生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

イノシシとシシウド

 今年の雨の降り方は半端じゃない。広島県の瀬戸内沿岸部では大変な被害をもたらしたことは、連日の報道のとおりである。幸い広島県西部ではそれほどの被害はなかったものの、調査地の沢は河床が大きく洗われ、瀬では砂礫が流され、新たな淵が形成されたり、あるいは既存の淵が消失したりとその変化は生物の暮らしにも影響を与えたに違いない。

 世の中は何か常なる飛鳥川きのうの淵ぞ今日の瀬となる (古今集

という、自然は常に動的ということを実感させるに十分な大雨であった。 

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イノシシがシシウドを菜食した現場

 話は少しずれるが、真夏のクマの食物として重要な位置を占めているウワミズザクラ。毎年、ある程度の実りがあってクマはお盆の頃、恒例のようにウワミズザクラの樹にやってくるのだが、ここ数年はどうも不作続きで今年は特に酷いようだ。

今年の様子を写真に採ってきたのだが、ごらんの様にほとんど実がついていない。f:id:syara9sai:20180818134147j:plain

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 これでは食べたくとも食べようがない。初夏の花付きは決して悪くはなかったので、激しい雨のせいなのかも知れない。とにかくこの大雨でアリもハチもことごとく巣ごと流されてしまったかのようで、森林内にはアリもハチもアブもほとんどいない。かつての細見谷地域の夏は、アブの大群に悩まされたものだが、今はそんなことはない。半袖のTシャツでもなんの不都合もないほど穏やかなのだ。それだけではない。セミの声もなく、わずかに聞こえてくる音の中で生きものらしい音といえばソウシチョウの声だけである。これは雨だけのせいでもないだろう。今、森林帯の生産力衰退が危機的状況になってきているのだが、ほとんどの人たちは全くその事実を知ることがない。

 静かに破滅的状況が近づいてきているような不気味さを感じながら調査行を続けている。この夏の 雨続きでカメラも故障しがちになる。そこで一時引き上げて乾燥させ、安定した状態に戻したカメラを再設置してきたのだが、沢の至る所でイノシシがシシウドを掘り返している現場に遭遇した。調査地の沢を片っ端からシシウドの根を掘り起こし、太い木化した根を食べているのだ。これまでシシウドは初夏にクマが柔らかい地上部の茎を食べた痕跡はかなり目にしていたが、今年はそれも目につかないほどクマの痕跡は薄くなっていた。

 そもそもシシウドを漢字で表記すると「猪独活」である。その原義は、「ウドに似るが堅くて食べられず、イノシシが食べるのに適している」ことからの命名だという。ウドはウコギ科でシシウドはセリ科に属している。実際には食べられないこともないようだが山菜としての価値はあまりない。ただ、沈痛、鎮静、血管拡張などの効用が有り、漢方として利用されているようだ。またリュウマチ、神経痛、冷え性などには入浴剤としても効果があるとされている。ただし、温性なので盛夏には用いないとか。この真夏の食性からすると、どうやらイノシシはそのことを知らないらしい。

 シシウドはウドに似てはいるが、より水気の多い土地に生育しているようだ。セリ科に特有の花が咲けば、間違うことはない。北海道では寄り大型のエゾニュウが生育している。この花のてっぺんで囀るノゴマは野鳥図鑑でもおなじみである。

 シシウドの根は太く木化しており、漢方にはなっても、歯が立ちそうにない。しかし今年に限ってはイノシシはこれをよって食べているのだが、なるほどシシウドと納得する食べっぷりである。

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 泥だらけの食べ残しを沢で洗ってみたのだが、太く堅い根をしっかりと食べていることがわかる。この採食の様子はVTRでも確認できたが、かなり時間を掛けて丹念に掘り起こして食べ歩いていたことが見て取れた。

 夏も終わろうとする8月下旬頃から、クマはブナの若い果実を目当てにやってくる。イノシシはシシウドで夏を乗り切ることができそうだが、クマはどうだろうか。頼みの昆虫類がないとなるとかなり厳しい夏となりそうだ。

 甘くジューシーな果実があれば、何とかこの夏もしのげるかも知れない。幸い、その後に稔るミズキやサルナシなどは豊作の模様だ。クマはこの夏場何を糧にしのいでいるのだろうか。痕跡の薄さが気になる調査行であった。