生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

北九州1泊2日の旅 その2 武雄温泉-波佐見町

 吉野ヶ里遺跡公園の見学を終えて、佐賀市内で夕食をとり、武雄温泉を目指す。嬉野温泉という選択肢もあったが、より落ち着きのある武雄温泉に宿泊することにした。日もすっかり暮れたころに到着。宿は多喜男温泉尾ランドマークとなっている楼閣からすぐの街角にある。コロナ禍以降は宿泊のみで営業している老舗の「京都屋」旅館。チェックインをすまし、部屋へと向かう前にロビーに展示されている大正ロマンを感じさせる古い貴重なオルゴールやレコード、西洋の人形をはじめ様々な調度品を一渡り眺めてみる。落ち着いた雰囲気が日常とは異なる世界へのいざない旅愁を感じさせる。

 用意されていた部屋は4人まで泊まれる和室。どういうわけかこの部屋だけは他の部屋と異なりドアではなく和風格子の引き戸となっている。格子戸玄関を入り上がり框の襖を開けると6畳の間となっている。一瞬狭いと思ったのだが、ここは玄関の間で、右手が客間、左手は水屋となっている。客間の襖を開けるとなんと、22畳もの広さがあるではないか。家族3人には十分すぎるほど広く落ち着いている。

 一休みして温泉に。武雄温泉の泉質は弱アルカリ(いわゆる美人の湯)につかって、疲れを癒し、翌日に備える。広い湯舟を一人で独占状態なのがなんとも贅沢。

 翌日は雨模様。一雨来る前に朝風呂を済ませて、昨夜チラ見した楼閣を見学に行く。

この楼閣は唐津出身の建築家、辰野金吾の設計による竜宮づくりで、武雄温泉新館とともに国指定重要文化財にしてされているという。地元の宮島や江の島神社、下関の赤間宮にもあるが、あの独特な形状は、何かお宝がありそうな、別世界がありそうな気がして、なんとも人を惹きつける魅力がある。

 朝9時過ぎに訪れると、なんと、この楼閣の内部を見学できるとのこと。朝9-10時限定で解放しているというので、登楼する。靴を脱いで急な階段を上がるとボランティアのガイドさんが待ち構えていた。 この楼閣の売りはなんといっても格天井の四隅(東西南北)に彫られている卯(東)、午(南)、酉(西)、子(北)の四つの透かし彫りである。

 辰野金吾といえば、東京駅丸の内口の駅舎の設計者として有名だが、駅舎の一部は戦災で失われてしまった。そして数年前に駅舎の再生されて今や観光スポットとなっているという。丸の内南口のドーム天井には、八角形のそれぞれの角に丑‐寅(北東)、辰-巳(南東)、未-申(南西)、戌-亥(北西)の八つの十二支がレリーフも再生された。何故八つなのか、残りの四つはどこにあるのか?ということで、東京駅から武雄温泉に問い合わせがあったとのこと。 その結果、東京駅と武雄のこの楼閣を合わせると十二支が完成するという事がわかったという。楼閣の二階の窓ガラスも波を打つ古いもので龍宮城もかくやとは思わないが、水底から見る景色のようで面白い。 この楼閣とその奥に建つ新館(現在は資料館となっている)はともに国の重要文化財となっているという。

 新館にも足を運んで、大正から昭和にかけての賑わいを想像してみた。思いがけなく武雄温泉を楽しむことができた。

 見学を終える頃には雨粒が落ちてきた。遅い朝食を求めて、次なる見学地へ向かう。

武雄温泉楼閣見学で教えられた、クスの巨木求めて武雄神社へ向かう。樹齢3000年とか言われるが、ちょっと盛った感じがする(せいぜい500-800年くらいか)。とはいえ、十分な古木である。幹の大半が枯れて失われているので樹冠は大きく広がってはいない。もともとの幹は腐って大きなトンネル状の洞(うろ)になっていて、そこに祠がまつられている。このような古樹にできる洞に祠をまつる例は全国各地にあるようだ。神の依り代として敬われてきたのだろう。それは神道(政治的宗教)というよりむしろアニミズム(自然崇拝)の系統を受け継ぐもののように思える。自然への畏れや敬いといった感情が共有された精神的文化的遺産と見るべきものだろう。もちろん神道にもこのアニミズムとの深いつながりはあるのだろうが、権力と親和性のある神道と権力とは結びつかないアニミズムとの違いを認識しておきたい。武雄にはこのクスを含めて、3本のクスの巨樹があるというが、この度は天候も思わしくないので、このクスだけを拝んできた。

 突然雨が激しくなってきたので朝食のために近くの武雄図書館へ。2013年開館したこの図書館は民間委託したことで名をはせ、多くの議論を呼んだ。図書館という公共の場であるべき文化施設が民営化され利潤追求が主目的となることへの批判が相次いだのである。この問題については、図書館問題研究会の発した声明に詳しい事情が記されている。https://tomonken.org/

 訪れた第一印象は館内の雰囲気はよい。ただしその機能やシステムに関しては評価する材料を持ち合わせているわけでなない上に、基本的にはサービスを享受する住民が判断することではあるが。全国どこでもこの方式がいいとは思わないし、営利目的の客寄せ施設に堕すことは認められないが、武雄という地方都市の文化施設の在り方としては、改善すべき問題を抱えつつも一定の評価はできるのかもしれない。館内で、コーヒーを飲みながらしばしの間、過ごしてみると見掛け倒しの感はあるものの開架式書棚のレイアウトに圧倒される。ドラマ仕様のようだが、多くの利用者がいて静かな中にも活気が感じられる。

朝食も済ませたところで、今日のメインエベント、長崎県波佐見町での焼き物探索。有田、伊万里など磁器の産地として知られているが、その陰というか黒子として波佐見焼はそれほど有名ではなかったが、近年、注目を浴びているそうな。有田や伊万里鍋島藩御用達の高級品であるのに対して、大村藩波佐見焼は主に日常遣いの食器がメインだったようだ。白をベースに青の幾何学模様がモダンで日常使いの食器としては申し分ない。固くかつ軽いので使い勝手がいい。中にはアンコウやヒラメ、ジンベイザメなどをユーモラスにデザインしたものや、マンドリルハシビロコウなどのアニマル柄も若者に人気のようだ。我が家は具象ではなく抽象的なデザインのものをたくさん購入。何しろアウトレット品が格安で手に入るのだから、購買意欲が増すというもんだ。  

 波佐見町は本当に地方の小さな町ではあるが、陶磁器を生産する窯業を基幹産業として活気に満ちていた。これこそが本来の町のあり方なのだと痛感した。今どの地方都市へ出かけて行っても、かつて賑わっていただろう商店街は人影まばらシャッター街となっている。そんな状況を打破しようにも、出てくるアイデアは一時しのぎのイベントばかり。もっと地に足がついた生業を本気で育てないと地方の自治体は消滅の憂き目を見るに違いない。農業でも漁協でも大規模化、工業化を目指しても将来はないだろう。ましてインバウンド頼みの観光開発など論外である。一時的に景気がよくなったとしても地元の暮らしを破壊するという弊害が大きく、やがてこの路線は頓挫するのが関の山ではないのか。持続可能で安全な食料生産を基本としたコミュニティの再評価が必要なのではないだろうか。などとぼんやりとした考えが頭をよぎる1泊2日の旅であった。

 最後に帰り道に立ち寄った稗ノ尾の石橋も素晴らしかった。九州各地には立派な石橋が残っているのも面白い。