生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

絶滅危惧種ー東南アジアの霊長類 奥田達哉

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  昨日、予約しておいた写真集「絶滅の危機種ー東南アジアの霊長類 奥田 達哉」が届きました。異色の経歴をもつ写真家の奥田さんは2年間にわたり、東南アジアの霊長類に焦点を絞って撮影してきたという。

 私も霊長類学を志して50年になるが、その頃から森林棲の霊長類は絶滅の危機に瀕しており、年々厳しさを増している。そんな危機感が奥田さんを東南アジアの森に駆り立てたのだろうと思う。

2年間にわたる撮影記録の中から17種の霊長類を選んだということですが、大変美しくかつ貴重な記録となっています。

 例えば表紙にも登場しているアカアシドゥクラングールは以前、横浜の野毛山動物園で飼育されていたと記憶しているが、見たことはない。2002年タイのドゥシット動物園で見たのが最初であるが、その美しさに感嘆してものである。そのドゥクラングールはかつてのヴェトナム戦争の枯れ葉剤による森林破壊で大きなダメージを受け、その後も商業作物用のプランテーション開発による森林破壊で生存の危機に直面している。加えて大変美しいが故に密猟の危険にもさらされている。そんな絶滅危惧種が見せる野生の息吹が伝わってくる写真集に仕上がっている。樹上で眠っているドゥクラングールは何を夢見ているのだろうか。平穏な明日が来ればいいのだが、と思わずにはいられない。

 話は変わるが、私も2004年から2013年までの10年間、タイのカオヤイ国立公園にシロテテナガザルの観察のエコツアーを行ってきた。このカオヤイ国立公園では、本文でも紹介されているようにポウシテナガザルが同所的に生息している場所として知られている。私たちも公園内のロッジに滞在して観察をしたいたのだが、ボウシテナガザルの生息地は宿舎から10Kmほど離れていて、時間を割いて出かけることができなかったので、この写真集をみてちょっとだけ嫉妬の念を覚えた。少し無理をしてでも行っておくべきだったか、いやいや森林生態学的な視点から生物学的多様性を体験してもらうエコツアーとしてはやむを得なかったのだろうと自分を慰めている。カオヤイ国立公園では比較的楽にシロテテナガザルを観察することはとはいっても、日帰りのサファリツアーではまず無理である。

 樹高も高く一年中葉が茂っている東南アジアの熱帯雨林やモンスーン林の中での観察は意外と難しいものである。ヒルもいればダニもいる。それに加えて政治状況の不安定さも撮影行に大きな影響を与えるだろう。このたびは、タイ、ヴェトナム、マレーシア、インドネシア(スマトラ島)が撮影現場となっているが、例えばインドネシアスラウェシ島のムーアモンキー(スラウェシクロザルの一軍)や、中国大陸のキンシコウやイボバナザルなど多くの絶滅の危機が存在するが、政治的な不安定さや国策などのハードルもあり簡単には取材ができない状況にある。

 

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閑話休題

 このドゥクラングールよりもさらに厳しい状況に置かれているのがデラクールラングールである。明日をも知れぬほど追い詰められているこのラングールはこの写真集以外ではもうお目にかかれないのかもしれない。

 葉に含まれるタンニンで歯が真っ黒になっているテングザルの歯列はまさに葉食性のラングールの面目躍如といったところか。

 ボルネオオランウータンの目つきの鋭さは決して動物園ではお目にかかれない。野生に生きる大型類人猿の貫禄が十分に描き出されている。

 いずれもまさに「生きている」ことが伝わる写真に仕上がっている。素晴らしい一冊といえるのではないだろうか。

 とはいえ、ここが難しいところなのだが、美しいが故に危機が伝わりにくいという問題が生じる。これは著者(奥田さん)の責任では全くないのだが、この美しさの裏にある世の中の矛盾にどれだけの人が気づいてくれるのだろうかといささか心配になる。東南アジアのみならずアフリカや南米の森林は商業的農業の進出によって壊滅的な破壊を受けている。確かに保護区域は設定され、それなりの保護策は講じられてはいるものの、一歩境界を越えれば徹底してプランテーションや鉱業のために破壊されている。SDGsなどと行ってはみても、それも突き詰めればビジネスの方便に過ぎない。

 となれば、この美しい写真集とセットで破壊の現場の写真集もいるのではないだろうか。本文には絶滅危惧の背景が触れられています。これらは現地の問題というより、消費地であるグローバルノース(先進諸国)の問題です。野生動物の密猟はペット需要も無視できません。日本のペット需要による野生動物輸入は現地での密猟圧を確実に高めているし、食糧の輸出は現地でのブッシュミート需要を高め、密猟せざるを得ない状況さえ生み出しているともいえます。

 この素晴らしい写真集が霊長類たちのレクイエムにならないよう、節に願うばかりです。写真集をご覧になる皆さんには、この美しい野生の背景に迫る黒い魔手を見つけてくださるよう希望します。