生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

Web-博物館ー細見谷渓畔林4 モリアオガエル

 

       

 湿地である細見谷渓畔林はモリアオガエルの生息にうってつけの森である。6月半ばの細見谷を歩けば、そこかしこから、 カヮルル・ガヮルルとやや低くくぐもった野太いモリアオガエルの鳴き声が聞こえてくる。こう書いても実際の鳴き声を表現することは難しいので、兵庫県人と自然の博物館で作成した、カエルの鳴き声を教材とした図鑑で確認してください。https://www.hitohaku.jp/material/l-material/frog/zukan/moriao.html

 細見谷には氾濫原に大小様々な水たまり(止水)があってモリアオガエルの産卵場所には事欠かないのだが、渓畔林を歩きなれていないと、産卵現場に出くわすのはそう簡単ではない。細見谷では6月半ばに産卵のピークがあり、クマの調査時にたまたま出くわすことがあったので、断片的ながらモリアオガエルについて書いてみよう。

 森林棲で樹上に現れるモリアオガエルだが、繁殖期を除いてはほとんどその姿を見ることはない。しかし繁殖期(交接・産卵)である6月半ばには、上の写真のように渓畔林のそこかしこで観ることができる。

 そして時に運が良ければ、産卵の現場に出っくわすこともある。氾濫原の池にかかるチドリノキ(ムクロジ科カエデ属)の枝先にモリアオガエルの団子を見つけることができた。

下の2枚の写真がそうである。産卵を控えておなかの大きなメスに何匹ものオスがとりついている。よく見るとメスにとりついているオスには体色に大きな変異があるのがわかる。模様のない緑色の個体や同じく模様のない黒色の個体。さらに緑色に黒色の斑紋がある個体と言った具合に、一匹一匹模様が異なっている。



 さて、メスの周りにオスがとりついてしばらくすると、オスが粘性のある液体を分泌し始め、それをそれぞれのオスが後ろ足を使ってかき混ぜる。こうすることで粘液に空気が混じり泡だってくる。鶏卵の卵白で作るメレンゲのようなものだ。 

 時間の経過とともにメレンゲは大きくなり、やがてソフトボール大の卵嚢へと大きくなると、メスはその中に産卵し、受精する。しばらくすると表面が乾燥してカサカサの膜に覆われたように硬くなる。こうして真っ白な卵嚢が木の枝に目立つようになる。

 産卵が終わって一週間ほどで孵化が始まり、オタマジャクシはこの卵嚢の中で育つ。オタマジャクシの期間がどれほどなのか正確なところはわからないが、4ー5週間ほどで変態して小さなカエルに成長するようだ。

 ところで、このモリアオガエルの卵嚢はやがえ雨に打たれて溶け、オタマジャクシのうちに下の水たまりに落ちるとされている。水たまりに落ちたオタマジャクシはそこでプランクトンなどを食べて成長し、まもなくカエルに変態して上陸し森の中へと帰っていくという。

しかし、例外はどこにでもあるものだ。2009年7月12日のことである。雨に打たれて崩れかけているモリアオガエルの卵嚢を見つけた。するとその解けた卵嚢にいたのはオタマジャクシではなく、すでに小さなカエルになっていた。中にはまだ尻尾が吸収されていない変態途中の個体もいたが、卵嚢のなかでよくもここまで成長したものだと感心した。一帯何を食べていたのだろうか? 卵嚢つまりメレンゲを食べていたのだろうか?それとも卵嚢の中に小さなプランクトン様の有機物があったのだろうか?よくわからない。

 とにもかくにも変態を遂げた小さなカエルは森へと帰っていくのだろう。とはいえその森も安全地帯ではない。

 カエルとなっても捕食者は多い。この写真はモリアオガエルを狩って食べるオオコノハズクを捉えたものだ。ゆめゆめ安心はできない。そして危険といえば、乾燥や水場の消滅である。細見谷渓畔林を縦貫する林道には未舗装の砂利道でありあちこちに水たまりができている。じつはこの水たまりというか常に水が流れている林道が渓畔林の保全には欠かせないのである。この調査は、この林道の大規模林道(後の緑資源幹線林道)計画を阻止するために始まったのである。渓畔林を縦貫するこの林道が拡幅、舗装されると渓畔林の維持に大きな危機となる。その計画は幸運にも中止となり、渓畔林はなんとか維持できている。
 モリアオガエルヒキガエルは林道上の水たまりも繁殖用の生息場所として利用している。林道に張り出した枝にモリアオガエルの卵嚢を見つけることは容易である。

 こうした林道上の水たまりは場所によっては枯れることなく存続するものもあるが、多くは、一時的に生じてやがて枯れてしまうものである。では、そうした林道上の水たまりの上に産卵することは無駄なことなのだろうか?確かに無事カエルになるまでにかれてしまうという繁殖の失敗というリスクがある。その一方、一時的な水たまりには、オタマジャクシを捕食するヤモリなどがいないという利点もある。かりに、変態するまでの間水たまりが保持されれば、大いなる成功となるやもしれぬ。こうした偶然性は生物の生存や進化には欠かせない要素である。環境アセスメントではこうした認識が欠かせないのであるが、現実はどうもそうではなく、取るに足らない事例として無視されているということを、大規模林道問題を通じていやというほど見せつけられたのである。

 モリアオガエルだけでなくあらゆる生物は生存の為の努力をしており、偶然の効用がときにそれを支えているのだということを、改めて感じた次第である。