生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

ツキノワグマ問題を考える-真の原因は?

柿の木に登るクマ 2004年

 テレビでも新聞でも今年のクマによる人身被害が頻発しているとの報道が相次いでいる。特にテレビでは同じ画像を繰り返し、視聴者の恐怖心をあおることに腐心しているかのようだ。それに対して、山の実りの不作が原因との識者のコメントが寄せられている。
確かに、堅果類の不作は原因の一つかもしれないが、堅果類の不作は今に始まったことではない。むしろ豊作である方が少ないほうが当たり前なのだ。

 クマの市街地出没は今に始まったことではなく、1970年以降、その傾向が始まり、今日の状況は予想されていたことである。が、環境省自治体も経済効果のない自然保全には目を向けることはなかった。
 広島県では1990年代にクマの中山間地域への出没が顕著になり、それに関するフォーラムが開催されるようになった。そこで一つの解決策として、「実はクマに、材は人に」というスローガンのもと旧戸河内町では、クリの植栽を進めたが、その効果は得られていないようだ。こうした流れの中で、環境省主導で特定鳥獣の保護管理計画が策定され、西中国山地ツキノワグマの保護管理計画は広島、島根、山口の三県が共同して策定された。

 西中国山地ツキノワグマ保護管理計画(現在は管理計画)は西中国山地個体群を対象としており、行政区分を越えて協働することは他の都道府県にはない大きな特徴がある。この計画は、三県のツキノワグマ対策協議会が策定することになっているが、その実質的な議論は、科学部会が担っていることに大きな意味がある。このこと自体は大変いいことなのであるが、しかし限界もある。議論の中身がほぼ「個体数管理」にかたよっており、いわゆるゲームマネッジメント的な議論となってしまっている。

 クマだけではなく、多くの森林棲哺乳類の暮らしの場である森林は、1960年代の大面積皆伐、拡大造林やダム開発、砂防堰堤の設置、河川の護岸、浅海の埋め立てなど開発重視の結果、大きく多様性と生産力が失われてきて今日に至っている。つまり、かつて豊かだった森林は姿を大きく変え、緑色の砂漠のような生きものの暮らしにくい場へと変容してしまった。それに加えて、都市部への人口流出が加わり、過疎地がひろがってきた。その傾向は1970年代にはかなり顕著となり、それは今も留まることなく続いている。

 人が利用しなくなった森林(里山の二次林)や農地(果樹や農作物)のなどの生産物は、野生動物が利用するようになったからで、生態学的には当たり前の現象なのだ。つまりクマの生活域は集落周辺の二次林を中心とした人里近くに集中し、かつての奥山での生息密度は低下している可能性が高い。いわゆるドーナツ化が進行しているのが実態なのだ。

 次の写真は、そんな状況を広島市安佐動物公園の機関誌「すづくり 2022年3月号」に寄稿したものである。

 クマによる人身被害の原因を、個体数増加と猛暑による餌不足という皮相的な捉え方では問題の解決にはならないと考えている。西中国山地ツキノワグマ管理計画を審議する科学部会においても、個体数管理から脱却して、森林生態系-河川生態系ー海洋生態系を含む流域生態系に目を向けた生物多様性とそれに依存する生物生産力の回復を目的とする議論とそれに基づく効果的な対策、すなわち予算の裏付けのある実効ある計画の策定が求められている。それなくしては、クマによる人身被害はクマが絶滅するまで無くならないだろう。