生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

吉和トラスト候補地探訪

 このところの座骨神経痛に加えて、諸般の事情からフィールドワークから少しばかり遠ざかっていたが、久しぶりに吉和(廿日市市)の山林を探索する機会を得た。この山林はこれまで歩いてきた細見谷渓畔林とは全く趣を異にした明るい二次林(いわゆる里山)なのだが、それが武蔵野の雑木林を連想させ、なにかほのぼのとした感覚を呼びおこす。名目はさる団体のトラスト候補地としての調査ということなのだが、ヤマザクラもまもなく満開。まるで春の行楽気分だ。

 すこし早めに集合場所に着いたので、吉和の景観を楽しむことに。水路を流れる水音とその透明度が陽光に輝いて、春らしさを際立たせている。左手になだらかな山容の女鹿平山、正面には立岩山系その間をぬって流れる太田川には、アマゴ目当ての釣り人が竿を振っている。その川の向こう側のなだらかな斜面に候補地がある。

 山腹の広葉樹林はライトグリーンの新緑がのどかな風景を演出している。田植え前の水を張った田んぼからはちょっと寂しいながらもカエルの鳴き声も聞こえてくる。そのカエルたちを狙ってか、シマヘビがお出ましだ。

 そうこうしているうちに全員集合。

トラスト候補地へ 

 車を降りると、目の前にアケビの花が目に飛び込んできた。幸先が良さそうだ。写真を撮ってあたりを見回すと、小さなうす黄色の花をつけたシロモジ(クスノキ科)を見つけた。広島大学名誉教授の関太郎さんによれば、シロモジはソハヤキ(襲早紀≒西南日本外帯)型の分布をする典型的な樹種として知られており、広島県内での生育は注目に値する樹木であるという(広島県植物誌)。先端が三裂している葉が特徴的。そのシロモジが群落をなしている。かなり面白い二次林なのだ。そしてもう一つ、ウワミズザクラとおぼしき幼樹がこれまた群落をなしている。もしこれが間違いなくウワミズザクラであれば、近い将来、クマの夏の採食地として大変重要な地域になるに違いない。尾根筋にはアカマツが残存しているが、斜面はクリ、コナラが優占する明るい二次林でこちらも秋の実りがクマにとって価値ある森となりそうだ。

註)ソハヤキとは、熊吸の瀬戸、伊半島のこと。おおよそ西南日本外帯に一致する地域



そしてこの明るい林床にはフデリンドウがそこかしこで小さな薄紫の花を咲かせている。実はこのフデリンドウ、私にとって初見の花なので少しばかり興奮した。トラスト地境界付近の沢筋にはケヤキの大木も。

 かつては、吉和集落周辺の山の上部にはイヌブナが、その下部にはクリが優占する森林が広がっていて、クマをはじめとする野生動物が暮らしていたという。戦後復興の名の下に、クリの巨樹は鉄道の枕木とするために大量に伐採され、イヌブナの林はほぼスギの人工林に置き換わってしまった。そうした森林の変化は当然野生動物の暮らしを破壊したことは容易に想像される。今日の獣害問題の根本は、工業化社会に向けての自然改変にあることは疑う余地がない。農業を自然のサイクルから切り離し、工業化へと邁進する流れは、持続可能性を放棄する流れでもある。農業が持続可能なものとして生き残るためには、生物的自然を基礎とした循環型な産業へと再生させる必要があり、そのためには生物(学的)多様性を再生させるためのストックの保存が必須である。その意味では、小さな面積であっても、トラスト地として、ストックを保存することは、大変大きな意味があると思う。もちろんこうしたトラスト運動のような事業は本来国が音頭をとって進めるべきもであることは言うまでもないが、国が腰を上げない以上、民間の有志が立ち上がるしかない。



 さて、このトラスト候補地を歩いていて、一つ気になることが見つかった。それが写真にあるリョウブの樹皮食い痕である。多雪地帯である吉和地区にはこれまでシカは生息していないとみられていた。ただ2017年には細見谷で初めてシカの姿が捉えられた。https://syara9sai.hatenablog.com/entry/2017/09/17/163312

その後もポツポツとシカの姿がVTRカメラに捉えられるようになった。そうした事実からすると、ここにシカが現れた可能性も否定はできない。樹皮食いのあったリョウブの傍らには、角を絡めた痕(角研ぎ)ののこるアセビや小さいながらもシカとおぼしきフンも見つかったので、疑わしくもあるが、シカが活動していたことがうかがわれる。


 いずれにしても、ここがトラスト地として保全の対象となることを願ってやまない。