生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

やんばるの森事情6-乾燥化がもたらすもの

 数年前のことだが、アメリカ中西部へ野生動物を求めて出かけていったことがある。そこは半砂漠のような乾燥地であるから、湿度の高い日本に暮らしている者にとってはかなりのストレスとなる。放っておくと膚は乾燥して指先にはささくれができたり、唇はひび割れるので、ワセリンやリップクリームが必需品となる。それに比べて、長年通ってきたタイのモンスーン林(カオヤイ国立公園)では快適であった(特に雨季)。こうした各地への旅で、生きものにとって水のあるなしの影響を文字通り膚で感じることができる。

f:id:syara9sai:20190828145544j:plain

アメリが中西部のイエローストーン国立公園

f:id:syara9sai:20190828145559j:plain

タイのカオヤイ国立公園・熱帯モンスーン林


 生きものの生存にとって欠かすことの出来ない水。その水をどのように確保するか。その方途こそ進化の推進力であるといってもいいのかもしれないくらい、水の問題は生物の生死に直結する。ある生物は砂漠のような乾燥地にも耐えられるような生活と体制を獲得したし、またあるもの(種)は湿潤の環境を求めて移動分散を繰り返してきた。それは動物だけではなく、植物にとっても同じことである。水にどっぷりつかって生きる植物もあれば、砂漠や乾燥した高山などにも生育する植物もある。

 ここ沖縄北部のやんばるの森は植生帯としては亜熱帯林としてしられているが、意外にも乾燥しやすい地理的環境にある。特に冬の北西からの季節風のせいで尾根部はかなり乾燥している(やんばるの森事情1参照)。わずかに50mほどの標高差でも、沢筋と尾根筋では森林内の湿度はかなりことなっている。

f:id:syara9sai:20190819152313j:plain

 上のグラフは伊江川の支流沿いの森林湿度と温度の年変動を調査した時の秋から冬にかけての変動を示したものである(やんばるのまか不思議p117から引用)。各グラフの上の折れ線は湿度、下のそれは温度の変化を表している。これをみると温度はほぼ3地点とも同じような変動をしている一方で、湿度は安定して高い谷底(沢筋)から中腹(川から約25m上部)と尾根部(川から約50m上部)へと川から離れるにしたがって変動幅は大きくなっていることがわかる。わずか25mほどの中腹でも既に変動が大きく、乾燥化が生じていることが見て取れる。

 そして皆伐された場所では下の図が示している通り、谷底の川沿い、本来ならば湿度はほぼ安定して高い場所なのだが、その谷底の川沿いでも湿度の変動は大きく、中腹もしくは尾根における湿度変動に類似してくる。つまり森林の伐採によって乾燥化が進むということである。

f:id:syara9sai:20190819152329j:plain

ササラダニ類に見られる皆伐の影響

 調査地である伊江川の支流域は古い二次林で、やんばるの森の原型をよくとどめている。このようなほぼ原生的なやんばるの森にはまだまだ未発見の生物種が生息しており、2009年には青木淳一横浜大学名誉教授によってササラダニの新種が発見され、カワノイレコダニ命名された。このササラダニという生きものは、植物の枯れ葉などをかみ砕いて食糧とする土壌中のダニの仲間で、人に害をなすマダニ類のようなダニ類ではない。いわば森の清掃屋とでもいうべき存在で、ササラダニが植物片などの有機物を細かく分解している。そしてササラダニが分解したその分解物は、有機物を無機物(主に二酸化炭素と水)に分解するバクテリアの活動を支えるものである。いわば物質循環の重要な位置を占めている生物群である。このササラダニの仲間は多くの種が知られているが、それぞれ異なる環境下で暮らしていることから、環境指標生物として認識されている。やんばるでも湿潤な原生的な森林環境に生息するものから攪乱された比較的乾燥した環境でもくらせるものまで多くのササラダニ類が知られている。

 次ぎに示す表は、青木淳一さん(横浜大学名誉教授)が行った、やんばる地域の原生的な森林、皆伐5年後の森林、皆伐1年後の森林におけるササラダニ類生息種調査結果の一覧である(青木淳一)。

f:id:syara9sai:20190826150359j:plain

 この表を見れば一目瞭然であるが、皆伐がササラダニ類の生存に大きなダメージを与えていることが見て取れる。一般にササラダニ類は乾燥に弱く、森林内の安定した湿度環境が失われると消滅してしまうササラダニ類が多い。温暖で雨の多いやんばるでは伐採後5年も立つとかつての皆伐地は一見原生的な森林かと見まがうような森に復活する。しかしそれはあくまで一見したところにすぎないのであって、そこに暮らす生物相はかつてあったものとは全く異なる単純なものに変貌してしまっている。このことをもっと知ってほしいのである。

 

立ち枯れの進行

 森林伐採による乾燥化の問題は土壌生物だけではない。皆伐地の周辺や林道沿いにはイタジイの立ち枯れが目立つところが散見できる。下の写真は宜名真の伐採地と謝敷の林相沿いの立ち枯れである。この両地域とも冬の季節風が吹き抜ける場所にあるのだが、その季節風にも耐えてイタジイの群落が存在していた。ところが林道が山を切り通して設置されたり、皆伐されたことでその群落は今では白骨林となって無残な姿をさらしてる。

f:id:syara9sai:20190819142652j:plain

謝敷林道沿いの立ち枯れ

f:id:syara9sai:20190708140954j:plain

宜名真皆伐地周辺の立ち枯れ

 やんばるの尾根筋は風当たりが強く、比較的乾燥している。それでも長い時間をかけてイタジイが群落を形成しているところは少なくない。過酷な環境故に樹高は低く、成長も遅いので材は堅くなる。その結果、尾根付近のイタジイはノグチゲラが巣穴を穿つのに適してはいない。それに比べて谷底周辺のイタジイは材が柔らかく巣穴を穿ちやすい上に、幹が斜行しているので雨よけにもなりノグチゲラの格好の営巣木となるのだ。とはいえ、尾根部のイタジイはここに暮らす動物たちへの食糧資源の供給や次世代を担うイタジイの種子の供給源(母樹)として重要な機能を果たしている。
 山全体がイタジイやイジュを主体とする樹木で覆われていれば、季節風樹冠の上を吹き抜けたり、その風は林内へ吹き込んでくるのだが、その風の圧力は森林内で急速に衰える。そのため林内には極度の乾燥は生じず、イタジイは何とか枯死することなく存続できる。しかしここに山を切り通して林道を敷設すると、事情は一変する。そこに路面と法面に囲まれたパイプ上の風の通り道ができると風は速度を増して林道を吹き抜けることになる。すると林道の両側、つまり法面の上部の森林は吹き抜ける風の陰圧をうけて林内から湿気を含んだ大気が吸い出されることになる。この二つの力が合わさって林内の湿潤な大気は押し出されるので、林道周辺は極端に乾燥化が進行する。その結果の立ち枯れなのだ。皆伐も同様なメカニズムで乾燥化が生じている。

 このような乾燥化は、オオタニワタリオキナワセッコクなどの着生植物にもそしてヤンバルクイナの食糧でもあるカタツムリ類などの陸産貝類の減少にも関係している。


 その一方で、乾燥化し直射日光が当たる伐開地や林道沿いにはススキ等のイネ科草本類が繁茂し、そこを格好の生息地とするバッタなどの昆虫類が増加する。そしてもっと大きな問題はこうした環境を好む外来種、フイリマングースが進出し定着することである。そこはバッタ類を捕食するキノボリトカゲの生息地でもあるから、当然マングースとの競合がおこり、キノボリトカゲの生存はおぼつかない者となる。

f:id:syara9sai:20190828143534j:plain
f:id:syara9sai:20190828141939j:plain

f:id:syara9sai:20190828141802j:plain

林道沿いで見つけたマングースのフン

 森林の皆伐による林地の乾燥化はこれ以外の様々な影響をやんばるの自然に与えたいる。たとえば、土壌の流亡である。皆伐地は乾燥地となるが、一旦雨が降ると基質がむき出しの伐開地はたちまち泥流となり、河川を通じて周辺の海域へ流れ込む。この土砂が沿海の生物相に多大なダメージを与えていることは言うまでもない。

f:id:syara9sai:20190828144347j:plain

f:id:syara9sai:20190828144406j:plain

 森林の皆伐はやんばるに固有な自然をどもまでも破壊しているという事実に目を向けなければいけない。

余談

 やんばるでの森林破壊について行政側の学者のなかには、適度は攪乱は生物多様性にとって必要として、皆伐を容認する人もいますが、こうした雑ぱくな議論は害毒でしかないように思います。たしかに原生的な森の一部で、巨樹が枯れて倒れた時などはギャップと呼ばれる日当たりの良い部分が生じ、そこでは休眠していた種子が発芽したり、様々な生物が活動し始めるなど多様性と生産性が向上します。しかしそれは攪乱の規模が小さく周辺の生物相が大きなダメージを受けない状況の中での動的平衡現象なのです。皆伐のように大規模に生息地そのものを破壊し回復し得ないようなダメージを与えることは適度な攪乱とは言えません。ただ、規模というのは地理的な広がりだけではなく継続する時間も含めての話です。短期の攪乱か継続して続く攪乱かによってもその意味合いはかなり異なります。

 立ち枯れの話でも、台風などの自然現象による一時的な破壊(攪乱)と同じと論じるのもまた詭弁なのではないでしょうか。

 確かに人為(農業など)の自然の改変による人為的自然という環境をどのように評価するかといったデリケートな問題もありますが、攪乱と破壊との関係を常に考えていくことが重要なことと考えています。

 というわけでやんばるの森を守る活動は今後も続きますが、この拙文がその一助になれば幸いです。やんばるDONぐりーすとの共同調査は今後も続きます。多くの方の参加をお待ちしています。

 やんばるの森事情は今回で一応の区切りとなりますが、終わったわけではありません。まだまだ新しい発見もあるに違いありませんので、その折々にまたその報告をすることにします。