生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

ニホンザルのスギ花粉症-発見物語

 2019年3月14日付けの毎日新聞1面にニホンザルの花粉症に関する記事が掲載されていました。淡路島モンキーセンターに花粉症のサルがいるという、いわゆる季節の話題といった記事なのですが、この記事からは何時どのようにしてサルの杉花粉症が見つかったのかという点について、関係者として改めて紹介してみようという気になったのです。

 記事によれはニホンザルにスギ花粉症が発見されたのはおよそ30年ほど前とされていますが、正確には1986年、宮島でのことです。

 発見のいきさつは、1984年4月発行のモンキータイムス宮島版Vol.13-No.14に記事になっているのですが、当時のタイムス(タイムズではなくタイムス)の記事を覚えている人もいないでしょうから、ここに再録した上で、加筆して紹介することにします。
*以下、当時の記事から引用* 
 今年(1984年)で24才になる年寄りのメス(このメスは、今の宮島群の中でただ一頭の小豆島生まれのサルである)が、しきりと目をこすっている。一度手首あたりをなめ、その手で目をこすっている。いわゆる洗顔と同じである。はて、と見れば、両目とも腫れ上がって、上下のまぶたがひっつき、つぶれてしまっているようだ。くしゃみはするわ、涎は流すわで、たいそうしんどそうな様子である。風邪でもひいたかと思っていると、他にも同じ症状のサルが2頭いる。

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 まてよ。そういえば、このサルたちは去年も、いや一昨年も同じように眼を腫らしていたではないか。確か数年前から、春先になると、決まってこんな症状を見せるサルがいることに思い至った。一体全体どうしたというのだろう。毎年同じ時期に同じような症状を見せる。何かあるに違いない漠然とそんな感じを持っていた。ところがある日、突然「あっ、もしかしたらこれだ」と、直感がひらめいた。
 「おはようございます。私、花粉アレルギーかしら」と言って潤んだ目をして山口さんが出勤してきた。「涙やらくしゃみやら大変なんですよ」。このとき、私には妙にあのサルたちと山口さんがダブって見えた。「もしかしたらあのサルたちも花粉アレルギーなのではないだろうか」、もしそうだとすれば、大変面白いことだ。今までサルに、いや人間以外の野生動物に花粉アレルギーがあるなんて話は聞いたことがない。常識で考えても山野を生活の場にしているニホンザルがそんなにデリケートであるはずがない。場合によっては生死に関わる体質といえよう。
 とはいえ、今の段階では「花粉アレルギー症」と決まったわけではなく、状況証拠があるだけだから、今後は専門の研究者と協力して真相を明らかにしていかねばならないであろう。もしこのサルが本当に花粉アレルギーということにでもなれば、サルには悪いが野生動物として何とも締まらない話である。
                             *以上、記事引用 *

 さてこの話を聞きつけた地元中国新聞の記者が京都大学霊長類研究所にその真偽のほどを確かめようとして問い合わせた結果、「野生動物のサルにスギ花粉症はあり得ない」とのコメントを受け、それが新聞記事となって世間に伝わった。そこでこの件は一件落着したかにみえた。

 ところが、スギの花粉症に悩む霊長類研究所の研究者が伝え聞いたこの話をされに主治医(耳鼻咽喉科)である横田医師(当時:名古屋大学医学部)に伝えたところ、横田医師は大いに関心を示し、実際に確かめてみようということになった。

 1985年4月のことである。広島市内に用事があったくだんの横田医師は、宮島へ足を伸ばし、アレルギー治療のための皮内テストを行い、さらにアレルゲン試薬をサルの目に投与して症状が出るかどうかの実験を行ったのである。 

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8種類アレルゲンを用いた皮内テスト

 

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スギの抗原を用いた点眼テスト

 残念なことに皮内テストでは、発症する赤斑の大きさを定規を当てて測ろうとしてもサルの皮膚のたるみが大きく、正確に測ることができず、点眼試験でははっきりした症状が認められないという結果になった。そもそも人間用の試薬を使用してテストで試薬の濃度の適正値も定かではなく、その有効性が不明ではっきりした結果は得られなかったのも無理からぬことではあった。

「どうもはっきりしませんねぇ。でも話を聞く限りでは、花粉症である可能性が高いように思います。」ということで、翌年(1986年)、もっと本格的に調査してみましょうということになった。

 そして翌1986年、京大の霊長類研究所と横田医師の調査チームが再来し、症状を持つ個体に加えて何頭かのサルを捕獲し、採血を含む本格的な調査調査を行い、後日、症状を有する個体の血中からスギに特異的なIg E抗体を発見したのである。ここにニホンザルのスギ花粉症が科学的な証拠に基づいて確認されたのである(霊 長 類 研 究 Primate Res. 3: 112-118, 1987) 

 事実が明らかになると、多くの研究者がサルの花粉症を研究対象にと望み、今では生理学、遺伝学的な詳細な研究が進展しているということを風の便りに聞く。

と同時に、それまで各地の野猿公苑や動物園に対して花粉症らしい個体の存否を訪ねるアンケートを出しても、ほとんど罹患している個体の発見は難しかったのだが、このニュースが各メディアで報道されると、あっちからもこっちからも花粉症と疑われるサルが見つかったのである。

 なかでも、淡路島モンキーセンターではかなりの数のサルが花粉症に罹患していることがわかってきた。

 さて、今(2002年現在)の宮島のサルはどうだろうか。実は皮肉にも、花粉症が明らかになった頃から、花粉症に典型的な症状は比較的少なくなってきている。その原因はよく分からない。花粉症の因子を持っているサルは少なからずいるのだが、発症しない。これは、もしかすると、大気が以前よりもきれいになってきていることの証なのかもしれない。あるいは、花粉の飛散量が少ない年が続いているからかもしれない。人間はかなり敏感で、わずかな花粉量でも発症するが、サルはもう少し鈍感なのかもしれない。
 いずれにしても、この当時、私が宮島のサルと出会っていなかったら、サルの花粉症は知られていなかったであろう。当時花粉症支持派はほとんどいなかったのだから。 それはともかく、花粉症のサルの写真をご覧ください。1984年に撮影したものです。

(宮島の餌付け群は動物愛護法の改正により、野外飼育ができなくなったため、2010年に犬山市の財団法人日本モンキーセンターへ移送され、以後同園内で飼育されている)