生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

アサリの養殖から見えた生物多様性喪失の問題点

 暑さ寒さも彼岸までとはいうものの本当にびっくりするくらいの急激な気温上昇である。サクラも例年より早く満開となったようだ。あっちでもこっちでも桜祭りとやらで人出も多く、出かけるのに躊躇してしまうのだが、それほど有名でないところにひっそりと咲くサクラを見物に行くのはこの時期の楽しみの一つである。サクラが咲くようになると、アサリ漁民も忙しくなる。今年は3年前に借り受けた浜(70㎡ほど)に加えて、40㎡ほどの区画を受ける事になった。

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 アサリの養殖などいっても海のことだから放っておけば独占的にアサリを収穫できる権利と思う方もいるかも知れないが、それほど甘い物ではない。確かに数十年前までは特別何にもしなくとも、アサリの個体群は再生できたので、取り過ぎさえ防げば、持続的に利用できたという。しかし最近ではアサリはほぼ絶滅か絶滅危惧種というほど資源は枯渇している。商業的に見ればアサリ養殖は既に破綻しているといえるだろう。 私の住んでいる宮島の対岸、廿日市市大野地区は「手掘りあさり」としてその筋ではかなり有名な産地ではあるが、1人あたりの手掘りアサリの生産量はたかが知れている。とても事業として成り立つような収入を得ることはできない。年間の出漁日数が80日として一日平均10キログラム収穫したとしても、年間800キログラムで年収は60万円に届かない。実際には1区画あたり100キログラム出荷できればいい方なので、年収7-8万円と行ったところである。年寄りの小遣い稼ぎ程度にしかならないのだが、それでもかなりの人が漁業権を得て、アサリ養殖にいそしんでいる。かく言う私もその1人である。
 あさり養殖では労力に見合う収入を得ることはできない。現代の功利主義的商業主義からみれば馬鹿げた事業に違いない。それでも浜に出て、手入れをし、収穫を楽しむというのは、考えてみれば優雅な活動でもあり年寄りの贅沢ですらある。とはいえ潮と汗にまみれ、へとへとになりながらも活動し続けるのは何故なのだろうか。私にもその理由はよくわからない。ただ一つだけ言えるのは、そうして収穫したアサリは大きくて(貝殻長4cmほどもある)市販の物とは比べものにないおいしさが詰まっている。その楽しみが最大の動機だろうか。
 こうした素晴らしいアサリが掘れるようになるまでには、多くの労力をつぎ込まねばならない。まず、新たに借りた40㎡ほどの畑は、いわば廃田のような状態にある。干潟とはいえアサリや底生生物が極めて乏しい海底は堅く、酸素供給が十分でない地下の砂は真っ黒で硫化水素を含む還元的な土壌となっている。これを鍬やスコップで丹念に掘り起こし、十分空気に触れさせることを繰り返す。しかも他の区画に比べて少し低く窪んでいるので砂を入れてならさなければ良い畑にはならない。そこで砂の堆積場から猫車(一輪車)を使って、かなりの量の砂を運び入れる必要がある。スコップで砂だまりの砂を掘って猫車に摘み、それを100mほど離れた畑まで運んで撒く。これを何度も繰り返してやっとあさりの生活の場ができるのだが、しかしそれだけではアサリは出現しない。稚貝がいないのだからいくら待ってもアサリはとれるようにはならない。そこで、稚貝をどこからか探してこなければならない。これまでは主に熊本県から稚貝を購入していたのだが、定着率が悪いことや病原菌の混入などのデメリットがあるうえに、原産地の熊本でもアサリの減少が深刻になってきており、地元での稚貝の確保が課題となっている。
 そこで地元漁協を中心に地元産の稚貝を調達する方法(大野方式と呼ばれる)による稚貝の確保に目途が立ち、昨年から本格的な稚貝確保の態勢がととった。これについては「アサリ漁民となってみたーアサリ養殖は儲からないが役に立つ」で紹介したのでそちらを参照してください。
 さて問題は何故アサリが激減したのかという点にある。これには諸説あるが、主なものは、公共下水道の普及や公害防止策が進み、海が貧栄養状態になった。それに加えて、チヌ(黒鯛)やナルトビエイなどが増加し、アサリを食い尽くしている。というのが一般的な見方である。
 現場を見ていれば確かにその通りなのだが、よくよく考えてみれば、それは表層的な原因に過ぎず、真の原因は貧栄養の原因は主要河川にもれなく設置された多くのダムやその支流に設置されている無数の治山ダム、砂防ダムが物質循環(栄養塩類や土砂など鉱物質なども含む)を断ち切っていることの方に目を向けるべきなのだろう。  
 またチヌやナルトビエイの増加の原因は、干潟の埋立や海砂の採取、護岸工事による自然海浜の減少など陸域との断絶などによる浅域の生物多様性の貧弱化の結果、有用魚種の人工授精による養殖漁業への転換といった、近代社会の産業構造が大きく影響している。
 浜に出てみればまるで砂漠のごとく生物の影は薄い。浜を覆い尽くすほどのカニがどこへ消えたのか?チヌによるアサリの食害はこうして大きな問題となった。
 もし仮にベンケイガニやコメツキガニなどの小型ニ類やゴカイなどの底生生物が豊富であれば、これほどアサリへの食圧は高まることはないだろう。
 アサリ以外に食資源がない、そんな環境下でチヌは浜に唯一まとまって生息していたアサリに依存した暮らしをせざるを得なかったということではないだろうか。
 生物多様性の喪失は沿岸漁業にとって死活問題なのは、基本的に農業と異なり、採集の対象となる魚も魚介もすべて野生の生きものだということである。したがって漁業の対象となる生物の増減は自然の多様性とそれを基盤とした生産力に依存したものとなる。つまり生態学的な法則をより強く受ける産業なのだから、漁業を再生させるためには、森-川-海の物質循環系を再構築する必要があるということだ。森林の多様性の回復、河川からのダムの撤去、自然海浜の再生など生物学的多様性(生活の場の多様性)を取り戻す社会の構築が私たちの将来の生存を保証する道であることが重要な課題であることが年寄りのアサリ養殖から見えてきたように感じるこの頃である。
 社会資本の整備をはじめあらゆる社会政策の意思決定の過程において生態学的な視点が必要なゆえんである。