生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

原始林のたまご

 忘れもしない1991年9月27日深夜、猛烈な風雨で目が覚めた。台風19号による暴風雨でガレージの柱が折れ、それが寝室の窓ガラスを突き破ったのだ。私は鉄鋸をもって外に出て、アルミ製の柱を切断した。家の外壁には飛んできた瓦が突き刺さるなど、大きな被害をうけた。200年に一度の規模の台風との報道があったが、そう思わせるだけの暴雨風雨であった。

 そもそも瀬戸内地方は災害の多い日本列島の中にあって、台風も地震もほとんど無い平穏な地域である。少なくとも関東出身の私たちには平穏な地方である。これほど大きな被害がでたのは、1945年の枕崎台風 以来のことであるから、すくなくとも50年まえにも大きな被害をもたらした台風はあったし、その後1999年、2004年と立て続けに大型で強い台風が襲来した。気象状況が大きく変わった、そのような時代になったといことだろう。

 それはともかく、この台風19号は強烈であった。薄暗い照葉樹に覆われた宮島の森が明るい森へと一変してしまったのだから。

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 上の写真は、風で倒潰した仁王門とその周辺の様子であるが、この仁王門は礎石ごと数十センチも南西にずれ、周囲のアカマツは刀でなぎ払ったように(下の写真)地上10mほどのところで折れてしまっている。相当強い風が吹きつけたに違いない。

 さて今回の話は台風の被害そのものについてではない。宮島の森(瀬戸内海国立)は様々な法令によって厳重な規制がしかれ、木を伐ることはよほどの理由がないかぎり許されない。しかし、台風被害があまりにも大きく、倒れた樹木を処理するの大事である。そこで倒木の枝の一部を切り取って、樹木標本にすることにして、収集したのだが、残念なことにこの時期私は、博物館活動をする職場を追われていたので、宝の持ち腐れ状態となってしまい、処分されることになった。

 そこで、細い枝をもらい受けて、卵形に削り出し、標本もどきを作ることにした。それが次の写真である。

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 現在、手元には9個が残っている。残念なことにラベルが剥がれ、樹種の特定ができないものが多いが、ツガ(前列左端の一番大きな玉子)とネズ(ツガの右上のつやのある玉子)だけその特徴から同定が可能である。それ以外のヤブツバキ、サカキ、アラカシ、ウラジロガシなどは特定することができていない。

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 台風被害を機に多くの標本を作製することもできたはずなのに、だれも気にすることなく倒れた樹木は淡々と処理されて消えていった。なんと残念なことである。ちょっとした気遣いや興味関心さえあれば、様々な資料や教材ができたはずであるのに。登山道を塞ぐ邪魔者程度の認識しか持てない行政も事業者の存在は残念だけでは済まない失政である。

 この玉子は決して孵化することはない。しかし宮島の森の破壊の記憶としてかすかな思い出を残してくれている。

 ツガとネズの針葉樹は堅くて重い。日がたつにつれて色合いが変化し、深みを増してくる。おなじ樹木でも材の特徴は様々であることが実感できるし、机の片隅置いておいてもちょっとしたアクセントになる。

 近所の雑木林で落ちた枝や倒れた樹木があったら、この玉子を作ってみませんか。ナイフと紙ヤスリがあれば簡単に作れます。樹種ごとの木肌の違いを実感することができます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

足下の山の神-倒潰したツガを偲んで

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 私の作業デスクの下には、長さ30cmほどの丸太が転がっている。足置きに便利なもので、特に夏は重宝している。直径10cmほどのツガの枝で堅くて重い。

 2009年4月雪解け間もない細見谷渓畔林の入り口に鎮座する「山の神」の祠の脇にそびえていたのだが、枯れて倒潰してしまった。その枝の一部である。

 1977年、私はニホンザルの研究とそれをベースとした博物館活動(今で言うところのエコツーリズム)を行うために、埼玉から広島(宮島)へ移住した。全く地の利のない瀬戸内地方での知見を得るために、県内でのサルを中心とする大型哺乳類の分布調査を始めた。とりあえずは聞き込みを車で林道を走り回ることに注力することとして、細見谷に踏み込んだというわけだ。

 当時、細見谷周辺は皆伐と拡大造林の末期にありながらも、林道には水が流れサワグルミやトチノキミズナラなどの巨木群を有する渓畔林にすっかり魅了されてしまった。とはいえ、その後私は宮島から離れることはできず、再び細見谷を頻繁に訪れることになったのは、2000年以降、大規模林道反対運動に力を注ぐ羽目になってからのことである。

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皆伐間もない細見谷

 

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1979年頃の山の神周辺、下部中央の針葉樹がこのたび倒潰したツガ

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 西日本有数の規模と生物多様性を誇る細見谷渓畔林ではあるが、2004年の台風以後、樹齢400年以上とも思える巨木群がポツポツと枯死し、乾燥化が進行している。ツキノワグマの中核的生息域でもある細見谷でさえ、近年クマの生息は希薄となりつつある。  

 さて、このツガの樹齢はいかほどであろうか。幹の年輪を計測することは困難なので枝の年輪を数えてみると、およそ90年とでた。直径10cmで90年。枝であることを考慮すれば、樹齢250-400年はたっているのではないだろうか。

  そもそもツガは日本列島の福島以南および鬱陵島など、中間温帯に生育するが、モミが土壌が暑く水気の多いところに生育するのに対して、表土層が極めて薄い岩場に生育する傾向が強い。宮島でも花崗岩が露出する山頂部付近や尾根筋の岩場に多い。細見谷にはそれほど多くはなく尾根筋の岩場に見つかる程度であるが、細見谷川が立野で太田川本流と合流点から少し下流の左岸(打梨集落付近)の岩場に群落がある。
 痩せた土地に根を下ろし、時間をかけて成長するので年輪が密になる。屋久島の屋久杉と同じニッチを形成しているのだろう。

 枝張りがすっきりしていて美しい樹木である。

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長径10cm、短径9.5cm。反対側はほぼ直径10cmの円

 そんな立派なツガの枝を足下において踏みつけているのも不遜ではあるが、 年を経るごとに、いい色合いになっていています。

 不思議とこうしていると山の神の力が体内に伝わってくるような気がするのである。

 「山の神様、これから調査のためしばしばお邪魔しますがよろしくお願いします。また欲ではありますが、調査の安全と十分な成果がありますようお願いいたします。」と祈念して仕事に精をだす。

 アニミズム信奉者の願いであります。

 *皆伐以前の細見谷の様子を聞き取りしたことがありますので、いずれ紹介する予定です。


 

 

 

赤道直下で考えた-コリオリの力の嘘

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 先日やんばる調査の合間に、以前訪れたウガンダの思い出話に花が咲いた。赤道直下でのある見世物についてである。
 赤道とは言わずと知れた緯度ゼロで北半球と南半球との境目である。2度目の訪問はちょうど春分の日を数日過ぎた頃だったので、正午ともなると太陽は頭の真上にあって、日影というものがなくなる。現地の人々も野生動物も強烈な日射を避けようと小さな木陰を求めてそこに集う。

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日蔭を求めて集う

 まさに赤道を体感したのであるが、その赤道直下では、観光客相手に面白い実験をして見せる人たちがいる。コリオリの力を可視化してみせるというものだが、多くの観光客は簡単にだまされてしまうところがまた面白い。事実同行者の幾人かは、この見世物の説明に納得していたのだから。

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 装置は至って簡単なものだ。底の真ん中に直径1cmほどの穴の開いた浅い円錐形の器を台に置いただけのものである。
まずはじめに、この装置を北半球側に10mほど移動しておいて、そこでそこの穴を指で塞ぎ、器に水を注ぐ。水を張ると、よく見ておくように言ってから、水を止めていた指をゆっくりと離す。するとどうだ。水は時計回り(右回り)に渦を巻いて落ちて行くではないか。ついで演者は、この装置を南半球側に移動し、同じことを行う。すると今度は見事に反時計回り、つまり左巻きの渦となって水が落ちていく。
 演者曰く、これがコリオリの力の証明であると。
 そこで、では赤道直下(ラインの真上)で行うとどうなると質問すると、空とぼけて実演してはくれなかったように記憶している。これをインチキだと目くじら立てるのは野暮というもんだ。赤道直下ならではの見世物だし、第一観光客相手の貴重な現金収入なのだから、金持ちの観光客は四の五の言う話ではない。
 コリオリの力というものは確かに存在する。ただしかし、この赤道を挟んで数メートルの違いで水の渦の方向を決めるほど大きなものではない。なぜならコリオリの力は緯度θ(sinθ)と円運動(地球自転)の角速度に比例するので、赤道直下数メートルの違いは無視できるほど限りなく0に近いからである(sin0=0)。
 渦の方向はおそらく指の離し具合を調整しているのだろう。
 こうした楽しい嘘はいいのだが、日常の政治に関する欺しを見過ごすことはできない。ちょっと考えればわかる嘘が毎日のように政府から発せられ、メディアを通じて拡散していく。自ら考えを止めたその先に何があるのか。じっくり考えようではないか。

暇つぶしの散歩―西国街道―

 私の住んでいる団地は宮島の対岸の小山を造成したせいで、団地から見る景色はなかなかのものである。海辺でもあり、高台でもあるので厳島神社の朱の大鳥居も遠望できる。まさにリゾート地かつ適度な田舎で、災害も少なく本当に暮らしやすいところなのである。都会の雑踏の中で日々暮らしている人から見ればうらやましい限りなのかもしれない。
 だが、しかしなのである。散歩に適した環境ではない。それが唯一の大いなる不満なのである。贅沢な不満と言えばその通りなのだが、散歩の途中で、ちょいと蕎麦屋に立ち寄ってとか、お寺の境内で団子をいただくとか、 はたまた町並みを見物しながらぶらぶらとなんて楽しみが得られないのだ。歩くところといえば、新興住宅地。うかつにカメラでも持ち歩いていれば、それこそ不審者として警察に通報されかねない。国道は交通量も多く、ホコリと排気ガスの洗礼を受けなければならない。決まり切った田舎道をひたすら歩く、これが日常の散歩なのである。
 そんな貧しい散歩環境の中ではあるが、ただ一本だけ歴史を感じさせる道がある。西国街道(山陽道)である。ほんの一部だけだが、江戸期の名残ととどめる部分があり、歴史の散歩道として整備されている。

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 現在、広島市から山口県岩国市までは、国道2号線が海沿いに走り、平行してJR山陽本線が敷設されているが、こうした海沿いの道路と鉄道が整備されたのは明治期以降の埋め立てによってである。江戸時代、広島城下の草津--大竹間は海岸沿いに平地はなく、この間の山陽道は連続する山越えの難所であったことは以外と知られていない。
 従って当時の旅人たちは、この山越えの難所を避け、草津から船を出して厳島(宮島)へ渡り、ここで一泊して翌日、又船で大竹(小方)へ抜けるのが一般的であったという。
 そこで宮島が多くの旅人の休息地となり、待ちには色街などもできて繁盛したという。(この辺の事情は「宮島のシカとサル-シカザル人形と色楊枝」 を参照してください。)
 長崎へ遊学した司馬江漢も途中このようにして宮島へ立ち寄っていたようである。司馬江漢の書き残したもの(『江漢西遊日記』) にも記録が残っていると記憶している。

 つまり、わが大野の歴史の散歩道は難所故にパスされてしまった場所なのかもしれないが、それでも幕府の長州征伐の戦場となったりとそれなりに歴史的なイベントに関係している道でもある。

  そんな歴史的な道を新型コロナウィルス肺炎の影響で、通っていたジムをやめ、運動不足が目立ち始めたので、やむなく散歩をする羽目になった。ということで、今日は由緒ある歴史の散歩道を歩いてきた。
 家をでて団地の西へと坂を下る。途中団地の公園にはマテバシイが植栽されていて、昨年受粉した若い果実(どんぐり)が膨らみ始めていた。その先の今年の枝には雄花の花穂が伸びている。それを写真に収めて、先を急ぐ。

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 小高い団地の西側には永慶寺川という小さな川が流れているのだが、ここは貝塚の存在が示すように、かつては入り江であったが、次第に花崗岩が風化した真砂土が堆積して陸化した所である。筏津、水口、鯛ノ浦などという地名がその名残をとどめているが、江戸期から明治、大正期に地元の有力者たちの干拓事業によってさらに陸化が進んた低地である。陸地となったとはいえ、現在も台風や集中豪雨などでは浸水の心配が絶えない地域でもある。最近宅地化が進んでいるが、古い地形を知っていれば、ここに住居を構えることは控えるに違いない。

 それはさておき、西国街道はこの川沿いよりやや西側の山裾の小高いところを通っている。 西国街道へは新幹線の高架をくぐって、永慶寺川にそって小学校のほうへ歩く。 川沿いを歩いていると、ぼしゃぼしゃと川の中を動くものを見つけた。目をこらしてみると、大きなクサガメではないか。周りを見るとさらに2匹の亀が岸辺で甲羅干しをしている。長閑な光景に気分もよくなる。甲良長30センチはあろうかという大きな亀である。かつてオオサンショウウオがいた川だからこの程度では驚かないが、なんとなく得をした気分になる。

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 昨日の雨も上がり、日が差してきて暑い。が、やや強めの風が吹いており、心地よい。まさに風薫る五月である。
 新興の住宅地を抜けて、歴史の散歩道に入る。一部は拡張されてその趣はないものの、少しばかり行くと、昔の街道とは思えない田舎道が現れる。これが西国街道である。

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 街道の法面には薄青色のオオイヌノフグリマツバウンランが咲いている。その先には石垣が築かれており、三槍社という社がひっそりとたたずんでいる。いつ来ても手入れが行き届いているのは、地元の人たちの努力がしのばれる。

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 さらに行くと、街道の左手(東側)には新幹線の高架越しに宮島が見える。このあたりはアラカシやツブラジイ、ヤブツバキなどの常緑広葉樹が優占する植生帯であるが、戦後の食糧難を解消するためにタケノコの缶詰用に孟宗竹を植栽したという。現在ではその事業も消滅し、残されたタケが森林内へ侵入し、タケ林へと変貌している。タケの枯れ葉が風に吹かれて舞っている。竹秋(これは陰暦3月のころというから少し遅い)か。

西国道のたりのたりと竹の秋-写楽

黄金色の竹の葉が路傍を覆っている。道はまっすぐ南へ伸びている。

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 日陰のない畑道からうっそうとしたカシの森へと道は続く。路傍のエノキには若い実が膨らみ始めている。このあたりの森は人家に接しているので、植栽種も混じり込んでいる。日当たりのよい林縁には、シャリンバイの花が満開であった。ヤマグワは、まだ未熟な果実がたわわに実っている。

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 道は突然、舗装道路に。そしてそこには鮮やかなオオキンケイギクの群落が。
在来種と外来種が混在している。
 美しいという基準で植栽される植物に罪はないが、大いに考えされられる風景ではある。

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 帰りにちょいとドラッグストアに寄り道して、頼まれていたドライイーストを購入して帰宅。およそ1時間強の散歩でした。

クマにあったらどうする?マニュアルを信用するな!

 この秋はクマの話題に事欠かない。今年は特に都市部へのクマの出没と人身事故の多発しているという。私のところへも時折新聞者やテレビ局から取材がある。多くはその原因についての見解を求める内容なのだが、必ず、「クマと出会ったらどうしたら良いのでしょうか」という質問が必ずついてくる。

 そのたびに、私はこう答えている。「ケースバイケースですから、定型型のマニュアルはありません。もし仮にクマと出会って冷静に対処できる能力のある人であれば、アドバイスは不要で、そうでない人(たいていの人)は、緊張や恐怖のあまりマニュアルなど思い出すまもなくパニックに陥ります」というと、当然ながらそのコメントはまずカットされてしまうのが落ちである。

 今日、2019年11月12日付けの中国新聞くらし欄にも「クマにご用心、山中での心得」という記事を見つけた。その内容はいつもの通り、・遭遇を回避 鈴やラジオで音出す ・出合ったら 目を離さず後ずさり というもの。

 これらの対応は間違いというわけではないが、だからといってけっして正解でもない。なぜならクマは生きものだからその場その場の状況によって心的状況におおきな違いがあり、その結果としての行動も千差万別となるのは至極当たり前のことなのだ。ましてや哺乳類ともなれば、場の状況を読み、それに対応した対処をするものである。画一的な行動パタンがあると見るのは極めて非科学的で有り、危険でもある。

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 出会いの状況次第

 たとえば、春の山菜採りや秋の茸狩などの場合、たいていの場合多くの人は捜し物に熱中し、周囲の動静に無頓着な状態にある。クマも同様であれば、こうした場合の人とクマの遭遇は至近距離でいきなりというケースが多い。であれば、人もクマも冷静であるはずもなく、お互いびっくりしてとりあえず目の前の危険を除去しようとする。当然、力が強く頑丈なクマにど突かれて大けがを負うということになる。

 あるいは渓流釣りに来ていて、たまたま生まれて間もないクマの子が釣り人に興味を抱いて接近してきたとしよう。それに気づいたクマの母親は、コドモを守ろうと必死になって釣り人を排除しにかかる。これも大けがの元となる出会いである。

 一方、私たちのようにクマを求めて穏やかに山を歩いていると、思いがけずクマに出会うことがある。こうした場合、出会い頭ということはほとんどなく、先にクマが私たちの存在に気づき、こっそりとその場を去るということになる。あるいは、採食現場に出くわせば、私たちも無理な接近をせずに一定の距離を置いて観察を試みるので、クマも比較的落ち着いて、それまで通りの行動を続けるということも少なくない。

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 逆に有害鳥獣駆除などでは、多くのハンターがクマを取り囲むように接近するなど緊張した場の状況での出会いとなる。こうなれば互いに命をかけた出会いの状況であるから当然、人もクマも攻撃的とならざるを得ない。私たちのハンターの方との出会いにおけるクマ観の違いはそこにある。

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 もう一つは、パニックに陥ったクマとの遭遇である。最近の事故はこのケースである。クマが住宅地へ入り込んでくるのは多くの場合、餌を求めてのことである。こうしたケースは近年顕著になってきた。住宅地近辺に暮らしているクマであっても、実際に市街地へ入り込んでくると、右も左もわからぬ未知の土地である。当然、緊張している。そこで人間と出会ってしまうと、さて、どう対処して良いものかわからぬうちに騒動となりさらにパニック状態となる。見る人見る人が恐ろしく、敵前逃亡すべくど突き倒して逃げる。その連鎖がおおきな事故となる。冷静に事態を評価すればそうなる。

 そしてクマが市街地へやってくるにはそれなりの理由(背景)があるのだ。

 クマの生活環境の変化

 今のクマはもはやかつてのクマではない。クマを見るなら奥山へというのが多くの人の見立てなのではないだろうか。かつてはその通りだったのですが、現代ではそうではありません。クマを見たければ過疎の村へというのが偽らざる事実なのです。

 広島県では西中国山地にクマの中核的生息地があるとされています。私たちがフィールドにしている細見谷渓畔林流域はそうした中核的生息地でした。でしたと過去形で記述するのにはわけがあって、どうも最近では中核的生息地とは言えないのかも知れないという疑念が生じてきたからです。

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 この図を見てください。西中国山地のクマの生息域の変化を示したものです。最初の生息域調査は1979年のもの。このときは西中国山地にほぼ限られていました。有害鳥獣駆除の統計記録では、1975年ころからぽちぽちと集落に出没するクマが認められるようになり、それ以降は年ごとに駆除個体数が増加してきています(HFMエコロジーニュース111 参照)。

 2019年現在では、東広島市三原市尾道市府中市神石郡あたりまで広がっていると思いますが、その広がりの中に一様にクマが生息しているわけではありません。クマの生息数の推定値は中核的生息地の生息密度をある係数を生息面積に掛けて算出しているので、面積が多くなればそれに比例して推定値は大きくなり、過大に見積もる傾向があります。基本的に個体数推定の手法は確立されていないので、生息数の中央値を過大評価してはいけません。せいぜい一定の傾向をみることしか出来ないのが現状なのです。

 詳しいことは省きますが、1970年までの大面積皆伐、拡大造林策によって、国有林、民有林の広葉樹林の多くがスギ・ヒノキの人工林へと置き換えられてしまいました。同時に河川本流には利水を目的とした大きなダムが、支流の小河川には隅々まで砂防ダムが設置され、河川生態系は壊滅的な破壊を受けました。特にサケ科のゴギやアマゴは激減し放流しなければ姿さえ見られないような状況となっています。それまでは、秋の産卵期になると源流部の河川一体にはゴギやアマゴで水面が盛り上がるほどだったといいます。話半分としてもかなりの渓流魚やサンショウウオなどが生息していたことは間違いありません。クマは毎年産卵にやってくる渓流魚をいとも簡単に捕まえ、越冬前の栄養源としていたこことは想像に難くありません。

 こうした安定した水産資源が枯渇すると、クマたちはサルナシやウラジロノキなどの液果やブナ科のドングリ類に頼らざるを得ません。植物質の果実は毎年同じように実をつけるわけでもなく、豊凶の繰り返しです。しかも、動物質と比べ栄養価に乏しいとなれば、当然、クマの行動域は拡大し、生息域も拡大せざるを得ません。

 折しも中山間地域では、若い人たちを中心に都会へと移り住む人が増え、過疎化が進行します。と同時に里山と呼ばれる農業生産のための資源林はその役割を終え、放置されることになります。農業用の肥料に炊事等のエネルギー源に道具や住宅の資源として利用され尽くしていた生産物は不要なものとなりました。となればその生産物は野生動物が利用するというのは理の必然です。過疎の二次林は野生動物の生活の場へと変わったのです。

 そんな変化が顕在化してきたのが1990年代です。広島県の旧戸河内町では、この頃からクマの出没に頭を悩ませられてきました。盛んにクマフォーラムなる集会が開かれるようになったのです。

 そのころから既にクマは過疎地周辺の二次林をよりどころとしてくらし始めたのです。生息域の変動を見るとその拡大していく状況がよくわかります。

 こうして奥山から二次林(里山)へ生活の場をシフトさせてきた個体群はそこで再生産を繰り返していくうちにそこが彼らの故郷となっていきます。そして過疎化の進行と打ち捨てられた果樹園、廃田や休耕田の森林化とともにさらにクマの生息域は拡大を続けます。

 こうしてクマたちは市街地にほど近い二次林で暮らす内に、人との接触を深め、人のいることに慣れっこになります。町の景観も車の存在も、騒音もそして食糧も人間の廃棄物などを取り込んでいくようになり半都市生活者的なクマとなっています。

 一方、奥山では近年野鳥の声も聞こえぬ沈黙の森と化しています。森にも川にも生物の姿は薄く、とうていクマが豊に暮らせる場ではなくなっています。クマの食痕も爪痕もフンもほとんど見つからないのが現状です。

 広島・島根・山口三県共同の保護計画には、クマの中核的生息地の生息密度が回復するような森作りを促すことが盛り込まれていますが、残念なことに予算措置はなされていません。一日も早く、豊かな森林を回復し、クマが安定して暮らせる場を取り返すことが何よりも重要ではないでしょうか。それは私たちの将来の安全保障問題でもあります。

 

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やんばるの森事情・番外編

f:id:syara9sai:20190918152515j:plain ときおり大粒の雨が激しくたたきつける中、やんばるでの伐採地の視察を行った。今年(2,019年度)の国頭村村有林の伐採予定地は3カ所。宇嘉2.00ha, 宜名真2.00ha,と辺土の3.00haである。このうち前2地区、宇嘉と宜名真の森林は林道沿いの一部はリュウキュウマツの混交する二次林であるが、内部をつぶさに観察してみると沢筋の急斜面にはかなり古いイタジイが生育している。この2カ所は林道沿いでもあり、比較的目につきやすいせいなのだろうか、伐採はまだ始まっていない。

 今年の10月には、やんばる地域を含む南西諸島の世界自然遺産登録の可否の鍵を握るIUCN(世界自然保護連盟)の現地視察が予定されていることもあってのことなのかもししれないと思いつつ、最北の辺土の予定地へとむかった。そして目にしたのが前掲の写真の光景である。

 この辺戸の伐採地は本島最北に位置しており、観光客はもちろん自然観察にもほとんど利用されていない地域である。ここはやんばる型林業林業生産区域」であり、国立公園の特別地域(第3種)に指定されている。つまり届け出さえすれば森林の伐採はほぼ自由な区域なのだ。国立公園は規制の厳しい特別保護地区と特別地区域(1~3種)および普通地域に区分されている。一見、国立公園の特別地域といわれれば、かなり厳しく開発や森林伐採が規制されているとの印象を受けるかも知れないが、実際はそうではない。厳しい規制が敷かれているのは「特別保護地区」だけであり、それに準じる「特別地域」はほぼ何でも出来る地域なのだ。

 もともと特別地域には1種、2種、3種などの区分は法律で決められているものではなく、政令で定められているにすぎない。つまり一種の通達行政の産物なのかも知れない。第2種、3種ともなると、特別でも何でもないほど規制は緩く、普通地域との違いは届け出がいるかどうかしかない。

 やんばる国立公園は2016年9月15日に指定を受けているが、それに先だって、沖縄県は2014年3月にやんばる型林業ゾーニング案を発表している。

 このやんばる型林業は、それまでのやんばる地域での皆伐などの批判を受けて有識者による審議を経て決定したもので、やんばる地域を、1.自然環境保全区域 2.水土保全区域 3.林業生産区域の三つにわけている。こうしてみると伐採が出来るのは3の林業生産区域だけのように見えるが、実際には1の自然環境保全区域でさえ伐採可能な仕組みとなっている。

 そしてこのやんばる型林業ゾーニングと国立公園の保護地域の区分とは奇妙に一致しており、明らかに公園化に際してこのやんばる型林業ゾーニングに配慮したことがうかがえる。

 辺戸の伐採地はやんばる型林業林業生産区域(ここはさらに、自然環境重視型と自然環境配慮型とに細分されている)に位置し、国立公園の第3種特別地域である。

 百歩譲って、林業のための伐採を認めるにしても、生物多様性を著しく毀損するような施業はどう見ても脱法的なものといわざるを得ない。

 実際にどのような施業が行われているのかを見てみよう。

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 辺土の伐採対象となった森林はイタジイが優占するやんばるに典型的な森である。イタジイは樹齢50年以上で胸高直径が30cmを少し超える太さのものが多い。

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 切り倒された樹木は枝を切り落として4mほどに玉切りにされ、谷を跨ぐように集められ積まれる。この現場は林道が谷の源頭部ふきんを通っており、索道を使って尾根や谷を越す必要がない。ということで谷の源頭部から重機が沢に沿って下り、集材しているようだ。谷にははっきりとキャタピラの轍がのこり、谷は押し広げられている(次の写真)。

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 この現場はこれまで見たこともないような極めて乱暴な伐採施業である。これほど酷い現場ななかなかない。少なくとも本土の国有林ではこうした施業は許されていない。
 ここに1,999年1月に出された、「国有林野の各機能類型に応じた管理経営の指針について」という文書がある(最終改正 平成31年3月28日 30林国経第127号)。A4 8ページに渡る通達だが、五つの機能類型についてそれぞれの施業指針が示されている。

 五つの機能類型とは1.山地災害防止タイプ 2.自然維持タイプ 3.森林空間利用タイプ 4.快適環境形成タイプ 5.水源涵養タイプ であり、ここ辺土の現場ではどの機能類型に属するのか定かではないが、少なくとも世界自然遺産としての価値を有するやんばる地域にあって生物多様性保全の義務を負っていることからして、林野庁のこの通達に準拠した丁寧な取り扱いが求められているはずである。
 このうち5の水源涵養タイプにあっては、「森林の裸地化と極力回避するため択伐を推進すること」とし、「尾根、斜面中腹、渓流沿いなど」に「おおむね50mの規模で保護樹帯を必要な箇所に設ける」ことや「特に渓流沿いついては、(略)生物多様性保全機能に配慮し、渓流への土砂の流出や伐採等に伴う過度の攪乱を抑えるため、積極的に保護樹帯をもうけるようにすること」としている。

 こうした渓流への配慮は生物多様性保全の面から極めて重要で、なにも水源涵養タイプの森林に限ったことではなく、かなり古くから本土の伐採現場で実施されてきたことでもある。

 どんな理屈をこねようとも、辺土の現場の惨状は決して看過できるものではない。もし国頭村沖縄県が自信を持って問題ない施業であると言うのであれば、来たるべきIUCNの視察団を現場に招いてみてはいかがだろう。

 国立公園への指定が保全措置を担保するという神話もしくは妄想はすべきではない。現実をしかと見つめ、多様性の保全のために何が必要か。どうすればその価値を村民や県民、国民と共有できるのかを考えることが行政に求められているのではないだろうか。現状を放置して何が世界自然遺産登録なのだ。登録の如何に関わらず、自然遺産の価値を認めた時点で、保全の義務を負うということを国や県、村などはもっと認識する必要がある。

 来月10月26日には、こうしたやんばるの抱える問題についてシンポジウムが企画されています。会場は那覇市国場の沖縄大学で午後2時から5時の予定だそうです。私も話題提供者として参加の予定です。翌日にはこの現場へのエクスカーションも予定しています。心の準備をしておいてください。

 多くの市民の声が行政を動かします。どうぞ声をあげてください。

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やんばるの森事情6-乾燥化がもたらすもの

 数年前のことだが、アメリカ中西部へ野生動物を求めて出かけていったことがある。そこは半砂漠のような乾燥地であるから、湿度の高い日本に暮らしている者にとってはかなりのストレスとなる。放っておくと膚は乾燥して指先にはささくれができたり、唇はひび割れるので、ワセリンやリップクリームが必需品となる。それに比べて、長年通ってきたタイのモンスーン林(カオヤイ国立公園)では快適であった(特に雨季)。こうした各地への旅で、生きものにとって水のあるなしの影響を文字通り膚で感じることができる。

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アメリが中西部のイエローストーン国立公園

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タイのカオヤイ国立公園・熱帯モンスーン林


 生きものの生存にとって欠かすことの出来ない水。その水をどのように確保するか。その方途こそ進化の推進力であるといってもいいのかもしれないくらい、水の問題は生物の生死に直結する。ある生物は砂漠のような乾燥地にも耐えられるような生活と体制を獲得したし、またあるもの(種)は湿潤の環境を求めて移動分散を繰り返してきた。それは動物だけではなく、植物にとっても同じことである。水にどっぷりつかって生きる植物もあれば、砂漠や乾燥した高山などにも生育する植物もある。

 ここ沖縄北部のやんばるの森は植生帯としては亜熱帯林としてしられているが、意外にも乾燥しやすい地理的環境にある。特に冬の北西からの季節風のせいで尾根部はかなり乾燥している(やんばるの森事情1参照)。わずかに50mほどの標高差でも、沢筋と尾根筋では森林内の湿度はかなりことなっている。

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 上のグラフは伊江川の支流沿いの森林湿度と温度の年変動を調査した時の秋から冬にかけての変動を示したものである(やんばるのまか不思議p117から引用)。各グラフの上の折れ線は湿度、下のそれは温度の変化を表している。これをみると温度はほぼ3地点とも同じような変動をしている一方で、湿度は安定して高い谷底(沢筋)から中腹(川から約25m上部)と尾根部(川から約50m上部)へと川から離れるにしたがって変動幅は大きくなっていることがわかる。わずか25mほどの中腹でも既に変動が大きく、乾燥化が生じていることが見て取れる。

 そして皆伐された場所では下の図が示している通り、谷底の川沿い、本来ならば湿度はほぼ安定して高い場所なのだが、その谷底の川沿いでも湿度の変動は大きく、中腹もしくは尾根における湿度変動に類似してくる。つまり森林の伐採によって乾燥化が進むということである。

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ササラダニ類に見られる皆伐の影響

 調査地である伊江川の支流域は古い二次林で、やんばるの森の原型をよくとどめている。このようなほぼ原生的なやんばるの森にはまだまだ未発見の生物種が生息しており、2009年には青木淳一横浜大学名誉教授によってササラダニの新種が発見され、カワノイレコダニ命名された。このササラダニという生きものは、植物の枯れ葉などをかみ砕いて食糧とする土壌中のダニの仲間で、人に害をなすマダニ類のようなダニ類ではない。いわば森の清掃屋とでもいうべき存在で、ササラダニが植物片などの有機物を細かく分解している。そしてササラダニが分解したその分解物は、有機物を無機物(主に二酸化炭素と水)に分解するバクテリアの活動を支えるものである。いわば物質循環の重要な位置を占めている生物群である。このササラダニの仲間は多くの種が知られているが、それぞれ異なる環境下で暮らしていることから、環境指標生物として認識されている。やんばるでも湿潤な原生的な森林環境に生息するものから攪乱された比較的乾燥した環境でもくらせるものまで多くのササラダニ類が知られている。

 次ぎに示す表は、青木淳一さん(横浜大学名誉教授)が行った、やんばる地域の原生的な森林、皆伐5年後の森林、皆伐1年後の森林におけるササラダニ類生息種調査結果の一覧である(青木淳一)。

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 この表を見れば一目瞭然であるが、皆伐がササラダニ類の生存に大きなダメージを与えていることが見て取れる。一般にササラダニ類は乾燥に弱く、森林内の安定した湿度環境が失われると消滅してしまうササラダニ類が多い。温暖で雨の多いやんばるでは伐採後5年も立つとかつての皆伐地は一見原生的な森林かと見まがうような森に復活する。しかしそれはあくまで一見したところにすぎないのであって、そこに暮らす生物相はかつてあったものとは全く異なる単純なものに変貌してしまっている。このことをもっと知ってほしいのである。

 

立ち枯れの進行

 森林伐採による乾燥化の問題は土壌生物だけではない。皆伐地の周辺や林道沿いにはイタジイの立ち枯れが目立つところが散見できる。下の写真は宜名真の伐採地と謝敷の林相沿いの立ち枯れである。この両地域とも冬の季節風が吹き抜ける場所にあるのだが、その季節風にも耐えてイタジイの群落が存在していた。ところが林道が山を切り通して設置されたり、皆伐されたことでその群落は今では白骨林となって無残な姿をさらしてる。

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謝敷林道沿いの立ち枯れ

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宜名真皆伐地周辺の立ち枯れ

 やんばるの尾根筋は風当たりが強く、比較的乾燥している。それでも長い時間をかけてイタジイが群落を形成しているところは少なくない。過酷な環境故に樹高は低く、成長も遅いので材は堅くなる。その結果、尾根付近のイタジイはノグチゲラが巣穴を穿つのに適してはいない。それに比べて谷底周辺のイタジイは材が柔らかく巣穴を穿ちやすい上に、幹が斜行しているので雨よけにもなりノグチゲラの格好の営巣木となるのだ。とはいえ、尾根部のイタジイはここに暮らす動物たちへの食糧資源の供給や次世代を担うイタジイの種子の供給源(母樹)として重要な機能を果たしている。
 山全体がイタジイやイジュを主体とする樹木で覆われていれば、季節風樹冠の上を吹き抜けたり、その風は林内へ吹き込んでくるのだが、その風の圧力は森林内で急速に衰える。そのため林内には極度の乾燥は生じず、イタジイは何とか枯死することなく存続できる。しかしここに山を切り通して林道を敷設すると、事情は一変する。そこに路面と法面に囲まれたパイプ上の風の通り道ができると風は速度を増して林道を吹き抜けることになる。すると林道の両側、つまり法面の上部の森林は吹き抜ける風の陰圧をうけて林内から湿気を含んだ大気が吸い出されることになる。この二つの力が合わさって林内の湿潤な大気は押し出されるので、林道周辺は極端に乾燥化が進行する。その結果の立ち枯れなのだ。皆伐も同様なメカニズムで乾燥化が生じている。

 このような乾燥化は、オオタニワタリオキナワセッコクなどの着生植物にもそしてヤンバルクイナの食糧でもあるカタツムリ類などの陸産貝類の減少にも関係している。


 その一方で、乾燥化し直射日光が当たる伐開地や林道沿いにはススキ等のイネ科草本類が繁茂し、そこを格好の生息地とするバッタなどの昆虫類が増加する。そしてもっと大きな問題はこうした環境を好む外来種、フイリマングースが進出し定着することである。そこはバッタ類を捕食するキノボリトカゲの生息地でもあるから、当然マングースとの競合がおこり、キノボリトカゲの生存はおぼつかない者となる。

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林道沿いで見つけたマングースのフン

 森林の皆伐による林地の乾燥化はこれ以外の様々な影響をやんばるの自然に与えたいる。たとえば、土壌の流亡である。皆伐地は乾燥地となるが、一旦雨が降ると基質がむき出しの伐開地はたちまち泥流となり、河川を通じて周辺の海域へ流れ込む。この土砂が沿海の生物相に多大なダメージを与えていることは言うまでもない。

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 森林の皆伐はやんばるに固有な自然をどもまでも破壊しているという事実に目を向けなければいけない。

余談

 やんばるでの森林破壊について行政側の学者のなかには、適度は攪乱は生物多様性にとって必要として、皆伐を容認する人もいますが、こうした雑ぱくな議論は害毒でしかないように思います。たしかに原生的な森の一部で、巨樹が枯れて倒れた時などはギャップと呼ばれる日当たりの良い部分が生じ、そこでは休眠していた種子が発芽したり、様々な生物が活動し始めるなど多様性と生産性が向上します。しかしそれは攪乱の規模が小さく周辺の生物相が大きなダメージを受けない状況の中での動的平衡現象なのです。皆伐のように大規模に生息地そのものを破壊し回復し得ないようなダメージを与えることは適度な攪乱とは言えません。ただ、規模というのは地理的な広がりだけではなく継続する時間も含めての話です。短期の攪乱か継続して続く攪乱かによってもその意味合いはかなり異なります。

 立ち枯れの話でも、台風などの自然現象による一時的な破壊(攪乱)と同じと論じるのもまた詭弁なのではないでしょうか。

 確かに人為(農業など)の自然の改変による人為的自然という環境をどのように評価するかといったデリケートな問題もありますが、攪乱と破壊との関係を常に考えていくことが重要なことと考えています。

 というわけでやんばるの森を守る活動は今後も続きますが、この拙文がその一助になれば幸いです。やんばるDONぐりーすとの共同調査は今後も続きます。多くの方の参加をお待ちしています。

 やんばるの森事情は今回で一応の区切りとなりますが、終わったわけではありません。まだまだ新しい発見もあるに違いありませんので、その折々にまたその報告をすることにします。




 

 



 

 

 

 

 




 

 

やんばるの森事情5-枯れ木の効能

 

 前回は森林の皆伐ノグチゲラの生活の脅威となっていることを指摘しておいたが、今回は枯れ木の効用について考えてみよう。 

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 長い間伐採を逃れてきたやんばるの森を覗いてみると、写真の様な太い枯れ木が林内に点在していることに気づく。これらはおそらく、自然死した、樹木が枯れる要因は細菌類の感染による病死であったり、台風などの物理的な力が加わった結果の事故死であったりと多々ある。まれに寿命が尽きてということもあろう。こうして枯死した古木にも生態学的な価値、あるいは生物学的多様性にとっての価値は存在する。寿命が尽きた古木、もちろん他の要因で枯死したものでも良いのだが、枯死してから姿が消え尽きるまでにはそれ相当の時間が必要で、その時間経過の中で、こうした枯れ木は朽ち果てるまでの間様々な機能を果たし続けるのである。 

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 これなどは、枯死してから間もない状態のイタジイである。どうした加減かわからないが、枯れた幹の空洞に小枝が詰まっている。ノグチゲラの巣穴だったところに他の野鳥かネズミ類が持ち込んだのかもしれないが、よくわからない。ともかくこうして枯死した樹木は材を分解する昆虫類やムカデ類などの節足動物やその幼虫の食料や生活の場となるし、菌類の生活資源ともなる。材はかみ砕かれるなどの物理的破壊や消化といった生物化学的な破壊をうけ、徐々に消滅していき、やがて土壌へ帰って行く。そしてその後には他の植物の生長のための物質として再生していくか無機質となって空気中に拡散していく。これが物質循環という現象である。この物質循環の規模は地球的な規模からごく狭い森林の一部で完結することもある。その循環のシステムは生物が担っていたり河川や空気といった無機的物理的なものに依存している場合もある。この物質循環系がいわゆる生態系(エコシステム)と呼ばれるものである。したがって誤解を恐れずにいえば、この循環系の担い手が誰であろうと物質循環系はなくなることはない。したがって生態系を守れというスローガンには物質循環の具体的な担い手の顔は問わないことになる。とはいえ、系が残っても在来の生物群集が消失したり、極点に変容することを容認することはできないしすべきでもない。つまり守るべき生態系とは進化史を通じて築き上げてきた関係の相対としての在来の生物群集が担う生態系でなければならない。

 話がすこしそれてしまったので元へ戻そう。閑話休題

 昆虫やその他の節足動物の生息場所となれば、それを補食するより大型の昆虫や両生類、は虫類、あるいは陸産貝類などの小動物、さらにそれらを補食する野鳥や哺乳類などの狩り場となる。

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上段の写真の右2枚は、枯れ木に住み着く昆虫類(ホソカタムシ)を採取している青木淳一先生。下段は枯れ木を生活の場とする昆虫類とそれを補食しに集まる野鳥(左からヤンバルクイナノグチゲラホントウアカヒゲ)。

 つまり枯損木はそのものが他の生物たちの生活の場となっていたり、栄養源となっていたりするということだ。およそ生きとし生けるものは水(湿度)を欠かすことは出来ない。水の欠乏を来さないようにどうするか。生理的な対応をしたり生活の場を選択したりとあらゆる努力をしている。そうして視点から見ても枯れ木はある程度腐朽が進んでいくと、材がスポンジ状になることで、保温保湿装置として小さな節足動物や菌類などの生活場に適した環境を有することになる。湿度と温度が安定していることはこうした乾燥に弱い生物にとって大変ありがたいものであることは容易に想像できるに違いない。絶滅が心配されている、やんばるの固有種でもあるヤンバルテナガコガネなどはオキナワウラジロガシやイタジイの巨木の枯れ木を主な生息場所としていることはよく知られている。沖縄が返還された直後からやんばるの森林伐採が行われたのだが、その際に切り出された材を保管しておく土場から、多くのヤンバルテナガコガネが這い出してきたという話を聞いたことがある。皆伐された樹木はすべてが生木ではない。心材が腐朽した古木もすべて切り出されたためにこうした現象がみられたのであろう。

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 腐朽がある程度進んだ枯れ木は地面に倒れてしまうが、そうなるとさらに、細菌類の活動も活発になり土壌中の多様な菌類も加わって動的平衡を保ちながらの独特な細菌ワールドを形成するようになる。そうなるとこれらの菌類の多様性と共生する特殊な生活形をもつ植物、多くはタカツルランのようなランの仲間が顔を出すようになる。タカツルランは絶滅危惧ⅠAに指定されているランであるが、このランは菌類に依存して生活しているラン、菌類を食べるランとして知られている(菌従属栄養植物タカツルランの菌根菌の多様性)。

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 私たちはやんばるの伐採現場を歩いていてこのタカツルランに何度か出会ったことがある。しかしこうした出会いの内のあるものは皮肉なことに皆伐がもたらした一時的なあだ花として出現したタカツルランだったようにも思える(上の写真、上段)。

 つまり、伐採された樹木を捨てた古い土場には多量の腐朽木材が堆積しており、そこがたまたま豊かな菌類相が出現してタカツルランの生育に適した場となっていたからである(下の写真2枚)。こうした土場は本の一時的に出現する菌類多様性ワールドで、数年で雲散霧消してしまうからである。そのあとは乾燥した裸地や(外来種が優占する)草地となり、豊かな森林には戻らないからである。本来のやんばるの森は極めて部分的に、つまり枯れ木の周辺にこうした世界が出現するのだろう。長い時間経過の中で、場所を変えながら転々とこうした偶然の産物を出現させるところに多様性の面白さがある。それ故に希少種といえども絶滅はしない仕組みが存在しているのだ。

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タカツルランが生育していた伐採による廃材捨て場

 枯損木が点在する森林は湿度の安定性もある。スポンジ状の枯れ木に雨水がしみこむと一旦水を保持し、その後ゆっくりと水分を放出する。つまり、枯損木は森林内の保湿器としての機能をも持っているということになる。空中湿度が高く安定していることはやんばるの森に暮らす生きものたち、特にカタツムリやナメクジ類などの陸産貝類などの生存に寄与する。であればそれらを餌とするヤンバルクイナなどの野鳥たちにも豊かな暮らしの場を提供していることにろう。逆にそうした豊かな環境が失われれば、当然そこに暮らす生物にとって暮らしにくくなる。若木も老木も枯れ木も切り倒し、運び去る皆伐が止まない現在のやんばるは間違いなく後者の様相をていしている。

 ということで今回はこれくらいにします。次回は皆伐による森林の乾燥化について考えて見る予定です。

 


 




 

 


 

 

 

やんばるの森事情4-イタジイとノグチゲラ

  やんばるの森を歩いていると、太い木の幹、地上数mの高さに直径数センチの穴が空いているのを見つけることがある。

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 よくよく観察してみるとこうした穴にはある特徴が認められる。まず穴はそのほとんどがイ20cmを超えるタジイの幹に穿たれていること。そしてその穴の多くは谷側に傾いた幹にあってやや下向きに開いていること。そして穴の前方には一定の空間があること。などである。
 そして比較的新しい穴には穴の下側に写真のように穴の下側が爪でひっかいたような痕が残っている場合がある。

 そう、この穴は、ノグチゲラの巣穴である。

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  ノグチゲラの産卵数と巣立ち雛
 ノグチゲラ(Sapheopipo noguchii)は沖縄やんばる地方のみに生息するキツツキで、国の特別天然記念物にも指定されている固有種である。環境省レッドリストには絶滅危惧ⅠA類に分類されている。ノグチゲラは主に胸高直径20cmを超えるイタジイの幹に巣穴を掘って営巣し、子育てをするが、沖縄県が進める森林整備事業に伴う皆伐によって生息環境は悪化の一途をたどっている。営巣できる太さのイタジイが減少していることは我々CONFEの調査(「やんばるにおける森林伐採・施業とノグチゲラへの影響について(市川他)」日本森林生態系保護ネットワークの報告書2014)でも明らかなのだが、こうした森林植生の破壊は、イタジイのみならず森林におけるあらゆる生物群の生活の場を破壊し、生物生産力を奪う。ノグチゲラも例外ではない。少し具体的に考えてみよう。
 環境省の調査によれば、ノグチゲラの産卵数は平均で4-5個で、巣立つ雛の数は2羽と半減するという(巣立ち成功率50%弱)。このことは環境省発行のパンフレット「ノグチゲラ」に紹介されている。
 一方、帯広におけるアカゲラでは、巣立ち成功率は76.6% (67.7-90.0),巣立ちヒナ数は3.5羽(1-6)という例が知られている(バードリサーチ バードリサーチニュース2009年5月号 Vol.6 No.5 )。事例が少ないので断定的なことはいえないとしても、近似種のアカゲラに比べ、巣立ち成功率はかなり低い。この事実は育雛のための餌の資源量が不足していることを伺わせている。

 ノグチゲラの親鳥は雛がかえってからは育雛のための給餌で忙しくなる。何しろ4-5羽の雛の餌を調達しなくてはならないからだ。かつてノグチゲラの育雛状況を観察した人の話によれば、親鳥は巣穴を離れて数分と立たないうちになにがしかの餌(主に昆虫の幼虫)を採って帰ってきたという。しかし最近ではこの給餌時間の間隔が伸びてきているように感じるという。仮に倍の餌を確保するために以前の倍の時間がかかれば、半分の雛しか育て上げることはできなくなる。つまり、森林の生物資源量が減ったことで巣立ちする雛の数が減ったのではないかと考えることもできる。給餌間隔や餌の種類などの詳しいデータはないのだが、少なくともオオシマゼミやカミキリムシなど様々な昆虫類の減少はノグチゲラの育雛にはマイナスにしか作用しないであろう。

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ノグチゲラは地面でも採餌することがある

 こうした問題を提起すると必ずデータ不足を根拠に推測にすぎないとして森林破壊との関連を無視する傾向があるのだが、少なくとも無関係とする根拠もないことを考える必要がある。野生生物保護においては必ずしも科学的データが必要なものではない。むしろそこに拘泥することの方が弊害が大きいともいえる。特に様々な要因が複雑に絡み合ってのことであることは重々承知してはいるが、少なくとも保護上マイナスとなる要因である可能性があればそれを極力除去していく対策が必要であろう。
 確かにかつてのやんばるの森の生物生産量に関するデータはないのだが、確実に劣化していることを示す傍証はある。たとえば天然記念物のオカヤドカリの採取データによれば、1982年には56tもあったのが30年余り後の2010年には2t程度に激減している。これは、ペットブームによる需要の減少ということも影響されるので、必ずしも個体群の盛衰を反映しているものではないが、どこにでもいたオカヤドカリを最近では目にしないという住民の感覚から観て、かなり減少していることは間違いないだろう。同じことは、オオシマゼミでもみられる。あらゆる野生生物が減少しており、確実にやんばるの森の生物生産力が減衰していることを窺わせる。そのことがノグチゲラの巣立ち成功率に影響している可能性はかなり高い。人造の巣箱の設置などという小手先の対策ではなく、森林の生産性を回復させる努力が求められる。

 このような目に見える森林性の生きものたちの衰退ばかりではない。小さくて普段目にすることもないような生きもの、たとえばササラダニのような土壌生物なども森林伐採によって酷いダメージを受けることになる。これについてはいずれ紹介することにしよう。

 なせノグチゲラはイタジイに営巣するのか?

 ノグチゲラの巣穴は前述したとおり、そのほとんどがイタジイである。最近では林相沿いのリュウキュウマツやタイワンハンノキなどにも営巣する例が報告されているが、これは適当な太さのイタジイが少なく、やむなく代替の樹種で営巣しているようにもみえる。

 ノグチゲラアカゲラに近縁なキツツキで、アオゲラのような生木に穴を穿つだけの力はないという。その点、イタジイは本土のスダジイとはことなり、樹皮に近いところはある程度の堅さが有るものの材は水気を含んで柔らかい。つまり、穴の入り口は強固であるが、内部は柔らかく生木でも穴を穿つことができる。理想的な樹種なのだろう。ただ、水気を含んだ柔らかい材は耐久性に乏しく、一年で内部は腐朽してくるようだ。したがって、ノグチゲラの巣穴は一年限りということになる。沢筋のイタジイはよく成長し、営巣に適した太さになったものが多い。ただ尾根筋のイタジイは成長が遅く、営巣に適した太さのものは少ない。加えて、谷筋では幹が谷方向に傾き、谷側に穴を穿てば、雨の進入も防げるし、前方にはやや開けた空間を確保することができる。

 以上の理由から、ノグチゲラの営巣場所は沢筋のイタジイが多くなるのであろう。

  とにもかくにもノグチゲラが営巣できるイタジイはおおむね胸高直径が20cmを超える太さが必要であるが、本土復帰後からうち続く森林伐採の影響で、こうしたイタジイの林分はかなり少なくなっている。 

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 環境省レッドデータブックによれば、「森林伐採や林道建設、農地開発、ダム建設等により、生息地である天然林が極度に縮小した」ことがノグチゲラ生存の脅威となっていると指摘したうえで、様々な保護策を検討しているというが、現在も森林伐採は放置されたままで、国立公園内でも禁止措置を取り切れていないなどその内容はかなりお寒いものでしかない。

 市川弁護士は報告書の中で、「このような調査は、過去、同一の試験地を用いて皆伐前と皆伐後14年後の林分構造を調査した例や異なる試験地における皆伐後30年後の林分構造の調査(高橋玄et al. 2009)による結果が発表されている。この過去の調査結果ではイタジイの胸高直径は皆伐前に20~25cmのものが多数を占めていた森林において、皆伐14年後では2~4cm、皆伐30年後でも8~10cmの直径にしか成長しないものがほとんどであったとのことである。つまり、皆伐後30年を経過しても、ほとんどのイタジイの胸高直径は10cmほどにしか成長しない、ということなのである」と指摘している。

 やんばるの森の皆伐はこのように直接ノグチゲラの営巣場所を奪い、採食地としての質の低下や喪失をもたらす。このことが他の生きものとの関係を裁ち切り、生物相全体へ影響を及ぼすことになる。そして何よりもノグチゲラの進化史を断ち切ることにもなることをもっと真剣に理解する必要がある。進化する場の保全、それこそが世界自然遺産登録の意義である。

 今回はこれくらいにしておきます。次回もまた森林の破壊による生物多様性への影響を考えてみます。

 

 



 

 

 

アサリ漁の復活はあるか

 私の住んでいる廿日市市大野地区は、知る人ぞ知る「大野あさり」の産地である。宮島の対岸の干潟(前潟)は大野瀬戸に面し、永慶寺川、毛保川などの小河川が流入する砂礫干潟である。干潟の規模はさして大きくはないが、以前からアサリの産地として漁が営まれていた。が、1975年突然アサリが絶滅するほどの大量死が発生し、以後生産猟は大幅に落ち込んだという。しかし近年、全国的なアサリ不漁の中にあって、手掘りアサリとして、大きくふっくらとして、美味なアサリとして知られるようになり、品薄状態が続いている。

 そこで、地元漁協と研究者との協働作業としてアサリの生産量復活のプロジェクトが立ち上がった。その辺の事情については、アサリ漁民となってみた-アサリ養殖は儲からないが役に立つを参照してほしいが、今日は、この稚貝採取の作業風景についてリポートしてみます。

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 4月になり、今年も稚貝採集の時期が巡ってきた。大潮のこの日は宮島の須屋浦で稚貝の採取を行うということで、作業に必要な道具を積み込んで、漁船に分乗し、約30名の有志が大野下の浜漁港を出発した。この日の大野瀬戸の干潮は午後3時30分、潮位50cmの大潮。午後2時に出港し、須屋浦までは10分ほどだろうか。ちなみに須屋浦というのは宮島の最西端に位置している。

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須屋浦海岸

 カキ筏の間を縫って須屋浦海岸に到着。

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 写真にある廃墟のようなものはカキの稚貝採取用の棚で遠景は大竹の化学工場群である。かつてこの工場群から排出された有害物質によって様々な公害が問題となったのが1970年代のことだ。この頃、海はどぶの様な汚水となって異臭を放っていた。これが、アサリの大量死に関係していたのかも知れない。

  それはともかく、作業用品を下ろして準備が整うと、各自十能を使って砂浜の表層約3cmほどの砂を掬い取り、青い網袋に半分ほど入れたら、口を閉じ、砂浜に並べていくのだ。

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 この時期のアサリの稚貝は数ミリ程度の大きさで、なかなか肉眼では見にくい。巣は浜を指でなぞってみると、見つかるのだが、中にはかなり大きく育っているものもある。ただ稚貝はそのほとんどが3cmより浅いところにしか生息していないので、深く掘ってもむだである。ひたすら表面を掬い取って、網袋に入れる。口を閉じる。並べる。といった作業を繰り返すのみ。

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 単純作業であるだけにこれを3時間ほど続けるのはかなりの重労働である。中腰での作業なので腰は痛く、太もももじんじんしてくる。途中で休憩をはさむが、この時間はカキの稚貝採取用の櫓の根元に生えているワカメをいただくことに。

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 持ち帰ってめかぶを三杯酢で食べるとこれが、大変に美味しい。新鮮さが命なのだ。

このワカメは冷凍保存しておいて、通年利用することができる。単純重労働のご褒美だ。

 午後5時潮が満ちてくるのを合図に、作業は終了し、アサリ養殖の復活を祈念し、集合写真を撮って帰途に。

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 こうして稚貝採取の初日は無事終了したのだが、ただこの海域にも問題がないわけではない。一次産業の工業化と商業主義化は生産コストの削減と作業の効率化に飽くことなく突き進まざるを得ない。そのために目的外の生物やその生息地の保全には目をつむることも多い。

 ここ数年、顕在化してきたマイクロプラスチックの問題もその一つである。かつてより海は透明度を回復し、一見きれいになったように見えるが、その実、目に見えない汚染が深刻化しつつあるという。これはグローバルな問題として極めて深刻なもんだいでもある。が、カキ養殖などの零細企業として漁業が成り立っている現状からは目に見える汚染も極めて深刻である。

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 上の写真は須屋浦の景観である。宮島は町の周辺以外は、島の周囲ほとんどが自然海岸でコンクリート護岸はない。そのことが劣化した瀬戸内海の生物的自然をなんとか養っている。大野のアサリ養殖がが何とか存続できるのも宮島の存在が大きいのかも知れない。

 上の写真に写っている森の手前の薄茶色の茂みはハマゴウである。ハマゴウは常緑の小低木で夏に薄紫の花を咲かせる。

 しかしながら、写真のハマゴウは葉をすっかり落としてしまっている。枯れているのかどうかは不明だが、心配な景観ではある。

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 工場群の排出する汚水や廃棄物などはだいぶ軽減されているが、カキ養殖にまつわる別な汚染問題も深刻化しつつある。

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 カキを育てるためのカキ筏はタケを組んで作られる。浮力を増すために筏の周囲には発砲プラスティックの浮きが取り付けられている。その筏からは番線が海中に伸びており、その番線にはホタテ貝の貝殻がプラスティックの管をはさんで吊されている。ここにカキが付着して成長するのだ。数年の耐用年数を経て筏は廃棄されるが、その筏を野焼きしているのが上の写真である。タケそのものを燃やすことにはそれほどの問題はないのだが、タケと一緒に様々なプラスティックや不燃物までもが処理される。もちろんカキそのものも焼かれる。プラスティックからはダイオキシンのような有害物質が発生する可能性も無視できないだろう。焼け残りは海に散逸する。

 こうした作業が終わるのを待っているのがシカである。シカはカキの貝殻やカキの身を食べに集まってくる。カキだけを食べるのであれば、さほど問題はないのかも知れないが、有害物質を含む消化不能なものも口にする。これらはすべて第一胃に滞留し、シカの健康を損ねる原因となる。町のシカもゴミの摂食による餓死が問題となっている。

 筏の処理に関わるゴミ以外にも台風などの自然災害による筏の損傷、沈没などによるゴミ汚染も無視できない。

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 これは損傷したカキ筏の残骸が打ち上げられたものである。もう20年近く前の写真だが、今でもこうしたゴミは管理者が不明なために放置され、蓄積していく。時に行政が処理する場合もあるようだが、それには税金が使われることになる。社会的コストを考えると大変な損失に違いない。

 産業の低コスト化を追い求める一次産業の工業化は、生態学的な矛盾を抱え、時に生物多様性を蔑ろにしかねない。漁業の工業化、つまり養殖漁業の総コストを生物多様性の価値と比較して論じる必要を感じているが、複雑で広範な利害関係が絡んでいるこの問題をどう処理していけば良いのだろうか。

 わかっちゃいるけど、手が出ない。こんな状況が続いている。しかしこの矛盾の行き着くところは、生存の危機である。何とかしようといいう思いが、新たになった稚貝採取作業でした。