生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

タイ旅行の思い出 1

 今、BS日テレでタイを鉄道で縦断する旅を放映しているのを見て、なんだか懐かしくなった。ここ10年ほどはタイを訪れていないが、これまでに10回ほど通った国である。その最初が2002年9月下旬のことだった。流れる映像と記憶に残る映像に多少のギャップがあって面白い。20年といえば、軽く二昔。日進月歩の今日ではそれどころではない変化が画面を通して実感できる。

 そもそも何故タイへ出かけていったのか? 2002年は事情があって25年務めた会社を辞め、少しばかり暇な時間を持てるようになっていた。そこへ大学の卒論の資料集めと称して、タイ旅行を画策していた娘の口車にのって出かけることになったという訳である。

条件はだだ一つ。カオヤイ国立公園を旅程に組み入れることで交渉は成立。

2002年9月23日から10月2日まで11日間、目的地は、カオヤイ国立公園、スコータイ遺跡巡り、チェンマイでの少数民族探訪を飛行機とバス、鉄道を利用して巡り歩いた。

 その道中記を当時を思い出しながら綴って見ることにする。

第一回は 関空ータイ(ドンムアン空港)―バンコク市内(泊)ー(バス)ープラチンブリ(泊)

まで。

 2002年当時は関西空港を早朝に出発するバンコク(ドンムアン空港)経由シンガポール行きの便があったのでそれを利用しての旅であった。夜行バスで天王寺へ行き、そこから南海電鉄関空まで行ったと記憶している。この便だと午後の早い時間にバンコクへ着ける。ドンムアンからバンコク市内までは普通、タクシーを利用するようだが、鉄道に乗りたくてタクシーの客引きを断った。周りを見渡しても鉄道を利用する人はほとんどいない。駅でバンコクまでの切符をかったのだが、その値段に驚いた。たった5バーツだという。当時のレートは1バーツ=3円ほどだから、バンコクまで一人15円ほどしかかからない。

 写真の右下の欄に5バーツと印字されている。鉄道運賃がこれほど安いのは国の政策として補助金が投入されているからだという。人と物資の輸送は国の義務ということらしい。とはいえ、今日ではハイウエイが整備され車での物資輸送が主流になっている。

 運賃は安いが運行時間の正確さは日本のそれと比べれば雲泥の差がある。時刻表は目安にしか過ぎない。待てども待てども列車は来ない。蒸し暑いホームで待ちくたびれた頃やっと到着。のんびりとした列車旅が始まった。田園地帯を抜け、バラックの密集する町をいくつか過ぎて、列車は終点のポアランポーン(バンコク)駅に到着した。首都のターミナル駅にふさわしい駅舎に見惚れる。改札口があるわけでもなく、広々としたコンコースを抜けると、そこはもうバンコクの市街地だった。

 

 この日は駅近のバンコクホテルに宿泊。翌日はカオヤイ国立公園を目指してのバス旅なので夕ご飯は、タイスキと無難な選択。

 

 カオヤイ国立公園方面のバスは市内北部のバスターミナルから。プラチンブリにあるパームガーデンロッジという(今は同じ名前のリゾートホテルがある)個人経営のこぢんまりとしたロッジへ予約をいれておいた(なんとか使えるインターネットを利用して)。

バンコクからどこ行きのバスに乗ればいいのかわからないが、確か北部バスターミナルの○○番のバスに乗り、ロッジのHPにタイ語で描かれているものをプリントアウトしたものを運転手に見せれば、入り口近くで下ろしてくれるとのこと。タイ語で書かれたものなのでどのように発音するのかも皆目わからず、どうも危なっかしいがとりあえず言われたとおりするしかない。バスターミナルへいって、案内人にプリントを見せると、乗るべきバスを教えてくれた。使い古したポンコツ感満載のバスである。もちろんエアコンなどない。今でこそエアコンの効いた最新型のバスが当たり前であるが、20年前にはこれが普通であった。

 発車前に再度、運転手に印刷物を見せるとOKとの返事。ここから2時間ちょっとのバス旅が始まった。

 雨期がはじまっており、街道沿いの水田はほぼ水没するくらいに水をたたえていた。2時間ほどたったころだろうか。バスは給油のために立ち寄ったガスステーションで驚くべきものを見つけた。

 これがそれだ。慌ててカメラのシャッターを切った。センザンコウの剥製が無造作に柱に掲げられていたのだ。 これも密猟されたものなのだろか、それとも法規制以前に捕獲されたものなのだろうか。よくわからないが、とにかくびっくりな遭遇であった。

 給油を済ませたバスはやがて家並みが続く町中へ入っていく。まもなく目的地らしい雰囲気を感じるが、確信はもてない。バスはランアンアバウトの交差点を右に入る。このあたりから、不安が頭をよぎる。目的地はあの交差点を直進する方角なのではないかという漠然とした不安である。もちろん根拠はない。そこでもう一度、運転手に例のプリントを見せると、オゥ、といってそのあと、OKOKとのジェスチャーをみせる。バスは町中に入ると前方からもバスが。運転手氏は、対向してきたバスに合図を送って、止めると、運転手同士で何やら話をしている。その話が終わると、ここであのバスに乗り換えろという。何人かが協力して私たちの荷物を積み替えてくれた。みんな良かった良かったというような笑顔で送り出してくれた。きた道を引き換えることに、乗り換えたバスはさらに老朽化した車体で、フロントガラスには大きなひびが入っているのがすごい。それでもかなりのスピードで街道を疾駆するのだからすごい。やがて件の交差点へ、そこを右折、つまり予想していた方向へと向かった。しばらくするとバスは止まり、この道を行けば目的の宿だと教えてくれた。私たち二人は、荷物を受け取り、砂利道を200メートルほど歩いて無事宿に着くことができた。

 宿のマダム(数ヶ月前に旦那さんが亡くなったとのこと)が出迎えてくれて、うどんをご馳走してくれた。ワンタンの様な幅広の米の麺(センヤイ)がおいしかった。一休みして、カオヤイ国立公園へ向かうことになるが、今日の話はここまで。続きをお楽しみに。