化液で分解することもなくそのままフンとして排泄されるはずだから宮島でシバを食べているシカのフンからガラスを作ることは可能であろうと発想したわけである。また、殆ど人間の与える餌に頼って生きているシカのフンではガラスはできない。そこで、フンからガラスを作ることを通じてシカの食物の質を知ることもあるいは可能なのかも知れないと思っている。これは今後の課題だ。
 それと、花粉にもガラス質が含まれているので、春に大量に飛散するマツやモミ、スギの花粉からもガラスができるかも知れない。誰か挑戦してみますか?
 写真の大きな円い黒いガラスは鉄製の鍋で溶かしたもので小さく割れてしまったガラスがるつぼで溶かした不純物の少ないガラスです。
 というわけで、天気には恵まれなかったが、大変おもしろいセミナーでした。
以上 再録

 

 

やんばるの森事情 2 オキナワウラジロガシの話

  やんばるの森は、照葉樹に覆われた亜熱帯の森であるが、それがどのようなものななのか本土の人間にとってあまり馴染みがないのである。本土だけではなく、沖縄県民でも都市に暮らす人たちにとってはやはり馴染みの薄いようなので、本土の人にとっては一段と馴染みが薄いのも無理からぬことかも知れない。馴染みがなければなかなか親しみも湧いてこないのも道理である。自然への無関心はその破壊に対しても無関心とならざるを得ない。やんばるの森の皆伐問題はそうした無関心を背景として止むことなく続いている面もあるに違いない。逆にみんなが強い関心を持てば、現状も変わるのではないかと期待して、まずはやんばるの森について、話題提供をしていくことにした。今回は、オキナワウラジロガシの話です。

 日本にはドングリのなる樹種が数多くある。落葉性のミズナラ、コナラ、クヌギ、アベマキなどはいわゆる里山の樹木として知られているし、常緑樹であればアラカシ、シラカシウラジロガシ、ツブラジイ、スダジイなどが身近な存在である。

 たとえば私の地元宮島とその周辺の常緑林には、海岸沿いにウバメガシ(備長炭の原料)、そこから標高が上がるにしたがってシリブカガシ、ツブラジイ、ウラジロガシ、ツクバネガシ、アカガシが見られるようになるが、アラカシは海岸沿いから山頂部まで広く生育している。このようにドングリがなる樹木はごく当たり前の存在となっている。ところが驚いたことに沖縄の人たちは、自分たちの暮らす島にドングリがなる樹があることを知らない人が意外に多いという。この話を聞いて、こちらが驚いた。

 沖縄にはオキナワウラジロガシ、マテバシイ、イタジイというドングリのなる樹はあるし、特にイタジイはやんばるの主要な樹種である。それにも関わらず、知らないとは、驚きの極みである。

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  この写真は国頭村伊部集落近く、県道70号線から西へ30分ほど歩いた伊部岳の麓にあるオキナワウラジロガシである。胸高直径が2mを超えるこの樹はやんばるでも最大級のオキナワウラジロガシである。ちなみに後ろに写っている人物は、一緒に調査をしていただいた故河野昭一先生の懐かしい姿である。

 オキナワウラジロガシ(Quercus miyagii)はウラジロガシ(Quercus salicina)に似ているが、奄美大島西表島までの琉球列島にのみ生育する固有な樹種で、その果実、ドングリは直径2.5cmを超えるものもあり、日本最大である。11月下旬に川沿いのやんばるの森を歩いていると、時々、ドボッという音ともに大きなドングリが落ちてくる。ポチャンではなくドボッという鈍い音は恐怖ですらある。頭にでも当たったらかなりのダメージを受けるに違いない。材質はイタジイよりも堅く、寿命も長い。そんなオキナワウラジロガシだが、林道沿いではほとんど見かけることがない。

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 それはオキナワウラジロガシの生育する場が、ここやんばるでは川沿いの斜面や湿地に限られているためである。オキナワウラジロガシは湿潤な環境でしか再生できないようなのだ。西表島のように一様に温暖湿潤な環境であればほぼ全域で生育できるのであろうが、比較的乾燥がきついやんばるでは沢から離れた斜面や尾根部には生育していない。

 私たちは2009年に、林道敷設予定地の伊江川流域でオキナワウラジロガシとイタジイの再生に関する調査を行ったことがある。その詳しい内容は「やんばるにおけるオキナワウラジロガシの現状と保全」(日本森林生態系保護ネットワーク論文集Ⅰ)か「やんばるの森のまか不思議」(沖縄大学地域研究ブックレット12 2011)に譲るが、オキナワウラジロガシの置かれている現状や特徴についてかいつまんで紹介してみよう。

 私がオキナワウラジロガシと初めて出会ったのは2003年、西表島でのことである。しかしこのときはなんということもなく、その印象もサキスマスオウの板根やマングローブ林に比べれば、極めて薄かったというのが正直なところである。それから5年後、やんばるの林道問題へひょんなことから首を突っ込むことになり、現地視察をすることになった。伊江川へ案内されてそこでオキナワウラジロガシの群落にであい、いくつかの疑問が湧いてきた。そこで見たオキナワウラジロガシはどれも大径木で若木が見あたらないのだ。そしてどの樹にも萌芽した痕跡がない。そもそも萌芽更新はないのだろうか?それに加えて若木もないということはとりもなおさず、オキナワウラジロガシの再生がうまく行っていないことの証なのではないかということである。その阻害要因は何か、やんばるの森林問題に関わる中で、これを解き明かす必要があるという問題意識を次第に抱くようになった。まずはオキナワウラジロガシの生育状況を把握しようと、あちこちの森林を見て回ったが、意外なほど少ないということがわかった。ただ、伐採地に立ってみると、沢筋に近い斜面や谷底の湿地に大きなオキナワウラジロガシの切り株が見つかるということを経験的に学んだ。どうやら湿度(水)がオキナワウラジロガシの生育に大きな要因として関わりがありそうなことがみてとれた。

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 2009年。この年はオキナワウラジロガシが大豊作で、調査地の伊江川の支流には大きなオキナワウラジロガシのドングリが転がっていた。それが翌年の2月には一斉に芽吹いて20cmほどの幼樹となっていた。伊江川の支流では写真の様に川沿いのごく限られた範囲に集中しており、川から十mも離れた斜面にはもうほとんど実生は見られない。

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 植物の種子は、母樹からなるべく遠いところで発芽し、母樹と競合しないような工夫がみられる。たとえば、果実を実らせる多くの樹種は鳥やケモノに運んでもらうための工夫を果実に施しているし、カエデやテイカカズラのようなものは風の力を借りて分散する工夫がみられる。またヤナギやカツラのように水辺に生育する樹種は水流によって種子が運ばれるものも少なくない。

 ではオキナワウラジロガシのこの大きなドングリはどのようにして種子をばらまいているのだろうか。この大きさから見てどう見ても動物や風によって運ばれる種子ではなさそうだ。本土のブナやミズナラ、コナラなどのドングリ類は、アカネズミやヒメネズミなどの哺乳類、カケスなどの鳥類がドングリを運び出して土中に埋設し、そこで発芽するというケースもあることが知られているが、やんばるでは大きなオキナワウラジロガシのドングリを運ぶようなネズミ類も鳥類もいない。ケナガネズミくらいの大きさがあれば、あるいはそれも可能かも知れないが、ケナガネズミそのものも希少であり、種子頒布に貢献することはほぼないだろう。ほとんどのドングリは斜面を転がし落ち、水路へ落ち込んでいく。たまに斜面の岩の凹みや平坦な湿地に落下したドングリはそこで発芽する。ひたすら重力と水流に依存しているとしか考えられない。イタジイなどの小さなドングリであれば、台風などの強い風が吹けば斜面上部へと吹き飛ばされることも考えられるが、さすがにオキナワウラジロガシのドングリでは相遠くへは吹き飛ばされることもなさそうだ。

 つまり、オキナワウラジロガシは母樹の近辺か、それより低いところへ向かって転がったり、流されたりして分布を広げていく樹種なのだろう。実生の分布を調べてみるとこうした実態が見えてくる。

 つまりオキナワウラジロガシの種子は

1.種子頒布はひたすら重力と水流に依存している。

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オキナワウラジロガシの実生

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 つまり、少なくともやんばるでは川沿いに分布を広げていく河川依存型の樹種といえる。そして水辺に分布が限られる要因はもう一つある。それは

2.種子は耐乾性が低く、再生には川沿いなどの安定して高い湿度条件を必要である。

ということである。

 ドングリ類は乾燥に弱く、意外と短期間で発芽能力を失ってしまうものらしい。やんばるの森は、沢から少し離れた斜面は意外に乾燥している。したがって斜面に取り残されたオキナワウラジロガシの種子は発芽することなく、消滅していくことになってしまうのだろう。そしてさらに

3.一定樹齢をすぎると萌芽更新する再生力は低下し、再生が困難である。

という事実が再生を困難なものにしている可能性もある。

 カシ類を始め広葉樹はおおむね再生力が強く、幹が折れたり、切られたりしても根が残っていれば萌芽して再生するが、それもある程度の樹齢までのこと。樹種によって再生能力寿命はことなるが、大木となったオキナワウラジロガシではほぼ萌芽による再生はできないようだ。ほとんどのオキナワウラジロガシは株立ちしていないことも、萌芽更新が少ない樹種の現れなのかも知れない。

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イジュの萌芽

したがって私は当初、オキナワウラジロガシは萌芽更新しない樹種なのだと思っていたのだが、ある場所でそれを覆す事実にであった。若く湿度の高い環境ではちゃんと萌芽更新することを確認してそれまでの考えを改めたことがある。

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萌芽更新しているオキナワウラジロガシ

 伊江川の調査地近くで、切り株の直径が20cmほどの若い樹で萌芽更新をしているのを発見したのだ。幹はもうほぼ腐りきってしまうような状態であったが、萌芽は5cmほどにまで成長していた。おそらく幹の腐朽と萌芽とは時間との競争なのだろう。

 オキナワウラジロガシについては、まだ多くの謎が残されている。たとえば何故あのような大きなドングリを稔らせるのか。これについてはまだ明確な答えが見つからない。一つの可能性としては初期成長の速さが生き残りに重要な性質なのかも知れない。これまで見てきたように、やんばるのオキナワウラジロガシはほとんど土壌のない岩の凹みのようなところで発芽し、生育している。たっぷりと栄養をため込んだ大きな種子は暗い森の中で少しでも他の植物の上に葉を広げ、一定期間を生き延びるのに効果的な形質であることは想像できる。

 これに加えてオキナワウラジロガシにはもう一つ面白い性質がある。それは板根を発達させるというものだ。

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写真の板根はまるでサキシマスオウのものに匹敵するほどだ。これほどではないにしても多くのオキナワウラジロガシは板根を持っている。イタジイなどにもある程度は見られるが、オキナワウラジロガシは土壌層の薄い生育場所とも関連しているのだろうが、よく発達している。川沿いの崖地や急斜面に生育するオキナワウラジロガシの発達した板根は、斜面上部から流れてくる土砂や落ち葉などを根元にため込み、土壌層を形成する。このこともやんばるの生物多様性の創造に一役買っているに違いない。その話はいずれまた、ということにしよう。
 土壌はないが比較的光の届く沢筋で成長すれば、
これまでの話を総合して考えて見れば、皆伐が続くやんばるの森では、オキナワウラジロガシが減少しつつあるのも頷ける。 

 いかに保全に気を遣っている様な印象を与える施業形態でも皆伐は生物の生存に大ダメージを与える。源頭部(河川源流部)のオキナワウラジロガシの喪失は、その下流域への種子供給を根底から破壊する。源頭部の母樹の保存は流域全体の利益につながることを肝に銘じてもらいたい。

 オキナワウラジロガシにまつわる話はこれくらいにしておきましょう。果たして次回はどんな展開になるやら。お楽しみに。  

 

 

やんばるの森事情 1 やんばるの森散策

 前回は森林伐採の現場を紹介したが、こうした森林伐採がやんばるの生物多様性にいかなる影響を与えるかということを考えてみたい。だがその前に、そもそもやんばるは本来の森林って?、そこはどんな世界なのか、どのような生きものが暮らしているのか、といった素朴な疑問に答えておくことにしよう。

 下の写真は大国林道・長尾橋から眺めたやんばるの森である。よくポスターなどで見るやんばるの森はたいていここからの眺めたものである。もこもことしたブロッコリーのような森。このもこもこした樹木はイタジイ(スダジイ)で、このイタジイが優占する森、それこそやんばるの森の基本的景観である。写真は5月、いわゆる「うりずん」に撮影したもので、白い花はイジュ(ツバキ科)である。写真を見る限り、やんばるはこうした立派な森が延々と続いているかのように思えてくる。

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大国林道・長尾橋から見たやんばるの森

 しかし遠目には立派な森林に見える森でも、実際に足を踏み入れてみると意外に細い樹ばかりでがっかりすることも少なくない。というか、今のやんばるにはそんな森のほうが圧倒的に多いのだ。

 では本当に豊かなやんばるの森とはどんなものなのだろうか。その一部を画像で紹介してみよう。写真アルバムやんばるの自然 をご覧ください。

 

 やんばるの森散策

 やんばるとは山原の意味で、その地形は本土の山岳帯とは異なり、大きな山体を有するものではない。名前の通り、丘陵といった方がわかりやすい。千葉の房総半島内陸部や下北半島の地形に近く、平らな地面が東西南北から押されて地面にしわが寄った様な地形に特徴がある。せいぜい2-300mの山が複雑に連なり、小さな川が網の目のように流れている。森を眺めての印象は一見なだらかで歩きやすい森に見えるが、実際はかなり歩きにくい。それは樹木が地形の厳しさを覆い隠しているからに他ならない(下の写真参照)。

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 伐開地に立って森の断面を見るとわかるように、谷に近い樹木は樹高も高く太い。それに比して尾根部では季節風も強く、乾燥しやすいために樹木の生育は遅れ、樹高もかなり低い。また地形は沢筋の土壌は浸食されて岩盤が露出し、川沿いは数メートルの高さの崖となっていることが多い。つまりお椀を伏せたような地形の集合体と思えばわかるだろうか。その結果、樹木に覆われたやんばるの山並みはなだらかに見えるが、実際に森を歩くのは、粘土質の赤土の斜面と相まって容易ではない。またこの赤土の土壌はかなり酸性が強く農業には適さない。

 薄暗い森

 やんばるに残る古い森に足を踏み入れてみるてまず感じるのは、暗いということかも知れない。その暗さにはすぐに馴れて気にはならないのだが、写真撮影をするとなるとこの暗さに苦労することがある。動きのある鳥やパンフォーカスで景観をカメラに収めようとすると、どうしてもスローシャッターを切らねばならなくなり、息切れした身体では手持ち撮影で苦労する。

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 写真はそれほどでもないのだが、巨樹に覆われた森では樹冠が完全にふさがれて林床はかなり暗い。そのため林床に生育する植物は意外なほど少なく、すかすかである。熱帯、亜熱帯の森は、いわゆるジャングルのような樹が密性して歩きにくいと思うかもしれないがそれは誤解である。

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 森林内部は暗いだけではない。沢沿いの森は湿度が高くしっとりとしている。ところが尾根部は冬の強い北西風のためやや乾燥がきつい。そんなこともあってわずかな高低差ではあっても、生育している樹種は斜面の上部と下部(沢沿い)とでは異なっている。たとえば高温多湿の谷筋から中腹まではイタジイやオキナワウラジロガシの巨木が生育しているが、尾根部周辺は乾燥に強いアデクリュウキュウチクの群落となっているだどわずかな標高差でも大きく植生が異なる。

 生物にとって湿度(水分)は生死を分けるかなり重要な要素である。極端な言い方をすれば、水問題を解決することも生物の進化に大きな影響を与えてきたのである。逆説的な言い方をすれば、水を求めて水と縁を切るように大進化が生じたと言えるのかも知れない。身体の内部に豊かな水環境を保持できる身体の仕組みを獲得することで水の少ない新しい生息域を獲得してきたことは脊椎動物の進化史にも見られる。

 生物はこのような水問題の解決とともに 1.いかにして食物を獲得するか、そして逆に 2.いかにして他の生物の食糧とならずに暮らすか、そして3.いかにして子孫を残すか、という三つの難問を同時に解決しなければならなかった。この多元方程式を多様な環境の中で解決するために生物同士の多様な相互作用が生じ、多様な関係が構築されてきた結果が現在の生物世界である。 

 だから湿度も気温も高い亜熱帯のやんばるには、本土にはない多様性がある。そんなやんばるの森を探索しながら散策してみよう。 

 やんばるの川筋を歩くとそこここにかなりの巨樹に出会う。ほとんど岩盤のような川沿いの崖地の上部には、板根を発達させたオキナワウラジロガシがまるで斜面の崩落を食い止めるがごとく岩盤に板根を伸ばして立っている。

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川縁の岩盤にそそり立つオキナワウラジロガシの巨木

 日本最大のドングリで知られるオキナワウラジロガシであるが、今、このオキナワウラジロガシは毎年の皆伐で姿を消しつつある。その辺の事情を少し詳しく述べたいが、それは回を改めてのこととしたい。ここまでやんばるの森事情を紹介しようと書き始めてものの、どうもそう簡単には話が進みそうにない。ということですこし予定を変更して、これからはシリーズでやんばるの森事情を紹介していくことにします。

 次回はオキナワウラジロガシについて、これまで調査してきてわかったことなどを少し詳しくお話をします。ということで、中途半端ではありますが、今回はこのくらいにしておきます。

 

 

 

 

 

2019年やんばる紀行-森林破壊の現場を歩く

 暖冬とはいえまだ肌寒さが残る広島の我が家を出て、岩国空港へ。ここから約2時間ほどのフライトで沖縄県那覇空港に着く。3月2日土曜日、那覇は薄曇り。機外へでるとねっとりした暖気が身体を包み込む。やはり那覇はもう夏だ。Tシャツだけでも十分暑い。空港で北海道から来る市川弁護士らと合流して、レンタカーで最北部のやんばる(国頭村)へ向かう。伐採現場を訪ねる私たちのやんばる通いはもう11年目となる。

 やんばるの森林整備事業を巡っては、2008年から2014年の6年にわたって争われた第2次「命の森やんばる訴訟」で実質的な勝訴を収め、県営林の伐採とそれに関わる林道工事は止まった。

 しかしことはそう簡単ではなく、やんばるに存在する国頭村の村有林は訴訟の対象ではなかったために毎年10ヘクタールの森林伐採が続いている。

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謝敷(じゃしき)の現場

 ご存じのようにやんばるの森には多くの固有種が生息し、極めて特徴的な生物的自然の残る地域として「世界自然遺産」としての価値を有する地域である。その価値は県も、地元も国も認めていながら、こうした森林破壊は止むことがないしこの実態は基地問題にかくれて余りよく知られていないのが実情だ。

 昨年の登録延期決定を受けて、国は米軍演習場の返還地を国立公園に組み込むことで再度、登録申請をしたが、根本的な自然破壊活動には目をつむったままだ。こうした現状にストップをかけようと地元の弁護士や市民が協働して「沖縄DONぐりーず」なるNGOを立ち上げ活動を開始した。私たち日本森林生態系保護ネットワークもこれに協力する形で訴訟と調査活動を行っている。

 今回は情報公開請求によって明らかとなっている、2018年度の伐採予定地である、辺戸と宜名真の伐採現場を視察することにしていた.。ところが宜名真では伐採した形跡がなく、その代わり、偶然、謝敷で新しい伐採現場を確認したのである。この謝敷の伐採は、公開請求後に新たに計画されたものなのかも知れない。とはいえ、見た以上は現場を見ておく必要がある、ということで今回は、辺戸と謝敷の伐採現場の状況と、皆伐という事業がやんばるの生物多様性にどのような影響を与えるかということについて2-3回に分けてレポートすることにする。 

伐採現場を歩く

1.辺戸・吉波山

  国頭村の計画によれば、<辺戸・吉波山1149-1>における今回の伐採面積は書類上では1.49haということになっている。しかし現場に立ってみるとどうもそれ以上の広さえる。図面上ではわずか1.49haとはいえ、実面積でいえばその1.5倍から2倍近かそれ以上にまでになる。こうした皆伐による生物への影響は決して小さくはない。

 国頭村辺土名から国道58号線を北上し、最北端の辺戸岬への分岐を東進し奥集落方面へしばらく走って、細い舗装道路を左折する。ここは観光客も訪れることのない森林が広がっている。遠くに石林山がそびえ、独特な雰囲気を醸し出している。写真は2012年の伐採現場跡地で、6年後の今ではちょっと見にはだいぶ森林植生が復活しているように見える。

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 伐採現場へ足を踏み入れるとまず作業道として切り開かれる林地の惨状が目に飛び込んでくる。腐葉土層を含む土壌を破壊し、無機質に赤土が露出し、雨が降れば真っ赤な泥流が沢を流れ下る。河川に流入した粘土質の赤土はコロイド状になって河床や海岸周辺に堆積する。そのため浅海性のサンゴは死滅する。

 現場は沢に沿った右岸の斜面。ほぼ直線的に数百メートルの尾根から谷底まで幅100メートルほどの規模で森がはぎ取られている。尾根近くにはうち捨てられた枯損木や枝が積み上げられ無残なゴミの山が残されている。かつてはイタジイやイジュが優占する林齢40年ほどの林が広がっていたことが伐痕から見て取れる。もう少し放置しておけば、ノグチゲラが営巣することができる程度(直径20cm)のイタジイに成長するであろうに、もったいないことである。

2謝敷・(林道佐手与那線)

 この謝敷の伐採現場は事前に情報がなく、偶然見つけた現場である。謝敷、佐手地区では以前から伐採が進んでいるのだが、その理由は「しょぼい森」ということで、やんばる型林業における林業生産区域に指定されており、5ha未満であればほぼ自由に伐採できる事になっている。ところが、謝敷を含んでこの周辺には、オキナワウラジロガシやイタジイの巨樹が残存する立派な森林が残っていて、貴重なストックとして重要な地域なのだ。

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オキナワウラジロガシ

 

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人の大きさと比べてみるとその太さがわかる

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謝敷の伐採現場

 この伐採現場に立ってみて、まず驚いたのはその伐痕の太さである。全体を俯瞰してみればわかるが、巨大な伐痕がかなりの間隔を置いて認められる。つまり、ここにはイタジイやオキナワウラジロガシの巨木が生い茂る熟成した森林であったということだ。辺戸の現場と異なり、細い樹木の残骸はない。巨樹が樹冠を覆い、林床に光が届かず林床植生も若木も多くはない、そんな森であったことが見えてくるではないか(動画有り)。

 環境省はこのやんばるを含む南西諸島を世界自然遺産登録を目指してこの2月にユネスコに再申請したという。米軍返還基地を国立公園に編入したことでハードルをクリアしたということなのだろう。しかし、現実にはこうした森林破壊が続いており、生息地の消滅、分断、孤立化という、やんばるの生物にとっての脅威は日に日に強まっている。

 次回は森林伐採によってやんばるの自然生態系にとってどのような危機が生じるのかという点について生態学的な視点から考えて見たい。
 

 

 

ニホンザルのスギ花粉症-発見物語

 2019年3月14日付けの毎日新聞1面にニホンザルの花粉症に関する記事が掲載されていました。淡路島モンキーセンターに花粉症のサルがいるという、いわゆる季節の話題といった記事なのですが、この記事からは何時どのようにしてサルの杉花粉症が見つかったのかという点について、関係者として改めて紹介してみようという気になったのです。

 記事によれはニホンザルにスギ花粉症が発見されたのはおよそ30年ほど前とされていますが、正確には1986年、宮島でのことです。

 発見のいきさつは、1984年4月発行のモンキータイムス宮島版Vol.13-No.14に記事になっているのですが、当時のタイムス(タイムズではなくタイムス)の記事を覚えている人もいないでしょうから、ここに再録した上で、加筆して紹介することにします。
*以下、当時の記事から引用* 
 今年(1984年)で24才になる年寄りのメス(このメスは、今の宮島群の中でただ一頭の小豆島生まれのサルである)が、しきりと目をこすっている。一度手首あたりをなめ、その手で目をこすっている。いわゆる洗顔と同じである。はて、と見れば、両目とも腫れ上がって、上下のまぶたがひっつき、つぶれてしまっているようだ。くしゃみはするわ、涎は流すわで、たいそうしんどそうな様子である。風邪でもひいたかと思っていると、他にも同じ症状のサルが2頭いる。

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 まてよ。そういえば、このサルたちは去年も、いや一昨年も同じように眼を腫らしていたではないか。確か数年前から、春先になると、決まってこんな症状を見せるサルがいることに思い至った。一体全体どうしたというのだろう。毎年同じ時期に同じような症状を見せる。何かあるに違いない漠然とそんな感じを持っていた。ところがある日、突然「あっ、もしかしたらこれだ」と、直感がひらめいた。
 「おはようございます。私、花粉アレルギーかしら」と言って潤んだ目をして山口さんが出勤してきた。「涙やらくしゃみやら大変なんですよ」。このとき、私には妙にあのサルたちと山口さんがダブって見えた。「もしかしたらあのサルたちも花粉アレルギーなのではないだろうか」、もしそうだとすれば、大変面白いことだ。今までサルに、いや人間以外の野生動物に花粉アレルギーがあるなんて話は聞いたことがない。常識で考えても山野を生活の場にしているニホンザルがそんなにデリケートであるはずがない。場合によっては生死に関わる体質といえよう。
 とはいえ、今の段階では「花粉アレルギー症」と決まったわけではなく、状況証拠があるだけだから、今後は専門の研究者と協力して真相を明らかにしていかねばならないであろう。もしこのサルが本当に花粉アレルギーということにでもなれば、サルには悪いが野生動物として何とも締まらない話である。
                             *以上、記事引用 *

 さてこの話を聞きつけた地元中国新聞の記者が京都大学霊長類研究所にその真偽のほどを確かめようとして問い合わせた結果、「野生動物のサルにスギ花粉症はあり得ない」とのコメントを受け、それが新聞記事となって世間に伝わった。そこでこの件は一件落着したかにみえた。

 ところが、スギの花粉症に悩む霊長類研究所の研究者が伝え聞いたこの話をされに主治医(耳鼻咽喉科)である横田医師(当時:名古屋大学医学部)に伝えたところ、横田医師は大いに関心を示し、実際に確かめてみようということになった。

 1985年4月のことである。広島市内に用事があったくだんの横田医師は、宮島へ足を伸ばし、アレルギー治療のための皮内テストを行い、さらにアレルゲン試薬をサルの目に投与して症状が出るかどうかの実験を行ったのである。 

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8種類アレルゲンを用いた皮内テスト

 

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スギの抗原を用いた点眼テスト

 残念なことに皮内テストでは、発症する赤斑の大きさを定規を当てて測ろうとしてもサルの皮膚のたるみが大きく、正確に測ることができず、点眼試験でははっきりした症状が認められないという結果になった。そもそも人間用の試薬を使用してテストで試薬の濃度の適正値も定かではなく、その有効性が不明ではっきりした結果は得られなかったのも無理からぬことではあった。

「どうもはっきりしませんねぇ。でも話を聞く限りでは、花粉症である可能性が高いように思います。」ということで、翌年(1986年)、もっと本格的に調査してみましょうということになった。

 そして翌1986年、京大の霊長類研究所と横田医師の調査チームが再来し、症状を持つ個体に加えて何頭かのサルを捕獲し、採血を含む本格的な調査調査を行い、後日、症状を有する個体の血中からスギに特異的なIg E抗体を発見したのである。ここにニホンザルのスギ花粉症が科学的な証拠に基づいて確認されたのである(霊 長 類 研 究 Primate Res. 3: 112-118, 1987) 

 事実が明らかになると、多くの研究者がサルの花粉症を研究対象にと望み、今では生理学、遺伝学的な詳細な研究が進展しているということを風の便りに聞く。

と同時に、それまで各地の野猿公苑や動物園に対して花粉症らしい個体の存否を訪ねるアンケートを出しても、ほとんど罹患している個体の発見は難しかったのだが、このニュースが各メディアで報道されると、あっちからもこっちからも花粉症と疑われるサルが見つかったのである。

 なかでも、淡路島モンキーセンターではかなりの数のサルが花粉症に罹患していることがわかってきた。

 さて、今(2002年現在)の宮島のサルはどうだろうか。実は皮肉にも、花粉症が明らかになった頃から、花粉症に典型的な症状は比較的少なくなってきている。その原因はよく分からない。花粉症の因子を持っているサルは少なからずいるのだが、発症しない。これは、もしかすると、大気が以前よりもきれいになってきていることの証なのかもしれない。あるいは、花粉の飛散量が少ない年が続いているからかもしれない。人間はかなり敏感で、わずかな花粉量でも発症するが、サルはもう少し鈍感なのかもしれない。
 いずれにしても、この当時、私が宮島のサルと出会っていなかったら、サルの花粉症は知られていなかったであろう。当時花粉症支持派はほとんどいなかったのだから。 それはともかく、花粉症のサルの写真をご覧ください。1984年に撮影したものです。

(宮島の餌付け群は動物愛護法の改正により、野外飼育ができなくなったため、2010年に犬山市の財団法人日本モンキーセンターへ移送され、以後同園内で飼育されている)

サルと屋久島・ヤクザル調査とフィールドワーク

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 私がいわゆるサル学を志したのは、1973年のことである。S大学の生化学科に入ってまもなくのことだ。大学に入るまでに時間を要した私は、それなりに多くの疑問を抱き、やっと生命とは何かという問題に取り組んでみようと思い出していた。
 医学部の受験に失敗し、生化学こそそれに答えを与えてくれる学問分野と思い込んでここに進んだのであるが、すぐに違和感を覚えたものである。
 還元主義的な力学的世界で解明できそうにないことが、うすうす感じ取れた。そんなときたまたま、T大学で伊谷純一郎さんのサル学の集中講義があると聞き込んで、聴講しに出かけていった。そしてそこで衝撃を受けたのである。
 私はそこで生命体が暮らしを持つこと、そのことで初めて生物として存在するということ、つまり生活を科学するという新たな世界に気がついたのである。
 そこからは一目散にサル学の世界へ走り込んだ。そして1975年だったと思うのだが、京大のヤクザル調査に参加するため初めて屋久島を訪れた。このとき関東では東大・東京農工大を中心に野生のニホンザル調査グループが雑誌「ニホンザル編集会議」を立ち上げようとしていた。そこで屋久島のサルの行列の様子を8ミリ動画に記録してくるというミッションを受けて参加することになった。
 調査も最終段階に入って、西部林道の工事場の群れを見ていた同い年の丸橋さんについてサルの群れが林道を横断する場面を記録することにした。丸橋さんは大学院進学を決めて屋久島での調査を行うことになっていて、工事場の群れをよく観察していた。夏の昼下がり、木陰に入って群れの登場を待っていたが、まだしばらくは林道まで降りてきそうにないとうことで、二人で昼寝をして待つことにした。それがいけなかった。ふと目を覚ますとサルの群れは既に林道を渡り海側の斜面に移動してしまっていた。とんでもない失敗をしてしまったという苦い経験をした島である。


 この調査をきっかけに、紆余曲折を経ながらも途絶えることもなく屋久島での調査が継続されてきた。 そして1989年屋久島のニホンザルの生態調査を目的として、ヤクザル調査隊(隊長好廣眞一)が結成され、大きな成果をあげてきた。
  その成果の一端を語る「サルと屋久島」という面白い本が出版された。この本はいわゆるサルの行動や社会生活を紹介したものではないが、生態学という学問の面白さ、中でもフィールドワークの醍醐味を伝えるという点で貴重な読み物である。
 半谷悟朗・松原始という中堅の生態学者の屋久島での奮闘ぶりとその経験談は、学生はもちろん、研究者を志す若者、現役の研究者などにも大いに参考となるにちがいない。昨今の生態学は汎遺伝子論やモデル化、さらには野生生物管理学などが主流となっており、博物学的なフィールドワークは影を潜めている。しかし環境と暮らしとの関係を追求する生態学は本来、フィールドワークが基本となるべき分野である。これは極めて効率の悪い、成果の出にくい学問であるが、決してムダなものではない。生物の有り様は極めて多様で複雑なものだ。彼らの了見を知ろうとすれば、フィールドにでて直接観察する以外に方法はない。とはいえそんなことを口に出して言えば、懐古趣味のノスタルジーにすぎないとう批判をあびるのがおちである。
 しかしこの「サルと屋久島」という本はそんな批難に動じることなく、フィールドワークの価値を淡々と語っている。そこに大きな価値があるように思える。是非手にとって、読んでみてください。
 サルと屋久島 ヤクザル調査隊とフィールドワーク
 半谷悟朗・松原始 著 旅するミシン店 1600+税

アマゾンでの取り扱いはありません。
http://tabisurumishinten.com へアクセスしてみたください。
池袋ジュンク堂でも扱っていました。