生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

野生動物の法獣医学 浅川満彦 著 地人書館 

 

 

歴史と旅のルポライターで数々の難事件を解決するのは、浅見光彦。一方、獣医学の知見を武器に野生動物の死因を解明するのが、浅川満彦さん。 実在の獣医学者(寄生虫学)である。
 近年,野生鳥獣が媒介する感染症(人獣共通感染症)が話題となっているが、つい数十年ほど前までは知る人ぞ知るものだったように思う。
 https://www.niid.go.jp/niid/ja/route/vertebrata.html 参照

 この本の中で一貫しているのは「法獣医学」の普及である。私はかつて日本モンキーセンター宮島研究所(無定員)の研修員として宮島の観光会社に職を得て、ニホンザルの行動の研究をする傍ら、その成果を活かした野外博物館活動に従事していたことがある。ご存じの通り、宮島には野生のシカが生息しているのだが、観光地化が進むにつれて、シカが町に定着し住民や観光客と様々な軋轢を起こしていた。詳しいことは別の機会に譲るが、シカの個体数増加抑制のため?に当時の宮島町はエンクロージャーを設置してオスのシカを隔離するという政策をとっていた。ところが春先に隔離施設内で次々をシカが死亡するという事件が起こったのである。慌てた町当局は、私に死因を調べてほしいと言ってきたのである。獣医でもない私にそんなことはできるはずもなく、動物園に依頼するよう返事をしたのだが、町当局は頑として受け付けず、どうしても観てくれと言って聞かない。それというのも、町当局はもしこれが感染症であれば、観光町として死活問題になることを極度に恐れていたのである。
 やむを得ず、とりあえず観てみましょうということで、渋々解剖してみたところ、なんと、死亡個体の第一胃から大量のゴミの塊がみつかった。第2胃から大腸までは全くの空。要するに餓死であった。その後、隔離飼育場へ行き、骨となった死体を改めてみてみると、胃袋の位置に同じようなゴミの塊が残っていた。原因は観光客の残したゴミや海岸に流れ着いたゴミを摂取したことによる餓死ということが明らかになった。これを機に、町当局はゴミ箱の改善や餌やりの禁止とシカの野生復帰に向けた取り組みを強化したのである。

シカの胃袋に詰まっていたゴミ

 こんな経験をもっているので、この「法獣医学」の必要性は身にしみてよくわかる。その後も宮島の持続的な観光策開発とい観点で、講義や提言をしてきたが、その中で、シカが町中に定着する問題点として、
1.森林の再生を阻害する(食圧の高さ)
2.シカの生存に対する脅威(餓死・交通事故)
3..人獣共通感染症の危険性の増大(糞尿による悪臭、アレルギーなど公衆衛生上の問題を含む)。
の三点を指摘し、これが観光的価値の低下を招くとして、その解決に向けて、シカが野生を回復するような政策の必要性を説いてきた。ただ、こうした提言から実施されたシカの野生復帰計画も、愛護団体を名乗る方々には評価されず、今なお一部で餌やりが続いているようだ。
 こうした経験からも、本書の出版はこれまで望んでいたものがやっと出てきたという思いで、読み進めることができた。
 野生鳥獣の死の背景に潜む危険性や野生動物を取り巻く環境の変化をどのように理解し、生物世界の存在価値に目が向けられるか。そのことを正面から問いかける好著である。「もの言わぬ死体の叫び」なる副題はミステリーを連想させるものだが、科学に裏打ちされており、その推論には説得力がある。読みやすい文章とともに内容に深みがあり一読をお勧めする。
   本書は、野生動物に関わる人だけでなく、いわゆる動物好きの人やペット産業はもちろん行政に携わる多くの人に手に取って読んでもらいたいと切に願っている。

   さて、本書,全6章の内容は読んでのお楽しみということにするが、その章立てだけは紹介しておくことにしよう・
   第1章 なぜ牛大学に野鳥が来る?
 第2章 どのような死があるのだろう? 第3章  身近な鳥類の大量死はなぜ起こる?
 第4章 人間活動が不運な死をもららす
 第5章 哺乳類と爬虫類の剖検は命がけ
 第6章 野生動物の法獣医学とは?
となっている。これだけでも興味をそそるではありませんか。