生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

二つ目のクマゲラの巣穴(HFM-122)

4度目の北ノ俣沢-その2
 二つ目のクマゲラの巣穴
 崩落地と園周辺の風穴での温度測定を終え、さらに上流を目指す。左岸の高茎草原で鮮やかなムラサキ色の花の群落を見つけた。花はトリカブトに間違いない。だが葉は見慣れたトリカブトよりも幅広で厚い。どうやらオクトリカブトのようだ。
 夏も過ぎて初秋の気配が漂い始めた北ノ俣沢では秋の花がそこここに見られる。少し下流の河原ではヨツバヒヨドリが花を咲かせていたし、ヤマブドウの果実はまだ青いもののブドウらしくなってきた。もう秋はそこまでやってきていることを感じる。

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 まもなく正午だ。少しばかり腹が減ってきた。目指す調査地はもうすぐだ。調査地へは左岸から右岸へ浅瀬を探して渡渉する必要がある。幸い浅瀬が続いているので、市川さんには先に行ってもらい、調査地周辺の写真をとっていると、先行した市川さんが私を呼ぶ声が聞こえた。何事と思って、急ぎ川を渡ったのだが、余りに慌てていたので石に躓き、こけてしまった。カメラをぬらすまいとして少し膝をひねったようだ。そのときは擦り傷以外にはそれほど痛みもなかったのだが、帰広してから膝に違和感を感じる日が続いている。年寄りの冷や水そのものだ。

 閑話休題
 とにかく川を渡ってテラスへ上がると、「クマゲラの巣が」と市川さんが少し興奮しておしえてくれた。テラスから斜面を少し上がったところにあるブナ。そのブナの幹の地上7-8mほどのところに、南南東に向かって、まん丸の穴が空いているではないか。まさにクマゲラの巣穴である。このブナは方形区調査でNo43(胸高直径57cm)の調査対象樹である。なぜあのとき気がつかなかったのか。あのときは天候も不安定で時間に追われ、樹種の同定と胸高幹囲の測定に目を奪われていて、樹木全体に目を配っていなかったに違いない、とも思ったのだが。かすかな記憶をたどると、穴には気がついていたような気もしてくる。ただそれがクマゲラの巣穴とは考えなかったのだ、とも思えてくる。いずれにしても「心そこにあらざれば見れども見えず」ということを身をもって体験してしまったことになる。痛恨のミス(見ず)だった。 双眼鏡で覗くと樹皮のはげた円形の穴にドーナツの様に木質の輪が見える。穴の内径はどのくらいなのだろうか。余りに高い位置にあるので直接測定することはもちろんできない。比較対照できるものを使って間接測定するしかないが、それでも現場でそれをしても精度が悪すぎる。そこで全長50cmの折り尺があったのでこれを使うことにした。

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 折り尺の2節目を直角に折ると、その部分が10.5cmとなる。逆L字型にした折り尺をスケールとして地面から巣穴までが入るように写真を撮り、プリントアウトした画面上で計測することでおおよその大きさを測ることにした。
 その結果、樹皮に穿たれた穴の大きさは、高さ、幅とも13cm ほどで木質部の穴は、6.5 ~ 7.0cm であることがわかった。樹皮の薄利や形成層の盛り上がり状況を勘案すれば、元々の巣穴の大きさは8 ~ 10cm ほどと推定できる。クマゲラの巣穴の大きさである。

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 こうした二つ目のクマゲラの巣穴を見つけたのだが、このときまたもや、同じ失敗を繰り返したのは、大いに恥じなければならない。巣穴の写真は望遠レンズでもとっておいたのだが、その写真をみると、問題の巣穴の右下1mほどのところにもう一つ穴が穿たれていたのだ(写真)。
 おもわず、「うっそー」と口走ってしまうほどの驚きだった。穴は正面を向いていないので正確にはわからないが、どうやら縦長の穴のようだ。穴の高さは20cmほどになろうか。この穴は何なんだ。巣穴でもなさそうだし、採餌痕でもなさそうだ。もしかしたらねぐら様の穴なのかも知れない。いずれにしても再度詳しい調査が必要だ。
 どうやら北ノ俣沢を含む成瀬川源流域はクマゲラの生息地としてかなり重要な地域なのではないだろうか。とこんなことを考えて意見書の追加と訂正を準備しているところに、成瀬ダム訴訟の控訴審に関する記事(9月8日)が地元の新聞に載った。内容は原告側が現地調査を行い、クマゲラが生息する可能性があり、ここの自然環境が世界自然遺産白神山地」に匹敵する貴重なものといった内容をしたためた意見書を提出したことを伝えるものだった。こうした記事が出たことで、北東北のクマゲラの調査をしている NPO法人本州産クマゲラ研究会の藤井氏も関心を持ったようで、このブログのクマゲラの巣穴発見の記事に次のようにコメントを寄せてくれた。
 「新聞記事のことやこのブログを見ましたが、この穴は試し彫り言って、未完成巣穴です。クマゲラの生息が十分可能なブナ林ですから、ダム建設は望ましいものとは言えません。小笠原先生は、何を根拠に大丈夫とお墨付きしたのか?」(原文のママ)(クマゲラの巣を見つけた 参照)。
 このようにクマゲラの専門家が関心を示してくれたことは、原告にとって大きな励ましになったし、今後へ調査への追い風になったこと思う。感謝する次第である。その上であえていえば、私にはこの巣穴がなぜ「試し掘り」と断定できるのか、という疑問が頭から離れないのだ。
 キツツキ類が樹幹に巣穴を掘り始めて途中でやめてしまうことはままあることは私も知っている。しかし、奥行き(深さ)は不明なものの、完全に穴が開いている巣穴が何故試し掘りと断定できるのか、そこがどうしてもわからないのだ。
 たとえば、巣立ちまで育雛に使用した巣穴であれば、もう少し穴の周辺へんに使い込んだ痕跡があって当然ということなのかも知れない。仮に使い込んだ痕跡が薄いとしても、何時の時点で使わなくなったのか、少なくとも穴の下縁にはひっかいたような爪痕が残っていることを考えれば、ある程度は出入りしていたことが推測できるだろう。
 ここと決めて巣穴を穿ち始めたが、どうも材質が堅すぎるとか水気が多すぎるとか育雛には適さない感じたとかで放棄するというのならわかる。が、それでもそうしたことならもう少し早い段階で放棄するのではないだろうか。どんな事情いがあって堀かけの巣穴を捨てたのかという事情はクマゲラに聞かなければわからないことだが、放棄すべき何らかの事情があったことは間違いない。かなり困難なことであったとしても、生態学者はそれを知ることが仕事なのだと私は考えている。
 たとえば巣穴を放棄するには、こうした営巣不適木というこの樹木特有の問題以外にも、たとえば、立地がよろしくないとか途中でテンやカラスなどの邪魔が入ったとか、ダム関連の工事が邪魔だったとか様々な要因が考えられる。   
この巣穴が未完成で使われなかった「試しぼりの穴」と断定するだけの根拠がわからないので改めて、その辺のことを聴いてみようと思う。
 そしてもう一つの疑問。藤井氏はクマゲラの生息環境として広大なブナ林が必要と考えているようだ。確かに広大なブナ林にクマゲラは生息しているし、そうでないところには生息していない。この事実からブナ林の重要性を指摘するのはよく理解できる。しかしこの事実は森林が破壊されることなく存続してきた森林、言い換えれば生産力の衰えてない森林(東北地方では当然それがブナ林ということだ)が必要と言うことに他ならない。問題は、雪深いこの地域で、クマゲラはどのように冬を越すのかという点である。冬を越せるだけの食糧を主とする生活資源をどう確保するのかが重要な問題である。そう考えるとブナの存在とは違った条件が必要なのではないだろうか。これはクマゲラに限らず、温帯域の野生動物全般に当てはまることである。

 食糧の乏しい冬越しにはたとえばクマやコウモリなどの冬眠のように生理活性を低下させてエネルギー消費を押さえるか、冬でも利用できる食糧を確保するかのどちらかである。クマゲラは冬眠をしたり冬に極点に生理活性を落とすということはなさそうだから、どうにかして栄養価の高い食糧を確保しているに違いない。

 私にはキタゴヨウの種子がその鍵を握っているのではないかと考えている。北ノ俣沢を中心に成瀬川源流域にはキタゴヨウの群落(写真下)があちこちに点在している、キタゴヨウの種子は油脂分に富んでおり、それがクマゲラの冬越しの貴重な資源になっている可能性がある。食糧の端境期である冬をこの種子を頼りに乗り切ることができるとすれば、白神山地などと比べてもキタゴヨウなどの針葉樹が混交し、多様性に富む成瀬川源流域はクマゲラにとって暮らしやすい森林なのだと思う。

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 この二つ目の巣穴発見に興奮しつつ、かつ悔やみつつ、昼のおにぎりをほおばり休息もそこそこに上流を目指したが、その話はまた次回に。