これまで主に、野生動物を対象にした生態学的なエッセイと海外エコツアーに関する記事を掲載してきたのですが、今後はもう少し幅広い記事を発信していこうと思っています。どうぞよろしくお願いします。
写真は主なフィールドとなっている西中国山地の細見谷渓畔林です。ここはツキノワグマの中核的生息地として知られており、原生的自然が色濃く残るところです。
年々歳々、ツキノワグマの中核的生息地と言われている、細見谷流域でも痕跡が希薄になりつつある。その一方で、集落周辺への出没が問題視されているのも事実である。クマの集落への出没は、多くの場合、個体数の増加と山の実りの多寡と関連づけて報道されているが、どうも実態とは大きな乖離があるという不快さをぬぐいきれない。
秋晴れの9月27日(日)、細見谷流域のクマの動向を把握するために定例の調査に出かけた。今年のクリ、ミズナラ、ブナなどの堅果類もミズキなどの液果類も、実りはまだら模様だ。つまりあるとろでは豊作模様だし、またあるところでは不作ないし凶作といった状況である。
上の写真は、8月のウワミズザクラに残っていた今年の爪痕である。幅9~10cmあり、やや大型の個体(おそらくオス)の 爪痕である。とはいえ、実の具合に比べても痕跡はそれほど多くはなく、生息密度が低下していることがうかがえる。そのことを裏付けるかのような現状がクリ、サルナシなどの利用状況にも見て取れる。今年、クリは豊作とまでは行かないまでもそこそこの実りがある樹がある。
細見谷の手前、主川流域(国道488沿いとその周辺)では、わずかにクリの食痕とクマ棚が見つかったのだが、それでも利用度は高くはない。ということは利用するクマが少ないということだ。
これまで、クマの生息地が拡大の一途をたどっており、それに比例して推定個体数も増加傾向を見せている、と理解されてきた。少なくとも公式にはそのような見解がとられている。しかし、肝腎の個体数推定の方法の信頼度は未だ未知数なのだ。それは多くの非現実的過程に基づいた仮定をとらざるを得ず、ある意味やむを得ないことなのかも知れない。しかし出没地域が拡大すれば、主要生息域での推定値が大きく減少しない限り、増加傾向となるのは、この手法から導かれる必然の結果となる。
フィールドでの継続観察からすれば、奥山の本来の生息地では空洞化が起きているというのが実感なのだ。
たとえばクマの中核的生息地とされている細見谷渓畔林では、予想に反して、クリもミズキ、クマノミズキもサルナシもクマに食べれた形跡がない。クマだけではない、テンやアナグマなどのほ乳類の痕跡はおしなべて希薄である。
上の写真は細見谷渓畔林で見つけたヤマブドウである。細見谷でこれほどまでにたわわに実ったヤマブドウを見たのは初めてである。他の株はそれほど実をつけていなかったのだが、川沿いにあるこの株だけは、豊作である。しかしこれを食べる鳥もケモノもいないことが、なんとも不気味である。サルナシもまだ未熟とはいえ、食べられないままに残っている。こうした傾向はここ数年続いている。集落周辺でのケモノの賑わいぶりとは対照的な静けさは、ケモノたちの生息地が奥山から一次生産が利用されなくなって総体的に生産力が高くなった集落周辺の二次林へとシフトしていることの現れと見るべきなのだと思う。
難航した細見谷調査行
細見谷渓畔林を舞台に、某TV番組の取材が進行している。ここに生息しているツキノワグマの生態もその対象となっており、真夏の渓畔林に稔るウワミズザクラの果実を目当てにやってくるクマの姿を記録するために設置したカメラを回収すべく、22日土曜日に入山することにした。
道々、予想通りウワミズザクラの食痕が確認できたので、大いに期待してカメラの回収に向かったのであるが…。
林道入り口まで来ると、工事中に付き通行不可の看板が出ているではないか。一抹の不安を抱えながら、とりあえず林道へはいる。と、500mばかり入ったところで、生コン車と出会う。道は狭く離合はできないので、仕方なくバックすることに。ようやく離合できる場所まで来て、運転手さんに様子を聴くと、崩落した路肩の工事だそうで、この少し先が現場だという。現場には重機も置いてあって通り抜けはできないとのこと。とはいえ、このまま引き下がるわけにはいかない。台風の心配があって、これ以上カメラを放置しておくことはできない。かといって、歩いて行くには遠すぎる。
残る手段は、十方山を迂回して安芸太田町側の二軒小屋方面から入る方法があるのだが、こちらの道路事情は極めて悪く、どこまで入れるか心配である。が、それしか方法はなく、やむを得ず数十キロを迂回して内黒峠を経由して現場へ行くことにした。
安芸太田町側の十方山登山口までは何とか車が通れるだけの整備はされている。問題は水越峠をこえた廿日市市側の林道状況だ。案の定、とても走行できる状態ではない。大きな石が積み重なった林道は道と言うより川底といった方がいい。それでも何とか下山林道分岐まできた。ここから先は、よく知った道なので一安心と入ったところだ。
12時少し前に、現場到着。何を置いてもカメラの回収に向かう。細見谷川を渡り、トチの巨木が茂る谷の小さな支流沿いに仕掛けたカメラの回収に向かう。予想通り、ウワミズザクラの食痕が確認できた。が、肝腎のカメラがひっくり返されている。本体は無事だったが、雲台のパン棒のとって部分がしっかりとかじられていた(写真)。レンズ部分が下側になっていたので、どこまで写っているか、いささか心配である。もう一台は沢の上流を向けて設置しており、こちらは無事であった。クマは下流方面からやってきたのかそれとも上流方面からやってきているのか、はたまた全く予想外の動きをしていたのか、まもなく明らかになるだろう。
さてカメラはなんとか回収できたので、早々に引き上げることにした。帰りは、道路状況を考えれば工事現場を通らせてもらうしかないだろうと言うことで、細見谷渓畔林の状況を観察しながら吉和西出口方面へ向かう。
渓畔林を抜け、まもなく山の神というところで、大変な事態になっていた。法面崩壊である。規模こそ大きくはないが、大きな落石が道の真ん中にあってとても通り抜けることはできそうにない。道の左側は川で、路肩は5mほどの崖になっている。さてどうするか、思案にくれた。Uターンできるところまでバックし、来た道を延々と帰るか、何とか落石を除くか移動させて通り抜けるかである。
杉さんとしばし検討し、持てる工具を使って通り抜けることにした。時刻は12:45。林道工事の休憩時間に通過させてもらう予定だったが、これはもう無理だ。それより本当に通り抜けることができるか、そちらの方が心配である。あと20cmちょっと大きな石を法面側に移動させればぎりぎり通り抜けることはできそうだ。それでも路肩が崩落すれば一巻の終わりである。
車に積んであったのこぎりで倒木を切り出して梃子にし、ジャッキで持ち上げてこじると少しだけ大きな石も動く。さらに石頭で角を落とし周囲の石をのけてさらに同じ行程を繰り返すこと1時間あまり。なんとか車が通れそうな幅を確保することができた。杉さんに路肩の状況を見てもらいつつ石に当たらないようにゆっくりと車を進め、無事通過。ここを通過してしまった以上、工事現場を通してもらえないと大変なことになる。何しろもう二度と崩落現場は通過できそうにないのだ。
幸いなことに、工事現場で事情を話すと快く重機を移動させ、通過させてもらうことができた。
で、話はこれで終わりではない。これからが本論である。
ツキノワグマは秋にブナ科のドングリを採食することが知られている。ブナの果実もその一つなのだが、ブナは夏の終わり、すなわち8月中下旬頃から食べているという我々の仮説の確認である。ブナに関してはどうもかなり早い時期から未熟な実を食べているらしいことはわかっていた。それはこの仮説を推測させるにたる食痕の状況からの判断で、実際に夏の終わりにブナのクマ棚を見つけたというものではない(杉さんは過去に確認しているとのこと)。
林道を抜けて、尾根一つ越えた細見谷川水系の沢に入ってみることにした。ここは秋になるとゴギが産卵に集まる沢で、クマをはじめタヌキ、アナグマ、ホンドイタチなどのケモノが翌姿を見せるところでもある。ここ数年、台風や集中豪雨の影響で、倒木が多く、沢の様子は大きく変化してきている。今年は川底に細かい泥土が堆積しており、やや心配な状況である。そしてまた、ここはブナやウラジロなどの採食地となっており、ツキノワグマにとって重要な場所である。
今年のブナは樹によってかなりばらつきがあるが、ここのブナには豊作となっているものがある。そのブナに新しい棚ができていた(写真)。
このブナはクマが好むのかよく棚ができている樹である。同じブナでもクマが利用する樹とそうでない樹とある。その理由は定かではないが、平均値ばかりを追いかけている生態学もどきではこの違いは無視されてしまう。
樹の幹には大小2種類の爪痕が残っていた(写真、右下にコドモの爪痕、左上にオトナの爪痕が見える)。親子のものであろう。先日、カラマツ林で遭遇した親子なのかも知れない。直線距離にすれば1Kmほどの近さである。食痕の鮮度からして、この数日の出来事のようだ。
クマサルもそうだが、稲穂が熟して実が堅くなる前のジューシーな時期に田んぼの稲を食害する。おそらくブナもそうしたジューシーな果実が好みなのではないだろうか。だからといって、熟したブナの実を食べないわけではない。周囲の状況、つまりウワミズザクラの果実だとかアリやハチ、アブなどの昆虫類の多寡などによって、臨機応変に振る舞っているということなのだ。
大変な調査行となってしまったが、実りも多い1日であった。
編集・金井塚務 発行・広島フィールドミュージアム
この調査は、広島フィールドミュージアムの活動として行っています。当NGOは細見谷渓畔林をに西中国山地国定公園の特別保護地区に指定すべく調査活動を行っています。特にツキノワグマにとって重要な生息地であり生物多様性に秀でた細見谷渓畔林域はツキノワグマのサンクチュアリとして保護するに値する地域です。
カンパ送付先
広島銀行宮島口支店 普通 1058487 広島フィールドミュージアム
または
郵貯銀行振り替え口座 01360-8-29614 広島フィールドミュージアム
<ミゾゴイにであった>
雪もようやく消えたようなので、久しぶりに細見谷へ出かけてみた。この春初めての調査行であった。最近の細見谷は台風やどか雪のせいで林道も荒れ気味だから、どこまで入れるか少し心配していた。吉和入り口から下山林道入り口までは、どうにか倒木を処理しながらでも進むことができた。入り口付近でクロツグミの囀りが聞こえてきたものの、野鳥の声はソウシチョウ以外はほとんど聞こえてこない。まだ少し早いのだろうか。
2015年3月18日午後2時、沖縄県那覇地裁101号法廷は緊張した面持ちの傍聴人であふれていた。
裁判官が入廷し、2分間の冒頭撮影が済むと、おもむろに判決主文の申し渡しがあった。
1.本件訴えのうち、被告が別紙林道目録記載1ないし30の各林道の開設事業に関して公金の支出、契約の締結若しくは履行、債務その他の義務の負担、又は地方起債手続きをとることの差し止めを求める部分をいずれも却下する(下線引用者)。
2.原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3.訴訟費用は原告らの負担とする。
わずか数分、余りにもあっけない幕切れであった。
無表情で退廷する裁判官、勝ち誇ったような県側の傍聴人。
負けたの?というつぶやきとも確認ともとれない声での質問がよせられた。
「判決理由を読んでみないとなんともいえないですね」と応え、説明会場へむかう。
しばらく不安気な、沈んだ空気がよどんでいたが、 判決文を読んだ市川弁護士がにこやかに登場し、「勝っちゃたみたいですね。これで、県は工事再開はできませんよ」といって、その理由を解説すると、会場から安堵の声が次々に上がったのである。その核心部分を判決文から引用して、紹介しよう。
… こうしてみると、前記ウにおいて指摘した現時点での環境行政等との整合性を図る観点から見て、被告としては、社会通念に照らし、少なくとも、環境検討委員会や環境省から専門的に指摘された問題点について、相応の調査・検討をすることが求められているというべきところ、休止から既に7年以上が経過した現時点においても、被告が、これらの調査・検討等をおこなったことは窺われない。そうすると、現時点において現状のままで本件5路線の開設事業を再開することになれば、社会通念上これを是認することはできず、社会的妥当性を著しく損ない、裁量権の逸脱・濫用と評価されかねないものと考えられるのである。
前記ウとはいったいどんな内容なのだろうかということが気に掛かるので、少し長いが引用しておくことにしよう。
(ウ)県営林内における林道開設事業の実施に関する決定については、被告の裁量に委ねられているが、そもそも、本件休止路線の採択当時においても、森林・林業基本法、森林法、環境基本法及び沖縄県環境基本条例等の関連法令の規定並びにこれらの法令に基づく諸計画の内容等から見れば、沖縄県が沖縄北部地域において森林施業及び林道開設を実施するに当たっては、環境の保全に関し、区域の自然的社会的条件に配慮することや、環境基本計画や沖縄県環境基本計画で示された指針との整合性を図ることを要し、少なくとも、当該開設予定地における森林施業及び林道開設の必要性や当該事業が開設予定地の自然環境に与える影響について、客観的資料に基づいた調査を実施し、その調査結果に基づいて、貴重な動植物の生息・生育地の保全、赤土等流出の防止、景観の保全等の観点からの検討を行い、具体的な路線の位置、規模、工法の選定を行う必要があると解される。
そして上記(イ)のとおり、本件5路線の開設事業休止後、沖縄県は、国と歩調を合わせて、沖縄北部地域の国立公園指定や世界遺産登録をその環境行政上の重要項目に掲げ、同地域が世界的に見ても生物多様性保全上重要な地域であることを明確に打ち出して、その環境保全に本格的に乗り出そうとしているのであり、そのような意味において、本件休止路線の採択当時と比較して、沖縄県の環境行政には顕著な変化が見られるということができるのである。そうであれば現時点において、被告が同地域の林業(林道開設事業も含む。)を実施するに当たっては、前記の調査・検討に加えて、上記のような環境行政との調和を図ることが求められているのであり、本件5路線の再開の可否を判断するに当たっても、このような観点から検討されるべきこととなる。
とまあ、こんな訳だから、事業再開は事実上不可能ということになり、内容的には勝訴というわけだ。
しかしそれなら、なぜ差し止めが却下されたのだろうか。却下と棄却の違いは何だろうかとの疑問が生じてこよう。それについては、市川弁護士から次のような解説があった。
却下と言うのは、訴訟での入り口論で、訴訟要件を満たしていない、簡単に言えば裁判に掛けることができないと判断されることを言うのだそうだ。その代表的な要件が、「原告適格」というももだが、これは県の公金を支出する事案だから問題はない。しかし差し止め訴訟となると、事業の推進や公金の支出が確実性をもつことが要件となる。この場合、すでに休止が決まり、その再開の目途はたたっていないのだから、事業のの推進の確性に問題があり、差し止める用件を満たしていない。ゆえに却下という判断なったのだろうということだ。
とりあえず、林道建設も県営林の皆伐もしばらくは止まっている。しかし問題がすべて片づいたわけでもなく、村有林では相も変わらず皆伐は行われている。そして装いを新たにして事業再開をもくろんでいるのだから、保全をめざす市民運動は現地調査を続けながら息の長い活動をしていく必要がある。
実際、判決理由で示された調査検討の必要性の指摘には、CONFEを中心とした市民の調査活動や現地進行協議で実際に現場を見たという経験が少なからず影響したものだろうと自負している。
これらの調査内容については、「やんばるのまか不思議」「やんばるの今と未来」をはじめ専門的な調査報告書を証拠として提出している。弁護士と生態学者、市民が協働する日本森林生態系保護ネットワークのような活動が今後もますまる重要になるだろう。
少しずつだが確実に司法にも環境問題の意識改革が起こり始めているのかも知れない。「知ること」が何よりも大事なことだ。