生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

カモシカ調査の思い出-下北半島

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上野発の夜行急行「十和田」、今はもうありません。上野から常磐線経由で青森まで12時間ほどの夜行急行だ。座席は硬く、背もたれは垂直の旧型客車で乗り心地はお世辞にもいいとはいえない。一日一往復、19時過ぎに上野駅を出発する。
1976年の頃だったと思う。当時学生で、ニホンザルの生態を追いかけようと奮闘している時だった。私の学生時代はキセルで、入学し、卒業したのはS大学だった。生化学を学ぶはずだったが、どうもなじめず、当時隆盛を誇っていたサル学に関心を持ち、東京N大学で自称客員学生という身分で活動していた。当時の大学はかなり自由度が高く、S大学の先生もそれを許してくれたばかりか、むしろ応援してくれていた。というか、厄介払いされたのかも(はっはっはっ)。
 主たる対象はニホンザルではあったが、周りの学生たちの中にはニホンカモシカを対象として活動しているグループもあった。フィールドワークは時として、マンパワーを必要とする場合があって、個体数調査は特にその典型である。そんな時には、植物屋さんも含めて、互いに協力し合うということもあって、見聞を広めることもできた。
 1970年代は森林破壊がピークに達し、各地で大面積皆伐スーパー林道計画が目白押しということもあって、大学では自然保護講座が台頭してきた時代でもある。特に天然記念物として知られているニホンカモシカはその希少性もあって保護対象動物として注目を集めていた。
 大型哺乳類の生態学はまだまだ初歩の段階で、今日のような調査機器もなく、ひたすら直接観察を目指すか、フンや食痕などの痕跡調査が主流で、個体数調査法の確立はできていなかった。東京N大学や千葉大学の学生たちの中から、カモシカの個体数調査法に関する研究が始まり、私たちサル屋も群馬や青森(下北)の調査に駆り出されたのである。この個体数調査は伐開地を含む森林を一定の広さを、受け持ち区域とし、赤線で囲った地図を持ってその中を歩き回ってその範囲で見つけたカモシカの個体を記録するという、いたってシンプルなものである。分割面積は一人あたりの調査区域を5ヘクタール、10ヘクタール、20ヘクタールに設定して、個体数を数え、それを集積するのだが、一人あたりの受け持ち面積がどの程度あれば信頼度の高い個体数の推定が可能かを検証する実験である。
 そして12月の寒い下北半島、脇野沢での調査に駆り出されたのである。
 その当時上野駅は東北地方から東京への玄関口であった。集団就職や出稼ぎの人にとっては「ああ上野駅」なのだが、私には初めての東北旅行で、ニホンザルの北限の生息地下北やカモシカの姿を想像するだけでなんとなくウキウキしてきたもんだ。
 7時過ぎに出発した列車はゴトゴトと快い揺れ伴いながらのんびりと漆黒の中を進んでいる。そのうち車内のしっとりとした暖かさでうとうとしていたが、何分座席は硬く背もたれは垂直の板なのだから、眠るには不都合である。幸い車内はすいていてる。旅慣れた人たちはいち早く床に新聞紙を敷いて床に寝床をしつらえて足を伸ばして寝ている。見た目には酔っ払いの行き倒れのようではあるが、体を伸ばして寝られるという快感には勝てない。そこでに私もそれを真似て床に寝転ぶとこれがすこぶる具合がいい。床に染み込んだ油のかすかな匂いわ嗅ぎながらウトウトしていると、時々巡回の車掌がやってくるが、なれたもんで、寝入っている乗客をまたぎながら、何事もなかったかのように通過していく。熟睡とまでは行かないが、うつらうつらしているうちに、次第に空が明るさをましてきた。

 朝6時。

 列車は野辺地駅に到着。眠い目をこすりながら、下車すると東北の寒気が突き刺さるように頬をなでていく。ここで大湊線に乗り換え、終点の大湊へ。大湊からはバスで脇野沢へ向かう。脇野沢へは16時間をかけて午前11時頃に到着。本州北端の下北半島には強い北風が吹き付け寒さは一段と厳しい。

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 寒さは厳しいが、下北の自然は素晴らしいものだった。脇野沢から半島南西端の北海崎まで歩き、その周辺の山林での個体数調査が始まる。下北半島はヒバ林とブナ科の落葉樹の混交林で表土層は薄く、火山性の堆積物の地質は滑ることもなく歩きやすい。

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 調査で林内を歩いていると、突然カモシカと出くわすことがある。子牛ほどの大きな体が小尾根の向こうからやってきて目の前を通過していく。写真を撮る間もないが感動の一瞬である。ただ多くの場合、切り立った岩場の上からこちらを見下ろしている場合が、出会いの一般的なパタンである。調査もなれてくると、いつも同じところに同じようなカモシカを見つけることができるし、それ以外ではほとんど出会えないという具合であった。この調査では残念ながら、期待していた下北のサルには遭遇できずじまいであったが、後にこのあたりに生息していた群れは捕獲され、飼育施設に閉じ込められることとなる。

 宿舎から調査地へ向かう海岸沿いの道路からは入り江にたむろする白鳥や通学する少年少女たちとの出会いも楽しいものであった。強風が吹く付け、風花が舞う厳寒の地では私たちは目出し帽をかぶり寒さ対策に余念がないが、地元の子供たちはそんな私たちを珍しそうに見つめているのが印象的であった。
 あれから45年。下北半島とは無沙汰が続いている。もう一度訪れてみたいが、あのときの自然は残っているのだろうか。そして

あのとき出会った少年少女たちも今では立派なおじいさんおばあさんになっているのだろうか。

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