生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

サルと屋久島・ヤクザル調査とフィールドワーク

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 私がいわゆるサル学を志したのは、1973年のことである。S大学の生化学科に入ってまもなくのことだ。大学に入るまでに時間を要した私は、それなりに多くの疑問を抱き、やっと生命とは何かという問題に取り組んでみようと思い出していた。
 医学部の受験に失敗し、生化学こそそれに答えを与えてくれる学問分野と思い込んでここに進んだのであるが、すぐに違和感を覚えたものである。
 還元主義的な力学的世界で解明できそうにないことが、うすうす感じ取れた。そんなときたまたま、T大学で伊谷純一郎さんのサル学の集中講義があると聞き込んで、聴講しに出かけていった。そしてそこで衝撃を受けたのである。
 私はそこで生命体が暮らしを持つこと、そのことで初めて生物として存在するということ、つまり生活を科学するという新たな世界に気がついたのである。
 そこからは一目散にサル学の世界へ走り込んだ。そして1975年だったと思うのだが、京大のヤクザル調査に参加するため初めて屋久島を訪れた。このとき関東では東大・東京農工大を中心に野生のニホンザル調査グループが雑誌「ニホンザル編集会議」を立ち上げようとしていた。そこで屋久島のサルの行列の様子を8ミリ動画に記録してくるというミッションを受けて参加することになった。
 調査も最終段階に入って、西部林道の工事場の群れを見ていた同い年の丸橋さんについてサルの群れが林道を横断する場面を記録することにした。丸橋さんは大学院進学を決めて屋久島での調査を行うことになっていて、工事場の群れをよく観察していた。夏の昼下がり、木陰に入って群れの登場を待っていたが、まだしばらくは林道まで降りてきそうにないとうことで、二人で昼寝をして待つことにした。それがいけなかった。ふと目を覚ますとサルの群れは既に林道を渡り海側の斜面に移動してしまっていた。とんでもない失敗をしてしまったという苦い経験をした島である。


 この調査をきっかけに、紆余曲折を経ながらも途絶えることもなく屋久島での調査が継続されてきた。 そして1989年屋久島のニホンザルの生態調査を目的として、ヤクザル調査隊(隊長好廣眞一)が結成され、大きな成果をあげてきた。
  その成果の一端を語る「サルと屋久島」という面白い本が出版された。この本はいわゆるサルの行動や社会生活を紹介したものではないが、生態学という学問の面白さ、中でもフィールドワークの醍醐味を伝えるという点で貴重な読み物である。
 半谷悟朗・松原始という中堅の生態学者の屋久島での奮闘ぶりとその経験談は、学生はもちろん、研究者を志す若者、現役の研究者などにも大いに参考となるにちがいない。昨今の生態学は汎遺伝子論やモデル化、さらには野生生物管理学などが主流となっており、博物学的なフィールドワークは影を潜めている。しかし環境と暮らしとの関係を追求する生態学は本来、フィールドワークが基本となるべき分野である。これは極めて効率の悪い、成果の出にくい学問であるが、決してムダなものではない。生物の有り様は極めて多様で複雑なものだ。彼らの了見を知ろうとすれば、フィールドにでて直接観察する以外に方法はない。とはいえそんなことを口に出して言えば、懐古趣味のノスタルジーにすぎないとう批判をあびるのがおちである。
 しかしこの「サルと屋久島」という本はそんな批難に動じることなく、フィールドワークの価値を淡々と語っている。そこに大きな価値があるように思える。是非手にとって、読んでみてください。
 サルと屋久島 ヤクザル調査隊とフィールドワーク
 半谷悟朗・松原始 著 旅するミシン店 1600+税

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池袋ジュンク堂でも扱っていました。