生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

アサリ漁民となってみたーアサリ養殖は儲からないが役に立つ

 

 「アッサリー、シンジミ」
 春ともなると早朝の街中をアサリやシジミを売り歩く行商人の掛け声が響いたものです。今は昔、昭和30年代はじめの頃の話です。少し耳の遠いご隠居さんは、朝から「あっさりー死んじめぇ」 とは縁起でもねぇと言ったとか言わなかったとか。ともかくアサリやシジミは朝餉の味噌汁の具材として庶民に親しまれていたことは間違いありません。 この庶民の味方のようなアサリですが、近年は不漁続きで市場に出回らなく成ったばかりか、汐干狩場も閉鎖の憂き目に会っているとのことです。

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 ちなみに関東出身の私は小中学生の春の遠足は、千葉の幕張や稲毛での汐干狩が定番でした。かつてアサリをあさっていた干潟は埋め立てられて今じゃ高層ビル群や倉庫群の地下に消えてしまいました。考えて見れば、「罰当たりなことです」
 生物多様性に富み生産力が豊かな干潟をつぶして、どれほどの冨を生み出したというのでしょうか。いまこれだけの生物生産量を人工的にまかなうとすると一体どれほどの金銭が必要なのでしょうか。工業化がもたらした便利な暮らしではありますが、生産現場を破壊しての消費財の生産基地への転換はどう見てもプラスではあり得ません。何しろ自然の生産は太陽エネルギーだけで再生産されるのですから、食糧生産の持続性だけを考えても貴重な財産と言わねばなりません。
 私が暮らす宮島の対岸、廿日市市大野は昔からアサリの生産(養殖)が盛んで、「大野の手掘りあさり」としてその筋では結構知られた存在なのですが、近年、市場に出回る量を確保するのも困難なほど生産量が減退しています。そんな状況ですから、商売としてはなかなか成り立ちにくく、農業と同じく後継者不足も深刻なのです。つまりアサリ養殖に携わる方々の平均年齢はかなり高く、年々、従業者が減っています。そんなこんなで、高齢者の仲間入りした私にも漁業権を取得するチャンスが巡ってきたのです。
 3年前に某漁協の准組合員として、廿日市市大野の前潟干潟に約100平米ほどのアサリ養殖場を借り受け、アサリ養殖を手がける権利を手に入れることができたのです。
 これまでサル学若しくはほ乳類生態学、森林生態学といった山の生きものに関わってきた私が漁民として海に関わることになったのです。なんと言うことでしょう。
 漁民となって3年、ようやくわずかながら立派なアサリを出荷できるまでになりました。今年からは稚貝の確保(地元での再生産)計画に参加して、アサリの養殖を行いながら干潟の保全活動を考えて見たいと思っています。
 というわけで、今年からの取り組みを紹介してみることにしましょう。

 大野方式でアサリ養殖の復活を
 かつて、といっても1960年代頃まででしょうか、大野あたりでは特別何をすることもなく、大野瀬戸の干潟では毎年ざくざくとアサリは採れたものだったという。しかし所得倍増を目指して高度経済成長を突き進むなかで、川にはダムができ、山では広葉樹林皆伐とその後の拡大造林の進行、治山ダムや砂防ダムの設置、河川でのコンクリート護岸、農地からの農薬の流入、生活排水の垂れ流し、干潟の埋立などこれでもかといって生物の生活場の破壊が矢継ぎ早に続き、気がついたときには豊かな干潟は消えていたのである。それでもアサリの生産は細々と続いているのだが、今やかなり人手を掛けなければ収穫はおぼつかない事業となってしまった。

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 かなり貧弱になっていた30年前と比べてみても今の海はさらに酷い状況で、漁港の岸壁でアジやサバを釣ることもできない。何しろ魚影がないのだから釣りようがない。当時満潮には岸壁で群れをなる小イワシ(カタクチイワシ)を簡単にすくい取ることもできたし、アジやサバは子どもたちの魚釣りの恰好の対象魚であった。それも今は昔。
 ということで、アサリも放っておけば再生するような状況ではなくなってしまった。養殖を続けるためには初期投資として稚貝を播く必要がでてきたのだが、問題はこの稚貝をどう調達するかだ。そして調達したこの稚貝をいかにロスすることなく成貝にするかである。出荷できるような大きさ(4cmほど)に成長するまで、今ではかなり手間を掛けなければならない事態になっているのだ。
 
 地元で資源を確保する
 これまで稚貝は他地域、多くは熊本有明海産のアサリの稚貝を購入して利用したいたが、近年、熊本でもアサリの稚貝が少なく調達するのも難しくなったようである。場合によっては東アジア諸国からの輸入することもあったようだし、熊本県産とはいえ元々は東アジア諸国で採取されたものを一時的に有明海などで成長させたものが流通していた可能性もある。こうした他地域産の稚貝を利用するに当たっては、寄生虫や病原菌などの感染や有害外来種の混入などの危険性もあって好ましいものではない。また消費者にとっても産地のトレーサビリティーに問題があり、倫理的にも生態学的にも問題があった。そうした問題を克服するためにはどうしても地元で再生産する以外に道はないということで、数年前から独自の取り組みが地元有志の間で試験的に行われてきたという。その成果はかなり期待できるということで、地元漁協の呼びかけで普及活動が始まったのである。
 この方法は、極めて簡単でコストもかからず、アサリ養殖にとって福音となるとの期待が寄せられている。簡単に紹介してみよう。
 まずアサリの稚貝が豊富な海浜を見つけること。宮島の西端近くの砂浜や大野前潟干潟には天然のアサリ稚貝(1-数ミリ)が定着していることがわかっている。これを放置しておけばそこで多くのアサリがとれるようになるかと言えば、なかなかそううまくは行かない。最近、この付近の瀬戸内海にはナルトビエイやチヌ(黒鯛)が増加しており、アサリの稚貝はほとんどこうした魚類に捕食されてしまうのだ。
 生物多様性の喪失がこうした特定魚種の増加につながることは往々にしてある。その原因は多々あるが、少なくとも護岸や埋立による藻場の消失は魚類の生活史を遮断する効果をもっているだろう。特定の有用魚種を人工的に採卵し、稚魚まで育てて放流することが蔓延しており、海は巨大な養殖池に変質してしまったようだ。もちろん、ダムなどの構造物が栄養塩類などの物質循環を断ち切ってしまったことも無関係ではない。

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 というわけで、アサリの稚貝を魚による捕食から保護して成長を待つ必要がでてくる。その方法は至って簡単なものである。稚貝が多く生息している砂浜でタマネギ用の網袋を置き、その下の砂を十能(炭などを救うスコップ状の道具)で深さ2-3cmほどをすくい取り、網袋に入れて口を縛り、砂浜にならべておく(上の写真)。これのまま数ヶ月稚貝の成長を待ち、その後、選別して稚貝を収集し、養殖浜(畑)まで運んで播種する。実質の作業はのべ5日(稚貝の確保に2日、メンテナンス1日、選別に2日)ほどで1人あたり24Kgほどの稚貝が確保できる予定である。

 アサリ養殖は儲からないが役に立つ
 稚貝が確保できれば、あとは畑の手入れである。昔のように放っておけばとれる時代ではない。生涯にわたって捕食から保護する必要があるのだ。ここ大野地区では、防鳥ネットを浜に敷き詰め、魚類からの捕食を回避する必要がある。浜にネットを敷き詰めるのは景観上好ましいものではないが、食糧生産を維持するためにはやむを得ない措置である。ネットを敷き詰めれば、そこには海藻類が定着する。様々な海藻類が付着するのだが、アオサなどが付着すると干潮時に浜を覆い、やがて腐敗してアサリが酸欠で死んでしまう。こうした海藻類は冬に増殖するので、春先にはかなりの手間を掛けて網の掃除をしなければならない。また、ベントスと呼ばれるゴカイなどの底生生物も貧弱になっているので、砂浜はすぐに堅くしまってしまう。これも海底の砂層に酸素不足をもたらし、ヘドロ化した砂層が硫化水素を発生させるので、逐次、耕して酸素を供給してやらなければならない。こうした努力をして、100平米足らずの畑で収穫できるアサリは年間100Kgほどである。その現金収入は10万円に満たない。最低賃金にも遠く及ばない時間給で赤字覚悟の自家菜園程度の事業である。これでは勤労意欲が湧くわけはない。 とはいえ、食糧を生産する喜びや海の生態系を考える実習とみれば大変魅力的な活動でもある。
 第一、こうしてとれるアサリは身もぷっくりして大きく、とにかく美味しい。決してスーパーでは手に入らない美味しいアサリなのだ。これに勝る喜びはない。

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