生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

川に生きるー新村安雄 読んでみませんか

 ニホンザルの行動学、生態学に没頭していた頃には、川の問題についてはそれほど強い関心は持っていなかった。というより持ち得なかったというべきだろう。しかしながらニホンザルの進化に伴う諸問題を考えるうちに、哺乳類としてのニホンザルを考えるという視点から、やがて学問的な関心は大型哺乳類の生活史へと広がってきた。中でも西中国山地ツキノワグマの生態調査を行うことになってからは、川の生物生産という点を無視し得ない重要な問題であることに気がついた。

 そんなところに、西中国山地国定公園内の細見谷渓畔林を縦貫する「大規模林道計画」への反対運動に関わることで、森林ー川ー海という流域一体の生態学的視点は必要不可欠なものとなった。

 ついでにいえば、アサリの養殖に手を染めたことで実生活にも直結する問題になってきたのです。

 幸い、この細見谷渓畔林を縦貫する大規模林道問題は中止となったのだが、しかし全国各地での森林、河川、海岸の破壊は今でも止むこことはなく、日々、破壊は続いている。それは野生生物の生息を危うくするだけではなく、地域の人々の暮らしをも破壊する。しかし地域外の人にとっては自身の問題としてとらえることはほとんどできていない。こうした問題はやがて私たちの将来を破壊するものであるという認識が持てないことに少なからぬ苛立ちを感じて入るがもどかしい限りである。

 とはいえ、希望が全くないわけではない。御用学者に比べれば数は少ないものの、人々の暮らしという視点から、自然破壊の問題を捉え、告発している研究者・学者・市民はいるのである。

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 先日、中日新聞者から発行された、「川に生きるー新村安雄」はそんな希望を持たせる好著である。

 もとは中日新聞に連載されたものを再編集して上梓されたものであるが、大変読み応えがあるものに仕上がっている。人々にとって川が暮らしとどのように関わってきたのか、魚(ほとんど鮎だが)の暮らす場としての川とは、そして川を取り巻く破壊の現状など、広い視点で書かれた本書は、自然保護の意味を人の暮らしと関連づけて考える格好の教材となっている。

 自然保護は人の暮らしと不可分であるのだが、多くの市民は「自然好きのわがまま」程度にしか理解していなことも事実である。自然を保護するということは、目先の暮らしを意識しつつも将来にわたる子々孫々にわたる生存をかけた運動であることを多くの市民に理解してもらうにはどうすればいいのか日々悩みはつきない。

 この「川に生きる」は決して保護運動を大上段にかまえるのではなく、流域の人々との交流をとおしてその辺のことをじんわりと伝える記事にあふれている。

 行政や政治に携わり、政策の意思決定に関わる人たちには是非、目を通していただきたい一書である。

 もちろん、学生諸君にも市井の皆さんにも一読していただき、自然保護に対する認識を新たにしていただきたいと思っています。

1300円+税です。図書館へのリクエストもいいかもしれません。

 

イノシシとシシウド

 今年の雨の降り方は半端じゃない。広島県の瀬戸内沿岸部では大変な被害をもたらしたことは、連日の報道のとおりである。幸い広島県西部ではそれほどの被害はなかったものの、調査地の沢は河床が大きく洗われ、瀬では砂礫が流され、新たな淵が形成されたり、あるいは既存の淵が消失したりとその変化は生物の暮らしにも影響を与えたに違いない。

 世の中は何か常なる飛鳥川きのうの淵ぞ今日の瀬となる (古今集

という、自然は常に動的ということを実感させるに十分な大雨であった。 

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イノシシがシシウドを菜食した現場

 話は少しずれるが、真夏のクマの食物として重要な位置を占めているウワミズザクラ。毎年、ある程度の実りがあってクマはお盆の頃、恒例のようにウワミズザクラの樹にやってくるのだが、ここ数年はどうも不作続きで今年は特に酷いようだ。

今年の様子を写真に採ってきたのだが、ごらんの様にほとんど実がついていない。f:id:syara9sai:20180818134147j:plain

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 これでは食べたくとも食べようがない。初夏の花付きは決して悪くはなかったので、激しい雨のせいなのかも知れない。とにかくこの大雨でアリもハチもことごとく巣ごと流されてしまったかのようで、森林内にはアリもハチもアブもほとんどいない。かつての細見谷地域の夏は、アブの大群に悩まされたものだが、今はそんなことはない。半袖のTシャツでもなんの不都合もないほど穏やかなのだ。それだけではない。セミの声もなく、わずかに聞こえてくる音の中で生きものらしい音といえばソウシチョウの声だけである。これは雨だけのせいでもないだろう。今、森林帯の生産力衰退が危機的状況になってきているのだが、ほとんどの人たちは全くその事実を知ることがない。

 静かに破滅的状況が近づいてきているような不気味さを感じながら調査行を続けている。この夏の 雨続きでカメラも故障しがちになる。そこで一時引き上げて乾燥させ、安定した状態に戻したカメラを再設置してきたのだが、沢の至る所でイノシシがシシウドを掘り返している現場に遭遇した。調査地の沢を片っ端からシシウドの根を掘り起こし、太い木化した根を食べているのだ。これまでシシウドは初夏にクマが柔らかい地上部の茎を食べた痕跡はかなり目にしていたが、今年はそれも目につかないほどクマの痕跡は薄くなっていた。

 そもそもシシウドを漢字で表記すると「猪独活」である。その原義は、「ウドに似るが堅くて食べられず、イノシシが食べるのに適している」ことからの命名だという。ウドはウコギ科でシシウドはセリ科に属している。実際には食べられないこともないようだが山菜としての価値はあまりない。ただ、沈痛、鎮静、血管拡張などの効用が有り、漢方として利用されているようだ。またリュウマチ、神経痛、冷え性などには入浴剤としても効果があるとされている。ただし、温性なので盛夏には用いないとか。この真夏の食性からすると、どうやらイノシシはそのことを知らないらしい。

 シシウドはウドに似てはいるが、より水気の多い土地に生育しているようだ。セリ科に特有の花が咲けば、間違うことはない。北海道では寄り大型のエゾニュウが生育している。この花のてっぺんで囀るノゴマは野鳥図鑑でもおなじみである。

 シシウドの根は太く木化しており、漢方にはなっても、歯が立ちそうにない。しかし今年に限ってはイノシシはこれをよって食べているのだが、なるほどシシウドと納得する食べっぷりである。

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 泥だらけの食べ残しを沢で洗ってみたのだが、太く堅い根をしっかりと食べていることがわかる。この採食の様子はVTRでも確認できたが、かなり時間を掛けて丹念に掘り起こして食べ歩いていたことが見て取れた。

 夏も終わろうとする8月下旬頃から、クマはブナの若い果実を目当てにやってくる。イノシシはシシウドで夏を乗り切ることができそうだが、クマはどうだろうか。頼みの昆虫類がないとなるとかなり厳しい夏となりそうだ。

 甘くジューシーな果実があれば、何とかこの夏もしのげるかも知れない。幸い、その後に稔るミズキやサルナシなどは豊作の模様だ。クマはこの夏場何を糧にしのいでいるのだろうか。痕跡の薄さが気になる調査行であった。

オシドリが繁殖していた。母親と7羽の雛

やっぱり、オシドリがいた 。
細見谷でオシドリが繁殖している可能性が高い。
HFMエコロジー・ニュース54(211)で書いたのが2007年5月30日のことだ。

とはいえ、このときも繁殖の事実を確認するには至らなかった。
 かつて、吉和ではオシドリの繁殖が確認されていたし、細見谷を含む県内各地で越冬するオシドリが観察されてきたが、こと繁殖ということになると、吉和ではここ20年以上もその記録はない。

ちなみに広島県レッドリスト最新版では、「要注意」の定義は、要注意種(AN)評価するだけの情報が不足している種,または,広島県の自然特性等から保護上の重要度の高い種現時点では絶滅危険度の評価は困難であるが,上記のランクに移行する要素を有するもの、だそうだが、何のことやら意味不明だが、要するに実態が不明ということ。野生生物のフィールド調査をしていないのだから情報不足はべつにオシドリに限ったことではないのですが。とにかくよくわからないが希少であるということです。

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/139053.pdf

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オシドリのペア 2008年

 その後、細見谷川流域でクマの調査を続けているが、その調査の過程で思わぬ発見がある。特に野鳥に関する貴重なデータが集まる傾向がある。クマタカハイタカオオコノハズク、アオシギなど思いがけぬ姿をとらえることができている。またミゾゴイの繁殖も初めて確認することができた。そして今年はオシドリの繁殖が見事に確認できた。写真は動画を切り取ったので背景に溶け込んで見にくいが、母親の後を着いて歩く7羽の雛が写っている。雛は歩くというより流れに身を任せて必死に親の後をついて行くといったほうが正確かも知れない。とにかくその必死さがかわいいのです。

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 きっとこの上流にある樹洞が営巣地なのでしょう。それを確かめる仕事ができた。うれしいやら大変やら、老体の身が持ちそうにない。

 西中国山地国定公園の一角を占める細見谷渓畔林流域はクマだけではなく野鳥にとっても最後の避難地となっているのではないだろうか。その意味ではこの流域一帯を国定公園の特別保護区に指定し、多様性の保全を計る必要がある。

 こういうと自然保護では「飯は食えない」という反論が聞こえてくるが、それは何も野生動植物のためだけの政策ではない。むしろ私たちの生存に直結した問題なのだ。
 なぜならこうした多くの貴重なストックと生産力の維持こそが経済の持続性を保証し、我々の生存にとって欠かせないものであるからなのだ。

 

大野権現山周辺のベニマンサク

 2018年6月2日土曜日、天気も良く久しぶりに地元の大野権現山へ出かけてみた。ほぼ25年ぶりのことだ。大野自然観察の森の駐車場に車を置いて、約2Kmほどの旧佐伯町との町境にある標高699.2mで旧大野町最高峰となる。

 大野自然観察の森は1984年から環境省が主体となり、各地方公共団体と整備を行った自然教育施設で、農業用のため池を中心とした通称「ベニマンサク湖」を中心に観察路が整備されている。

 開設当初は日本野鳥の会に運営を委託し、運営方針は外部の運営委員の合議でということになっていた。私自身もアニマルトラッキングなどの観察会を引き受けたりしてかなりの関与していたのだが、まもなく運営主体の大野町は財政負担に耐えられず委託は解消され、大野町の直営となった。

 当時私も運営委員を引き受けていたが、飲料水の自動販売機の設置を巡って設置不可の答申をしたことで、ほとんどの委員が解任されてしまった。というわけでそれ以後は、足が遠のいてしまったというわけである。

 ここ大野自然観察の森の目玉はなんといっても「ベニマンサク」である。駐車場に車を止めて遊歩道を歩くと川沿いにこのベニマンサクが並木をなしている。今はまだ紅葉していないが、特徴的な果実を見ることができる。

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 ちなみに秋になると写真のように真っ赤に紅葉するが、同時に赤い花弁の花を同時に楽しむことができる。

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秋のベニマンサク、赤い花も見ることができる。

 標準和名はマルバノキ(Disanthuus cercidifolia)。ハート型の葉の形だけを見るとマメ科ハナズオウによく似ているが、あまりなじみのない方が多いのではないだろうか。というのもこのマルバノキは岐阜、長野、愛知、滋賀、福井、高知と広島(旧大野町)のみに分布が限られているのでそれもやむを得ないだろう。

 広島県では県の天然記念物に指定されているのだが、その分布の実態が曖昧なため、1992年に総合調査を行い、翌93年(平成5年)に報告書としてまとめている。

 もともと大野地区の人々はこの木をバンノキと呼んでよく知られた植物だったようなのだが、植物学会ではマルバノキが大野地区に群生していることは知られていなかった。こうしたことはよくあることで、やんばるの固有種・ヤンバルクイナも地元の人たちは飛べない鳥がいることは知っていたが、その存在は学界には知られていなかった。やがてそれが学者の目にとまって、固有種の「ヤンバルクイナ」として学界に認知荒れると「世紀の大発見」となったのである。

 マルバノキが学界に知られるようになったのは1931年(昭和6年)のことである。広島山岳会に所属していた平川一秋氏(故人)が大野権現登山の帰路、現在の自然観察のある湿地で1本だけ紅葉している樹木に目がとまり、茶褐色の果実の着いた枝を採取して持ち帰り、佐藤月二(広島県師範学校助手、後に広島大学教授)氏に同定を依頼したという。当初、佐藤はなにやらよくわからないが、どうもハナズオウのようだとの感想を持ったが、後日、果実を見てマンサク科の特徴を持つことに驚き、マンサク科のマルバノキであるとの見当をつけ、田代善太郎、高木哲雄に連絡し、最終的に牧野富太郎によってマルバノキと同定されたということである。(べにまんさく総合学術調査報告書・大野町教育委員会 1993年より一部抜粋)

 このベニマンサクは水辺に群生しているが、当時調査してみた経験からは川の水面っから3m以内のところに生育しているケースが多く、水流による種子頒布をしているのではないかと考えている。多くの湿地が破壊され乾燥化していく中で分布がかなり分断してしまったのであろう。秋に咲く花は赤い糸が放射状に伸びる星のような形をしていて、なかなか美しいのだが、ドクダミによく似た悪臭を放つ。これが昆虫類を引きつけているのだ。

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 つまり遊歩道沿いの植栽は不自然な並木というべきなのだが、まあ、目をつぶろう。道の反対側の乾燥した真砂土にはガンピが黄色い筒状の花つけていた。このガンピは高級和紙の原料としてかつては子どもたちの小遣い稼ぎにもなったということだが、今ではほとんど利用される事はない。ただ、樹皮の繊維はは極めて強いので登山靴の紐が切れてしまったときなどは緊急批難的に利用できる。

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 そうこうしているうちに権現山登山口まできた。ここからはだらだらと小一時間ほど斜面を登る。ツツドリホトトギスキビタキの囀りも聞こえるが、イノシシ以外の野鳥もケモノも気配が薄い。手入れの悪いスギ林を抜けて尾根筋に出る。この森は若い二次林であるが、液果を稔らせる樹木が少なく、サルもクマも暮らしていけそうにもない。近隣にはクマもサルもいるのだが、残念な状況である。

 もう一つここで紹介すべき特徴がある。次の写真は、シロモジ(クスノキ科)である。暖帯から温帯の落葉樹林に分布するが、あまり多くはなく、レッドリストに掲載されている都県もある。

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 だらだらと緩斜面を登ること約1時間(連れ合いの足が遅いので)。ようやく山頂にたどり着く。ここから宮島を望むと大野瀬とをはさんで駒ヶ林の絶壁も見ることができる。まあ、軽いハイキングにはいい山なのかも知れない。人混みがないのが何より。

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 帰りにはベニマンサク湖に咲くヒツジグサ、(睡蓮)を堪能した。

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f:id:syara9sai:20180607161045j:plain 登山の前にヴィジターセンターで入園届けをしましょう。駐車場ーヴィジターセンターー登山口ー山頂  標準所要時間片道1時間

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アサリの養殖から見えた生物多様性喪失の問題点

 暑さ寒さも彼岸までとはいうものの本当にびっくりするくらいの急激な気温上昇である。サクラも例年より早く満開となったようだ。あっちでもこっちでも桜祭りとやらで人出も多く、出かけるのに躊躇してしまうのだが、それほど有名でないところにひっそりと咲くサクラを見物に行くのはこの時期の楽しみの一つである。サクラが咲くようになると、アサリ漁民も忙しくなる。今年は3年前に借り受けた浜(70㎡ほど)に加えて、40㎡ほどの区画を受ける事になった。

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 アサリの養殖などいっても海のことだから放っておけば独占的にアサリを収穫できる権利と思う方もいるかも知れないが、それほど甘い物ではない。確かに数十年前までは特別何にもしなくとも、アサリの個体群は再生できたので、取り過ぎさえ防げば、持続的に利用できたという。しかし最近ではアサリはほぼ絶滅か絶滅危惧種というほど資源は枯渇している。商業的に見ればアサリ養殖は既に破綻しているといえるだろう。 私の住んでいる宮島の対岸、廿日市市大野地区は「手掘りあさり」としてその筋ではかなり有名な産地ではあるが、1人あたりの手掘りアサリの生産量はたかが知れている。とても事業として成り立つような収入を得ることはできない。年間の出漁日数が80日として一日平均10キログラム収穫したとしても、年間800キログラムで年収は60万円に届かない。実際には1区画あたり100キログラム出荷できればいい方なので、年収7-8万円と行ったところである。年寄りの小遣い稼ぎ程度にしかならないのだが、それでもかなりの人が漁業権を得て、アサリ養殖にいそしんでいる。かく言う私もその1人である。
 あさり養殖では労力に見合う収入を得ることはできない。現代の功利主義的商業主義からみれば馬鹿げた事業に違いない。それでも浜に出て、手入れをし、収穫を楽しむというのは、考えてみれば優雅な活動でもあり年寄りの贅沢ですらある。とはいえ潮と汗にまみれ、へとへとになりながらも活動し続けるのは何故なのだろうか。私にもその理由はよくわからない。ただ一つだけ言えるのは、そうして収穫したアサリは大きくて(貝殻長4cmほどもある)市販の物とは比べものにないおいしさが詰まっている。その楽しみが最大の動機だろうか。
 こうした素晴らしいアサリが掘れるようになるまでには、多くの労力をつぎ込まねばならない。まず、新たに借りた40㎡ほどの畑は、いわば廃田のような状態にある。干潟とはいえアサリや底生生物が極めて乏しい海底は堅く、酸素供給が十分でない地下の砂は真っ黒で硫化水素を含む還元的な土壌となっている。これを鍬やスコップで丹念に掘り起こし、十分空気に触れさせることを繰り返す。しかも他の区画に比べて少し低く窪んでいるので砂を入れてならさなければ良い畑にはならない。そこで砂の堆積場から猫車(一輪車)を使って、かなりの量の砂を運び入れる必要がある。スコップで砂だまりの砂を掘って猫車に摘み、それを100mほど離れた畑まで運んで撒く。これを何度も繰り返してやっとあさりの生活の場ができるのだが、しかしそれだけではアサリは出現しない。稚貝がいないのだからいくら待ってもアサリはとれるようにはならない。そこで、稚貝をどこからか探してこなければならない。これまでは主に熊本県から稚貝を購入していたのだが、定着率が悪いことや病原菌の混入などのデメリットがあるうえに、原産地の熊本でもアサリの減少が深刻になってきており、地元での稚貝の確保が課題となっている。
 そこで地元漁協を中心に地元産の稚貝を調達する方法(大野方式と呼ばれる)による稚貝の確保に目途が立ち、昨年から本格的な稚貝確保の態勢がととった。これについては「アサリ漁民となってみたーアサリ養殖は儲からないが役に立つ」で紹介したのでそちらを参照してください。
http://syara9sai.hatenablog.com/entry/2017/05/17/152247

 さて問題は何故アサリが激減したのかという点にある。これには諸説あるが、主なものは、公共下水道の普及や公害防止策が進み、海が貧栄養状態になった。それに加えて、チヌ(黒鯛)やナルトビエイなどが増加し、アサリを食い尽くしている。というのが一般的な見方である。
 現場を見ていれば確かにその通りなのだが、よくよく考えてみれば、それは表層的な原因に過ぎず、真の原因は貧栄養の原因は主要河川にもれなく設置された多くのダムやその支流に設置されている無数の治山ダム、砂防ダムが物質循環(栄養塩類や土砂など鉱物質なども含む)を断ち切っていることの方に目を向けるべきなのだろう。  
 またチヌやナルトビエイの増加の原因は、干潟の埋立や海砂の採取、護岸工事による自然海浜の減少など陸域との断絶などによる浅域の生物多様性の貧弱化の結果、有用魚種の人工授精による養殖漁業への転換といった、近代社会の産業構造が大きく影響している。
 浜に出てみればまるで砂漠のごとく生物の影は薄い。浜を覆い尽くすほどのカニがどこへ消えたのか?チヌによるアサリの食害はこうして大きな問題となった。
 もし仮にベンケイガニやコメツキガニなどの小型ニ類やゴカイなどの底生生物が豊富であれば、これほどアサリへの食圧は高まることはないだろう。
 アサリ以外に食資源がない、そんな環境下でチヌは浜に唯一まとまって生息していたアサリに依存した暮らしをせざるを得なかったということではないだろうか。
 生物多様性の喪失は沿岸漁業にとって死活問題なのは、基本的に農業と異なり、採集の対象となる魚も魚介もすべて野生の生きものだということである。したがって漁業の対象となる生物の増減は自然の多様性とそれを基盤とした生産力に依存したものとなる。つまり生態学的な法則をより強く受ける産業なのだから、漁業を再生させるためには、森-川-海の物質循環系を再構築する必要があるということだ。森林の多様性の回復、河川からのダムの撤去、自然海浜の再生など生物学的多様性(生活の場の多様性)を取り戻す社会の構築が私たちの将来の生存を保証する道であることが重要な課題であることが年寄りのアサリ養殖から見えてきたように感じるこの頃である。
 社会資本の整備をはじめあらゆる社会政策の意思決定の過程において生態学的な視点が必要なゆえんである。

 

宮島のシカとサル-シカザル人形と色楊枝

  財団法人日本モンキーセンター(当時)によってにニホンザル47頭が香川県小豆島から宮島へ移されたのが1962年のことである。それからおよそ40年の間、ロープウエイの終点駅付近に設けられた餌場でニホンザルを観察することができたてきた。このニホンザルこそが私の研究対象でもあり、野外博物館活動の主たる対象でもあったのだが、度物愛護法の改定を機に、野生動物の野外飼育に厳しい条件が課され、やむなく宮島のサルたちは日本モンキーセンター(愛知県犬山市)の飼育施設は再移送された。ただは1995年頃に主群から分裂した一部のサルは野生化して宮島西部に遊動域を確保して生き延びている。今でこそ野生動物の移殖には高いハードルが課せられているが、サル学隆盛を極めた1960-70年代にはそうした意識は薄く、有害鳥獣駆除されたサルの処遇の四方として容認されていたのである。

 かつて宮島には野生のニホンザルが生息してたとの言い伝えがあり、明治時代に入って絶滅したと信じられていた。そこで「ニホンザル個体群の復活」が生態学的な実験ケースとして移殖にゴーサインが出されたのである。とはいえ、移殖に当たっては相当厳しい条件が課されていたことは言うまでもない。移殖の目的が学術研究に限られていたし、個体数管理もかなり厳格に守られていた。

 私は宮島でサルの生態学的研究とそれを活かした野外博物館活動を実践するという課題を与えられて赴任してきたのだが、実際、サルの暮らしぶりを見ていると、明治期にサルの群れが絶滅したと推測できる合理的理由が見つからないのだ。そこでこの疑問を説くため様々な資料を当たってみたところ野生のサルの群れはいなかったとの結論に至らざるを得ない。それではまず宮島にサルがいたという話はどこから来たのかといえばどうやら戸時代の観光ガイドブックにその原因があるようにおもえる。

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大経堂(千畳閣)に店を出す楊枝屋と看板のサル・厳島図会


 江戸時代後期になると人々の交流も盛んに成、宮島も厳島詣でと称してそれなりの観光地へと発展してきた。そしてそうした潮流の中で文人墨客による宮島をモチーフにした和歌や漢詩が広まり、その中に「弥山の森に猿の声を聞く」というような創作をしたり、宮島の町中には猿が多いといったような伝聞によるフェイクニュースもどき増えてきた。今も昔も事実は伝わりにくい物だと実感する。宮島のサル絶滅を唱える人はどうやらこれを事実として取り違えたことが原因であるらしい。しかもこうした誤解に基づいてサルを厳島神社に奉納した事実もさらに絶滅説を強固なものにしたのであろう。

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塔の岡の楊枝屋の庇にサルがいる・厳島図会

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楊枝屋で売られていた色楊枝・厳島八景とサル、シカの10本セット、他に弁慶の七つ道具と御幣、サル、シカというセットもあった

 

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色楊枝はこんなデザインの袋に入れて売られていた


 しかし江戸時代末期の観光ガイドブックとも言われている「厳島図会」をひもといてみると、サルとシカの取り扱いに大きな相違があることが見えてとれる。厳島図会にはサルもシカも描かれている。しかし面白いことに、随所に描かれているシカとは対照的にサルが描かれている場面は2カ所しかない。一つは船着き場付近の楊枝屋の軒の屋根の上で、もう一つは大経堂(今の千畳閣)に店を広げる楊枝屋の周辺である。これはどう見ても楊枝屋の看板として買われていたサルとみるのが妥当である。なぜなら、当時、サルは口腔衛生を司るものとして楊枝屋は「さるや」をなのることが多かったという。特に有名なのが、京都粟田口の「さるや」と江戸日本橋の「さるや」で、後者は今でも営業を続けている。
 明治時代千畳閣(大経堂)付近にサルがいたことはまちがいないが、これは、山口県岩国市在住の花房吉兵衛なる人物が15頭のサルを厳島神社に奉納したものである。奉納されたサルはその後街中でいたずらを繰り返し、半年ばかり後には捕獲されたという(芸備日報)。

 それより以前の江戸期にもサルの生息をうかがわせる文書は多いが、いずれも野生個体群の存在を証明するものではない。おそらく、江戸時代にいたサルは、宮島名物「色楊枝」の看板に飼われていたサルというのが真実のようだ。こうした飼われていたサルとシカは街中で暇をもてあましていたのかも知れない。サルは大変好奇心が強い生きもので、暇があれば目の周りの物を何でも遊びの対象としてしまう。楊枝屋の看板ザルも近くで休息しているシカを見れば近づいて毛繕いをしたり背中に乗ったりして遊んでいたのであろう。餌付けされたサルとシカの交渉を見ているとありそうな話ではある。
 そんなほほえましい交渉を土のひねり人形として具現化したのが、シカザル人形でなないだろうか。

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圧倒的な観察力が魅力

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 いま、沖縄本島北部のやんばるは世界自然遺産登録のためのIUCNの現地調査が行われようとしている。世界遺産に登録されようがされまいが、ここの特異性や希少性は世界に冠たるものとして後世に残していかねばならない。そうしたかけがえのないやんばるの生物たちは日々絶滅の危機に直面していることはご存じだろうか。

 やんばるの自然は味米軍の訓練場として手つかずのまま保存されてきたかのようにいわれているが、実態はそうではない。そして今、東村高江地区には森を切り裂いて大きなヘリパッドが建設され、オスプレイや大型ヘリが上空を飛び交っている。こうした軍用機の出す轟音や墜落事故はこの地域の生物にとってその生活の場を破壊する要因に他ならない。まさに自然遺産に対する冒涜である。

 そんな日常に真っ向から立ち向かい、高江の森の生きものたちを見続け、現状を伝えようと孤軍奮闘しているのがアキノ隊員こと宮城秋乃さんである。彼女も先日紹介した「ナキウサギふぁんくらぶ」の面々と同様、すぐれたアマチュア研究者の1人である。自然を見つめそこから得られた事実に基づき、自然の有り様を理解しようとする態度は見ていて気持ちいい。専門はチョウやガなどの鱗翅目だそうだが、昆虫類、は虫類、両生類、鳥類などあらゆる生きものに関心が向いているようだ。

 昆虫類の多くはほとんど人目にも触れずひっそりと暮らしているのだが、こうしたいわば

無名の生きものに彼女の目が向くとたちまち魅力ある生きものとして我々の目にとまることになる。まさに森の生きものの代理人といった人である。

 そんな彼女が「ぼくたちここにいるよー高江の森の小さないのち」を出版した。タイトルどおり、小さな生きものたちの暮らしが写真で紹介されているが、この写真のすべてが暮らしという視点を持っている。つまりよくありがちな標本写真ではなく、暮らしの一断面が生活の場とともに紹介されている、そのことにこの本の価値がある。そしてその暮らしを守ることは暮らしの場である森林そのものを守ることであることを伝えている。こうした豊かなやんばるの森が今、米軍のヘリパッド建設やその後の訓練施設として運用されることで大きなダメージを受けることを訴えているのだが、その視点もやはり生きものからのものである。自然の魅力を伝える活動にも積極的に取り組んでおり、まさにフィールドミュージアム鑑としての力強いアキノ隊員の面目を遺憾なく発揮している一冊である。乞うご購読。

 影書房刊 1900円+税 

  

 

 

 

エゾナキウサギ

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ーアマチュアリズムの結晶ー 

 エゾナキウサギはとても魅力的な生きものである。私はニホンザルの研究者として本州以南をフィールドとしていたが、このエゾナキウサギは名前が示すとおり、その生息地は北海道にある。したがって、ニホンザルのフィールドワークをしている限りはエゾナキウサギに出会うことはできないのだが、私の中におけるその存在感は意外なほど大きかったようだ。なぜだかよくわからないが、一度はこのナキウサギなるものを直接観察してみたとずっと思っていた(ふしがある)。

 2005年大規模林道問題を話し合う大会が北海道札幌であり、そこで広島の問題について報告することになっていた。せっかく遠路出かけていくのだから、この際、ナキウサギなる動物を見てみようと大会世話人の方に勝手な希望を伝えたら、それなら私が案内しましょうと快く引き受けてくれたのだが。その方こそがナキウサギふぁんくらぶ代表の市川利美さんだったのだ。2005年6月27日のことである。そのとき撮った写真がこれである。ややピンぼけになっているあたりに感激の度合いがにじみ出ている。 

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 この小さなウサギの仲間は少々変わり者である。どんな変わり者かは是非この写真集をお読みいただければわかる。氷河期からの生き残り(遺存種・レリック)であるためにその生存には低温という条件が欠かせない。永久凍土を有するがれき地帯のい地下が主な生息地であるゆえに、その生活史や生態にはまだまだ未解明の部分がおおい。今はやりのGPSやラジオテレメトリーを利用した研究も困難で、じっくりと観察を続ける以外に有効な研究方法は見つからない。つまり、大学などの研究機関ではなかなか手が出せない研究対象でもある。

 とはいえ、地道な観察を続けることによって生活史の解明は確実に進んでいる。その努力こそアマチュアリズムの神髄でもある。成果を急がず丹念に観察事実を積み重ね、理論化して得られた仮説を検証するという息の長い研究は今の大学でも専門の研究機関でも為し得ない。ナキウサギに魅せられその不思議を知ろうとする動機に突き動かされる知的好奇心こそ研究活動の本道である。世間ではアマチュアといえば素人(しろうと)とさげすむ風潮があるが、アマチュアは決して素人を意味しない。アマチュアの原義は「好きであること」にあり、好きであれば突き詰めて知ろうとする欲求が出てくる。したがって真のアマチュアは探究心に富み、専門的な知識も獲得しているものである。翻って、大学などの研究機関に所属する研究者はそれを職業としているという意味においてプロである。しかしプロであったとしても研究対象に専門的な知見を有しているとは限らない。そうした事例は枚挙にいとまないのだが、多くの人たちはそのことを知らない。

 このエゾナキウサギという写真集は実にキュートな写真に満ちている。それだけでも楽しいのだが、その内容は生態学的にも進化論的にも豊かなものである。まさにアマチュアリズムが生み出した傑作といえる一冊になっている。

 ぜひ皆さん、購入して熟読して見てください。エゾナキウサギという魅力的な生きものの不思議とその厳しい現実と学問の楽しさを堪能できることと思います。

 エゾナキウサギ

 発行:ナキウサギふぁんくらぶ

 発行所:共同文化社  1800円+税

問い合わせ先 060-0003 北海道札幌市中央区北三条西11丁目 加森ビル6F

       ナキウサギふぁんくらぶ(代表 市川利美)

                         E-mail funclub@vmail.plala.or.jp

 

      

 

細見谷地域にシカ現る

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 2017年9月15日 ここ広島県西部地域も風18号が接近しつつあり、細見谷渓畔林域に設置してあるクマの生態調査用自動撮影装置を避難させるため現地へ趣いた。前回メンテナンスをしたのが、8月12日だったからほぼ一月ぶりとなる。比較的好天に恵まれていたが、さすがに一月も放っておくのも心配だった。実際、前回は一台が故障して修理の必要があったのだ。それでなくとも電池切れや誤作動でメモリが一杯になっているかもしれないので、少なくとも2週間に一度はメンテの必要がある。

 それはともかく、無事カメラを回収してきて、何が記録されているのか点検をしてみると、なんと驚くべき映像が見つかった。下の写真もその一つだ。ファイルを再生してみると鋭い目つきの大きめの鳥の姿が現れた。とっさにクマタカだとわかったのだが、カメラの目の前、50cmも離れていないように見える。雨上がりでレンズに水滴が付着してピントが甘くなってしまっているのが残念だがそれでも迫力は十分だ。写真はビデオ映像からキャプチャーしたので迫力は半減しているが、FBにアップ(広島フィールドミュージアムのページ)した動画でご覧いただくとかなりの迫力である。

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 そして今日の本題はもう一つ別のトピックスである。最初に掲げたモノクロのシカの写真がそれである。 

 9/14日の深夜、大きな角をもつオスのシカが沢筋を下流に悠然と歩く姿が記録されていた。細見谷地域でのシカの生息は初確認である。

 広島県下でのシカの分布域は、広島市安佐北区の白木山周辺以東と宮島で廿日市市吉和地区ではこれまでニホンジカの生息は確認されていなかった。また隣の山口県では萩市宇部ラインより西側、島根県では県中央部(奥出雲地域)を中心に県下全域に生息しているものの石見地方はかなり希薄なようだ。このシカが太田川沿いを遡上する形で移動してきたのか、はたまた宮島由来のシカなのか、山口県の個体群由来なのかそれは全くわからない。

 このシカ、大きな角を持っており栄養状態はかなりいい。悠然とカメラの前を通過して、下流方向へ去って行ったが、さてどこまで行くのだろう。体つきから見ると現在の宮島のシカよりずっと体格がいい。かつて、今から3,40年前の宮島にはこの程度の対角のオスはそう珍しくはなかったが、現在では身体の大きさはともかく、角の大きさはこれほどのものは見当たらない。宮島由来と考えるのは少し無理かも知れない。ここが太田川水系の源流部に当たることを考えれば、広島市の個体群由来というのが一番ありそうなことだと思う。がしかし、自然は何が起こるかわからない、不思議の追求には長い時間がかかることだろう。

 オスのシカは、シカに限らないが、相当の距離を移動することは決して珍しいことでもないので、シカがいたからどうということもないのだが、全国各地でシカの食圧による森林植生が大きく変化している昨今である。いよいよ細見谷渓畔林もシカの食圧にさらされるのかといういささか早まった心配をする向きあるかもしれない。しかし、1頭のオスがいたとはいえ、それが即、繁殖個体群の定着ということにはならない。しばらくは推移を見守ることにしようと考えている。

ついでに一言

 それよりももっと心配なのは、クマをはじめとする野生生物の密度低下である。まだまだ多様性はあるとはいえ、かなり深刻な状況となりつつある。クマの姿が希薄になっていることは疑いようのない事実である。

 ちまたでいわれているようなクマの個体数増加という話はどうも神話のような臭いがする。広島県の特定鳥獣保護計画・ツキノワグマには、「中核地域での密度低下」が指摘され、中核的生息地の複層林化をはじめとする生息環境の回復が謳われているが、残念なことに予算措置までの言及はなく、努力目標というかお題目に終わりかねない状況にある。その一方で、市街地、中山間地の集落周辺への出没件数の増加しつつあり、特に秋田県での人身事故以来、メディアを中心に過激な報道が世論をあおったこともあって、各地で異常なほどの駆除が行われたり、狩猟解禁の動きが出始めている。これは木を見て森を見ない議論の典型でもある。もっとフィールドにでて事実をしっかり把握した上で、政策に反映させる必要を痛感している。

生物多様性に配慮した人工林の間伐施業を目指してー細見谷渓畔林

 先日、細見谷渓畔林域の人工林の間伐をどのように進めるかという点について、広島森林管理署から意見を聞きたいとの申し出が有り、広島森林管理署署長以下、総括森林整備官、主任森林整備官の来訪を受けました。
 細見谷を縦貫する計画だった大規模林道緑資源幹線林道)についてはその是非を巡って林野庁とは侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしてきたことを考えると隔世の感があります。正直驚いたのですが、細見谷渓畔林が有する生物多様性の意義を考えれば、森林管理署のこうした取り組みは大歓迎で、協力しないわけにはいきません。広島森林管理署としては従来型の間伐施業を見直し細見谷渓畔林域の生物多様性の維持と生物生産性の向上をはかるという視点で間伐計画を作りたいとのことです。当初は、県下各市町村の森林整備担当者とともに、現地での講習会的な企画もということでしたが、いきなりそこまではできないだろうということで、このようなことになりました。

 今後の森林施業全般に関しても意見は述べておきましたが、今回は人工林の複層林化が主なテーマということでそれに絞ってかなり具体的な提案ができました。

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 細見谷渓畔林は、十方山を源流とし、山系の南西を流れる細見谷川(太田川の支流)にそって発達している西日本有数の規模と生物多様性を誇る渓畔林で、西中国山地の原生的ストックを有する極めた貴重な森林です。しかし1960-70年代に進められた大面積皆伐、拡大造林政策によって、右岸(五里山山系)と左岸(十方山山系林)の斜面にはかなりの範囲でスギを主とした未整備の人工林が広がっています(上の)写真)。この人工林を野生動物の生息に配慮した複層林になるよう整備事業を進めたいとのことで協力を求められたというわけです。

 そこでこれまでの経験を踏まえ、いくつかの基本的考え方を提示し,その方法について協議しました。その中で次の様な施業方針をできる限り採用することを約束していただきました。

1.河畔の人工林は時間を掛けて強間伐し、斜面の崩落を防ぐとともに河川生態系の多様性を回復すること。
 砂防、治山ダムもできる限り撤去ないしはスリット化を進める(ただし細見谷周辺にはそれほど多くはない)。ただし、今回の間伐施業とは直接の関係はない。
2.間伐に際して開設する作業道は中腹に1本だけに限定し、沢を跨ぐことはしない。これまでの小林班単位の施業ではなく、沢と沢にはさまれた小面積を作業単位とする。
3.渓畔林周辺は切り捨て間伐とし、材の搬出はしない。さらに渓畔林上部の人工林も間伐材は斜面上方へ搬出し、既設の林道を利用する。
4.中腹の間伐材は表土層を痛めないような施業をおこなう。間伐の方法は列状間伐(1列だけ間伐しその列の間隔は3-5列で帯状間伐はしない)かその応用となる可能性有り。列状間伐は斜面に沿って鉛直方向に行うが、所々、斜面水平方向にも切り捨て間伐をして表土層の流亡を防ぐ。

5.強間伐跡地はできるだけ埋土種子からの実生から再生を計るものとし、植林による移入はしない。
などが主な内容です。

 西中国山地国定公園内の細見谷渓畔林ですが、こうした周辺の森林が人工林へ転換されたことによって、その生産力がかなり減退し、かつての豊かさは見る影もないのが実情です(とはいっても、他地域に比べればまだまだ優れた自然が残っています)。これまでのフィールドワークから、河川生態系を支える陸域からの有機物の供給が減少し、そのことが陸域の生物相へ影響をあたえているという負の循環に陥っていることが大きな問題だろうと考えています。その物質循環を取り戻すためには河川沿いの複層林化は重要な課題です。年々、野生動物の気配が薄くなりつつあるので、この辺でこの悪循環を裁ち切り、生物生産力を高め、多様性を回復させることが、ツキノワグマをはじめとする野生生物にとって極めて重要なのです。こうした視点で森林管理署署自らが施業方針を転換し、生物多様性回復に動くことは大変うれしいニュースなのです。

 ということで基本的に沢筋を破壊しない方法をきめ細かく配慮して行うことが計画の基本となりそうです。もちろん、こうした施業の結果、どのように多様性が回復するかは追跡調査が必要となるでしょう。

 そしてもう一つの問題はこうした計画をもとに入札をしたとして、これに答えられる技術を持つ業者がいるかどうかです。
 いずれにしても細見谷渓畔林域ではこれ以上の天然林の伐採はなさそうですし、人工林の複層林化によって野生動物が暮らせる森作りが可能であれば、ここを西中国山地国定公園の特別保護区へとする運動にも励みになるでしょう。f:id:syara9sai:20170826150142j:plain

 陸生の野生動物はクマだけではなくタヌキもイタチもテンもアナグマも生物生産力があり、多様性に富む河川沿いは生活の場として大きな価値を有している。

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 ↑水に潜って魚を探すイタチ。

 ↓モリアオガエルを捕まえたオオコノバズク

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 ↓ミゾゴイも繁殖

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 ↑渓畔林を代表するカツラの巨樹

 ↓人工林の複層林化が進めば野生動物の生息場となるであろう。

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