生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

野生動物の法獣医学 浅川満彦 著 地人書館 

 

 

歴史と旅のルポライターで数々の難事件を解決するのは、浅見光彦。一方、獣医学の知見を武器に野生動物の死因を解明するのが、浅川満彦さん。 実在の獣医学者(寄生虫学)である。
 近年,野生鳥獣が媒介する感染症(人獣共通感染症)が話題となっているが、つい数十年ほど前までは知る人ぞ知るものだったように思う。
 https://www.niid.go.jp/niid/ja/route/vertebrata.html 参照

 この本の中で一貫しているのは「法獣医学」の普及である。私はかつて日本モンキーセンター宮島研究所(無定員)の研修員として宮島の観光会社に職を得て、ニホンザルの行動の研究をする傍ら、その成果を活かした野外博物館活動に従事していたことがある。ご存じの通り、宮島には野生のシカが生息しているのだが、観光地化が進むにつれて、シカが町に定着し住民や観光客と様々な軋轢を起こしていた。詳しいことは別の機会に譲るが、シカの個体数増加抑制のため?に当時の宮島町はエンクロージャーを設置してオスのシカを隔離するという政策をとっていた。ところが春先に隔離施設内で次々をシカが死亡するという事件が起こったのである。慌てた町当局は、私に死因を調べてほしいと言ってきたのである。獣医でもない私にそんなことはできるはずもなく、動物園に依頼するよう返事をしたのだが、町当局は頑として受け付けず、どうしても観てくれと言って聞かない。それというのも、町当局はもしこれが感染症であれば、観光町として死活問題になることを極度に恐れていたのである。
 やむを得ず、とりあえず観てみましょうということで、渋々解剖してみたところ、なんと、死亡個体の第一胃から大量のゴミの塊がみつかった。第2胃から大腸までは全くの空。要するに餓死であった。その後、隔離飼育場へ行き、骨となった死体を改めてみてみると、胃袋の位置に同じようなゴミの塊が残っていた。原因は観光客の残したゴミや海岸に流れ着いたゴミを摂取したことによる餓死ということが明らかになった。これを機に、町当局はゴミ箱の改善や餌やりの禁止とシカの野生復帰に向けた取り組みを強化したのである。

シカの胃袋に詰まっていたゴミ

 こんな経験をもっているので、この「法獣医学」の必要性は身にしみてよくわかる。その後も宮島の持続的な観光策開発とい観点で、講義や提言をしてきたが、その中で、シカが町中に定着する問題点として、
1.森林の再生を阻害する(食圧の高さ)
2.シカの生存に対する脅威(餓死・交通事故)
3..人獣共通感染症の危険性の増大(糞尿による悪臭、アレルギーなど公衆衛生上の問題を含む)。
の三点を指摘し、これが観光的価値の低下を招くとして、その解決に向けて、シカが野生を回復するような政策の必要性を説いてきた。ただ、こうした提言から実施されたシカの野生復帰計画も、愛護団体を名乗る方々には評価されず、今なお一部で餌やりが続いているようだ。
 こうした経験からも、本書の出版はこれまで望んでいたものがやっと出てきたという思いで、読み進めることができた。
 野生鳥獣の死の背景に潜む危険性や野生動物を取り巻く環境の変化をどのように理解し、生物世界の存在価値に目が向けられるか。そのことを正面から問いかける好著である。「もの言わぬ死体の叫び」なる副題はミステリーを連想させるものだが、科学に裏打ちされており、その推論には説得力がある。読みやすい文章とともに内容に深みがあり一読をお勧めする。
   本書は、野生動物に関わる人だけでなく、いわゆる動物好きの人やペット産業はもちろん行政に携わる多くの人に手に取って読んでもらいたいと切に願っている。

   さて、本書,全6章の内容は読んでのお楽しみということにするが、その章立てだけは紹介しておくことにしよう・
   第1章 なぜ牛大学に野鳥が来る?
 第2章 どのような死があるのだろう? 第3章  身近な鳥類の大量死はなぜ起こる?
 第4章 人間活動が不運な死をもららす
 第5章 哺乳類と爬虫類の剖検は命がけ
 第6章 野生動物の法獣医学とは?
となっている。これだけでも興味をそそるではありませんか。

Web博物館ー細見谷渓畔林3  渓畔林昔話

 細見谷渓畔林は生物多様性に富む貴重な渓畔林であることに間違いは無いのですが、しかし最近の状況を見ていると大分劣化が進んでいるように見えます。一口で言えば生きものの気配が年々薄くなっているということです。生物量(バイオマス)の系統的継続的なデータがないので経年変化の量的な比較ができません。しかしこれまで機会あるごとに訴えてきたように、生物生産の劣化は紛れもない事実なのです。

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黒滝山の周辺(細見谷川左岸)は、かなり人工林に置き換わってしまっている

 今回は、大面積皆伐が行われる前の豊かだった細見谷を知る山崎求さんから聞いた話を紹介します。かつての細見谷周辺の森の様子が少しでも伝われば幸いです。

 山崎さんは旧佐伯町在住で1926年生まれ、長年佐伯町議会議員を務められた方です。戦後まもなく農作業の傍ら、県西部地域で伐採作業にも従事した経験をお持ちの方です。

これまでもいろいろな話を伺ってきましたが、今回は山仕事に関連した部分を手短に紹介します。

 「私は主に、冠山周辺、六日市へ通じる八郎林道や匹見が主な仕事場。その後細見谷にも入りました。細見谷で伐採の作業に加わったのは、昭和32年ごろですかね。十方山林道が開通した後ですから。まだチェーソウが普及する前で鋸(のこぎり)で切り倒していた頃の話です。」

その頃の細見谷の森は今とはどのくらい違うんですか?

「そりゃあ、全然違いますよ。自然林の二三人で抱きつくような大きな樹が至る所にありました。その中で、これはと思うような立派な木を選んで伐採したもんです。だから伐ったあと、山をみてもどこを切ったのか見分けがつかなかった。最近は皆伐でしょう、ひどいもんですよ。山を丸裸にしてしまうんですから、あれじゃ生きものも住めんし、第一水が涸れてしまいましょ。当時は、皆伐なんてしません。すべて抜き伐り(択伐という)ですよ。ブナだったりセンノキ(ハリギリ)だったり、用材になりそうないい樹を選んで、それを切り倒し、。六尺八寸に玉切りにして木馬(きんま)で運び出したものです。太さは三尺(約1m)ほどのものですから、玉切りにしなければとても動かせるものではありません(このサイズの原木重量は1トンを超える)。木馬とは、一口で言えば木でできたソリのようなもので、5ー8センチほどの枝を山道に線路の枕木のようにおいて油を塗り、滑りやすくしておいて、その上を木馬を滑らせて人力で玉切りにした木材を運ぶものです。平坦な所はまだいいのですが下りになると放っておけばスピードが出すぎて成業できず、大事故を招きます。だから下り道はワイヤーでブレーキを掛けながらの命がけの仕事でしたよ。

やがて時代がたつと、木馬ではなく索道とトラックを使って搬出するようになった。

それが、30年以降、チェーンソーが普及してブナなどもパルプの原料としてとして売れるようになると、細い木もみな切り出したもんです。むちゃくちゃですよ。あっという間に山は丸裸になった。こうした皆伐は昭和40年代中頃頃まで続きました。」

 さらに話はさらに続く

「朝早く出かけるときなどは、茂みからガシャと音がしてクマが出ましたね。たくさんいましたよ。他にも鳥のように飛ぶのがいましょ、ムササビかモモンガですかね。木を切ると何故か巣穴から出て人間のほうへやってくるんですよ。だんだん済むところが狭くなって残った森に集まってくるんですね。」

 「それでも斜面の樹は切っても川筋は残しておいた。それば皆伐するようになっても伐った痕が見えないようにしたものです。尾根と川筋は残した。そこを伐ってしまえば山が崩れますからね。それに見栄えも関係しているのかも。とにかく外からは見えないように伐っていましたよ。下山林道ですか、昭和50年代に入ってから、林道をつけて細見谷の周辺を皆伐するようにしたのだろう。」

「ゴギやヒラメ(アマゴ)もたくさんいて、違法だが毒をまいて獲っていた、それくらいいた。飯場では、酒のつまみやご飯のおかず用に、たくさん獲って、火であぶって保存食としたもんです。」

クマは魚を食べてましたか。

「ええ、中道の下の方(小瀬川の支流)では川へ降りて魚をとるクマが多かった。秋の終わり頃、ゴギやヒラメ(アマゴ)の産卵の時期の話です。むかしは当たり前の話ですよ。それとクリですね。佐伯町から吉和にかけて、クリの林が続いていたんです。佐伯からは虫所を通っていくのが主なみちです。近道ですから。そのクリは枕木として切り出された。大正時代から昭和の初め10年ころでしょうか。ずいぶんたくさん枕木を出荷したものです。戦中も枕木をつくって馬を浸かって運んだんです。クリが消えたのはパルプ、昭和30年以降ですね。そうなると10センチに満たない細いものまで切り出したもんです。クリタマバチというのは知らないですね。

中道から飯山に掛けて、羅漢温泉にかけてアマゴを食べるクマがいることは知られていたし当たり前のことで危険視はしていませんでしたよ。クマがいるから山が恐ろしいということはない。クマがいれば音を出しさえすればクマが去って行きますし、恐ろしいなんてことは全くないです。」

川の状況は昔はどうでしたか。

「川は本当に自然のままで、森も自然林ですから水がきれいでおいしい、甘いんですね。ただスギ林になってからの川の水はおいしくないのです。スギ林になってからは、ワサビもだめになりました腐葉土もなくなり栄養は無くなるし、病気もでてほとんど全滅したんです。クリ林の上部には立派なクロブナ(イヌブナ)の林があったんですよ。本島に立派なブナの森でしたよ。クマの爪痕がそれはたくさん残っていたものです。新しいものも古いものもたくさんありました。」

「サルはいなかった。大野にはいたんですがね。明石から宮内にかけてはサルがいるんですが、玖島や佐伯町にもいたんですが、奥にはいませんね。」

という具合にとりとめも無く話は尽きない。体系だった話ではないが、一つ一つのエピソードは事実に面白く示唆に富んでいる。つまり、自然の豊かさの基準が世代を経るごとに低くなっているということだ。   

 特に自然の保全に関わる研究者は自分の知っている自然が基準ではないということに十分気をつけなければなければいけない。環境が変われば当然、暮らしも変化する、食性だって例外ではない。クマは植物質に偏った雑食生だから魚類は利用しなかったという学界の定説もあやしい。利用できる環境が失われたために「利用できなくなる」ことと「利用しない」こととは全く意味が違うのだ。

 クマに限らず、野生鳥獣と人間の関係のあり方を根本的に考え直す必要がある。

 

 

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1979年頃の細見谷の伐採痕、この頃はすでに皆伐事業は終了していた。

 2000年以降、ツキノワグマの生態調査と渓畔林保全活動のために足繁く入山してきたが、細見谷川左岸、つまり十方山系の斜面は大分スギ、ヒノキの人工林に置き換えられてしまっていた。私が広島へ来たばかりの当時はまだ植栽されたばかりで、細見谷へ入る前の林道は乾燥がきつくほこりだらけの道行きだったことを覚えている。それが谷底の渓畔林域に入ると、林道には水が流れるほどの湿地で、大きなサワグルミの樹が印象的であったがそのことは、すでにブログで述べたとおりである。

 細見谷の渓畔林はすんでの所で破壊を免れたのだが、ブナが残る細見谷川右岸の森を歩いてみると、所々に伐採時の痕跡が残っている。もちろん林道沿いには数カ所、造林小屋跡が残っていて、拡大造林事業のかさぶたともいえる傷跡となっている。

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 この2枚の写真はいずれも細見谷川右岸に残されていた伐採事業の痕跡である。索道用の補助ロープをブナの幹に掛けたまま放置したのであろう。やがてブナの成長とともにロープは20年ほどの年月をかけて樹木内に取り込まれたものだ。

 下の写真はトチの巨木に巻き付けられたワイヤーだが、トチノキの生長が遅いのでまだ完全にはワイヤーは取り込まれてはいない。

 細見谷渓畔林の上部斜面には今でもこうした伐採事業の痕跡が生々しく残っている。皆伐後の人工林を今後どのように、生物多様性に満ちた元の森林植生に戻していくか、知恵のだしどころである。

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生き残った本来の景観(森林植生)


 

 

Web博物館ー細見谷渓畔林2 積雪期の細見谷

 

 広島県北西部は日本海に近く、生物地理学的にも日本海型の特徴を持っていると言われている。つまり冬期の積雪の影響を受ける地域と言うことである。細見谷は旧吉和村、現在の廿日市市吉和という行政区に位置している。水系としては太田川水系の源流域にあたる。ちなみに現在の廿日市市は旧吉和村が太田川水系、旧佐伯町小瀬川水系、そして旧廿日市町、旧大野町などは瀬戸内海に注ぐ小河川水系と言った具合に三つの水系を行政区に持っていて、結構複雑な事情があるのだがそれは別の機会に論じよう。

 あまり知られてはいないが、冬の細見谷は2mをこえる積雪がある豪雪地帯なのだ。冬になると吉和側からの車でのアクセス道は除雪されないので通行は不能となる。そこで冬の細見谷へは十方山山系を迂回するというとんでもなく大回りをして北側、芸北町を経由して横川(よこごう)にある恐羅漢スキー場からアクセスするといういつもとは逆方向への道となる。恐羅漢スキー場の駐車場へ車を止めて、そこからクロスカントリースキーをはいて、十方山林道を吉和方面に7Kmほど歩いて細見谷渓畔林へと向かうことになる。これはかなりの重労働なのだ。林道上の雪の状態は必ずしもしまっているところばかりではない。緩んだ雪や水切り周辺では1mを超える断絶があったりと、スキーなどほとんど経験のない年寄りにはつらい。ゆえに60歳を過ぎてからは積雪期の細見谷は入らずの谷となっている。だからこの話はもう十数年も前の話である。

 生きものの気配もなく単調ともいえる見渡す限りの雪景色の中にも、探せば生きものたちの暮らしの痕跡がたくさん残されている。ケモノたちは足跡やフンという形で冬の暮らしぶりを色濃く残してくれている。足跡を観察してその行動や暮らしの一端を推測する、いわゆるアニマルトラッキングも大きな楽しみである。

 そんな痕跡の中でも最も生々しいのが、狩りの痕跡だ。雪の積もった渓畔林の氾濫原で羽毛が散乱しているのを見つけた。美しい尾羽が羽毛からはこれがヤマドリのものだとわかる。大型の猛禽類(おそらくクマタカ)のハンティングの痕跡であろう。襲われて暴れた時に抜けたものだろうか。尾羽と体幹の羽毛だけが残されていた。狩猟者はとりあえず捕まえたヤマドリをどこか近くへ運んで、そこで丹念に羽毛を抜いて処理するのだろう。襲撃痕だけが見事に残されていた。

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 冬の渓畔林ではせせらぎの音も雪に吸収されて静かさが際立つ。しかしその中にも、生きものたちの息づかいが確かに聞こえてくる。

 樹齢400年を超えようかというミズナラトチノキの巨木群も圧倒的な存在感を見せて、静寂な渓畔林の悠久さを演出しているかのようだが、実はその背後に重大な危機が迫っているかもしれない事態が進行している。気象変動による生物生産の減退がそれである。

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 2000年代初頭に大規模林道計画が中止されるまで細見谷は12月中旬から4月までの約5ヶ月間は雪に閉ざされた渓畔林であった。が、最近はどうも様子が変なのである。雪の降り方に大きなばらつきが目立つ。年によっては根雪とならないこともある。そこで2013-14年の1年間冬の気温変動をデータロガーで観測してみたことがある。これをみると気温の変動が激しく、積もっては解けまた積もっては解けということを繰り返していることがわかる。冬の中に春が入り込んでしまっているかのようだ。

 全国的にも同じような傾向があるようなので、これが細見谷特有の現象とは言えないが、こうした温暖化の影響とも思える気象変動は、生きものたちにどのような影響を与えているのだろうか。最近の生物量の減少と無関係とは思えない。

f:id:syara9sai:20220114142530j:plain 冬の気象変動が植物の成長具合に影響を与えるとすれば、あるいは越冬している生きものの行動に変化を与えているならば、たんなる気象変動として看過することはできまい。地球温暖化の影響だとすれば、人類の生存ももはや危機に直面しているといえるだろう。問題を軽く観ない方がいい。

冬の渓畔林

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Web博物館ー細見谷渓畔林1ー生物多様性のホットスポット・

 

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 1992年4月中頃だと記憶している。ツキノワグマのレテメトリー調査をしていた米田さんから誘われて、セスナ機に乗ったことがある。1時間のフライトで一人10000円。米田さんの調査費節約のための協力フライトである。広島県西部の西中国山地上空を飛んでクマに装着した発信器の電波を受信する目的のフライトである。協力者は私と杉島さんの二人、後部座席から景観を観ようという訳で搭乗したというわけだ。その当時はまだ、細見谷渓畔林はほとんど知る人もないようなところだったが、私にとっては特別な場所であった。1977年宮島のニホンザルの行動・生態の勉強をするために埼玉から広島へやってきたのだが、その植生の違いにとまどっていた。宮島の餌付けされたニホンザル以外にも野生の哺乳類の実態を知ろうと、暇を見つけては、大型哺乳類の分布調査を目論んでいた。そしてたまたま十方山林道に車で立ち入ったときのことである。「ここが広島?」という驚きである。林道は水浸し、河川沿いには巨大なサワグルミやトチノキミズナラやブナ。広大な渓畔林が広がっていたからに他ない。 いつかはここが調査フィールドになるかもしれにないという漠然とした予感がしたのである。が、その機会もないまま時間は過ぎた。そんな時だ。この渓畔林を縦貫する大規模林道計画が具体化し始めたのである。突然、反対運動の渦中に投げ込まれたのもあるいは必然だったような気もする。

 運動のいきさつは別の機会に譲るが、野外博物館シリーズ「細見谷渓畔林」の連載を始めるに当たって以前寄稿した雑誌「旬游」の記事を紹介することでその概要を伝えておこうと思う。

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左手の直線上の谷が細見谷渓畔林 山の神から水越峠(南西から北東)を望む

生物多様性ホットスポット・細見谷渓畔林

 島根・山口県境に近い廿日市市吉和の西中国山地国定公園の一角に細見谷渓畔林という一風変わった森がある。 渓畔林とは文字通り、渓流に沿って生育する川辺林のことである。水が豊富な渓畔林にはサワグルミやカツラ、トチノキ、ホウ、シナノキ、イタヤカエデといった多様な樹種が山腹から広がるブナやイヌブナと混生している。多様なのは樹種だけでなく、稚樹から樹齢数百年を越える老齢木まで樹齢もまた多様である。樹種と樹齢の多様性は、生きものたちの暮らしの場の多様性でもある。

 この渓畔林という林は、北海道や東北地方では特に珍しい存在ではないが、こと西日本となると話は別だ。特に中国地方は、古代から製鉄、製塩、製陶などが盛んで、その燃料となる薪や炭が大量消費されたために、原生的自然はほとんど残っていない。中でも渓畔林は徹底的に破壊され、残存しているのは琵琶湖以西では京都府南丹市美山町由良川源流域の芦生原生林とこの細見谷渓畔林くらいのものである。しかも、この細見谷渓畔林は長さ約5Km 幅100-200mほどの氾濫原を有する国内有数の規模を誇る渓畔林なのだ。

 渓畔林が生物多様性に富み、高い生産力を有しているのは陸域と水域の生物が互いに助け合うという相互作用が働いているからだ。山の斜面から川へと移り変わる部分を生態学ではエコトーン(移行帯)と呼んでいる。このエコトーンには様々な形で水が存在している。地下を静かに流れる伏流水、その伏流水が湧出してできる池(止水)やその周辺の湿地、さらには緩やかな表流水や急流など、様々な形で一年を通じて存在する。

 そのためハコネサンショウウオ(分布の西限)やヒダサンショウウオ(分布の南西限)、ブチサンショウウオの3種の類が同所的に生息するなど、両生類を筆頭に多くの水生昆虫類の博物館のような場所となっている。

 その水源は大量の雨と雪である。特に雪は重要だ。細見谷は知る人ぞ知る豪雪地帯である。例年だと12月中旬から翌年の4月中旬までの5ヶ月ほどは雪に閉ざされている。厚く積もった雪のおかげで細見谷川は夏の渇水時にも涸れることなく清冽な流れを維持し、夏場の水温の上昇と渓畔林内の気温上昇を防いでいる。

 しかしながら水は恩恵ばかりとは限らない。大雨でも降れば河川は氾濫し、氾濫原内部で河道が変わることも珍しくはない。サワグルミは洪水によって破壊された部分に真っ先に根を下ろす樹種である。それに対して、トチノキやカツラは比較的安定した水辺でゆっくりと成長し、数百年以上もの年月を経て巨樹となる。安定という言葉は渓畔林には似つかわしくない。破壊と再生の繰り返しが渓畔林の特徴の一つとも言える。こうした動的環境が実に多様な環境を作り出しているということだ。言い換えれば、渓畔林は生物の暮らしの場が多様であるということを意味している。

 細見谷渓畔林を貫く十方山林道(砂利道)を歩いてみると、真夏でさえその空気がしっとりと涼やかなことに驚く。

 春、雪解けを待ってヒキガエルが目覚め、渓畔林のあちこちの水たまりに真っ黒なオタマジャクシが泳ぎ始める。それより少し遅く、初夏の気配が感じられる頃、水たまりに伸びた枝にモリアオガエルの白い卵嚢(らんのう)が目につくようになる。そして夏ともなれば、木漏れ日を浴びてミヤマカラスアゲハの集団が林道のあちこちで吸水しているのに出会う。そして実りの秋。秋は渓畔林に暮らすツキノワグマにとって、大変重要な季節である。越冬や出産を控えて、十分な栄養を蓄える必要があるからだ。実はここにも陸域の水域の生きものたちの相互作用の例が見られる。

 秋にクマはブナやミズナラのドングリが最も重要な食糧だといわれている。確かに大量に実るドングリはクマにとって重要な食糧に一つである。が、一つに過ぎないのも事実だ。クマはドングリよりもサルナシやウラジロノキの甘い果実のほうを好んで食べる。栄養的にもドングリよりフルーツのほうが優れている。しかしそれより優れた食糧、それがゴギやアマゴといったサケ科の渓流魚なのだ。あまり知られてはいないが、越冬と出産を控えたツキノワグマにとって栄養価も高く消化吸収も格段に優れている渓流魚は極めて重要な食資源である。その渓流魚は夏の間に、川面に落下してくる葉食性昆虫を主たる食糧資源としている。渓流魚は実に食糧の6-7割をこうした陸上の虫に依存しているのである。つまり、夏、大量にあるイモムシは川の中に魚としてストックされ、それが秋になってクマの食糧となっているということだ。陸域と水域での見事な循環の例でもある。こうした関係はクマだけでなく、ホンドイタチやタヌキ、アナグマなども秋には魚をあさっていることがわかってきた。

 細見谷渓畔林に暮らす多くの生きものたちは互いに複雑な関係を構築し、支え合って生きている。こうした関係構築過程こそが「進化」と呼ばれる現象なのだ。つまり細見谷渓畔林は、生きものの「進化」の場そのものなのである。

 細見谷には確かにすばらしい景観が残っているが、それは風景として美しいというより、生物多様性の反映としての景観のすばらしさにあるのだろうと思う。

 

以後、随時細見谷の自然を紹介していきます。

くまがしの里とメガソーラー

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正面が葛城山、右手には信貴山、遠くの山並みは吉野の山並み

 小高い丘の上にたつ宿舎の窓からは、黄昏の染まる空に遠く吉野の山並み、そして近くにはなだらかにしてひときわ大きな葛城山が目に飛び込んでくる。よく目をこらすと、優美な葛城山の手前には二上山、その間に金剛山の山頂を望むことができる。そして眼下には夕闇に沈み込んでいく盆地に現代的な町並みが広がっていて奇妙な調和がなりたっている。ここは奈良県生駒郡平群町である。 大阪のベッドタウンとして近年、宅地開発が進み、かつての里の風情は大きく変貌しているに違いないが、それでも町を取り囲む山林がかつての面影を偲ばせるものとなっている。聞けば、平群町では「くまがし」なる言葉をシンボルとしているのだという。講演会場となった市民ホールも「くまがしホール」というし、町のあちこちでくまがしの文字を観る。
 くまがしは熊樫のことで、おそらくシラカやアラカシの巨樹のことを指しているのだろう。おそらく平群盆地を取り巻く山地の至る所に樫の巨木が点在していたことに由来するのだろうが、単に樫の巨樹があったということではなく、この巨樹は土石流などの災害から山裾に暮らす住民を護ってきたという事実が神格化されたものなのではないだろうか。
 このたび、平群町を訪れたのは、「平群のメガソーラーを考える会」のお招きで、生態学的な視点からメガソーラー計画の問題点を考えるための講演をすることになったからである。講演までには少し時間があるので、現地を案内していただいたのだが、現場周辺の細い道を車で走るその車窓から見える風景、小さな河川沿いに開かれた棚田が多いことに少々感動したと同時にあることに気がついた。平群町周辺(生駒山系)の土質は花崗岩を母岩とする真砂土で、これは私のくらす広島地方とおなじである。つまり、土石流が生じやすい土質なのだ。おそらく平群盆地周辺では、繰り返し繰り返し土石流が発生し、大量の土砂を運んできたのであろう。それを利用して田畑を開き美しい棚田の風景を生み出したのに違いない。土石流は確かに恐ろしい災害ではあるが、反面そのおかげで田畑を切り開くこともできたのである。自然の驚異と恩恵、かつての人々の暮らしはその価値を十分知りつつ、自然を恐れ敬ってきたのであろう。こうした地形をよく眺めてみると、斜面全体が崩落しているわけではなく、崩れることなく残る小尾根や断崖にはカシの巨樹が生育していたと思われる。大地にしっかり根を張り、斜面崩落を防ぐかのようにそそり立つクマガシと呼ばれる巨樹は畏敬の念をもってあがめられたに違いない。

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 平群の美しい地形と風景は人と自然との相互作用で形成された風景であり精神世界であり、文化財そのものではないだろうか。そうした視点から見ると、メガソーラー計画はどのようなものなのか。技術の横暴さや資本の横暴さが目立つだけの事業ではないのだろうか。少なくとも地元の暮らしに厄災をもたらすことはあっても恩恵をもたらす存在ではなさそうだ。 自然を破壊し、人の暮らしを支えてきた生産性を奪い、持続不能な経済成長を成し遂げる幻にどのような意義があるのだろうか。ここは幻ではなく「まほろば」がふさわしい。

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大きな山塊が葛城山


 講演翌日の朝
 霞たなびく平群盆地と秀麗な葛城山系の景色にであって、その感を一層強くした。
 今日は、斑鳩の里を散歩して帰広するということで、この地の歴史に詳しいOKさんに案内していただいた。

 講演でいかほどのことを伝えることができたかは定かではないが、工事が一旦停止されている現状から、そのままメガソーラー計画を中止へと追い込み、傷ついた跡地を住民のための豊かな森づくりへと発展していくことを切に願っています。

森林生態系を破壊するメガソーラー・風力発電計画

ナキウサギふぁんくらぶ会報「ナキウサギつうしん No93 」より転載

 

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愛媛県佐多岬半島の尾根筋に林立する風車。近くに伊方原子力発電がある。
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はじめに―再生エネルギー計画の問題点

 2021 年 8 月のお盆は西日本を中心にかつて無い集中豪雨に見舞われ、各地で河川の氾濫、土砂崩れなどが発生しました。この原稿を書いているのはこの災害が進行中のことです。このところ毎年のように日本のどこかで大規模な災害が発生しています。集中豪雨の原因はある地域に積乱雲が連続して発生することで生じる線状降水帯(以前は湿舌などと呼ばれていた)なのですが、そのような気象現象を引き起こす大元の原因は地球温暖化による海水温の上昇による大気中の含有水蒸気量の増大にあります。 この地球温暖化1850年頃のイギリスの産業革命以後の化石燃料をエネルギー源としたことに始まりますが、問題がグローバル化し、気候変動に及ぼす悪影響を回避しようと国際的な脱炭素社会に向けての取り組みが始まっているのは、ご存じの通りです。

  脱炭素社会の肝はエネルギー問題に有りとばかりに政府は脱石油を目指し自然再生エネルギーへと政策を転換させました。メガソーラー発電計画や大規模風力発電計画がそれです。メガソーラー計画では農地や里山を、地上風力発電計画では山地の尾根に大規模な施設を設置することになります。つまり、休耕田や廃田などの農地や里山の森林を切り開き、斜面を削り、谷を埋め立てて発電設備を設置しなければなりません。その結果、大規模な発電所建設に絡んで土石流などの大規模災害が頻発するという事態が生じています。災害を防止するために転換したエネル ギー政策のためにさらなる災害を誘発するとは本末転倒そのものです。

 「自然再生エネルギーは必要ですが…」とは再エネ問題を論じるときに枕詞のように言われるフレーズです。 今日のようにエネルギー大量消費社会を持続させようとすればその通りかもしれません。しかし本当にそれほど大量のエネルギーが必要なのか、そのエネルギーを得るためにどれだけの犠牲が必要なのかを考えると、また別の答えが見えてくるはずです。ですが、ここで再エネの是非を論じるつもりはありません。ここでは森林を破壊することの問題をすこし具体的に考えてみようと思います。

森林破壊と災害の歴史古来から高度成長期までの里山と奥山の森林利用

 まずはじめに、人間の暮らしと森林破壊との関連を振り返ってみましょう。 私が暮らす中国地方は、古来から森林の過剰利用の痕跡が今も残っています。沿岸部では造船の用材に、製塩や日常の薪炭用に、内陸部では窯業やたたら製鉄のために森林は回復不能なほどに切り尽くされてきました。特にたたら製鉄では、大量の炭を必要とし原料の砂鉄は花崗岩の風化土を切り崩し、それを川に流して採取するという鉄穴流(かんなながし)が行われていました。その結果生じた残土で谷を埋め、棚田を造成してきた歴史があります。 中国地方の棚田や瀬戸内の白砂青松という独特の景観はこうして形成されたものです。たたら製鉄にかかわる大規模な森林破壊の結果、中国山地ではニホンカモシカやニホンリスなどの哺乳類が絶滅してしまいました。

 しかしながら、たたら製鉄磁鉄鉱を含む花崗岩地帯に限られ、磁鉄鉱を含まない花崗岩地帯である西中国山地の南西部では依然として豊かな森林生態系が残存していたことは間違いありません。私たちのツキノワグマ調査フィールドでもある(大規模林道問題で話題になった)細見谷渓畔林はその代表例で、西中国山地の生物種のストックとして貴重な存在となっています。

 昭和初期までは伐採した木材の搬出は、河川を利用した水運に依存していたので、滝が連続していたり、川幅が狭い急流が搬出の制限要因として働いていたので奥山における木材生産のための伐採はかなり限定的なものだったようです。

 森林の伐採状況が大きく変化するのは、林道の敷設、チェーンソウや索道の普及とトラック輸送が可能となった戦後のことです。この技術転換がなされる直前の様子を知る古老の話を聞くと、巨木を伐っても伐っても森の様子が変わるということもなく、うっそうとした山にはコウモリ類をはじめ多くのケモノや野鳥、川にはゴギ(イワナ)やアマゴ(ヤマメ) が信じられないくらい生息しており、作業員の食糧として困ることはなかったといいます。

高度経済成長期における過疎化と里山と奥山の森林生態系の破壊

 こうした状況が一変するのは高度経済成長を国是とした 1960 年代のことです。農林水産業主体の産業構造を重化学工業中心の工業国家への転換が森林生態系の破壊を推し進めることになりました。主要河川には発電や工業用水の確保といった利水、災害予防など治水などを目的とした多目的ダムが構築され、森―川―海をつなぐ物質循環系は分断されてしまいました。森林は建築資材の確保のための大面積皆伐が進行し、その跡地には針葉樹への転換を目的とした人工林の拡大やそれに関連して治山のための砂防堰堤が設置され、河川生態系に決定的なダメージを与えることになりました。こうした森林帯の破壊により自然の生産力は大きく減退しました。

 そしてさらに追い打ちをかけたのが、それまで利用されていなかった薪炭の生産などを行っていた広葉樹林(低位利用広葉樹地帯)の樹種転換を目的とする大規模林業圏構想です。全国 7 カ所に設定された大規模林業圏の中核をなす幹線林道(大規模林道)は不釣り合いなほど高規格 の道路で、貴重な森林帯の生物多様性を根底から破壊し、全国各地に大きな爪痕を残しています。取り返しのつかない破壊を招く大規模林道計画に対して、全国で多くの反対運動が展開され、北海道や広島ではこの計画を中止に追い込むことできました。数少ない市民運動の大きな成果です。

 話を少し戻します。1960年代の高度経済成長期になると、自然と人との関係が大きく変化します。内陸部の農山村(中山間地域)に暮らす人たちは、労働力として沿岸部の都市へと移住し、過疎化が進行しました。こうした産業構造の変化はエネルギーの利用状況にも大きな変化をもたらしました。いわゆるエネルギー革命です。その結果、農業生産用の堆肥として、あるいは生活のためのエネルギー源(薪炭)として、そしてまた家屋や農機具など生活に必要な道具の材料として利用されてきた里山はほとんど利用されることなく放置されるようになりました。

 そのことはある意味では里山における森林生態系の復活とも言えるのですが、人間が利用しなくなった里山の生産物(薪炭用の樹木やその果実、農業用の堆肥の原料となる落葉や用材として利用する木材を始め、動物も含めた森林生態系の全ての有機物のことです)は人間に代わって野生動物が利用するようになります。

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人工林の中の沢で発生した土石流は砂防ダムでは止まらなかった。 広島県安芸太田町横川 (2004 年,金井塚撮影)

 一方、奥山ではすでに広葉樹林からスギ・ヒノキへの樹種転換が進み、皆伐地にはダム・砂防ダムが設置され、河川生物相の壊滅的ダメージを受け、山地帯での生物生産量(バイオマス)が低下し、野生動物の暮らしを支えきれない状況となっていました。最近のクマの出没件数の増加にみられるように、多くの野生動物は奥山から人のいなくなった里山周辺を主な生息場所とするようになったのです。これは生態学的にはごく当たり前の出来事です。

 こうした背景があって、今日のメガソーラーや大規模風力発電計画が顕在化してきたのです。つまり生産力を回復してきた里山にはメガソーラー計画が、そしてかろうじて多様性を維持している奥山には大規模風力発電計画が目白押しの状況で、こうした再エネ事業による自然破壊は野生生物にとって存亡の危機にあるということは決して大げさな言説ではありません。そこで次に森林を破壊すると何が起こるのか?とうことについて考えてみます。

生物多様性(Biodiversity)の持つ意味と森林破壊が生態系にもたらす影響

 ここでわざわざ生物学的多様性などという言葉を持ち出したわけを簡単に説明しておきましょう。今日では生物多様性(Biodiversity)と言葉はよく知られた言葉として耳にしない日はないほどです。これは元々生物学的多様性(Biological diversity)という言葉からの造語で本来両者に違いはありません。ところが不思議なことに言葉を簡略にすると概念までもが簡略化され、希薄になるようです。

 一般に生物多様性というと、「生息している生物の種が多様」であるという程度の意味になっているように思います。それも間違いではないのですが、生物は暮らしを持つ生命体でその歴史(進化史)や環境との相互作用までも含めた概念であるということが希薄になってしまうようです。

 それぞれの種にはそれぞれ固有な暮らしがあり、その暮らしを通じて生物間で相互作用を及ぼし合って生きています。つまり森林は一つの極めて複雑なコスモスといってもいいでしょう。例えば、古木に洞(うろ)ができれば、そこはフクロウなどの野鳥類やモモンガ、コウモリ類の巣として繁殖の場となりますし、幹のくぼみですら着生植物の暮らしの場ともなります。枯れた樹は昆虫類や粘菌類をはじめ多種多様な菌類の格好の暮らしの場ですし、水の貯留場としても機能します。森林内がひんやりとしてしっとりとした空気に包まれているのは、植物の蒸散作用に加えてこうした腐った古木の湿度調節機能が働いているからです。安定した湿度は多くの生きものにとって重要な条件でもあります。

 この観点から見ると、林床に積もる腐葉土層も生物学的多様性の極めて重要な要素です。森に降った雨は葉や樹 幹を伝って林床へと流れ下り、腐葉土層に到達します。この腐葉土層にはスポンジのように多くの隙間があり、雨水を貯留します。貯留された雨水は地下へと浸透し、時間をかけて地下水脈へ到達したり、蒸発して林内に戻っていきます。こうして腐葉土層は一年を通して湿潤で地温も安定しており、ミミズなどの環形動物をはじめ粘菌類や腐朽菌類、キノコ類などの菌類はもちろんササラダニ類や小さなキセル貝など普段目に見えない様々な生物が暮らす場となっています。

 このような土壌中の小さな生きものは、食う食われるの関係に加えて落葉や動物の死骸などを食資源として利用するなど、その生産物(排泄物)は別の生きものたちの糧となって最終的には有機物を水と二酸化炭素へと分解するという機能を担っています。その水と二酸化炭素は植物の光合成に利用され樹木の生長に使われます。この生きもののネットワークこそが森林生態系と呼ばれる物質循環系なのです。とはいえ、この物質循環系は森林内に留まるものではありません。森林を流れる川や地下水を通して様々な物質(土砂などの無機物や無機塩類、落葉や生物の排泄物や死骸などの有機物、生物そのものなど)が海へと流れ下ります。川を流れ下る物質には土砂などのように一方通行のものもありますが、多くの無機物や有機物は大気循環や生物の力を借りて森林に戻ってくるものも少なくありません。このように森―川―海には大小様々な循環系があって、生物の世界を構築してます。

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植林した人工林は根張りが浅く、ちょっとした集中豪雨でも斜面崩落 を招きやすい。 広島県安芸太田町横川 (2004 年,金井塚撮影)

 こうした自然は一見すると調和のとれた静的なものに見えますが、実際にはそれぞれの種が環境への働きかけ(生活)をしており常に動いてます。これを動的平衡と言いますが、自然を予定調和の世界とみるのではなく、多くの種がそれぞれの働きかけを通して(相互作用)、動的平衡を保っている世界なのです。ですから森林の小さな破壊や各欄は元の戻る力が働くということでもあります。しかし破壊の規模が大きくなるにつれて、復元には時間もかかり、場合によってはそれまでとは異なる自然へと変化することになります。さらに規模の大きな破壊や改変が起これば復元不能ということになります。

・メガソーラー等は森林生態系の大規模破壊と土石流災害をもたらす

 このようなことを踏まえて、メガソーラーや大規模風力発電事業の問題点を整理してみましょう。かつての古老の話のように、森の中の樹木を選択的に伐採(択伐)し、腐葉土層を破壊しないのであれば、 攪乱の度合いは低く多様性を回復するという効果もあります。しかし広い面積の樹木を全て切り尽くす皆伐では、面積によりますが生物相に与えるダメージは相当なものになります。農地の後背地である里山では、過剰な利用をせず、10-20 年周期での伐採であれば、切り株からでる萌芽による再生(萌芽更新)によって持続可能となるばかりか、小程度の攪乱によって多様性も維持されます。 江戸後期から昭和前期までの武蔵野の雑木林がその典型例です。

 ところが、メガソーラーではかなりの面積で斜面の掘削しますし、巨大風車を尾根筋に設置する大模風力発電では斜面の掘削に加えて大規模な道路の設置も不可欠です。森林内に大規模な道路を敷設することは森林生態系を根底から破壊することになりかねません。道路の敷設だで林内は乾燥化が進行し、林縁部から樹木は立ち枯れることになります(林縁効果)し、掘削や盛り土によるは腐葉土層の消失によって、森の生産物のストックである埋土種子や土壌生態系そのものを破壊してしまいます。こうなると多様性の再生は困難なだけでなく、土石流災害の原因ともなります。かつて山の民の戒めとして「尾根と沢はいじるな」というものがあり、林業関係者の間でもそれは常識でした。尾根筋の伐採や掘削は土石流の原因となることをよく知っていたからに他なりません。また、沢筋も同様で、水辺の生物多様性は森の命ともいわれものです。

 そうした生物学的多様性のイロハもわきまえない、メガソーラー計画や大規模風力発電計画は破壊行為そのものと言えるでしょう。私たちの将来と引き換えにはできません。自然エネルギーも食糧と同様、小規模な地産地消を基本とするローカリズムが肝要なのではないでしょうか。

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開発中のメガ―ソーラー (奈良県平群(へぐり)町) 森林を伐採し、斜面の切土・盛土に より谷筋を埋める。48haの予定地に 6 万 5000 枚のソーラーパネルを並 べるという。 数値偽装の発覚で、現在、工事停 止命令が出ている。 (2021 年7 月,市川利美撮影)



世界自然遺産登勧告ーその是非を問う

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 ついにと言うか、とうとうと言うか、政府から推薦されていた「奄美大島・徳之島・沖縄島北部および西表島」について、IUCN(国際自然保護連合)からの世界自然遺産登録を勧告するとの評価が下された。正式な決定は、この7月に開催されるユネスコ世界遺産委員会の決定まで待たねばならないものの、IUCNの勧告は事実上の登録決定とみて間違いないであろう。
 前回2018年には「登録延期」の勧告がなされ、世界自然遺産登録の夢は一時遠のいたかに見えたのだから、今回のこの決定を受けて、沖縄県国頭村はじめ地元の自治体や旅行関連業界の喜びはひとしおだったに違いない。

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ナショナルジオグラフィックの表紙を飾ったここもエコツアー客でごった返すのだろうか

 彼らの喜びは何に起因しているのかは、はっきりしている。世界遺産ともなれば世界的なブランドとしての地位が手に入る。それはすなわち、国内はいうに

及ばず、海外からの旅行客(インバウンド)の増加など観光業にもたらす莫大な利益が期待できるからという商業的利用が見え透いているからである。それゆえに、この喜びに水を差すようで少々気が引けるのだが、私には素直に喜べないのだ。

 そこでもう一度世界自然遺産の原点に戻って、やんばるの境自然遺産登録の是非を考えてみよう。
 1972 年 11 月 16 日 第 17 回ユネスコ総会

採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」には以下のような条文が見られる。
第12条 「文化又は自然の遺産を構成する物件が前条2又は4に規定する2の一覧表のいずれにも記載されなかったという事実は、いかなる場合においても、これらの一覧表に記載されたことによって生ずる効果は別として、それ以外の点につき顕著な普遍的価値を有しないという意味には解されない」とある。
 簡単に言えば、世界自然遺産登録されようがされまいが「奄美大島・徳之島・沖縄島北部および西表島」の自然が有する普遍的価値は世界自然遺産なのだということである。これは当然のことながら、その価値を認識した時点で国や自治体は世界自然遺産としての保全の義務を追うことになるという意味でもある。
 そこで問題は冒頭に述べた「記載されたことによって生ずる効果」すなわち消費的商業利用をどのように制御するかという登録の評価条件Ⅲに関わる問題である。これについては後述する。まずは登録に値するだけの条件が現地に備わっているかどうかについて考えてみたい。

世界自然遺産登録の基準
 世界自然遺産への登録は次に示すⅠ~Ⅲの条件が満たされている必要がある。
Ⅰ 次の4つの「世界遺産の評価基準〈自然遺産〉(クライテリア)」の一つ以上を満たすこと。
[vii]自然美
最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有する地域を包含する。
[viii]地形・地質
生命進化の記録や、地形形成における重要な進行中の地質学的過程、あるいは重要な地形学的又は自然地理学的特徴といった、地球の歴史の主要な段階を代表する顕著な見本である。
[ix]生態系
陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や動植物群集の進化、発展において、重要な進行中の生態学的過程又は生物学的過程を代表する顕著な見本である。
[x]生物多様性
学術上又は保全上顕著な普遍的価値を有する絶滅のおそれのある種の生息地など、生物多様性の生息域内保全にとって最も重要な自然の生息地を包含する。

Ⅱ 「完全性の条件(顕著な普遍的価値を示すための要素がそろい、適切な面積を有し、開発等の影響を受けず、自然の本来の姿が維持されていること)」を満たすこと。

Ⅲ 顕著な普遍的価値を長期的に維持できるように、十分な「保護管理」の体制が整っていること。
の三つの基準である。まず基準Ⅰについては
[ix]生態系
大陸島における独特な生物進化の過程を明白に表す生態系の顕著な見本。
[x]生物多様性
遺存固有種と新固有種の多様な、世界的に見ても生物多様性保全上重要な地域
という2つの評価基準をクリアしている。これに異論はない。ただし、その意味が遺産登録を目指す人たちに共有されているかとなると、いささか心許ない。例えば、この地域の固有性を例えて「東洋のガラパゴス」と形容してはばからないのがその一例である。
ガラパゴス諸島は南米ペルー沖約1000kmにある火山島で、大陸から隔絶された孤島(大洋島)である。それに対して、沖縄島を含む南西諸島はアジア大陸から分離した歴史をもつ大陸島で、その成り立ちが根本から異なるので、生物相にもその違いが明確に現れている。もし仮に「東洋のガラパゴス」と言うのであれば、それは小笠原諸島にこそふさわしい。それが基準の「[ix]生態系」の意味である。そしてもう一つの意味はもう少しわかりにくい。大陸との関連性を持ちながらも、島として孤立し生物相が隔離されたことによって生じたのが固有性である。そうした模式図は環境省のHPでも紹介されているが、それほど単純なものではない。
 たとえばなぜヤンバルクイナが誕生したのか?その説明の概要は次のようなものである。ヤマネコなど肉食性の捕食者がいない沖縄島に隔離されたクイナは飛ぶ必要がなくなり、飛翔能力を欠くヤンバルクイナが誕生したのだと。この説明で納得する人はどのくらいいるのだろうか。確かにそれば一つの要因かもしれないが、飛翔能力の欠如の説明にしては今ひとつ説得力に欠ける。彼らの生活の場や生活様式が飛翔より地上を歩いたり走ったりすることのほうが適していたという事実に即した説明が必要であろう。そして同じく捕食者がいない徳之島や奄美大島にはなぜ飛べないクイナはいないのだろうか。といった疑問はつきない。この「大陸島における独特な生物進化の過程を明白に表す生態系の顕著な見本」という意味は生物の進化を説き明かすための貴重な財産であり、研究の場であることと理解すべきであろう。なにが固有性を生み出したのか、その進化過程を明らかにすることが求められているはずである。

 ある生物種は暮らしを通じて無機的環境や生物群集という複雑多様な有機的環境との相互作用を経て変化している。
 また、やんばるの自然の固有性は目に見えるレベルにとどまらず、ササラダニ類などの土壌生物、菌類やそれとの共生体(ラン科植物など)などきわめて複雑である。生きることはつまり環境への働きかけであり、結果として環境を変えることになる。その環境が変化変容すれば、それに対して主体たる生物の暮らしも変化せざるを得ない(主体即環境、環境即主体の関係)。こうした主体ー環境の相互作用が進化である。生物は進化するものなのである。つまり進化は過去の出来事ではなく、つねに進行するプロセスであり結果でもあるのだ。であれば、やんばるの固有性も進化のプロセスとして捉える必要がある。そのためには生活の場の保全が必然となる。この認識は基準Ⅱとも大きく関連している。

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 さていよいよ本論に入ろう。前回(2018年)の登録延期となった原因は基準Ⅱ「完全性の条件(顕著な普遍的価値を示すための要素がそろい、適切な面積を有し、開発等の影響を受けず、自然の本来の姿が維持されていること)」を満たしていないと判断された結果である。従って、この基準をどのようにしてクリアするのかが課題であった。今回、登録の勧告となったのは、前回細切れとなっていた推薦地を一カ所にまとめ、米軍北部訓練場の返還地約3700haをやんばる国立公園区域に編入し、特別保護地区を従来の790haから3009haへと拡大した。こうした措置をIUCNが評価した結果なのであろうがそれは自然公園法が保全に有効という形式上、観念的な保全対策に過ぎない。
 完全性の条件のうち、 「顕著な普遍的価値を示すための要素がそろい」ということはクリアしていることは認めるにしても、「適切な面積を有し、開発等の影響を受けず、自然の本来の姿が維持されていること」に関しては、IUCNの認識に疑問が残る。
 前回の細切れ(沖縄の北部20か所)であった推薦地が連続性がないとの指摘を受け、今回はそれらの一つの地域をまとめたことで基準をクリアすることに成功したようだ。このこと自体は一歩前進なのかもしれない。しかしそれは図面上での形式的な連続性を確保したにすぎず、実態は何も変わっていないようにも思える。

<狭い指定域とやまない森林の皆伐>
  「開発等の影響を受けず、自然の本来の姿が維持される」ための「適切な面積」とは一体どれほどなのか、これに対する確たる答えを見つけるのは簡単ではない。ただ一つ言えることは、やんばるの多くの固有種を含む今日の生物相は沖縄島という比較的大きな島で維持されてきたことである。今日のやんばる地域(S-Tライン以北で30000ha)に追い込まれてしまった状況は長い歴史の中でのごく最近の出来事だということだ。決して「適切な面積を有し、開発等の影響を受けず、自然の本来の姿が維持されていること」と断定することはできない。にもかかわらず、自然遺産の登録予定地はやんばる地域の一部に過ぎない。そればかりか国頭村では今なお毎年5ha規模の皆伐が数カ所で行われている。この皆伐はやんばるの自然にどのような影響を与えているのだろうか。
 森林そのものの破壊はノグチゲラヤンバルクイナ、ケナガネズミなど森林棲の野生生物の暮らしの場の喪失であり生存に大きなダメージとなる。森林は進化史を通して多様な種間の相互作用の結果として成立した共生社会である。そこにある枯れ木ですら多くの昆虫類やその幼虫など生活の場として重要な構成物である。こうした生物群にも同様なダメージとなる。そして皆伐後には乾燥化が進み、陸産貝類やササラダニ類など湿潤な環境に適応している微少な生物群に負荷をしいることになるし、伐開地周辺の樹木が立ち枯れるなどその影響は伐開地にとどまらない。特にマイマイ類やミミズなどを食糧源とするヤンバルクイナは破壊された森林を離れ、養豚場の糞尿廃棄物に発生するミミズなどを求めて人間の生産活動に依存する傾向が強まるおそれがあり、これがロードキルを招くことにつながっている可能性もある。
 森林破壊に伴う問題は、ブログ「生き物千夜一話https://syara9sai.hatenablog.com/」で詳しく紹介しているので是非参照していただきたい。ここではやんばるにおける皆伐の背景について一例を紹介するにとどめる。

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 本島最北に位置している辺戸の伐採地はその一例である。観光客はもちろん自然観察にもほとんど利用されていない地域である。ここはやんばる型林業林業生産区域」であり、国立公園の特別地域(第3種)に指定されている。つまり届け出さえすれば森林の伐採はほぼ自由な区域なのだ。国立公園は規制の厳しい特別保護地区と特別地域(1~3種)および普通地域に区分されている。一見、国立公園の特別地域といわれれば、かなり厳しく開発や森林伐採が規制されているとの印象を受けるかも知れないが、実際はそうではない。厳しい規制が敷かれているのは「特別保護地区」だけであり、それに準じる「特別地域」はほぼ何でも出来る地域なのだ。

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 もともと特別地域には1種、2種、3種などの区分は法律で決められているものではなく、政令で定められているにすぎない。つまり一種の通達行政の産物なのかも知れない。第2種、3種ともなると、特別でも何でもないほど規制は緩く、普通地域との違いは届け出がいるかどうかしかない。
 やんばる国立公園は2016年9月15日に指定を受けているが、それに先だって、沖縄県は2014年3月にやんばる型林業ゾーニング案を発表している。
 このやんばる型林業は、それまでのやんばる地域での皆伐などの批判を受けて有識者による審議を経て決定したもので、やんばる地域を、1.自然環境保全区域 2.水土保全区域 3.林業生産区域の三つにわけている。こうしてみると伐採が出来るのは3の林業生産区域だけのように見えるが、実際には1の自然環境保全区域でさえ伐採可能な仕組みとなっている。
 そしてこのやんばる型林業ゾーニングと国立公園の保護地域の区分とは奇妙に一致しており、明らかに公園化に際してこのやんばる型林業ゾーニングに配慮したことがうかがえる。IUCNがこの点をきちんと評価していたなら今回の勧告は違ったものになっていたであろう。
 ただこうした広く保護地域を設定して皆伐を禁止することに対して、「林業」を否定し、地元の産業を阻害する暴論との批判もある。しかしながら、やんばるにおいてはいわゆる林家はなく有用材の生産を目的とする本土のような林業は存在しないし、有用材の生産には不向きなやんばるでは「補助金目当ての偽林業」であることが、これまでの住民訴訟で明らかになっている(やんばるCDONぐりーず)。
 さらに、返還された演習場跡地からは、空砲の残骸をはじめ様々な軍事用品の廃棄物が森林内に放置されているが、この点については、宮城秋乃さんの報告を参照していただきたい。

最期に Ⅲ 顕著な普遍的価値を長期的に維持できるように、十分な「保護管理」の体制が整っていること。
について論じてみよう。
 観光業というものの裾野は広く、交通産業、宿泊関連産業、飲食関係、土産物店や旅行業者など多くの人たちの生業に利益をもたらす。そのこと自体は決して非難されるべきものではないにしても、常に過剰利用の危険がつきまとう。
 これは普段自然保護を看板にしている研究者や保護団体、写真家などにも大きなビジネスチャンスとなる。それがあからさまに見えるところにこの問題の本質の一つがある。登録を期待し歓迎する人たちの真の目的は、「記載されたことによって生ずる効果」にあることは明白である。逆説的になるが、登録しないことこそ、世界自然遺産の意義にかなうのである。
 私は広島県安芸の宮島で長年ニホンザルの行動生態の研究とその成果を生かした博物館活動を行ってきた。またその一環として、タイのカオヤイ国立公園でのエコツアーを10年近く実施してきた。いずれも世界文化遺産世界自然遺産の登録地であるが、登録前とその後とを経験している。まさに「記載されたことによって生ずる効果」の負の側面の強さを実体験したのである。端的に言えば、質の劣化とでもいえようか。あるいは自然を消費し尽くすとも言えるかもしれない。遺産の価値を高めるためには地道な調査研究をベースとした普及活動が必須であるにも関わらず、横行するのは薄っぺらなガイドやエコツアーである。この点に関してはIUCNも懸念を抱いているようで、政府に対して附帯条件をつけているとはいえ、「記載されたことによって生ずる効果」に期待する推進派の人たちには馬の耳に念仏なのだろう。
 基本的に世界自然遺産の意義を全うするのであれば、野外博物館として調査・研究をベースとして、その成果を教育普及活動に生かし、自然保護の意識高揚に努める態勢を整えるのが先であろう。登録はその後の話である。

 

より詳しく知るための参考文献・資料

*やんばるの今と未来-生物多様性保全の視点から考えるー日本森林生態系保護ネットワーク/やんばるDONぐりーず 2014
*ブログ「 生き物千夜一話」 https://syara9sai.hatenablog.com/
*やんばるDONぐりーずhttps://yanbarudonguri.localinfo.jp/

 

絶滅危惧種ー東南アジアの霊長類 奥田達哉

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  昨日、予約しておいた写真集「絶滅の危機種ー東南アジアの霊長類 奥田 達哉」が届きました。異色の経歴をもつ写真家の奥田さんは2年間にわたり、東南アジアの霊長類に焦点を絞って撮影してきたという。

 私も霊長類学を志して50年になるが、その頃から森林棲の霊長類は絶滅の危機に瀕しており、年々厳しさを増している。そんな危機感が奥田さんを東南アジアの森に駆り立てたのだろうと思う。

2年間にわたる撮影記録の中から17種の霊長類を選んだということですが、大変美しくかつ貴重な記録となっています。

 例えば表紙にも登場しているアカアシドゥクラングールは以前、横浜の野毛山動物園で飼育されていたと記憶しているが、見たことはない。2002年タイのドゥシット動物園で見たのが最初であるが、その美しさに感嘆してものである。そのドゥクラングールはかつてのヴェトナム戦争の枯れ葉剤による森林破壊で大きなダメージを受け、その後も商業作物用のプランテーション開発による森林破壊で生存の危機に直面している。加えて大変美しいが故に密猟の危険にもさらされている。そんな絶滅危惧種が見せる野生の息吹が伝わってくる写真集に仕上がっている。樹上で眠っているドゥクラングールは何を夢見ているのだろうか。平穏な明日が来ればいいのだが、と思わずにはいられない。

 話は変わるが、私も2004年から2013年までの10年間、タイのカオヤイ国立公園にシロテテナガザルの観察のエコツアーを行ってきた。このカオヤイ国立公園では、本文でも紹介されているようにポウシテナガザルが同所的に生息している場所として知られている。私たちも公園内のロッジに滞在して観察をしたいたのだが、ボウシテナガザルの生息地は宿舎から10Kmほど離れていて、時間を割いて出かけることができなかったので、この写真集をみてちょっとだけ嫉妬の念を覚えた。少し無理をしてでも行っておくべきだったか、いやいや森林生態学的な視点から生物学的多様性を体験してもらうエコツアーとしてはやむを得なかったのだろうと自分を慰めている。カオヤイ国立公園では比較的楽にシロテテナガザルを観察することはとはいっても、日帰りのサファリツアーではまず無理である。

 樹高も高く一年中葉が茂っている東南アジアの熱帯雨林やモンスーン林の中での観察は意外と難しいものである。ヒルもいればダニもいる。それに加えて政治状況の不安定さも撮影行に大きな影響を与えるだろう。このたびは、タイ、ヴェトナム、マレーシア、インドネシア(スマトラ島)が撮影現場となっているが、例えばインドネシアスラウェシ島のムーアモンキー(スラウェシクロザルの一軍)や、中国大陸のキンシコウやイボバナザルなど多くの絶滅の危機が存在するが、政治的な不安定さや国策などのハードルもあり簡単には取材ができない状況にある。

 

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閑話休題

 このドゥクラングールよりもさらに厳しい状況に置かれているのがデラクールラングールである。明日をも知れぬほど追い詰められているこのラングールはこの写真集以外ではもうお目にかかれないのかもしれない。

 葉に含まれるタンニンで歯が真っ黒になっているテングザルの歯列はまさに葉食性のラングールの面目躍如といったところか。

 ボルネオオランウータンの目つきの鋭さは決して動物園ではお目にかかれない。野生に生きる大型類人猿の貫禄が十分に描き出されている。

 いずれもまさに「生きている」ことが伝わる写真に仕上がっている。素晴らしい一冊といえるのではないだろうか。

 とはいえ、ここが難しいところなのだが、美しいが故に危機が伝わりにくいという問題が生じる。これは著者(奥田さん)の責任では全くないのだが、この美しさの裏にある世の中の矛盾にどれだけの人が気づいてくれるのだろうかといささか心配になる。東南アジアのみならずアフリカや南米の森林は商業的農業の進出によって壊滅的な破壊を受けている。確かに保護区域は設定され、それなりの保護策は講じられてはいるものの、一歩境界を越えれば徹底してプランテーションや鉱業のために破壊されている。SDGsなどと行ってはみても、それも突き詰めればビジネスの方便に過ぎない。

 となれば、この美しい写真集とセットで破壊の現場の写真集もいるのではないだろうか。本文には絶滅危惧の背景が触れられています。これらは現地の問題というより、消費地であるグローバルノース(先進諸国)の問題です。野生動物の密猟はペット需要も無視できません。日本のペット需要による野生動物輸入は現地での密猟圧を確実に高めているし、食糧の輸出は現地でのブッシュミート需要を高め、密猟せざるを得ない状況さえ生み出しているともいえます。

 この素晴らしい写真集が霊長類たちのレクイエムにならないよう、節に願うばかりです。写真集をご覧になる皆さんには、この美しい野生の背景に迫る黒い魔手を見つけてくださるよう希望します。

 

 

馬毛島基地(仮称)建設事業に係る 環境影響評価方法書に関する意見

九州の南端からおよそ40キロメートル南東の海上に平らな種子島という島がある。鉄砲伝来やロケット発射基地(種子島宇宙センター)などでよく知られた島であるその種子島の東10キロメートルほどのところに、馬毛島という無人島がある。今は無人島と為っているが、かつては500人を超える人が住み着いてサトウキビ栽培や酪農などに従事していたという。その馬毛島には、マゲシカというニホンジカの亜種にあたるシカが生息しているのだが、今まさに絶滅の縁に立たされている。
 馬毛島という島は数奇な運命に翻弄されてきた不運な島と言うべきだろうか。
戦後の開拓として入植したものの、水は乏しく、農業に適さない環境の中、離農者が相次ぎ、1980年に最期の島民が離島して以来無人島となったという。以後、この島はある私企業が買い上げ、レジャーランド化をもくろんだがあえなく挫折し、その後紆余曲折を経ながら、最終的には防衛省が買収して今日に至っている(この間のいきさつについてはウィキペディアを参照)。
 防衛省はこの馬毛島に米軍のFCLP基地として提供することにしているが、地元である西之表市では基地建設反対の声も強く、世論は二分している。
 日本を母港とする米軍の航空母艦が出国するたびに、練度を保つためにFCLPと呼ばれる訓練が実施されるのだという。このFCLPが無い間には、航空自衛隊が訓練に使用するのであろうから、静寂が訪れることはほとんど無いのかもしれない。世界自然遺産に登録されている屋久島へもほぼ40キロメートルほどしか離れていないので、戦闘機による騒音に影響から免れることはないだろう。なにしろ、米軍の活動は日米地位協定のおかげで無制限、日本の法制度が適応されることもない。訓練空域から外れようが事故を起こそうが、日本の法支配は及ばない。一端基地ができてしまえば、もうどうしようもない。マゲシカが絶滅しようが、漁業権が侵されようが、騒音が住民の暮らしを破壊しようがお構いなしだ。それがわかっていながら、目先の金に目がくらんだ、一部の利権屋と防衛省は何が何でもごり押しで基地建設のための、アセスを強行しようとしている。
 このアセスに関わる方法書には、本来の環境影響を評価できる内容ではない。すでにひどい破壊がなされた後に、とってつけたような形だけの手続きとなったいる。しかし残念なことに、この手順を止める有効な手立てはない。
 法律の立て付けがそうなっているのだから、止めようがない。政-官-業-学-報-司のハニカム構造を破壊し、新たな国際基準に合致したアセス法に改正しない限り自然も過疎地の住民も蹂躙され続けることになる。

 とはいえ、黙っているのも業腹なので、一応、意見書をしたためて防衛省に提出した。

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   馬毛島基地(仮称)建設事業に係る 環境影響評価方法書に関する意見

                 広島フィールドミュージアム代表 金井塚 務

 馬毛島に建設が予定されている基地建設事業は、すでに防衛省が民間事業者から買収する以前に、同事業者による大規模な違法開発が行われていたという事実が存在する。それ故、今後、防衛省が将来予定している基地建設はアセスを実施しないままに事態が進行していることになる。本来、環境影響アセスメントの意義に照らしてみれば、違法開発以前の状況において評価をすべきである。その手順を省略し、すでに破壊された環境を基準とするアセスメントには何の意味もない。つまり破壊された生物多様性への影響は、予定されているアセスからは導き出せないことは道理である。

1.回避又は低減に係る評価
調査及び予測の結果並びに環境保全措置を検討した場合においてはその結果を踏まえ、対象事業の実施により選定項目に係る環境要素に及ぶおそれがある影響が、実行可能な範囲でできる限り回避され、又は低減されており、必要に応じその他の方法により環境の保全についての配慮が適正になされているかについて評価します。
2.基準又は目標との整合性の検討
また、国又は関係する地方公共団体が実施する環境の保全に関する施策において、選定項目に係る環境要素に関して基準又は目標が示されている場合には、当該基準又は目標と調査及び予測の結果との間に整合が図られているかどうかを評価します。

との文言の実態は空疎なものでしかない。すでに消滅している個体群があるか否かの評価さえできないのが現状である。ここに最大の矛盾が露呈している。
仮にアセスを実施するのであれば、馬毛島の自然状況が破壊以前の状況に限りなく近い状態に回復することを待つ必要がある。現時点でアセスを挙行することは許されない。

マゲシカ(Cervus nippon mageshimae)を例にとって
 面積820㏊という面積は大型哺乳類の生息地としては極めて小さく、常に個体群の存続は危機的といっても過言ではなく、環境省レッドリストに絶滅のおそれのある地域個体群として記載されているのもそのためである。このマゲシカ個体群は、南西日本に生息するニホンジカ同様、カシ類の堅果に依存する傾向が強く、照葉樹林面積や生産力が生存に大きな影響している。中部以北のササ型林床落葉樹林帯のシカ個体群とは異なり、照葉樹林帯のシカは、四肢が短く、オスの角が小さいことなど栄養条件の良くない地域に適応した形態が見られる。特に馬毛島のようにちさな島嶼では堅果類を生産するカシ類の存在は重要である。しかしながら馬毛島はすでに違法な開発事業によって島のおよそ9割が開発され(すでに基地建設が現実化している状態になっている)、個体群の存続は危機的な状況にある。
 基地が開設される以前の現在でも保全の措置が必要であるにも関わらず、基地稼働後は、米軍によるFCLPが予定されている。戦闘機によるタッチアンドゴーは、想像を超える爆音と振動が繰り返し生じる。そのことがシカの個体に与える影響は全く考慮されていない。
 現在日本各地でドローンを利用した獣害対策が始まっているが、小さなドローンでさえイノシシやシカを排除できる可能性が立証されつつある。まして戦闘機が繰り返し離着陸・タッチ・アンド・ゴーは長時間にわたって轟音と振動をとどろかせることになる。
 かつて宮島でニホンザルニホンジカ生態学的研究に携わってきたが、ここでは時折、岩国基地から大型ヘリコプターが飛来し、宮島上空を低空で旋回するということがあった。その時、ヘリコプターの爆音と機影にサルもシカパニックに陥り森林内を右往左往する事態となった。わずかに1機のヘリコプターでこのような状況に陥るのだから、それを遙かに超える爆音と振動はマゲシカ個体群に相当なダメージを与えるであろうことは容易に想像できる。島の片隅追いやられたシカの個体群がパニックに陥れば、逃げ場を失い、滑走路を囲むフェンスへ激突して死亡する事例や海へ逃避して溺死する事例が生じる可能性もある。生活の場そのものの消失と爆音と震動による安寧の喪失は、個体群を消滅へと導く可能性は極めて高いと予測される。
 さらにパニックになったシカがフェンスを越えて滑走路へ進入する事態が生じれば、戦闘機を巻き込む大事故につながる可能性もあり、シカのみならず訓練機や訓練支援のための人員に相当な被害をもたらすことも想定される。
しかしながら、この点に関しては、アセスの項目にすら上がっていない。
以上のことを勘案すれば、この方法書はアセスとしての体をなさないものであることが明らかである。よって、現時点でのアセス方法書の全面見直し自然の回復を待った上で実施することを強く要望する。

カモシカ調査の思い出-下北半島

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上野発の夜行急行「十和田」、今はもうありません。上野から常磐線経由で青森まで12時間ほどの夜行急行だ。座席は硬く、背もたれは垂直の旧型客車で乗り心地はお世辞にもいいとはいえない。一日一往復、19時過ぎに上野駅を出発する。
1976年の頃だったと思う。当時学生で、ニホンザルの生態を追いかけようと奮闘している時だった。私の学生時代はキセルで、入学し、卒業したのはS大学だった。生化学を学ぶはずだったが、どうもなじめず、当時隆盛を誇っていたサル学に関心を持ち、東京N大学で自称客員学生という身分で活動していた。当時の大学はかなり自由度が高く、S大学の先生もそれを許してくれたばかりか、むしろ応援してくれていた。というか、厄介払いされたのかも(はっはっはっ)。
 主たる対象はニホンザルではあったが、周りの学生たちの中にはニホンカモシカを対象として活動しているグループもあった。フィールドワークは時として、マンパワーを必要とする場合があって、個体数調査は特にその典型である。そんな時には、植物屋さんも含めて、互いに協力し合うということもあって、見聞を広めることもできた。
 1970年代は森林破壊がピークに達し、各地で大面積皆伐スーパー林道計画が目白押しということもあって、大学では自然保護講座が台頭してきた時代でもある。特に天然記念物として知られているニホンカモシカはその希少性もあって保護対象動物として注目を集めていた。
 大型哺乳類の生態学はまだまだ初歩の段階で、今日のような調査機器もなく、ひたすら直接観察を目指すか、フンや食痕などの痕跡調査が主流で、個体数調査法の確立はできていなかった。東京N大学や千葉大学の学生たちの中から、カモシカの個体数調査法に関する研究が始まり、私たちサル屋も群馬や青森(下北)の調査に駆り出されたのである。この個体数調査は伐開地を含む森林を一定の広さを、受け持ち区域とし、赤線で囲った地図を持ってその中を歩き回ってその範囲で見つけたカモシカの個体を記録するという、いたってシンプルなものである。分割面積は一人あたりの調査区域を5ヘクタール、10ヘクタール、20ヘクタールに設定して、個体数を数え、それを集積するのだが、一人あたりの受け持ち面積がどの程度あれば信頼度の高い個体数の推定が可能かを検証する実験である。
 そして12月の寒い下北半島、脇野沢での調査に駆り出されたのである。
 その当時上野駅は東北地方から東京への玄関口であった。集団就職や出稼ぎの人にとっては「ああ上野駅」なのだが、私には初めての東北旅行で、ニホンザルの北限の生息地下北やカモシカの姿を想像するだけでなんとなくウキウキしてきたもんだ。
 7時過ぎに出発した列車はゴトゴトと快い揺れ伴いながらのんびりと漆黒の中を進んでいる。そのうち車内のしっとりとした暖かさでうとうとしていたが、何分座席は硬く背もたれは垂直の板なのだから、眠るには不都合である。幸い車内はすいていてる。旅慣れた人たちはいち早く床に新聞紙を敷いて床に寝床をしつらえて足を伸ばして寝ている。見た目には酔っ払いの行き倒れのようではあるが、体を伸ばして寝られるという快感には勝てない。そこでに私もそれを真似て床に寝転ぶとこれがすこぶる具合がいい。床に染み込んだ油のかすかな匂いわ嗅ぎながらウトウトしていると、時々巡回の車掌がやってくるが、なれたもんで、寝入っている乗客をまたぎながら、何事もなかったかのように通過していく。熟睡とまでは行かないが、うつらうつらしているうちに、次第に空が明るさをましてきた。

 朝6時。

 列車は野辺地駅に到着。眠い目をこすりながら、下車すると東北の寒気が突き刺さるように頬をなでていく。ここで大湊線に乗り換え、終点の大湊へ。大湊からはバスで脇野沢へ向かう。脇野沢へは16時間をかけて午前11時頃に到着。本州北端の下北半島には強い北風が吹き付け寒さは一段と厳しい。

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 寒さは厳しいが、下北の自然は素晴らしいものだった。脇野沢から半島南西端の北海崎まで歩き、その周辺の山林での個体数調査が始まる。下北半島はヒバ林とブナ科の落葉樹の混交林で表土層は薄く、火山性の堆積物の地質は滑ることもなく歩きやすい。

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 調査で林内を歩いていると、突然カモシカと出くわすことがある。子牛ほどの大きな体が小尾根の向こうからやってきて目の前を通過していく。写真を撮る間もないが感動の一瞬である。ただ多くの場合、切り立った岩場の上からこちらを見下ろしている場合が、出会いの一般的なパタンである。調査もなれてくると、いつも同じところに同じようなカモシカを見つけることができるし、それ以外ではほとんど出会えないという具合であった。この調査では残念ながら、期待していた下北のサルには遭遇できずじまいであったが、後にこのあたりに生息していた群れは捕獲され、飼育施設に閉じ込められることとなる。

 宿舎から調査地へ向かう海岸沿いの道路からは入り江にたむろする白鳥や通学する少年少女たちとの出会いも楽しいものであった。強風が吹く付け、風花が舞う厳寒の地では私たちは目出し帽をかぶり寒さ対策に余念がないが、地元の子供たちはそんな私たちを珍しそうに見つめているのが印象的であった。
 あれから45年。下北半島とは無沙汰が続いている。もう一度訪れてみたいが、あのときの自然は残っているのだろうか。そして

あのとき出会った少年少女たちも今では立派なおじいさんおばあさんになっているのだろうか。

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