生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

故安倍晋三元総理の国葬に県知事・県会議長の参加の中止を求める(監査請求) 意見陳述

広島県の有志が集まり、理不尽な「故安倍晋三元総理」の国葬に異議申し立てをし、その国葬広島県知事&広島県議会議長の参加の中止を求める「住民監査請求」をおこしました。

その件に関して、9月21日(水)午後4時から口頭陳述があり、意見を述べてきました。

この制度は完全に有名無実化してしまっていますが、住民が公的な場で異議申し立てをする制度は限られていますので、蟷螂の斧ではあっても口を噤んでいることはできない相談です。

以下、意見陳述の内容です。何分時間が限られており、この程度の内容で我慢してください。質量転換の法則ではありませんが、少しずつでも、たくさん意見を表明することも大事です。

 

 

監2022年(令和4年)広監第100-2号措置請求事件  

                        2022年9月21日

 

広島県監査委員  御中

             請 求 人

 

 私は、頭書記載の措置請求事件の請求人金井塚務です。

  本日の公開口頭審理にあたり、次のとおり意見を述べます。

 

1国葬実施の基準の不明瞭さ―時の政権の恣意的判断

 何故、行政府の長たる「内閣総理大臣」のみが国葬の対象となるのか?

 過去、大喪の礼を除いて、国葬の対象とすべく議論になったのは、すべて内閣総理大臣経験者に限られている。国民の統合の象徴としての天皇上皇とは異なり、総理大臣は行政府の長に過ぎず国葬の対象となるには、国民の議論、すなわち国会での議決が不可欠である。それを内閣という行政府の一存で強行することは憲法に保障された三権分立の原則に反し、憲法の精神にそぐわないのみならず、民主主義の原則を踏みにじる行為と言わざるを得ない。

 行政府の長の業績をもって国葬の対象者とすれば、国権の最高機関としての立法府や司法を行政府に従属するものとの誤解を助長しかねない。三権分立の原則をないがしろにする危険性をはらむことになる。 

 さらに言えば、なぜ、民間人は国葬の対象とならないのか? いわゆる官尊民卑という差別意識の象徴的待遇と言わざるを得ない。民間人にも人間国宝(国の重要無形文化財)や文化勲章受章者、国民栄誉賞受賞者を始め、多くの国民から尊敬される方がたは多い。例えば、ペシャワールの会の代表者であった、故中村哲医師など、国家的栄誉とは無縁で有りながらアフガニスタンにおける運河造成を図り農業生産の回復を通じて平和構築に尽力したその行為に対して世界から尊敬された民間人も存在している。その功績は国葬の対象者として名前すら挙がったことがない。国民の一人として大いに矛盾を感じている。

 

  1. 安倍晋三元総理の業績が国葬にふさわしいとは到底思えない。

 権力の私物化が目に余る。 森友、加計、サクラを観る会など、権力を私物化し故人の周囲に利益を誘導し、国政の公正さをないがしろにしてきたことは多くの国民が知るところである。そうした暴挙が露呈するや国会における100回を超える虚偽答弁を行い、国権の最高機関である立法府への重大な背信行為(犯罪行為)を行ったことは明白な事実である。さらに虚偽答弁を糊塗するために公文書改ざんと証拠隠滅とに関与し、公文書保存の原則を無視した行為はこれまでも指摘されてきた蛮行である。

 また、安倍晋三総理の基幹政策としてのアベノミクスは極端な円安,企業の空洞化や労働環境の劣化は、非正規雇用の増大をもたらし、賃金の上昇も先進国では唯一低水準のままとなった。その結果、国民の間での経済格差は拡大し多くの貧困層を生み出した。そのの弊害ははかりしれない。それ故に岸田新総理は新しい資本主義を主導しようとしたのではないか。アベノミクスの弊害は食物安全保障の失敗にもつながる。農林水産業は衰退の一途をたどり、国内食糧生産に基づく食糧自給率は低下したままで、それに引き続く円安の進行は食糧や生活必需品の高騰など庶民の生活向上にはほとんど無策な政府であった。

 もう一つ大きな問題がある。カルト教団である旧統一協会との癒着による人権無視の政策(人権問題、排外主義など)は多様性を無視したもので民主主義の根幹を揺るがすものである。特に、安全保障問題に関連した核共有論や核兵器禁止条約への不参加(オブザーバーとしても不参加)は被爆国である国民としてはもちろん、広島県民としては全く同意できない政策である。

 

3総理大臣在籍期間が最長との評価は意味が無い

 故安倍晋三元総理の在任期間が歴代内閣で過去最長との事実を持って、国葬の対象としてふさわしいとのことだが、それは全く自民党という政党の規約変更によるもので意味が無い。

 自民党の総裁の任期は任期満了後に再び総裁選挙で当選した場合については、1974年以降に連続で合計2期(6年)まで(前任者の途中退任による残任期間を除く)とする規定が追加された。 その後2017年以降には「連続3期(9年)まで」と変更された。つまり安倍元総理の在任期間は規約改正によって最長となったに過ぎない。

 もとより、在任期が長いことと業績の是非とは別問題であって、評価の対象は在任期間中に何をしたかで測るべきものである。むしろ先の業績や資質を考えると長期であるが故に失政の影響が強くなったことも否めない。よって国葬の対象としてふさわしい基準にはなり得ない。

 

 以上のように故安倍晋三元総理の国葬三権分立の原則に反しかつ、思想信条の自由を定めた憲法にも著しく反するなど問題点を多く抱えている。その点を考慮すれば元総理の国葬は実施されるべきではないし、かりに国が実施を強行したとしても県知事や県議会議長など、地方自治体関係者の公費による出席はよくよくその是非を吟味する必要がある。少なくとも両者の国葬への出席の銭については県議会の議決が必要であろう。

 特に広島県においては、被爆問題を抱え、非核への道を求めている中にあって、核共有論を唱えた元総理の国葬には一定の距離をおくのが多くの県民の願いであり、公費を負担しての葬儀出席をしないよう強く求めます。