生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

日本の堤防はなぜ決壊してしまうのか-水害から命を守る民主主義へ 西島 和 著 現代書館 1600円+税

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 最近とみに増加している河川の氾濫、堤防の決壊、あるいは土石流による大災害は市民の生命と財産はもちろん、将来にわたる地域の暮らしに大きな不安をもたらしている。
 マスメディアは地球温暖化という遠因を指摘しつつ、ダムや砂防ダムの未整備が直接的な原因であることを暗に指摘する報道も目立つ。しかし、本当にダムを整備すれば大水害は防げるのだろうか。ダム万能論はもはや神話に過ぎないことは科学期にも証明されている。しかし行政はこうした河川の氾濫や豪雨被害を名目に、ダムや砂防ダムの整備に精を出している。もちろん中には災害防止(治水)のためにダムや砂防ダムが必要な場合もあろう。しかし大半は災害を名分にしてダムを設置することが目的化しているのではないだろうか。そんな疑問がわいてくる事例が多い。
 ダム(砂防ダムも含む)は、生物の生存に不可欠な物質循環を分断し、生物生産と多様性を破壊するという、生態学上大きな問題を抱える構築物である。残念なことに生物的自然は無限に再生産するものと言わんばかりに、社会インフラの整備の可否を検討するさいに生態学的な見地は無視され続けている。持続可能性が厳しく問われている21世紀の今日において、これは決定的な欠陥でもある。
 日本の社会的インフラの整備事業には必ずしも必要なものばかりではない。これは誰もが知っている事実なのだろうが、実際にはこうした無駄な公共事業はそれが科学的に根拠がなくともあるいは経済的に効果が期待できるものでもないことが明らかになっても止まることがない。
 なぜだろうか?こんな疑問が当然のごとく湧き上がってくるはずなのに、世間ではそんなものさという冷めた感覚というか、無関心が蔓延しています。どうせ民意は無視される、それが日本の政治状況なのだろう。政権は脱法だろうが違法だろうがやりたい放題なのだが、問題は政府だけではない。
 公共事業は政(府)・官(僚)・業(界)・司(法)・学(界)・放(道)の六環がハニカム構造のごとくがっちり連関し、既得権益を手放さないからである。市民の批判や政策提言はいかに科学的・合理的であろうとも、ほぼ無視されてしまう構造がある。

 官僚組織を維持するためには仕事を作り続ける必要がある。最初にダムを造ると決めると、ダムを建設するための部局が作られる。つまりポストができ予算が付く。そのポストと予算を存続するためには、何が何でも仕事を作り続けなければならない。従ってダムをつくって災害を防止しようとする手段が、次第にポストを維持するための目的となる。地図を眺めて、ダムが造れそうなところを見つけ、理由をこじつけても、鉛筆をなめなめ計画を練ることになる。これが実態ではないだろうか。林道問題ではそうした事態が明確に見て取れた。そんな計画を推進してもうけるのが業界であり、それを後押しする政界である。また問題となる計画にお墨付きを与えるのが御用学者を擁する学会であり、ご用報道である。もし仮に裁判と言うことになれば、司法が行政を追認することとなる。

 こうして政(府)・官(僚)・業(界)・司(法)・学(界)・放(道)の六環の見事な利権のハニカム構造が完成する。
 このような難攻不落の構造に素手で立ち向かってかなう相手ではないが、一つだけ戦う手段はある。それが権利を手にした市民による民主主義の確立である、というのが著者の主張である。お願いではなく、権利としての政策決定への市民の「参加」が重要であるというのだ。
 私はこれまで、広島県の「細見谷渓畔林を縦貫する大規模林道問題」に関わる中で、著者の主張のだだ示唆を実感している。この問題では署名によるお願いや意見書の提出など「お願いの参加」から、条例制定の直接請求、監査請求を通じての住民訴訟と強制力のある権利行使を通じて、大規模林道建設阻止と受益者付加金の行政による肩代わりが違法であることを確認し、その返還に一定の成果を上げることができた。 しかし多くの場合、市民運動は連戦連敗である。その理由を著者は、八ッ場ダム訴訟や成瀬ダム訴訟などを通じて科学的、具体的に暴き出し、その解決への提言をまとめている。
 故に本書は、一般の市民の皆さんに読んでいただきたいと強く感じています。絶望的な状況ではあるが、決して諦める必要はない。かのハニカム構造を打ち破ることができるのは、選挙を通じての権利行使に始まる。政界の構造を変えることができれば、その先の構造も変えることができる。ただし、先の民主党の失敗を真に批判的に乗り越える必要はあるが。と同時に、市民の政策決定に関して参加する権利を自覚し、行使すべく運動を展開していくことも忘れてはいけないことも本書の教えるところである。

目次

はじめに 堤防の決壊から民主主義の課題がみえる

第1章 水害対策における堤防強化の重要性

    あいつぐ堤防の決壊

    水害対策の必要性と現状    

第2章 重要な水害対策が消されてしまう 日本の政策決定プロセス

    「決壊しにくい堤防」はなぜ消されたのか

    堤防の決壊からみえてくる民主主義の課題

第3章 堤防を決壊させない民主主義へ

おわりに 変化のきざしと変化への抵抗

与えるサルと食べるシカ 辻大和著 地人書館

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 久しぶりに生態学におけるフィールドワークの面白さを伝えてくれる本が出ました。実を言うと、この本が出たことを知ってはいたのですが、買おうかやめようか迷っていたのですが、著者の辻さんから、私の子供向け科学読み物「ニホンザル」を読みたいので送ってくださいとの要請を受けて、お送りしたところ、お礼にと、この本を送ってくれました。というわけで、手に取って読む機会に恵まれました。

 一読した後の第一印象は、何かデジャブ(既視感)にとらわれて、これまでの私が書き散らしてきたものをまとめたような不思議な感覚にとらわれたのです。

 例えばサルとシカとの関係や種子散布の問題など特に6章以降はその感が強く、35-40年の歳月を経て私の雑報が蘇ってきたかのようです。

 とはいえ、私の書いたものの多くは、発行部数わずか250部程度の「モンキータイムズ-宮島版」という市販されていない広報誌なのだから、その内容を読んだことのある人はほんのわずかに過ぎないのです。その点、辻さんの著作は定量的な分析を伴って、より勢地学的なものになっていますし、市販もされているのだから、多勢の読者を持つことができますし、是非そうなってほしいと感じています。

 本書でも触れられていますが、近年の大学での研究は必ず数年で結果の出そうなテーマ、言い換えれば測定できるものを対象としたものに偏りがちで、泥臭いフィールドワークに基づく研究などする余地もないようです。そんな環境のなかで、辻さんは金華山島という絶好のフィールドに恵まれ、そこに暮らすニホンザルの暮らしぶりを食物という視点から解き明かしていく様子が、研究者の活動を含めて淡々と語られています。

 私が宮島でニホンザル生態学的な研究をしていた頃、日本モンキーセンターで研修員である私の指導者だった伊沢紘生さんが宮城教育大学へ転出して金華山島での調査を再開していたので、サルとシカが暮らす島における両島の比較調査を提案したところ、やろうやろうということになり、計画案までできたのですが、残念なことに予算が付かずこの計画はご破算になってしまったのです。照葉樹林帯の宮島と落葉樹林帯の金華山島では何がどのように異なるのか、あるいは共通なのか、かなり面白いテーマで、後々屋久島を含めての比較調査もと考えていましたが、残念なことに実現はしませんでした。

 そんな経験があったので、金華山島の様子をこの本で確認できたことは大変面白く、価値あるものでした。

 少しだけいいわけをしておくと、宮島は常緑樹林帯で視界が開けず樹上のサルの行動を観察することはまずできないことや標高差が500m以上もあり、かつ急峻で急崖が多いこと、規制が厳しくシードトラップなどの調査器具を設置することも難しく、仕事上の制約も多いく、金華山島のようにどこまでもサルについて歩くことができない上に定量的な調査そのものができないといったハンディを背負っていたのです。

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花崗岩質の宮島はこのような急崖が多く、とてもサルについて歩けない場所が多い

 その点、金華山島は理想的なフィールドといえるし、粘り強い辻さんの調査で見事に私たちの断片的な調査からの予想を立証してくれています。とはいえ、辻さんも指摘しているとおり、金華山島では見られないエピソードもあることも事実です。 

 例えばサルとシカの関係のなかで、シカからサルへの恩恵の例が無いようですが、宮島ではヤマモモを介して面白い例があります。シカは落下したヤマモモの果実を大量に食べますが、種子そのものはまとめて口から吐き出します。そのヤマモモの種子をサルが殻を割っていわゆる天神さん(種子)を食べるのです。ヤマモモの多い宮島ならではの話です。また、シカはサルのフンを好んで食べます。こうしたことは金華山島では堂なのでしょうか。林床植生の貧弱な照葉樹林ではシカは野鳥を含めた他の動物の動向に常に気を遣って暮らしています。

 いずれにしても、環境の異なる各地でのフィールドワークに根ざした暮らしの解明をしてみたいという若い人が少しでも増えてくれればいいなと思いますし、この本がそうした人たちの良き入門書となって欲しいものです。

 最後に一つだけいいたいことを言っておきます。

前半のニホンザルの社会に関する紹介記事ですが、正直に言えば、やはり第一世代のサル学は乗り越えていないのだなと思いました。

 第一世代を一言で評価すると、ニホンザル生態学的な問題を社会学として解明しようとしてました。第2-3世代の私たちはそれを批判して、社会学的な問題を生態学的に解明するのだとして、行動学をコミュニケイションという視座で解明してきました。

しかしながらその点は、全く議論にもならず、第一世代のサル学は無かったことになっているように見受けられます。その不完全な批判のままの現状が前半のニホンザル社会の紹介になっています。そこはもう少し批判的に捕らえる必要があるでしょうし、若い人たちにももっと考えてほしいところでもあります。

そして、このようなフィールドワークを主体とする長期観察を前提とする生態学はもはや大学には荷が勝ちすぎているように思う。この手の学問には大学に期待するのではなく、生物の生息地を基盤とした生物同士の諸関係をまるごと資料とするフィールドミュージアム(野外博物館)こそがふさわしいのではないかという私の考えを確信させる内容でもある。

 とにもかくにも是非、自然科学、生物科学、生態学に関心のある人たちに読んでほしい一書です。

 目次概要

  1章 めぐり逢い

  2章 サルってどんな動物?

  3章 「シカの島」のサルの暮らし

  4章 サルの食べものと栄養状態

  5章 実りの秋と実らずの秋

  6章 食物環境の年次変動とサルの繁殖

  7章 与えるサルと食べるシカ

  8章 森にタネををまくサル 種子散布

  9章 ところ変われば暮らしも変わる

 10章 私たちとサル

 

 

野生生物保全論を考える-コンゴ共和国 西原智昭著

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西原智昭著 増補改訂版 現代書館 2300円 2020年

 昨今、生物多様性を守るということで、野生生物保全論がもてはやされている。その反面、現実には生物多様性は日々失われているのも現実である。保全論をうたう大学の講座には大きく二つの流れがある。一つは生態学的なアプローチであり、もう一つは環境政策論による社会学政治学的なアプローチである。しかし残念なことにどちらの流れも真に自然の多様性の維持に寄与するものとはいえないのが事実であろう。

 人間も生物である以上、生活していくためには環境に働きかけ、改変してしまうことは逃れようのない必然である。しかし、人間が自然的な存在でありつつも文化を持ち、自然への働きかけはこの文化というフィルターを通して、あえて言うならば文化という外的自然の中で暮らしを成り立たせる、例外的な生物となってしまっているということである。かつて生物としてのヒトは太陽エネルギーによる生産物のみに頼っていたものが、いつの日か、進化の過程で蓄積されてきた太陽エネルギーの生産物(遺産)までにも手をだして高エネルギー消費社会に生きる存在となったってしまった。このことが人類にとっていかなる意味を持つのかを考える間もない早さで進行している。ここに問題の根源があるのだが、しかし現実にはその原則にではなく、今日のやりくりに目の色を変えているのが実情である。

 この本は、そうした保全論の根源的問題を提起し、考えるための指標を提供している好著である。

 内容は

プロローグ

 1.熱帯林とゴリラとの出会い

 2.虫さん、こんにちは

 3.森の中で生きるということ

 4.熱帯林養成ギプス、内戦、そして保全業へ

 5.新たな旅立ち~森から海へ

 6.森の先住民の行く末

 7.ブッシュミート、森林伐採、そして象牙問題へ

 8.海洋地域での漁業と石油採掘

 9.日本人との深い関わり

10.教育とメディアの課題

11.ぼくの生き方~これまでとこれから

12.さらに隠蔽される"真実"

エピローグ

1-3 は霊長類学者としてのフィールドワークにおけるエピソード

2-8 は霊長類生態学から保全業の実践に関わる諸問題についてであるが,それはさながら冒険小説を読んでいるような現実が緊迫感をもって迫ってくる。過酷な保全の現場と現状が伝わってくる。

9-12 は保全の裏側にある真実―社会的政治的諸問題と保全の関係について、人権や文化、経済などが複雑に絡み合う現状に画一的な答えがないという、ある意味絶望感を味わうことになるが、この点こそ、我々自身の置かれている、いわは平和で豊かな暮らしの不都合な真実を直視するところである。

全体を見渡せばほぼこのような内容である。 

 保全論は生態学的な問題である以上に、政治経済上の問題である。このことが問題の解決に大きな困難をもたらしている。ではどうすればいいのだろうか?

経済の持続性は生態系の持続性の可否にかかっている。こうした問題解決の原則は誰にでもわかっている(あやしいけど)。

 日本における保全論の現状は、生態学講座から派生したワイルドライフマネージメントで、野生動物の駆除と防除といったテクニックが中心で、野生生物の生息地の保護ないし回復という視点はほぼ見えない。生態学であれば、生息地や生活実態の把握は欠かせないのだが、実態は恣意的な個体数推定に基づく個体数管理に過ぎない。

 環境政策に至っては、現地の実情を無視した机上の空論のような政策論の展開でしかないように思える。

 それに反して筆者は徹底的に現場主義である。現場を知り、現場に即して考え、解決に奔走する。その過程で見えてくる不都合な真実に悩む。筆者は決して安易な解決策を提示しているわけではないが、日常の暮らしに潜む多くの格差や矛盾に気づくことを求めている。高エネルギー消費に支えられている便利な日常生活の裏にはひどい差別と人権無視の差別が潜んでいることを。アフリカでは日常生活に欠かせない水の確保すらままならない現実、木材の確保やパームヤシ、バナナ、綿花、コーヒー、紅茶などのプランテーション造成の目的でぱ日々失われつつある熱帯林、これらはほとんどがグローバル企業経営の先進国向けの事業である。地元に還元されることはなく、逆に過重労働や差別といった人権侵害が横行する現実。

 厳正に守られている国立公園の外側にはプランテーションが広がる(写真はウガンダ

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水くみは子どもたちの仕事、しかしきれいな水は手に入らない。

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国立公園の周囲はすでに森は切り払われている

 ペットカフェや動物園水族館で飼育される野生動物を確保するためにどのくらいの野生個体群の犠牲を強いているか、などなど、見るべき考えるべき不都合な真実は日常生活の至る所にある。つまり私たちの日常生活はこうした矛盾に満ちたものであるということに気づかされるのである。

 保全論に関心を持つ方も、そうでない方も、この本を手に取って熟読してください。

そして熟考してください。

原始林のたまご

 忘れもしない1991年9月27日深夜、猛烈な風雨で目が覚めた。台風19号による暴風雨でガレージの柱が折れ、それが寝室の窓ガラスを突き破ったのだ。私は鉄鋸をもって外に出て、アルミ製の柱を切断した。家の外壁には飛んできた瓦が突き刺さるなど、大きな被害をうけた。200年に一度の規模の台風との報道があったが、そう思わせるだけの暴雨風雨であった。

 そもそも瀬戸内地方は災害の多い日本列島の中にあって、台風も地震もほとんど無い平穏な地域である。少なくとも関東出身の私たちには平穏な地方である。これほど大きな被害がでたのは、1945年の枕崎台風 以来のことであるから、すくなくとも50年まえにも大きな被害をもたらした台風はあったし、その後1999年、2004年と立て続けに大型で強い台風が襲来した。気象状況が大きく変わった、そのような時代になったといことだろう。

 それはともかく、この台風19号は強烈であった。薄暗い照葉樹に覆われた宮島の森が明るい森へと一変してしまったのだから。

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 上の写真は、風で倒潰した仁王門とその周辺の様子であるが、この仁王門は礎石ごと数十センチも南西にずれ、周囲のアカマツは刀でなぎ払ったように(下の写真)地上10mほどのところで折れてしまっている。相当強い風が吹きつけたに違いない。

 さて今回の話は台風の被害そのものについてではない。宮島の森(瀬戸内海国立)は様々な法令によって厳重な規制がしかれ、木を伐ることはよほどの理由がないかぎり許されない。しかし、台風被害があまりにも大きく、倒れた樹木を処理するの大事である。そこで倒木の枝の一部を切り取って、樹木標本にすることにして、収集したのだが、残念なことにこの時期私は、博物館活動をする職場を追われていたので、宝の持ち腐れ状態となってしまい、処分されることになった。

 そこで、細い枝をもらい受けて、卵形に削り出し、標本もどきを作ることにした。それが次の写真である。

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 現在、手元には9個が残っている。残念なことにラベルが剥がれ、樹種の特定ができないものが多いが、ツガ(前列左端の一番大きな玉子)とネズ(ツガの右上のつやのある玉子)だけその特徴から同定が可能である。それ以外のヤブツバキ、サカキ、アラカシ、ウラジロガシなどは特定することができていない。

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 台風被害を機に多くの標本を作製することもできたはずなのに、だれも気にすることなく倒れた樹木は淡々と処理されて消えていった。なんと残念なことである。ちょっとした気遣いや興味関心さえあれば、様々な資料や教材ができたはずであるのに。登山道を塞ぐ邪魔者程度の認識しか持てない行政も事業者の存在は残念だけでは済まない失政である。

 この玉子は決して孵化することはない。しかし宮島の森の破壊の記憶としてかすかな思い出を残してくれている。

 ツガとネズの針葉樹は堅くて重い。日がたつにつれて色合いが変化し、深みを増してくる。おなじ樹木でも材の特徴は様々であることが実感できるし、机の片隅置いておいてもちょっとしたアクセントになる。

 近所の雑木林で落ちた枝や倒れた樹木があったら、この玉子を作ってみませんか。ナイフと紙ヤスリがあれば簡単に作れます。樹種ごとの木肌の違いを実感することができます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

足下の山の神-倒潰したツガを偲んで

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 私の作業デスクの下には、長さ30cmほどの丸太が転がっている。足置きに便利なもので、特に夏は重宝している。直径10cmほどのツガの枝で堅くて重い。

 2009年4月雪解け間もない細見谷渓畔林の入り口に鎮座する「山の神」の祠の脇にそびえていたのだが、枯れて倒潰してしまった。その枝の一部である。

 1977年、私はニホンザルの研究とそれをベースとした博物館活動(今で言うところのエコツーリズム)を行うために、埼玉から広島(宮島)へ移住した。全く地の利のない瀬戸内地方での知見を得るために、県内でのサルを中心とする大型哺乳類の分布調査を始めた。とりあえずは聞き込みを車で林道を走り回ることに注力することとして、細見谷に踏み込んだというわけだ。

 当時、細見谷周辺は皆伐と拡大造林の末期にありながらも、林道には水が流れサワグルミやトチノキミズナラなどの巨木群を有する渓畔林にすっかり魅了されてしまった。とはいえ、その後私は宮島から離れることはできず、再び細見谷を頻繁に訪れることになったのは、2000年以降、大規模林道反対運動に力を注ぐ羽目になってからのことである。

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皆伐間もない細見谷

 

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1979年頃の山の神周辺、下部中央の針葉樹がこのたび倒潰したツガ

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 西日本有数の規模と生物多様性を誇る細見谷渓畔林ではあるが、2004年の台風以後、樹齢400年以上とも思える巨木群がポツポツと枯死し、乾燥化が進行している。ツキノワグマの中核的生息域でもある細見谷でさえ、近年クマの生息は希薄となりつつある。  

 さて、このツガの樹齢はいかほどであろうか。幹の年輪を計測することは困難なので枝の年輪を数えてみると、およそ90年とでた。直径10cmで90年。枝であることを考慮すれば、樹齢250-400年はたっているのではないだろうか。

  そもそもツガは日本列島の福島以南および鬱陵島など、中間温帯に生育するが、モミが土壌が暑く水気の多いところに生育するのに対して、表土層が極めて薄い岩場に生育する傾向が強い。宮島でも花崗岩が露出する山頂部付近や尾根筋の岩場に多い。細見谷にはそれほど多くはなく尾根筋の岩場に見つかる程度であるが、細見谷川が立野で太田川本流と合流点から少し下流の左岸(打梨集落付近)の岩場に群落がある。
 痩せた土地に根を下ろし、時間をかけて成長するので年輪が密になる。屋久島の屋久杉と同じニッチを形成しているのだろう。

 枝張りがすっきりしていて美しい樹木である。

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長径10cm、短径9.5cm。反対側はほぼ直径10cmの円

 そんな立派なツガの枝を足下において踏みつけているのも不遜ではあるが、 年を経るごとに、いい色合いになっていています。

 不思議とこうしていると山の神の力が体内に伝わってくるような気がするのである。

 「山の神様、これから調査のためしばしばお邪魔しますがよろしくお願いします。また欲ではありますが、調査の安全と十分な成果がありますようお願いいたします。」と祈念して仕事に精をだす。

 アニミズム信奉者の願いであります。

 *皆伐以前の細見谷の様子を聞き取りしたことがありますので、いずれ紹介する予定です。


 

 

 

赤道直下で考えた-コリオリの力の嘘

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 先日やんばる調査の合間に、以前訪れたウガンダの思い出話に花が咲いた。赤道直下でのある見世物についてである。
 赤道とは言わずと知れた緯度ゼロで北半球と南半球との境目である。2度目の訪問はちょうど春分の日を数日過ぎた頃だったので、正午ともなると太陽は頭の真上にあって、日影というものがなくなる。現地の人々も野生動物も強烈な日射を避けようと小さな木陰を求めてそこに集う。

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日蔭を求めて集う

 まさに赤道を体感したのであるが、その赤道直下では、観光客相手に面白い実験をして見せる人たちがいる。コリオリの力を可視化してみせるというものだが、多くの観光客は簡単にだまされてしまうところがまた面白い。事実同行者の幾人かは、この見世物の説明に納得していたのだから。

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 装置は至って簡単なものだ。底の真ん中に直径1cmほどの穴の開いた浅い円錐形の器を台に置いただけのものである。
まずはじめに、この装置を北半球側に10mほど移動しておいて、そこでそこの穴を指で塞ぎ、器に水を注ぐ。水を張ると、よく見ておくように言ってから、水を止めていた指をゆっくりと離す。するとどうだ。水は時計回り(右回り)に渦を巻いて落ちて行くではないか。ついで演者は、この装置を南半球側に移動し、同じことを行う。すると今度は見事に反時計回り、つまり左巻きの渦となって水が落ちていく。
 演者曰く、これがコリオリの力の証明であると。
 そこで、では赤道直下(ラインの真上)で行うとどうなると質問すると、空とぼけて実演してはくれなかったように記憶している。これをインチキだと目くじら立てるのは野暮というもんだ。赤道直下ならではの見世物だし、第一観光客相手の貴重な現金収入なのだから、金持ちの観光客は四の五の言う話ではない。
 コリオリの力というものは確かに存在する。ただしかし、この赤道を挟んで数メートルの違いで水の渦の方向を決めるほど大きなものではない。なぜならコリオリの力は緯度θ(sinθ)と円運動(地球自転)の角速度に比例するので、赤道直下数メートルの違いは無視できるほど限りなく0に近いからである(sin0=0)。
 渦の方向はおそらく指の離し具合を調整しているのだろう。
 こうした楽しい嘘はいいのだが、日常の政治に関する欺しを見過ごすことはできない。ちょっと考えればわかる嘘が毎日のように政府から発せられ、メディアを通じて拡散していく。自ら考えを止めたその先に何があるのか。じっくり考えようではないか。

暇つぶしの散歩―西国街道―

 私の住んでいる団地は宮島の対岸の小山を造成したせいで、団地から見る景色はなかなかのものである。海辺でもあり、高台でもあるので厳島神社の朱の大鳥居も遠望できる。まさにリゾート地かつ適度な田舎で、災害も少なく本当に暮らしやすいところなのである。都会の雑踏の中で日々暮らしている人から見ればうらやましい限りなのかもしれない。
 だが、しかしなのである。散歩に適した環境ではない。それが唯一の大いなる不満なのである。贅沢な不満と言えばその通りなのだが、散歩の途中で、ちょいと蕎麦屋に立ち寄ってとか、お寺の境内で団子をいただくとか、 はたまた町並みを見物しながらぶらぶらとなんて楽しみが得られないのだ。歩くところといえば、新興住宅地。うかつにカメラでも持ち歩いていれば、それこそ不審者として警察に通報されかねない。国道は交通量も多く、ホコリと排気ガスの洗礼を受けなければならない。決まり切った田舎道をひたすら歩く、これが日常の散歩なのである。
 そんな貧しい散歩環境の中ではあるが、ただ一本だけ歴史を感じさせる道がある。西国街道(山陽道)である。ほんの一部だけだが、江戸期の名残ととどめる部分があり、歴史の散歩道として整備されている。

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 現在、広島市から山口県岩国市までは、国道2号線が海沿いに走り、平行してJR山陽本線が敷設されているが、こうした海沿いの道路と鉄道が整備されたのは明治期以降の埋め立てによってである。江戸時代、広島城下の草津--大竹間は海岸沿いに平地はなく、この間の山陽道は連続する山越えの難所であったことは以外と知られていない。
 従って当時の旅人たちは、この山越えの難所を避け、草津から船を出して厳島(宮島)へ渡り、ここで一泊して翌日、又船で大竹(小方)へ抜けるのが一般的であったという。
 そこで宮島が多くの旅人の休息地となり、待ちには色街などもできて繁盛したという。(この辺の事情は「宮島のシカとサル-シカザル人形と色楊枝」 を参照してください。)
 長崎へ遊学した司馬江漢も途中このようにして宮島へ立ち寄っていたようである。司馬江漢の書き残したもの(『江漢西遊日記』) にも記録が残っていると記憶している。

 つまり、わが大野の歴史の散歩道は難所故にパスされてしまった場所なのかもしれないが、それでも幕府の長州征伐の戦場となったりとそれなりに歴史的なイベントに関係している道でもある。

  そんな歴史的な道を新型コロナウィルス肺炎の影響で、通っていたジムをやめ、運動不足が目立ち始めたので、やむなく散歩をする羽目になった。ということで、今日は由緒ある歴史の散歩道を歩いてきた。
 家をでて団地の西へと坂を下る。途中団地の公園にはマテバシイが植栽されていて、昨年受粉した若い果実(どんぐり)が膨らみ始めていた。その先の今年の枝には雄花の花穂が伸びている。それを写真に収めて、先を急ぐ。

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 小高い団地の西側には永慶寺川という小さな川が流れているのだが、ここは貝塚の存在が示すように、かつては入り江であったが、次第に花崗岩が風化した真砂土が堆積して陸化した所である。筏津、水口、鯛ノ浦などという地名がその名残をとどめているが、江戸期から明治、大正期に地元の有力者たちの干拓事業によってさらに陸化が進んた低地である。陸地となったとはいえ、現在も台風や集中豪雨などでは浸水の心配が絶えない地域でもある。最近宅地化が進んでいるが、古い地形を知っていれば、ここに住居を構えることは控えるに違いない。

 それはさておき、西国街道はこの川沿いよりやや西側の山裾の小高いところを通っている。 西国街道へは新幹線の高架をくぐって、永慶寺川にそって小学校のほうへ歩く。 川沿いを歩いていると、ぼしゃぼしゃと川の中を動くものを見つけた。目をこらしてみると、大きなクサガメではないか。周りを見るとさらに2匹の亀が岸辺で甲羅干しをしている。長閑な光景に気分もよくなる。甲良長30センチはあろうかという大きな亀である。かつてオオサンショウウオがいた川だからこの程度では驚かないが、なんとなく得をした気分になる。

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 昨日の雨も上がり、日が差してきて暑い。が、やや強めの風が吹いており、心地よい。まさに風薫る五月である。
 新興の住宅地を抜けて、歴史の散歩道に入る。一部は拡張されてその趣はないものの、少しばかり行くと、昔の街道とは思えない田舎道が現れる。これが西国街道である。

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 街道の法面には薄青色のオオイヌノフグリマツバウンランが咲いている。その先には石垣が築かれており、三槍社という社がひっそりとたたずんでいる。いつ来ても手入れが行き届いているのは、地元の人たちの努力がしのばれる。

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 さらに行くと、街道の左手(東側)には新幹線の高架越しに宮島が見える。このあたりはアラカシやツブラジイ、ヤブツバキなどの常緑広葉樹が優占する植生帯であるが、戦後の食糧難を解消するためにタケノコの缶詰用に孟宗竹を植栽したという。現在ではその事業も消滅し、残されたタケが森林内へ侵入し、タケ林へと変貌している。タケの枯れ葉が風に吹かれて舞っている。竹秋(これは陰暦3月のころというから少し遅い)か。

西国道のたりのたりと竹の秋-写楽

黄金色の竹の葉が路傍を覆っている。道はまっすぐ南へ伸びている。

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 日陰のない畑道からうっそうとしたカシの森へと道は続く。路傍のエノキには若い実が膨らみ始めている。このあたりの森は人家に接しているので、植栽種も混じり込んでいる。日当たりのよい林縁には、シャリンバイの花が満開であった。ヤマグワは、まだ未熟な果実がたわわに実っている。

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 道は突然、舗装道路に。そしてそこには鮮やかなオオキンケイギクの群落が。
在来種と外来種が混在している。
 美しいという基準で植栽される植物に罪はないが、大いに考えされられる風景ではある。

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 帰りにちょいとドラッグストアに寄り道して、頼まれていたドライイーストを購入して帰宅。およそ1時間強の散歩でした。

クマにあったらどうする?マニュアルを信用するな!

 この秋はクマの話題に事欠かない。今年は特に都市部へのクマの出没と人身事故の多発しているという。私のところへも時折新聞者やテレビ局から取材がある。多くはその原因についての見解を求める内容なのだが、必ず、「クマと出会ったらどうしたら良いのでしょうか」という質問が必ずついてくる。

 そのたびに、私はこう答えている。「ケースバイケースですから、定型型のマニュアルはありません。もし仮にクマと出会って冷静に対処できる能力のある人であれば、アドバイスは不要で、そうでない人(たいていの人)は、緊張や恐怖のあまりマニュアルなど思い出すまもなくパニックに陥ります」というと、当然ながらそのコメントはまずカットされてしまうのが落ちである。

 今日、2019年11月12日付けの中国新聞くらし欄にも「クマにご用心、山中での心得」という記事を見つけた。その内容はいつもの通り、・遭遇を回避 鈴やラジオで音出す ・出合ったら 目を離さず後ずさり というもの。

 これらの対応は間違いというわけではないが、だからといってけっして正解でもない。なぜならクマは生きものだからその場その場の状況によって心的状況におおきな違いがあり、その結果としての行動も千差万別となるのは至極当たり前のことなのだ。ましてや哺乳類ともなれば、場の状況を読み、それに対応した対処をするものである。画一的な行動パタンがあると見るのは極めて非科学的で有り、危険でもある。

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 出会いの状況次第

 たとえば、春の山菜採りや秋の茸狩などの場合、たいていの場合多くの人は捜し物に熱中し、周囲の動静に無頓着な状態にある。クマも同様であれば、こうした場合の人とクマの遭遇は至近距離でいきなりというケースが多い。であれば、人もクマも冷静であるはずもなく、お互いびっくりしてとりあえず目の前の危険を除去しようとする。当然、力が強く頑丈なクマにど突かれて大けがを負うということになる。

 あるいは渓流釣りに来ていて、たまたま生まれて間もないクマの子が釣り人に興味を抱いて接近してきたとしよう。それに気づいたクマの母親は、コドモを守ろうと必死になって釣り人を排除しにかかる。これも大けがの元となる出会いである。

 一方、私たちのようにクマを求めて穏やかに山を歩いていると、思いがけずクマに出会うことがある。こうした場合、出会い頭ということはほとんどなく、先にクマが私たちの存在に気づき、こっそりとその場を去るということになる。あるいは、採食現場に出くわせば、私たちも無理な接近をせずに一定の距離を置いて観察を試みるので、クマも比較的落ち着いて、それまで通りの行動を続けるということも少なくない。

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 逆に有害鳥獣駆除などでは、多くのハンターがクマを取り囲むように接近するなど緊張した場の状況での出会いとなる。こうなれば互いに命をかけた出会いの状況であるから当然、人もクマも攻撃的とならざるを得ない。私たちのハンターの方との出会いにおけるクマ観の違いはそこにある。

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 もう一つは、パニックに陥ったクマとの遭遇である。最近の事故はこのケースである。クマが住宅地へ入り込んでくるのは多くの場合、餌を求めてのことである。こうしたケースは近年顕著になってきた。住宅地近辺に暮らしているクマであっても、実際に市街地へ入り込んでくると、右も左もわからぬ未知の土地である。当然、緊張している。そこで人間と出会ってしまうと、さて、どう対処して良いものかわからぬうちに騒動となりさらにパニック状態となる。見る人見る人が恐ろしく、敵前逃亡すべくど突き倒して逃げる。その連鎖がおおきな事故となる。冷静に事態を評価すればそうなる。

 そしてクマが市街地へやってくるにはそれなりの理由(背景)があるのだ。

 クマの生活環境の変化

 今のクマはもはやかつてのクマではない。クマを見るなら奥山へというのが多くの人の見立てなのではないだろうか。かつてはその通りだったのですが、現代ではそうではありません。クマを見たければ過疎の村へというのが偽らざる事実なのです。

 広島県では西中国山地にクマの中核的生息地があるとされています。私たちがフィールドにしている細見谷渓畔林流域はそうした中核的生息地でした。でしたと過去形で記述するのにはわけがあって、どうも最近では中核的生息地とは言えないのかも知れないという疑念が生じてきたからです。

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 この図を見てください。西中国山地のクマの生息域の変化を示したものです。最初の生息域調査は1979年のもの。このときは西中国山地にほぼ限られていました。有害鳥獣駆除の統計記録では、1975年ころからぽちぽちと集落に出没するクマが認められるようになり、それ以降は年ごとに駆除個体数が増加してきています(HFMエコロジーニュース111 参照)。

 2019年現在では、東広島市三原市尾道市府中市神石郡あたりまで広がっていると思いますが、その広がりの中に一様にクマが生息しているわけではありません。クマの生息数の推定値は中核的生息地の生息密度をある係数を生息面積に掛けて算出しているので、面積が多くなればそれに比例して推定値は大きくなり、過大に見積もる傾向があります。基本的に個体数推定の手法は確立されていないので、生息数の中央値を過大評価してはいけません。せいぜい一定の傾向をみることしか出来ないのが現状なのです。

 詳しいことは省きますが、1970年までの大面積皆伐、拡大造林策によって、国有林、民有林の広葉樹林の多くがスギ・ヒノキの人工林へと置き換えられてしまいました。同時に河川本流には利水を目的とした大きなダムが、支流の小河川には隅々まで砂防ダムが設置され、河川生態系は壊滅的な破壊を受けました。特にサケ科のゴギやアマゴは激減し放流しなければ姿さえ見られないような状況となっています。それまでは、秋の産卵期になると源流部の河川一体にはゴギやアマゴで水面が盛り上がるほどだったといいます。話半分としてもかなりの渓流魚やサンショウウオなどが生息していたことは間違いありません。クマは毎年産卵にやってくる渓流魚をいとも簡単に捕まえ、越冬前の栄養源としていたこことは想像に難くありません。

 こうした安定した水産資源が枯渇すると、クマたちはサルナシやウラジロノキなどの液果やブナ科のドングリ類に頼らざるを得ません。植物質の果実は毎年同じように実をつけるわけでもなく、豊凶の繰り返しです。しかも、動物質と比べ栄養価に乏しいとなれば、当然、クマの行動域は拡大し、生息域も拡大せざるを得ません。

 折しも中山間地域では、若い人たちを中心に都会へと移り住む人が増え、過疎化が進行します。と同時に里山と呼ばれる農業生産のための資源林はその役割を負え、放置されることになります。農業用の肥料に炊事等のエネルギー源に道具や住宅の資源として利用され尽くしていた生産物は不要なものとなりました。となればその生産物は野生動物が利用するというのは理の必然です。過疎の二次林は野生動物の生活の場へと変わったのです。

 そんな変化が顕在化してきたのが1990年代です。広島県の旧戸河内町では、この頃からクマの出没に頭を悩ませられてきました。盛んにクマフォーラムなる集会が開かれるようになったのです。

 そのころから既にクマは過疎地周辺の二次林をよりどころとしてくらし始めたのです。生息域の変動を見るとその拡大していく状況がよくわかります。

 こうして奥山から二次林(里山)へ生活の場をシフトさせてきた個体群はそこで再生産を繰り返していくうちにそこが彼らの故郷となっていきます。そして過疎化の進行と打ち捨てられた果樹園、廃田や休耕田の森林化とともにさらにクマの生息域は拡大を続けます。

 こうしてクマたちは市街地にほど近い二次林で暮らす内に、人との接触を深め、人のいることに慣れっこになります。待ちの景観も車の存在も、騒音もそして食糧も人間の廃棄物などを取り込んでいくようになり半都市生活者的なクマとなっています。

 一方、奥山では近年野鳥の声も聞こえぬ沈黙の森と化しています。森にも川にも生物の姿は薄く、とうていクマが豊に暮らせる場ではなくなっています。クマの食痕も爪痕もフンもほとんど見つからないのが現状です。

 広島・島根・山口三県共同の保護計画には、クマの中核的生息地の生息密度が回復するような森作りを促すことが盛り込まれていますが、残念なことに予算措置はなされていません。一日も早く、豊かな森林を回復し、クマが安定して暮らせる場を取り返すことが何よりも重要ではないでしょうか。それは私たちの将来の安全保障問題でもあります。

 

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やんばるの森事情・番外編

f:id:syara9sai:20190918152515j:plain ときおり大粒の雨が激しくたたきつける中、やんばるでの伐採地の視察を行った。今年(2,019年度)の国頭村村有林の伐採予定地は3カ所。宇嘉2.00ha, 宜名真2.00ha,と辺土の3.00haである。このうち前2地区、宇嘉と宜名真の森林は林道沿いの一部はリュウキュウマツの混交する二次林であるが、内部をつぶさに観察してみると沢筋の急斜面にはかなり古いイタジイが生育している。この2カ所は林道沿いでもあり、比較的目につきやすいせいなのだろうか、伐採はまだ始まっていない。

 今年の10月には、やんばる地域を含む南西諸島の世界自然遺産登録の可否の鍵を握るIUCN(世界自然保護連盟)の現地視察が予定されていることもあってのことなのかもししれないと思いつつ、最北の辺土の予定地へとむかった。そして目にしたのが前掲の写真の光景である。

 この辺土の伐採地は本島最北に位置しており、観光客はもちろん自然観察にもほとんど利用されていない地域である。ここはやんばる型林業林業生産区域」であり、国立公園の特別地域(第3種)に指定されている。つまり届け出さえすれば森林の伐採はほぼ自由な区域なのだ。国立公園は規制の厳しい特別保護地区と特別地区域(1~3種)および普通地域に区分されている。一見、国立公園の特別地域といわれれば、かなり厳しく開発や森林伐採が規制されているとの印象を受けるかも知れないが、実際はそうではない。厳しい規制が敷かれているのは「特別保護地区」だけであり、それに準じる「特別地域」はほぼ何でも出来る地域なのだ。

 もともと特別地域には1種、2種、3種などの区分は法律で決められているものではなく、政令で定められているにすぎない。つまり一種の通達行政の産物なのかも知れない。第2種、3種ともなると、特別でも何でもないほど規制は緩く、普通地域との違いは届け出がいるかどうかしかない。

 やんばる国立公園は2016年9月15日に指定を受けているが、それに先だって、沖縄県は2014年3月にやんばる型林業ゾーニング案を発表している。

 このやんばる型林業は、それまでのやんばる地域での皆伐などの批判を受けて有識者による審議を経て決定したもので、やんばる地域を、1.自然環境保全区域 2.水土保全区域 3.林業生産区域の三つにわけている。こうしてみると伐採が出来るのは3の林業生産区域だけのように見えるが、実際には1の自然環境保全区域でさえ伐採可能な仕組みとなっている。

 そしてこのやんばる型林業ゾーニングと国立公園の保護地域の区分とは奇妙に一致しており、明らかに公園化に際してこのやんばる型林業ゾーニングに配慮したことがうかがえる。

 辺土の伐採地はやんばる型林業林業生産区域(ここはさらに、自然環境重視型と自然環境配慮型とに細分されている)に位置し、国立公園の第3種特別地域である。

 百歩譲って、林業のための伐採を認めるにしても、生物多様性を著しく毀損するような施業はどう見ても脱法的なものといわざるを得ない。

 実際にどのような施業が行われているのかを見てみよう。

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 辺土の伐採対象となった森林はイタジイが優占するやんばるに典型的な森である。イタジイは樹齢50年以上で胸高直径が30cmを少し超える太さのものが多い。

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 切り倒された樹木は枝を切り落として4mほどに玉切りにされ、谷を跨ぐように集められ積まれる。この現場は林道が谷の源頭部ふきんを通っており、索道を使って尾根や谷を越す必要がない。ということで谷の源頭部から重機が沢に沿って下り、集材しているようだ。谷にははっきりとキャタピラの轍がのこり、谷は押し広げられている(次の写真)。

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 この現場はこれまで見たこともないような極めて乱暴な伐採施業である。これほど酷い現場ななかなかない。少なくとも本土の国有林ではこうした施業は許されていない。
 ここに1,999年1月に出された、「国有林野の各機能類型に応じた管理経営の指針について」という文書がある(最終改正 平成31年3月28日 30林国経第127号)。A4 8ページに渡る通達だが、五つの機能類型についてそれぞれの施業指針が示されている。

 五つのきのう類型とは1.山地災害防止タイプ 2.自然維持タイプ 3.森林空間利用タイプ 4.快適環境形成タイプ 5.水源涵養タイプ であり、ここ辺土の現場ではどの機能類型に属するのか定かではないが、少なくとも世界自然遺産としての価値を有するやんばる地域にあって生物多様性保全の義務を負っていることからして、林野庁のこの通達に準拠した丁寧な取り扱いが求められているはずである。
 このうち5の水源涵養タイプにあっては、「森林の裸地化と極力回避するため択伐を推進すること」とし、「尾根、斜面中腹、渓流沿いなど」に「おおむね50mの規模で保護樹帯を必要な箇所に設ける」ことや「特に渓流沿いついては、(略)生物多様性保全機能に配慮し、渓流への土砂の流出や伐採等に伴う過度の攪乱を抑えるため、積極的に保護樹帯をもうけるようにすること」としている。

 こうした渓流への配慮は生物多様性保全の面から極めて重要で、なにも水源涵養タイプの森林に限ったことではなく、かなり古くから本土の伐採現場で実施されてきたことでもある。

 どんな理屈をこねようとも、辺土の現場の惨状は決して看過できるものではない。もし国頭村沖縄県が自信を持って問題ない施業であると言うのであれば、来たるべきIUCNの視察団を現場に招いてみてはいかがだろう。

 国立公園への指定が保全措置を担保するという神話もしくは妄想はすべきではない。現実をしかと見つめ、多様性の保全のために何が必要か。どうすればその価値を村民や県民、国民と共有できるのかを考えることが行政に求められているのではないだろうか。現状を放置して何が世界自然遺産登録なのだ。登録の如何に関わらず、自然遺産の価値を認めた時点で、保全の義務を負うということを国や県、村などはもっと認識する必要がある。

 来月10月26日には、こうしたやんばるの抱える問題についてシンポジウムが企画されています。会場は那覇市国場の沖縄大学で午後2時から5時の予定だそうです。私も話題提供者として参加の予定です。翌日にはこの現場へのエクスカーションも予定しています。心の準備をしておいてください。

 多くの市民の声が行政を動かします。どうぞ声をあげてください。

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やんばるの森事情6-乾燥化がもたらすもの

 数年前のことだが、アメリカ中西部へ野生動物を求めて出かけていったことがある。そこは半砂漠のような乾燥地であるから、湿度の高い日本に暮らしている者にとってはかなりのストレスとなる。放っておくと膚は乾燥して指先にはささくれができたり、唇はひび割れるので、ワセリンやリップクリームが必需品となる。それに比べて、長年通ってきたタイのモンスーン林(カオヤイ国立公園)では快適であった(特に雨季)。こうした各地への旅で、生きものにとって水のあるなしの影響を文字通り膚で感じることができる。

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アメリが中西部のイエローストーン国立公園

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タイのカオヤイ国立公園・熱帯モンスーン林


 生きものの生存にとって欠かすことの出来ない水。その水をどのように確保するか。その方途こそ進化の推進力であるといってもいいのかもしれないくらい、水の問題は生物の生死に直結する。ある生物は砂漠のような乾燥地にも耐えられるような生活と体制を獲得したし、またあるもの(種)は湿潤の環境を求めて移動分散を繰り返してきた。それは動物だけではなく、植物にとっても同じことである。水にどっぷりつかって生きる植物もあれば、砂漠や乾燥した高山などにも生育する植物もある。

 ここ沖縄北部のやんばるの森は植生帯としては亜熱帯林としてしられているが、意外にも乾燥しやすい地理的環境にある。特に冬の北西からの季節風のせいで尾根部はかなり乾燥している(やんばるの森事情1参照)。わずかに50mほどの標高差でも、沢筋と尾根筋では森林内の湿度はかなりことなっている。

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 上のグラフは伊江川の支流沿いの森林湿度と温度の年変動を調査した時の秋から冬にかけての変動を示したものである(やんばるのまか不思議p117から引用)。各グラフの上の折れ線は湿度、下のそれは温度の変化を表している。これをみると温度はほぼ3地点とも同じような変動をしている一方で、湿度は安定して高い谷底(沢筋)から中腹(川から約25m上部)と尾根部(川から約50m上部)へと川から離れるにしたがって変動幅は大きくなっていることがわかる。わずか25mほどの中腹でも既に変動が大きく、乾燥化が生じていることが見て取れる。

 そして皆伐された場所では下の図が示している通り、谷底の川沿い、本来ならば湿度はほぼ安定して高い場所なのだが、その谷底の川沿いでも湿度の変動は大きく、中腹もしくは尾根における湿度変動に類似してくる。つまり森林の伐採によって乾燥化が進むということである。

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ササラダニ類に見られる皆伐の影響

 調査地である伊江川の支流域は古い二次林で、やんばるの森の原型をよくとどめている。このようなほぼ原生的なやんばるの森にはまだまだ未発見の生物種が生息しており、2009年には青木淳一横浜大学名誉教授によってササラダニの新種が発見され、カワノイレコダニ命名された。このササラダニという生きものは、植物の枯れ葉などをかみ砕いて食糧とする土壌中のダニの仲間で、人に害をなすマダニ類のようなダニ類ではない。いわば森の清掃屋とでもいうべき存在で、ササラダニが植物片などの有機物を細かく分解している。そしてササラダニが分解したその分解物は、有機物を無機物(主に二酸化炭素と水)に分解するバクテリアの活動を支えるものである。いわば物質循環の重要な位置を占めている生物群である。このササラダニの仲間は多くの種が知られているが、それぞれ異なる環境下で暮らしていることから、環境指標生物として認識されている。やんばるでも湿潤な原生的な森林環境に生息するものから攪乱された比較的乾燥した環境でもくらせるものまで多くのササラダニ類が知られている。

 次ぎに示す表は、青木淳一さん(横浜大学名誉教授)が行った、やんばる地域の原生的な森林、皆伐5年後の森林、皆伐1年後の森林におけるササラダニ類生息種調査結果の一覧である(青木淳一)。

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 この表を見れば一目瞭然であるが、皆伐がササラダニ類の生存に大きなダメージを与えていることが見て取れる。一般にササラダニ類は乾燥に弱く、森林内の安定した湿度環境が失われると消滅してしまうササラダニ類が多い。温暖で雨の多いやんばるでは伐採後5年も立つとかつての皆伐地は一見原生的な森林かと見まがうような森に復活する。しかしそれはあくまで一見したところにすぎないのであって、そこに暮らす生物相はかつてあったものとは全く異なる単純なものに変貌してしまっている。このことをもっと知ってほしいのである。

 

立ち枯れの進行

 森林伐採による乾燥化の問題は土壌生物だけではない。皆伐地の周辺や林道沿いにはイタジイの立ち枯れが目立つところが散見できる。下の写真は宜名真の伐採地と謝敷の林相沿いの立ち枯れである。この両地域とも冬の季節風が吹き抜ける場所にあるのだが、その季節風にも耐えてイタジイの群落が存在していた。ところが林道が山を切り通して設置されたり、皆伐されたことでその群落は今では白骨林となって無残な姿をさらしてる。

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謝敷林道沿いの立ち枯れ

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宜名真皆伐地周辺の立ち枯れ

 やんばるの尾根筋は風当たりが強く、比較的乾燥している。それでも長い時間をかけてイタジイが群落を形成しているところは少なくない。過酷な環境故に樹高は低く、成長も遅いので材は堅くなる。その結果、尾根付近のイタジイはノグチゲラが巣穴を穿つのに適してはいない。それに比べて谷底周辺のイタジイは材が柔らかく巣穴を穿ちやすい上に、幹が斜行しているので雨よけにもなりノグチゲラの格好の営巣木となるのだ。とはいえ、尾根部のイタジイはここに暮らす動物たちへの食糧資源の供給や次世代を担うイタジイの種子の供給源(母樹)として重要な機能を果たしている。
 山全体がイタジイやイジュを主体とする樹木で覆われていれば、季節風樹冠の上を吹き抜けたり、その風は林内へ吹き込んでくるのだが、その風の圧力は森林内で急速に衰える。そのため林内には極度の乾燥は生じず、イタジイは何とか枯死することなく存続できる。しかしここに山を切り通して林道を敷設すると、事情は一変する。そこに路面と法面に囲まれたパイプ上の風の通り道ができると風は速度を増して林道を吹き抜けることになる。すると林道の両側、つまり法面の上部の森林は吹き抜ける風の陰圧をうけて林内から湿気を含んだ大気が吸い出されることになる。この二つの力が合わさって林内の湿潤な大気は押し出されるので、林道周辺は極端に乾燥化が進行する。その結果の立ち枯れなのだ。皆伐も同様なメカニズムで乾燥化が生じている。

 このような乾燥化は、オオタニワタリオキナワセッコクなどの着生植物にもそしてヤンバルクイナの食糧でもあるカタツムリ類などの陸産貝類の減少にも関係している。


 その一方で、乾燥化し直射日光が当たる伐開地や林道沿いにはススキ等のイネ科草本類が繁茂し、そこを格好の生息地とするバッタなどの昆虫類が増加する。そしてもっと大きな問題はこうした環境を好む外来種、フイリマングースが進出し定着することである。そこはバッタ類を捕食するキノボリトカゲの生息地でもあるから、当然マングースとの競合がおこり、キノボリトカゲの生存はおぼつかない者となる。

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林道沿いで見つけたマングースのフン

 森林の皆伐による林地の乾燥化はこれ以外の様々な影響をやんばるの自然に与えたいる。たとえば、土壌の流亡である。皆伐地は乾燥地となるが、一旦雨が降ると基質がむき出しの伐開地はたちまち泥流となり、河川を通じて周辺の海域へ流れ込む。この土砂が沿海の生物相に多大なダメージを与えていることは言うまでもない。

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 森林の皆伐はやんばるに固有な自然をどもまでも破壊しているという事実に目を向けなければいけない。

余談

 やんばるでの森林破壊について行政側の学者のなかには、適度は攪乱は生物多様性にとって必要として、皆伐を容認する人もいますが、こうした雑ぱくな議論は害毒でしかないように思います。たしかに原生的な森の一部で、巨樹が枯れて倒れた時などはギャップと呼ばれる日当たりの良い部分が生じ、そこでは休眠していた種子が発芽したり、様々な生物が活動し始めるなど多様性と生産性が向上します。しかしそれは攪乱の規模が小さく周辺の生物相が大きなダメージを受けない状況の中での動的平衡現象なのです。皆伐のように大規模に生息地そのものを破壊し回復し得ないようなダメージを与えることは適度な攪乱とは言えません。ただ、規模というのは地理的な広がりだけではなく継続する時間も含めての話です。短期の攪乱か継続して続く攪乱かによってもその意味合いはかなり異なります。

 立ち枯れの話でも、台風などの自然現象による一時的な破壊(攪乱)と同じと論じるのもまた詭弁なのではないでしょうか。

 確かに人為(農業など)の自然の改変による人為的自然という環境をどのように評価するかといったデリケートな問題もありますが、攪乱と破壊との関係を常に考えていくことが重要なことと考えています。

 というわけでやんばるの森を守る活動は今後も続きますが、この拙文がその一助になれば幸いです。やんばるDONぐりーすとの共同調査は今後も続きます。多くの方の参加をお待ちしています。

 やんばるの森事情は今回で一応の区切りとなりますが、終わったわけではありません。まだまだ新しい発見もあるに違いありませんので、その折々にまたその報告をすることにします。