生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

HFMエコロジーニュース109(266)

ブナハアカゲタマフシ
 tmahushi-1通い詰めた地域でも、おやっ?と思う出会い、発見があるのが自然というものである。5月6日、巷間で言われるゴールデンウイーク最終日に当たる日曜日。西中国山地細見谷はほとんど人影もなく、強い日射しにブナの若葉が輝いていた。一年の内で最も明るくさわやかな季節は一瞬にして過ぎ去る。細見谷では冬のあとほぼ半月ほど春となり、その後はもう初夏である。このときを逃せば、雪解けの清冽な冷気と強い春の日射しを堪能することはできない。本当に貴重な季節である。ただ、オタカラコウやウド、などはまだまだクマの食糧となるほどには成長していない。この季節は主に、チュウゴクザサのタケノコが食べ頃でクマが食糧に困ることはない。例年だと、深い雪に押されて地面に倒れているはずのササも今年はすでに直立しており、積雪が少なかったことを物語っている。
 この日は、昨年6月から年間を通して測定してた水温計(テータロガ-)の回収が主目的である。これまで長期にわたる水温データはほとんどなく、地球温暖化が言われる今日において長期にわたる水温変動のデータは貴重な資料となる。ただ、本音を言えばもう10年ほど前からのデータがあればと思うが、今からでも蓄積していく価値はある。というのも、最近とくに河川の水量の反動が大きくなって気がするし、それと共に渓流魚の生息密度が低下し、特に秋の産卵期にそれが顕著に現れているという印象があるからだ。一般にサケ科渓流魚は水温18℃をこえると生存率が激減すると聞かされてきた。そこで細見谷水系の水温の年変動を長期に記録し、モニターすることの必要性を感じたというわけだ。幸いこの作業は食性調査の片手間にもでき、調査費もそれほど掛からない。貧乏NGO向きの仕事ではある。
 まずはデータロガーを設置した細見谷川の支流へ入る。ここはゴギの産卵場にクマがやってくる沢で、貴重なフィールドである。沢筋にそってボタンネコノメソウやチャルメラソウ、ンツドウダイといった野草を観察しながらゆっくりと遡上していくと、ピンクのかわいらしい花のようなものが附けた灌木に目がとまった。どうやらブナのきらしい。が、ブナにこんな色と形の花が咲くことはない。試しに花のようなものを割って中を見てみると、中心部にはブナの
花のようなものが認められた。もしかしたら、花芽にできる虫こぶ(虫癭・ちゅうえい)かもしれない。が、どうもこの毛玉は花芽というより葉の表面とまだ展葉していない芽の部分にできているようだ。
 現場ではなんだかわからないが、おそらく虫こぶということにしておき、帰宅後、検索してみたところ、予想通り、「ブナハアカゲタマフシ」というタマバチによる虫こぶであることが判明した。ただ、どの情報でもブナの葉の上面にできると書いてあるのだが、どうも葉の表面だけでなく、葉柄の基部や花芽部分にも形成されるふうにも見える。それにしても、こんなかわいらしい虫こぶには初めてお目に掛かった。新緑が青空に映え、そのなかにぽつぽつとピンクのぽんぽんがアクセントを添えて、春らしさを一段と演出している。こんな小さな発見もフィールドワークの楽しみの一つである。

編集・金井塚務 発行・広島フィールドミュージアム                              
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HFMエコロジーニュース108(265)オケラを食う-タイの昆虫食

   すっかりなじみが薄くなってしまったケラ(おけらと呼び習わしている)であるが、どんな昆虫か覚えていますか?
昔、子どもの頃によくやっていた遊びの中に、このケラを捕まえて「おまえの○○どーのくらい?」といいながら、すこし指に力を入れると、このケラが前肢をめいっぱい広げる。
なんとも単純な他愛もない遊びだが、なぜかオケラを見つけるとこれをせずにはいられなかったことを覚えている。
 このケラ(おけら)の詳しい情報は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%A9
を参照していただくとして、簡単にその容姿を紹介してみる。なんと言ってもオケラの特徴は、前足にある。地下生活に適応しているためにモグラのような頑丈な幅広のスコップ様の形をしている。
さらにコオロギの仲間でありながら、腹部はビロード状の細毛おおわれて虫のような感触とは一線を画す。
そのなめらかな感触はなんとも気持ちが良い。羽は短く退化し、とても飛べるようなものではなさそうだ。
ただ発音のための装置として残っているようだ。
 そんなオケラはどう見ても食物とは見えないし、食べてみよう言う気はさらさら起きないのが我々、現代の日本人の感覚である。しかし諸外国では事情は全く異なる。
 今の日本では信州の伊奈地方などの一部地域を除いては、そもそも昆虫食そのものが消滅した食文化といえるかも知れないが、少し時代をさかのぼれば、日本各地の山間部でも貴重なタンパク源として昆虫食はそれほど珍しいものではなかったことは、筒井嘉隆著「町人学者の博物史(1987)」や三橋淳編著「虫を食べる人々」(1997)などからもうかがい知ることができる。
このオケラをはじめ、ムチンと呼ばれるオオコオロギやキンバエの幼虫などタイでは比較的よく食べられている。
IMG_4675特に有名なのがタガメなどの水棲カメムシ類で、私は遠慮しているが、好きな人はメロンの良い香りがするといって珍重している。
 質はこのオケラを食べたのは今回が初めてではない。
以前、カオヤイ国立公園でボランティアをしている女子大生たちが私たちの焼き肉パーティーに参加したことがあった。
そのときプラチンブリのマーケットで、彼女らがどこからかオケラの素揚げとおそらくキンバエの幼虫と思われる素揚げのスナックを仕入れてきた。その折に一口試食をさせてもらったことがあり、香ばしくておいしかったことを覚えている。そんな経験をしてからは、このスナックを探し歩いていたのだが、なかなか見つけることができないでいた。それが、このたび、プラチンブリのマーケットで見つけたのである。
 okera-2店は2軒あったがそのうちの1軒を覗いてみた。
どうやら一番右が探していたオケラのように見えた。
店主は若いイケメンのお兄さんである。オケラとおぼしきものを指さして味見を申し出ると、ニコッとほほえんでひとつまみ差し出してくれた。
やはりオケラである。
ただ食感がカリッとしていないので前回食べたものとは違っていた。
しばらく飼うべきかどうか思案していると、運良くお客がきてこのオケラを買い求めていた。てっきり店頭に並べられているものをそのまま売るのかと思っていたら、そうではなかった。その様子を見て、記憶にある食感との違いの原因が氷解した。
これはそのまま売るというのではなく、注文があってから、調理して売るものなのだ。注文を受けたお兄さんは、適量の下処理されたオケラをすくい上げ、香草をまぶすと、それらを脇に準備してある油鍋に投入し、素早く素揚げにする。
カラッとしたところですくい上げ、油を切り、調味料を振りかけて、紙パックに入れて完了。実に手際がいい。
okera-3okera-4okera-5一連の作業を見ていて、決心がついた。続いて私も注文すると、同じく手際よく調理してくれた。料金を払おうとすると、くだんのお兄さんは、にこにこしながら、いらないよ。もっていきなと言う。
ということで、念願のオケラの素揚げをゲットした。熱いうちにひとつまみ口に放り込むと、何とも香ばしく油と塩のコンビネーションが絶妙でおいしい。姿形になれてしまえばなんと言うことはない。かりっとした香ばしいスナックである。
 セミはエビの味というが、これはエビ殻の香ばしさ、天ぷらのエビのしっぽとか頭の部分とかのいわゆるキチン質を揚げた香ばしさである。ポテチチップス感覚に近いが、より動物質の食感。ケビンに帰ってカウチオケラでも楽しもう。
 こんなおいしいものを一人で味わうのももったいないので、同行の皆さんにお裾分けしようとしたら、皆さん生返事ばかりで、食指が動かないらしい。
やはり、昆虫は食べ物ではないという文化圏の人には少々ハードルが高すぎたのかも知れない。
そして店のお兄さんが無償提供してくれたのもこんなところに原因があったのかも知れない。
昆虫を食べたそうにしている風変わりな日本人(イープン)が珍しかったのではないだろうか。
タイの食文化に共感し、勇気を振り絞って注文してくれたと見てくれたのだろう。その勇気に免じて、今回は無償提供しようという気になったのに違いない。
 実においしいスナックをいただいたものだ。これだから旅は楽しい。
異文化を身をもって体験できるからね。
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ニュース107(264)細見谷調査行ーカエル合戦ー

 全国各地で桜の開花が早いという。
 最近の日本の気象が春も秋も短く冬が終わると即初夏となり、長い夏が終わると即、冬というような感じがする。こうした気象の変化が生物の世界にも影響を与えているに違いないのだが、それがどのようなものかすぐにはわからない。
 大型のほ乳類などのようにこうした変化をそれほど苦にせず、乗り越えることが可能な種もあるその一方で、当然、敏感に反応する生物もいるだろうし、対応しきれずに衰退していく種もあるに違いない。
一般的な言い方をすれば、冬の中に秋や春場合によっては初夏が混じり込んで気温の変化が大きければ、外温性生物はかなりのダメージを受ける可能性があるといえるであろう。
たとえば、ヒキガエルのように寒い冬から地温が一定温度に上がると産卵活動を始める種にとって、寒暖の差が大きい冬は不都合である。
産卵をした後で冬がぶり返せば、せっかく産んだ卵が凍ってしまう可能性が高いからである。
 そこで少し早いのだが、3月30日に予備調査をかねて細見谷へ言ってみることにした。

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例年であれば積雪のために4月中旬までは入山できないのであるが、今年の西中国山地では3月下旬にはすっかり雪もなくなり、例年になく早い時期に細見谷へ入ることができた。入山してみて改めて雪の少なさを実感した。3月といえばまだ根雪の下に押しつぶれているチュウゴクザサがすでに直立しているではないか。少なくとも、今まで押しつぶされていましたというがごとく、大雨の後の稲穂のように倒れているのだからまるで5月過ぎの情景だ。
 
 細見谷には雪がないとはいえ、ケモノの気配はまだ感じられない。特にクマはここ数年細見谷で見る痕跡は極端に減ってきている。細見谷でクマの痕跡が目立ち始めるのはブナの花芽やチュウゴクザサのタケノコなどが利用できるようになる5月以降である。とはいえ、何が起こっているかは、実際に現場へ足を運ばなければわからない。だからこそ、この時期に入山できることは大変貴重なチャンスなのである。
 日射しは強くなって入るものの、空気は雪肌をなめてきたかのように冷たい。
水温を簡易測定してみたが、本流では5.9℃、湧水地で7.9℃であった。ちなみに水たまりなどの止水では、20℃を超えるところもあり、太陽の影響をうける場所での水温は大きく変化する。
 実はこの周辺に温湿度や水温のデータロガーを設置し、年間を通じてのデータを収集しており、今回はデータの回収もしようと思っていたのだが、持参したPCのバッテリーが寿命を迎えていたらしく、データの回収には失敗してしまった。
次回以降に期待。
 というわけで早めの昼食をすまし、いつもヒキガエルが産卵する氾濫原内にある水たまりの状況を確認してみることにした。
行ってびっくり、見てびっくり。
 驚くほどたくさんの観点状の卵塊が直径8ミリほどの太さに水を吸って膨らんでいた。bufo-07-1
そればかりか林道上の水たまりにも産卵が確認された。昨年よりずっと多い。むしろ少なかった昨年が異常だったのだろうか。
今年は地温が一気に上昇し、ヒキガエルの活動が一時期に集中したのかも知れない。
に産卵されている林道上の水たまりには一定の傾向があり、近くに比較的安定した大きな止水がある周辺の水たまりがよく利用されているようだ。おそらく水場へ向ながら待ちきれなくなり、ここでもいいやということで産卵をしてしまう個体が少なからずいるのであろう。
卵塊はあれど、カエルの姿は見えない。と目をこらすと、水底に何匹もの死体が沈んでいる。
そこで、池の周囲を探してみれば、なんとあちこちにひからびた死体や骨だけになった遺骸が見つかった。
bufo-10おそらくカラスにでもやられたのであろう。
 残念ながら、この池ではカエル合戦はもう終わってしまったようだ。気を取り直して少し上流域にある別の産卵場も確認してみることに。まだ芽吹きまでしばらくかかりそうな明るい林を歩いていくうちに、遠くからかすかに「フォ、コー、フォ」とやや高い声が耳に届いた。その声はだんだんとはっきりしたものになってきた。
と、目の前の水たまり、林道上にできた水たまりに黄土色の塊がいくつか動いているのが見えた。
それはヒキガエルが団子状にひっつき合ってもがいているものだったが、そのちょっと先からカエル合戦を思わせる鳴き声が聞こえてくるではないか。
いそいでその声の発生現場へ向かう。そこは林道脇にできた10×3mほどの水たまりで、やはり毎年多くのヒキが産卵するところである。ササをかき分けて池をのぞき込んで驚いた。
bufo-11-1そこは黄土色したヒキガエルのバトルロイヤルよろしく、あちこちで組んずほぐれつの修羅場となっていた。
 ここもすでに多くの寒天質の卵塊があるにも拘わらず、さらに産卵が続いている。
どこにメスがいるのか全くわからない。
飛びついてはな馴れ、また別の集団に飛びつく、あるものは陸地へのそのそと帰っていく。ざっと数えても50匹以上のヒキガエルがいそうだ。しかも、どれも体長10センチを超える大物ばかり。
 細見谷にはヒキガエルが多いことは知っていたが、これほどとは。なにしろこうした集団があっちにもこっちにも、つまり、流れの強い本流以外の緩い流れや土石流でせき止められた比較的新しい池のあちこちにこうした集団がいるのだ。
最近、細見谷から生物の気配が消えつつあるが、これを見てまだまだ捨てたものではないと思い直した。
とはいえ、楽観はできない。全体としては、悪化の一途をたどっているのだから。
一刻も早く、西中国山地国定公園の特別保護地区へ指定するよう措置しなければ禍根を残す。
さあ、がんばろう。
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 「ひき鳴いて唐招提寺春いずこ」 という水原秋桜子の俳句がある。本当のことを言えば、これほど賑やかなカエル合戦を見るのは初めての経験だ。ヒキガエルがこれほどまでに鳴くとは思ってもみなかった。せいぜいオスがオスに抱きつかれたときに発するリリースコールを発する程度だと思っていた。ところがオスがだすこの声は、よく見ていると、抱きつかれていないオスもこの声を盛んに発している.どうやら、抱接という繁殖行動の文脈に突入したオスが興奮して発する音声のようだ。
 こうした情景はかつての日本の農山村ではごく普通に見られたに違いない。秋桜子の句は写実であったことを思い知った。だが、今、このカエル合戦は幻となっている。それだけ生物の多様性は失われ、生産力もなくなっているのだ。
bufo-18-1早春のこの時期に、ヒキガエルの鳴き声を聞くことができるとは贅沢なことではある。この贅沢を日本の各地で堪能できる世界を取り戻さねばならない。
「志を果たしていつの日にか返さん」唱歌「ふるさと」の3番をこのように変えて歌わねばならな

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い時代となっていることを肝に銘じよう。物流(金融)栄えて山河なしでは生きてはいけないのだから。
このカエル合戦の模様は「カエル合戦」をクリックしてください。

 

カエル合戦動画は

 

で公開中。

 

ウガンダ紀行ーその5

<キバレへ>
 朝9時過ぎにカンパラを出発して2時間半ほどがたった。すこし空腹を感じ始めてきたところだ。
あと30分も走ればムベンデ(mubende)という町に着く。カンパラから150Kmほどのところにあり、フォートポータルとの中間地点に位置する町である。
地方の中核都市らしく商店が軒を連ねている。車は幹線道から外れ、町の商店街へと入っていく。
町のあちこちに薄紫の花(マメ科の樹木)がほこりっぽい風景に彩りを添えている。
やがて車は町外れのレストラン前で止まり、ここで昼食をとることに。
ここは前回、下見したときにも立ち寄ったレストランで、塩味のスープで煮込んだ鶏肉のおかずと、ごはん、マトケ(バナナ)、ヤムイモの蒸したものの3種類を盛りつけた定食である。
わたしはマトケがどうも苦手である。
img_3373甘酸っぱい、サツマイモにも似ているのだが、この甘さと酸味の組み合わせがどうもいけない。
それに対して、ヤムイモを蒸したものは、ヤマノイモ特有の癖がほどよく、しっとりしたおいしさがある。ということで、私はいつでもマトケを除いたものを注文することにしている。あっさりしたスープとこくのある鶏肉をおかずのアフリカのローカルフードを満喫したのである。

 時刻は午後1時少し前、我々は、キバレへ向けて再び車に乗り込んだ。やがて車窓からの風景は一変し、なだらかな丘陵地帯一面には緑美しい茶畑広がっていることに気がついた。
ウガンダはイギリスの植民地だったこともあって茶の栽培が盛んである。
このあたりは適度な湿度と朝晩の冷え込みもあって、品質の良い茶葉が生産されているという。
 茶畑を貫く幹線道路をしばらく走ると今度はこんもりとした森の中にはいった。
この森がキバレ国立公園の一部なのだという。フォートポータルの手前10kmあたりに、国道をこえて国立公園の一部が張り出している部分がある。まさにその部分なのである。
キバレ国立公園は、ウガンダ南西部、ルエンゾリ山岳地帯の東側に南北に広がる、面積766㎢の公園で北部の森林帯と南部の湿地帯を有し、南部で大地溝帯へと連なる。
 この公園は、チンパンジーをはじめレッドコロブス、アビシニアコロブス(クロシロコロブス)、アカオザルや様々なゲノン類などサル類が多く生息し、その観察には絶好の条件がそろっているが、アクセスの問題やアコモデーションの不備などがあって、チンパンジートレッキング以外ではあまり利用者が多くはなさそうだ。
南部の湿地帯は野鳥観察にはもってこいの場所であるが、同じように利用者は多くはなさそうだ。
私たちの最大の目的は、言わずもがなのチンパンジートレッキングなのだが、オナガザル科の霊長類も魅力の一つである。
 今日の目的地であるCVK(ロッジ)へは、フォートポータルの手前を左に折れて10㎞ほどの距離である。
ということはあと約20㎞、40分ほどのドライブで目的地に到着するはずである。と思っていると車は予定より早く未舗装のあまり広くない道を左へ折れた。
ガイド兼運転手のデウスによれば、こっちが近道なのだそうだ。道がまっすぐに延びていれば、地理的な位置からして近道であることは理解できる。

それに果てしなく続く茶畑の丘陵(写真)を走るのも気持ちいい。
だが、 気持ちいいことは気持ちいいのだが、実は少し複雑な思いもある。アフリカといえば大自然が残る大地という印象を持つ人は多いと思うが、しかし実態は全く逆で、一部の告国立公園や保護区を除いてはほとんど本来の自然は残っていない。徹底的に農地(プランテーション)に転換されてしまっている。
しかもそこから上がる収益の大部分は現地の人々には還元されず、収奪型の農業が蔓延しているからである。
美しい風景の背景には悲惨な実態が隠れているのである。
とはいえ、絶望ばかりしてはいられない。現状を変えるにはまず多くの人に実態を知ってもらう必要がある。このエコツアーもささやかながらそうした目的を持っているのだ。
 ほかに走る車もなく、車は赤茶けた道を砂埃を巻き上げながら、茶畑を疾走する。360度茶畑というところで車を止め、小休止とする。もうすぐそこなのだがそんなに先を急ぐ必要もない。
今日はのんびり行けば良いのだ。おのおのカメラをだしてこの雄大な茶畑風景を撮影し始める。
沼本さんは魚眼レンズを持っているのでそれを借りて畑の風景を撮影してみた(写真)。
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そんな我々を横目に見ながら、バナナを満載した自転車をおして歩く人にであった。
ウガンダで主食となるマトケを栽培し、それを売りに行くのであろう。かなりの距離をこうして運んでいくのだからかなりの重労働なはずだが、そこで手にする現金はいくらにもならないはずである。
 小休止終わり。
 再び車は土埃をあげながら、南下をつづける。とまもなく遠くに森が見え始tea1めたところで、CVK Laleside Resort の看板が目に飛び込んできた。

ここである。CVKとはいったい何を意味しているのだろうか?
実はここは、私の友人の案渓さんが紹介してくれた施設である。
ここの経営者であるRuyookaご夫妻はかつてマケレレ大学で教鞭をとっていた方で、案渓さんとは親しい間柄なのだそうだ。私がウガンダへ行くことを案渓さんに告げると彼は、即座に、「CVKへ泊まりなさい、私の友人が経営しているおもしろい施設があります」と助言とも命令ともとれるようなメールをいただいた。
それにしてもCVKっていったいどんな意味なのか聞いてみたところ、Crater Valley Kibaleの略だという。
確かにここは火口湖のほとりの谷間にある。大変風光明媚な場所である。
ここでRuyookaさんご夫妻は、エコロジー運動の実践として宿泊施設を運営し、数々の環境賞を受賞しているというのだ。
CVKの省エネぶりの一例を紹介しよう。

uganda20120401224写真8はシャワー用の湯を沸かすボイラーであるが、これは利用者自身で薪を割って湯を沸かさねばならない。施設利用の説明時に、シャワーはお湯が出るまでに30分ほどかかると言われたが、その理由がこれである。装置は至ってシンプルでコンクリート製の竈の上に水を入れたブリキ缶をすえただけのものである。我々一行は7名であるから、当然湯は足りない.沼本さんが一生懸命に薪を割って湯を沸かしたのだが、ある一人の女性がそのお湯を全部使ってしまい、沼本さんは汗をかいて水シャワーを浴びるという悲惨な体験をしたのである。部屋もお世辞にもすばらしいとはいえないが、ロケーションはすばらしく、部屋の全面には火口湖が広がり、朝靄に煙る景色はすばらしい。
 とまあ、こんな楽しい体験をしている間に、日も暮れた。明日はいよいよチンパンジートレッキングである。
<続く>
         

HFMエコロジーニュース105(262)

<いざ、サファリツアーへ>
 さて、無事買い物を終えホテル(Shngri-La Hotel)に宿泊した一行はよく3月24日午前9時カンパラを発って、最初の目的地キバレ(Kibale)へとむかった。このサファリツアーは8泊9日間の日程で、ウガンダのサバンナ、湿地、森林で野生動物をじっくり観察するツアーである。カンパラで3泊し、行き帰りの飛行機の中で2泊するので、日本からは13泊14日の長丁場となる。
 日程はおおむね以下の通りである。
1日目 カンパラからキバレへ。宿泊地はCVK(Creater Valley Kibale)
                  http://www.traveluganda.co.ug/cvk/index.html
2日目 午前 チンパンジーの観察   午後 湿地の観察
3日目 キバレを発ちフォートポータルを経由してMweya Safari Lodge(クイーンエリザベス国立公園)へ。イブニングサファリ。
4日目 午前 モーニングサファリ 午後 カジンガチャネル ボートサファリ
5日目 ムエヤを発ち、途中、木登りライオンの観察をしながらブホマ(Buhoma)へ。
6日目 ヴィレッジウォーク@Buhoma 
7日目 ゴリラトレッキング
8日目 ブホマをたってミヒンゴ国立公園(Mihingo)へ
9日目 朝、ホースライディングサファリを楽しんで、カンパラへ戻る
 このように書いてしまえば、ごくごく普通のサファリツアーであるが、さて、どんなツアーになったのか、道中見聞録の始まり始まり。
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 カンパラからキバレへは西へ260km、5-6時間のドライブ。
午前9時少し前、2台のワゴン車がホテルへ到着した。約束をきっちり守っているのに感心する。ともすればアフリカ時間で約束した時間から大きく遅れることも覚悟しなくてはならない場合も多いが、契約したARCは、その辺はきちんとしている。ドライバーは前回下見したときのデウス君である。今回はこれに加えて、荷物専用車も準備しなければならなかった。大型のサファリカー持たない会社なのでそれもやむを得ない。車2台を連ねてのサファリツアーである。高台にあるカンパラのコロロ地区をでて湿地の広がる郊外へ出てると、市街地とは異なる風景が開ける。首都カンパラの中心部は官庁やビジネスの街として庶民の生活のにおいが少ない、ややすました一面を持っているが、こうした高級住宅街を抜けて郊外へ出てくると、一転してバイタリティにあふれた庶民の街となる。街道(国道)にそって、露天か簡単な小屋がけ風の商店が軒を連ねるマーケットに多くの庶民が群がっている。そこではあらゆる物が売られている。靴、鞄(かばん)、ドレス、携帯電話、鶏、バナナ(マトケ=蒸して食べる、芋やカボチャのような味)、豆類、ジャックフルーツやマンゴーなどのフルーツ、炭、肉や野菜などの食料品など何でもそろっている。旅の醍醐味はこうした現地のマーケット(市場)へ出かけてみることにあるのだが、とはいえぽっと出の旅行者がこうした市場へ足を踏み入れるにはかなりの覚悟がいるというか、無事に出てこられるかどうかわからない。現地のヒトと一緒でなければまず無理のようだ。
1 このマーケットの話はまた別の機会に譲ることにして先を急ぐ。
西へ西へと車はひたすら走る。下町の喧噪を離れて更に西へ進むと、パピルスが繁茂する湿地の中を国道が貫いて走っている。パピルスは言わずと知れた紙(ペーパーの)語源となったカヤツリグサ科の植物である。遠目には1mほどの草のように見えたが、実際には3mほどの高さになる。パピルスの茎を薄くそいで乾燥させ、板状になったパピルスを編んで衝立やカーペットに加工するのだが、ここでは天日での乾燥させている過程を見ることができる。
 ウガンダは地球の裂け目として知られた東西の大地溝帯に挟まれた、巨大な盆地状の地域にあって、湖沼が点在する水の豊かな国である。
papirus11_2西地溝帯の西側はコンゴ共和国との国境をなすルエンゾリ山系がそびえており西へ行くにつれ乾燥して赤茶けた大地へと変化してくる。沼地に群生するパピルスは姿を消し、森林(疎林)を焼き払った畑に料理用バナナの畑(プランテーション)が点在するようになる。民家の周辺には日干し煉瓦を積んだ四角い塔のようなものが散見できる。この煉瓦は建築現場でも、赤土を掘って練り、天日で乾燥した後に火入れして作るこもののようだ。新築家屋の軒先で煉瓦造りをしているらしい光景も見受けられる。街道沿いの家々はどれも小さく、簡単な作りのものだが、入り口のドアは鉄製の頑丈な作りになっている。この玄関ドアは規格品であるらしく、ドアだけを道ばたに並べて売っている店をよく見かけた。ウガンダでは商品はみんな道ばたに並べて売っているのが当たり前で、大きなベッドなどの家具もそうして売られている。雨が降ったりほこりをかぶったりすることは気にならないのだろうか。何でもかんでもピカピカにして、傷一つない品質を求める日本人の感覚では理解できない光景である。しかし、そんなきれい好きというか、完璧主義的消費者は世界中探してもそういないのではないかとも思う。あまり完璧を求めることは高コスト社会となり、無駄が多くて合理的でもなさそうだ。これから向かうであろう貧乏時代に向けて、少し傷だらけの人生を楽しんでも良いのではないかと、暑いアフリカで考えた。
 さて、先を急ごう。
 カンパラを出発して2時間半、車はほとんど人家のない道を走り続けている。時折、小さな集落があり、人々が集まっている。そして何もない道ばたにプラスチック製タンクを持った子供たちの集団を見つけた。どうやら水くみに来ているようだ。集落の外れに共同の井戸をもつ集落もあるが、そうした井戸さえない集落も珍しくはない。数キロの道のりを徒歩や自転車で水をくみに来るのは子供たちの仕事らしい。ちょうどトイレ休憩(ブッシュトイレット)もしたくなった頃でもあり、球形がてら子供たちの集まる水場を見学させてもらうことにした。
 水が湧き出ているということで、すんだ水を汲んでいるのだとばかり思っていたが、この道路脇の窪地に水がわき出て貯まっている水は緑茶色に濁っていた。湧き出した水ではあるが決して澄み切ってはいない。これでも貴重な飲料水なのだ。日本国内であれば、どこへ行ってもすんだ水を求めるのにそれほど苦労することはない。したがって水は空気のようにごく当たり前に手に入るものと思いがちである。特に水道の蛇口をひねれば、水もお湯も流れ出るという文明は実にありがたいものだが、そのありがたさはなかなか実感できないくらい当たり前になっている。しかし世界の多くの地域はそうではない。水は生きるために必須のものだが、それを入手するために、どれだけの努力をしてきているか知ることさえ困難な時代である。21世紀はこの淡水資源を巡る紛争が更に激化するであろうことは、多くの人たちの共通認識となりつつあるのに、ふだんその実感さえ持てない状況に身を置いていることは、極めて危険でもあるし不幸なことであろう。
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 この水場周辺は乾燥して荒涼とした草地になっているが、彩りに乏しい褐色の荒れ地にピンポン球ほどの黄色い果実をつけた植物を見つけた。紫色の小さな花も咲いている。花と果実の形から、どうやらナス科の植物らしいと見当をつけたが、何という植物かわからない。海外での観察ツアーでの楽しみはこうした植物との出会いである。とはいえ、多くの場合図鑑というものが手に入らないので検索することもままならない。黄色の果実はフォックスフェイス(角ナスSolanum mammosum)を彷彿とさせるが、角はなく球形にナスのヘタがついているといった案配だ。したがって黄色いイヌホウズキに似ている。 ナス科ナス属の一年草で、学名は Solanum intergrifolium。英名は Chinese scarlet egg plant, Ruffled tomatoに該当するのかも知れないが、確信は持てない。
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 集落周辺は多少の起伏があって、その 丘の斜面の森(ブッシュ)は切り払われ他後に火が入れられ、バナナ畑へと変わりつつある。ウガンダでは主食としてバナナを蒸してつぶした餅(マトケという)?のような物を食べる。ここで栽培されたバナナは、自家消費分もあるが多くは近くの町に集められ、首都カンパラの市場へと送られる。重要な収入源となっているのだそうだ。   やっと、サファリに出かけてきたが、まだ昼飯にもならないうちに紙面が尽きた。
この続きは、また。