生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

八ッ場ダムと倉渕ダム 相川俊英 緑風出版 2020年

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 いったい日本の国土にはどれくらいの数のダムがあるのだろうか?そんな疑問がふとわいてきた。様々な統計に当たってみたものの、ダムの国や県、電力義者などと管理団体ごとにバラバラで統一された統計上の数字はよくわからない。そこで水源連のHPを覗いてみると以下のような記事が見つかった。

国土交通省関東整備局利根川ダム統合管理事務所のウェブサイトでは、既設ダム2,738か所、建設中331か所の合計3,069ヵ所としていますが、この出典は財団法人日本ダム協会のダム便覧2003です。しかし、日本ダム協会のウェブサイトの最新記載では、既設(2011年3月31日までに完成)が2657か所、新設(2011年4月以降完成予定のもの)が144か所、合計2,801か所としています。また、社団法人日本大ダム会議が国際大ダム会議ダム台帳・文書委員会に提出した3,045ヵ所という数値もあり、どうもダムの台帳数は明確ではありません。
また、砂防ダムは土石流危険渓などに作られますが、多い所は一ヵ所あたり十基前後の砂防ダムがあり、砂防便覧によると全国に85,000基余りの砂防ダムがあります。」(水源連HPより)

 最近ではダムマニアなる集団もいて、ダムカードの収集に熱を上げているとか。生態学を専攻している私にとって、ダムは物質循環を阻害する大きな障害物として歓迎せざる構築物である。が、飲料水や工業用水、農業用水の確保といって利水施設として、あるいは河川の氾濫を防止するための治水施設として不可欠な社会資本として認めざるを得ない場合もあることは十分理解できる。

 しかしながら、ダムの功罪を考える上で、ダムがもつ機能の効果と建設するための経費(B/C)はもちろん、金銭的評価が困難な生態学的な観点からの評価がなされていないことも事実である。

 これまでもダムの問題に関しては

syara9sai.hatenablog.com

でも紹介したとおり、政・官・業・学・報・司の利権構造が無駄なダムを造り続けるエンジンとなっていることを紹介したが、「八ッ場ダムと倉渕ダム」では、ダム廃止に成功した倉渕ダム計画と失敗に終わった八ッ場ダムというふたつの具体的な事例からより生々しいドラマがドキュメンタリーとして語られている。

 ダムに絡む政治家の思惑(利権)と無能ぶりに翻弄される地元民の葛藤、地域の苦悩の様子が生の取材活動を通じて語られている。良質なルポルタージュとして読み応えがあるし、市民が自立しなければ、行政の横暴に立ち向かうことが困難なこと、そしてそれは大胆な情報公開制度の確立なくしては成立し得ないことが見えてくる。

 とはいえ、だまって待っているだけでは、政策決定に関する情報が市民に公開されることはあり得ない。市民が正当な権利として行政の意思決定プロセスに関する情報公開を求め続けることが不可欠であることも教えられるであろう。

 公共工事には利権がらみの不都合な真実が必ず紛れている。それを明らかにした上で、市民による検証ができるシステム(例えば淀川流域委員会のような)を構築する必要があるし、それなくしては無駄な公共事業をとめることはかなわないのかもしれない。

 それと同時に、市民の声を聞くことができ、それを政策に反映させることができる政治家を育てることも同じように重要な課題といえるだろう。今日見られる多くの利権にまみれた2世3世の世襲議員や情報過多で自信過剰のエリート議員では多様な社会の要求を整理し、妥協点を見つけて政策に生かすという困難な仕事を全うすることはかなわないだろう。

 実際、世襲議員は本人よりそれを取り巻く「後援会」の利益を低コストで確保することが目的にみえる。議員本人は生きた看板に過ぎないのかもしれない。そんな問題意識を起こさせる一である。ぜひ手に取って読んでいただきたい。

内容

はじめに

第1章 ダムをとめた住民と県知事

第2章 国策ダムに翻弄される住民と地方自治

第3章 八ッ場ダム復活の真相

おわりに

相川俊英 著 緑風出版(同社の書籍はアマゾンでは扱っていません)

1800円+税