広島県北西部は日本海に近く、生物地理学的にも日本海型の特徴を持っていると言われている。つまり冬期の積雪の影響を受ける地域と言うことである。細見谷は旧吉和村、現在の廿日市市吉和という行政区に位置している。水系としては太田川水系の源流域にあたる。ちなみに現在の廿日市市は旧吉和村が太田川水系、旧佐伯町が小瀬川水系、そして旧廿日市町、旧大野町などは瀬戸内海に注ぐ小河川水系と言った具合に三つの水系を行政区に持っていて、結構複雑な事情があるのだがそれは別の機会に論じよう。
あまり知られてはいないが、冬の細見谷は2mをこえる積雪がある豪雪地帯なのだ。冬になると吉和側からの車でのアクセス道は除雪されないので通行は不能となる。そこで冬の細見谷へは十方山山系を迂回するというとんでもなく大回りをして北側、芸北町を経由して横川(よこごう)にある恐羅漢スキー場からアクセスするといういつもとは逆方向への道となる。恐羅漢スキー場の駐車場へ車を止めて、そこからクロスカントリースキーをはいて、十方山林道を吉和方面に7Kmほど歩いて細見谷渓畔林へと向かうことになる。これはかなりの重労働なのだ。林道上の雪の状態は必ずしもしまっているところばかりではない。緩んだ雪や水切り周辺では1mを超える断絶があったりと、スキーなどほとんど経験のない年寄りにはつらい。ゆえに60歳を過ぎてからは積雪期の細見谷は入らずの谷となっている。だからこの話はもう十数年も前の話である。
生きものの気配もなく単調ともいえる見渡す限りの雪景色の中にも、探せば生きものたちの暮らしの痕跡がたくさん残されている。ケモノたちは足跡やフンという形で冬の暮らしぶりを色濃く残してくれている。足跡を観察してその行動や暮らしの一端を推測する、いわゆるアニマルトラッキングも大きな楽しみである。
そんな痕跡の中でも最も生々しいのが、狩りの痕跡だ。雪の積もった渓畔林の氾濫原で羽毛が散乱しているのを見つけた。美しい尾羽が羽毛からはこれがヤマドリのものだとわかる。大型の猛禽類(おそらくクマタカ)のハンティングの痕跡であろう。襲われて暴れた時に抜けたものだろうか。尾羽と体幹の羽毛だけが残されていた。狩猟者はとりあえず捕まえたヤマドリをどこか近くへ運んで、そこで丹念に羽毛を抜いて処理するのだろう。襲撃痕だけが見事に残されていた。
冬の渓畔林ではせせらぎの音も雪に吸収されて静かさが際立つ。しかしその中にも、生きものたちの息づかいが確かに聞こえてくる。
樹齢400年を超えようかというミズナラやトチノキの巨木群も圧倒的な存在感を見せて、静寂な渓畔林の悠久さを演出しているかのようだが、実はその背後に重大な危機が迫っているかもしれない事態が進行している。気象変動による生物生産の減退がそれである。
2000年代初頭に大規模林道計画が中止されるまで細見谷は12月中旬から4月までの約5ヶ月間は雪に閉ざされた渓畔林であった。が、最近はどうも様子が変なのである。雪の降り方に大きなばらつきが目立つ。年によっては根雪とならないこともある。そこで2013-14年の1年間冬の気温変動をデータロガーで観測してみたことがある。これをみると気温の変動が激しく、積もっては解けまた積もっては解けということを繰り返していることがわかる。冬の中に春が入り込んでしまっているかのようだ。
全国的にも同じような傾向があるようなので、これが細見谷特有の現象とは言えないが、こうした温暖化の影響とも思える気象変動は、生きものたちにどのような影響を与えているのだろうか。最近の生物量の減少と無関係とは思えない。
冬の気象変動が植物の成長具合に影響を与えるとすれば、あるいは越冬している生きものの行動に変化を与えているならば、たんなる気象変動として看過することはできまい。地球温暖化の影響だとすれば、人類の生存ももはや危機に直面しているといえるだろう。問題を軽く観ない方がいい。
冬の渓畔林