生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

圧倒的な観察力が魅力

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 いま、沖縄本島北部のやんばるは世界自然遺産登録のためのIUCNの現地調査が行われようとしている。世界遺産に登録されようがされまいが、ここの特異性や希少性は世界に冠たるものとして後世に残していかねばならない。そうしたかけがえのないやんばるの生物たちは日々絶滅の危機に直面していることはご存じだろうか。

 やんばるの自然は味米軍の訓練場として手つかずのまま保存されてきたかのようにいわれているが、実態はそうではない。そして今、東村高江地区には森を切り裂いて大きなヘリパッドが建設され、オスプレイや大型ヘリが上空を飛び交っている。こうした軍用機の出す轟音や墜落事故はこの地域の生物にとってその生活の場を破壊する要因に他ならない。まさに自然遺産に対する冒涜である。

 そんな日常に真っ向から立ち向かい、高江の森の生きものたちを見続け、現状を伝えようと孤軍奮闘しているのがアキノ隊員こと宮城秋乃さんである。彼女も先日紹介した「ナキウサギふぁんくらぶ」の面々と同様、すぐれたアマチュア研究者の1人である。自然を見つめそこから得られた事実に基づき、自然の有り様を理解しようとする態度は見ていて気持ちいい。専門はチョウやガなどの鱗翅目だそうだが、昆虫類、は虫類、両生類、鳥類などあらゆる生きものに関心が向いているようだ。

 昆虫類の多くはほとんど人目にも触れずひっそりと暮らしているのだが、こうした岩場無名の生きものに彼女の目が向くとたちまち魅力ある生きものとして我々の目にとまることになる。まさに森の生きものの代理人といった人である。

 そんな彼女が「ぼくたちここにいるよー高江の森の小さないのち」を出版した。タイトルどおり、小さな生きものたちの暮らしが写真で紹介されているが、この写真のすべてが暮らしという視点を持っている。つまりよくありがちな標本写真ではなく、暮らしの一断面が生活の場とともに紹介されている、そのことにこの本の価値がある。そしてその暮らしを守ることは暮らしの場である森林そのものを守ることであることを伝えている。こうした豊かなやんばるの森が今、米軍のヘリパッド建設やその後の訓練施設として運用されることで大きなダメージを受けることを訴えているのだが、その視点もやはり生きものからのものである。自然の魅力を伝える活動にも積極的に取り組んでおり、まさにフィールドミュージアム鑑としての力強いアキノ隊員の面目を遺憾なく発揮している一冊である。乞うご購読。

 影書房刊 1900円+税 

  

 

 

 

エゾナキウサギ

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ーアマチュアリズムの結晶ー 

 エゾナキウサギはとても魅力的な生きものである。私はニホンザルの研究者として本州以南をフィールドとしていたが、このエゾナキウサギは名前が示すとおり、その生息地は北海道にある。したがって、ニホンザルのフィールドワークをしている限りはエゾナキウサギに出会うことはできないのだが、私の中におけるその存在感は意外なほど大きかったようだ。なぜだかよくわからないが、一度はこのナキウサギなるものを直接観察してみたとずっと思っていた(ふしがある)。

 2005年大規模林道問題を話し合う大会が北海道札幌であり、そこで広島の問題について報告することになっていた。せっかく遠路出かけていくのだから、この際、ナキウサギなる動物を見てみようと大会世話人の方に勝手な希望を伝えたら、それなら私が案内しましょうと快く引き受けてくれたのだが。その方こそがナキウサギふぁんくらぶ代表の市川利美さんだったのだ。2005年6月27日のことである。そのとき撮った写真がこれである。ややピンぼけになっているあたりに感激の度合いがにじみ出ている。 

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 この小さなウサギの仲間は少々変わり者である。どんな変わり者かは是非この写真集をお読みいただければわかる。氷河期からの生き残り(遺存種・レリック)であるためにその生存には低温という条件が欠かせない。永久凍土を有するがれき地帯のい地下が主な生息地であるゆえに、その生活史や生態にはまだまだ未解明の部分がおおい。今はやりのGPSやラジオテレメトリーを利用した研究も困難で、じっくりと観察を続ける以外に有効な研究方法は見つからない。つまり、大学などの研究機関ではなかなか手が出せない研究対象でもある。

 とはいえ、地道な観察を続けることによって生活史の解明は確実に進んでいる。その努力こそアマチュアリズムの神髄でもある。成果を急がず丹念に観察事実を積み重ね、理論化して得られた仮説を検証するという息の長い研究は今の大学でも専門の研究機関でも為し得ない。ナキウサギに魅せられその不思議を知ろうとする動機に突き動かされる知的好奇心こそ研究活動の本道である。世間ではアマチュアといえば素人(しろうと)とさげすむ風潮があるが、アマチュアは決して素人を意味しない。アマチュアの原義は「好きであること」にあり、好きであれば突き詰めて知ろうとする欲求が出てくる。したがって真のアマチュアは探究心に富み、専門的な知識も獲得しているものである。翻って、大学などの研究機関に所属する研究者はそれを職業としているという意味においてプロである。しかしプロであったとしても研究対象に専門的な知見を有しているとは限らない。そうした事例は枚挙にいとまないのだが、多くの人たちはそのことを知らない。

 このエゾナキウサギという写真集は実にキュートな写真に満ちている。それだけでも楽しいのだが、その内容は生態学的にも進化論的にも豊かなものである。まさにアマチュアリズムが生み出した傑作といえる一冊になっている。

 ぜひ皆さん、購入して熟読して見てください。エゾナキウサギという魅力的な生きものの不思議とその厳しい現実と学問の楽しさを堪能できることと思います。

 エゾナキウサギ

 発行:ナキウサギふぁんくらぶ

 発行所:共同文化社  1800円+税

問い合わせ先 060-0003 北海道札幌市中央区北三条西11丁目 加森ビル6F

       ナキウサギふぁんくらぶ(代表 市川利美)

                         E-mail funclub@vmail.plala.or.jp

 

      

 

細見谷地域にシカ現る

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 2017年9月15日 ここ広島県西部地域も風18号が接近しつつあり、細見谷渓畔林域に設置してあるクマの生態調査用自動撮影装置を避難させるため現地へ趣いた。前回メンテナンスをしたのが、8月12日だったからほぼ一月ぶりとなる。比較的好天に恵まれていたが、さすがに一月も放っておくのも心配だった。実際、前回は一台が故障して修理の必要があったのだ。それでなくとも電池切れや誤作動でメモリが一杯になっているかもしれないので、少なくとも2週間に一度はメンテの必要がある。

 それはともかく、無事カメラを回収してきて、何が記録されているのか点検をしてみると、なんと驚くべき映像が見つかった。下の写真もその一つだ。ファイルを再生してみると鋭い目つきの大きめの鳥の姿が現れた。とっさにクマタカだとわかったのだが、カメラの目の前、50cmも離れていないように見える。雨上がりでレンズに水滴が付着してピントが甘くなってしまっているのが残念だがそれでも迫力は十分だ。写真はビデオ映像からキャプチャーしたので迫力は半減しているが、FBにアップ(広島フィールドミュージアムのページ)した動画でご覧いただくとかなりの迫力である。

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 そして今日の本題はもう一つ別のトピックスである。最初に掲げたモノクロのシカの写真がそれである。 

 9/14日の深夜、大きな角をもつオスのシカが沢筋を下流に悠然と歩く姿が記録されていた。細見谷地域でのシカの生息は初確認である。

 広島県下でのシカの分布域は、広島市安佐北区の白木山周辺以東と宮島で廿日市市吉和地区ではこれまでニホンジカの生息は確認されていなかった。また隣の山口県では萩市宇部ラインより西側、島根県では県中央部(奥出雲地域)を中心に県下全域に生息しているものの石見地方はかなり希薄なようだ。このシカが太田川沿いを遡上する形で移動してきたのか、はたまた宮島由来のシカなのか、山口県の個体群由来なのかそれは全くわからない。

 このシカ、大きな角を持っており栄養状態はかなりいい。悠然とカメラの前を通過して、下流方向へ去って行ったが、さてどこまで行くのだろう。体つきから見ると現在の宮島のシカよりずっと体格がいい。かつて、今から3,40年前の宮島にはこの程度の対角のオスはそう珍しくはなかったが、現在では身体の大きさはともかく、角の大きさはこれほどのものは見当たらない。宮島由来と考えるのは少し無理かも知れない。ここが太田川水系の源流部に当たることを考えれば、広島市の個体群由来というのが一番ありそうなことだと思う。がしかし、自然は何が起こるかわからない、不思議の追求には長い時間がかかることだろう。

 オスのシカは、シカに限らないが、相当の距離を移動することは決して珍しいことでもないので、シカがいたからどうということもないのだが、全国各地でシカの食圧による森林植生が大きく変化している昨今である。いよいよ細見谷渓畔林もシカの食圧にさらされるのかといういささか早まった心配をする向きあるかもしれない。しかし、1頭のオスがいたとはいえ、それが即、繁殖個体群の定着ということにはならない。しばらくは推移を見守ることにしようと考えている。

ついでに一言

 それよりももっと心配なのは、クマをはじめとする野生生物の密度低下である。まだまだ多様性はあるとはいえ、かなり深刻な状況となりつつある。クマの姿が希薄になっていることは疑いようのない事実である。

 ちまたでいわれているようなクマの個体数増加という話はどうも神話のような臭いがする。広島県の特定鳥獣保護計画・ツキノワグマには、「中核地域での密度低下」が指摘され、中核的生息地の複層林化をはじめとする生息環境の回復が謳われているが、残念なことに予算措置までの言及はなく、努力目標というかお題目に終わりかねない状況にある。その一方で、市街地、中山間地の集落周辺への出没件数の増加しつつあり、特に秋田県での人身事故以来、メディアを中心に過激な報道が世論をあおったこともあって、各地で異常なほどの駆除が行われたり、狩猟解禁の動きが出始めている。これは木を見て森を見ない議論の典型でもある。もっとフィールドにでて事実をしっかり把握した上で、政策に反映させる必要を痛感している。

生物多様性に配慮した人工林の間伐施業を目指してー細見谷渓畔林

 先日、細見谷渓畔林域の人工林の間伐をどのように進めるかという点について、広島森林管理署から意見を聞きたいとの申し出が有り、広島森林管理署署長以下、総括森林整備官、主任森林整備官の来訪を受けました。
 細見谷を縦貫する計画だった大規模林道緑資源幹線林道)についてはその是非を巡って林野庁とは侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしてきたことを考えると隔世の感があります。正直驚いたのですが、細見谷渓畔林が有する生物多様性の意義を考えれば、森林管理署のこうした取り組みは大歓迎で、協力しないわけにはいきません。広島森林管理署としては従来型の間伐施業を見直し細見谷渓畔林域の生物多様性の維持と生物生産性の向上をはかるという視点で間伐計画を作りたいとのことです。当初は、県下各市町村の森林整備担当者とともに、現地での講習会的な企画もということでしたが、いきなりそこまではできないだろうということで、このようなことになりました。

 今後の森林施業全般に関しても意見は述べておきましたが、今回は人工林の複層林化が主なテーマということでそれに絞ってかなり具体的な提案ができました。

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 細見谷渓畔林は、十方山を源流とし、山系の南西を流れる細見谷川(太田川の支流)にそって発達している西日本有数の規模と生物多様性を誇る渓畔林で、西中国山地の原生的ストックを有する極めた貴重な森林です。しかし1960-70年代に進められた大面積皆伐、拡大造林政策によって、右岸(五里山山系)と左岸(十方山山系林)の斜面にはかなりの範囲でスギを主とした未整備の人工林が広がっています(上の)写真)。この人工林を野生動物の生息に配慮した複層林になるよう整備事業を進めたいとのことで協力を求められたというわけです。

 そこでこれまでの経験を踏まえ、いくつかの基本的考え方を提示し,その方法について協議しました。その中で次の様な施業方針をできる限り採用することを約束していただきました。

1.河畔の人工林は時間を掛けて強間伐し、斜面の崩落を防ぐとともに河川生態系の多様性を回復すること。
 砂防、治山ダムもできる限り撤去ないしはスリット化を進める(ただし細見谷周辺にはそれほど多くはない)。ただし、今回の間伐施業とは直接の関係はない。
2.間伐に際して開設する作業道は中腹に1本だけに限定し、沢を跨ぐことはしない。これまでの小林班単位の施業ではなく、沢と沢にはさまれた小面積を作業単位とする。
3.渓畔林周辺は切り捨て間伐とし、材の搬出はしない。さらに渓畔林上部の人工林も間伐材は斜面上方へ搬出し、既設の林道を利用する。
4.中腹の間伐材は表土層を痛めないような施業をおこなう。間伐の方法は列状間伐(1列だけ間伐しその列の間隔は3-5列で帯状間伐はしない)かその応用となる可能性有り。列状間伐は斜面に沿って鉛直方向に行うが、所々、斜面水平方向にも切り捨て間伐をして表土層の流亡を防ぐ。

5.強間伐跡地はできるだけ埋土種子からの実生から再生を計るものとし、植林による移入はしない。
などが主な内容です。

 西中国山地国定公園内の細見谷渓畔林ですが、こうした周辺の森林が人工林へ転換されたことによって、その生産力がかなり減退し、かつての豊かさは見る影もないのが実情です(とはいっても、他地域に比べればまだまだ優れた自然が残っています)。これまでのフィールドワークから、河川生態系を支える陸域からの有機物の供給が減少し、そのことが陸域の生物相へ影響をあたえているという負の循環に陥っていることが大きな問題だろうと考えています。その物質循環を取り戻すためには河川沿いの複層林化は重要な課題です。年々、野生動物の気配が薄くなりつつあるので、この辺でこの悪循環を裁ち切り、生物生産力を高め、多様性を回復させることが、ツキノワグマをはじめとする野生生物にとって極めて重要なのです。こうした視点で森林管理署署自らが施業方針を転換し、生物多様性回復に動くことは大変うれしいニュースなのです。

 ということで基本的に沢筋を破壊しない方法をきめ細かく配慮して行うことが計画の基本となりそうです。もちろん、こうした施業の結果、どのように多様性が回復するかは追跡調査が必要となるでしょう。

 そしてもう一つの問題はこうした計画をもとに入札をしたとして、これに答えられる技術を持つ業者がいるかどうかです。
 いずれにしても細見谷渓畔林域ではこれ以上の天然林の伐採はなさそうですし、人工林の複層林化によって野生動物が暮らせる森作りが可能であれば、ここを西中国山地国定公園の特別保護区へとする運動にも励みになるでしょう。f:id:syara9sai:20170826150142j:plain

 陸生の野生動物はクマだけではなくタヌキもイタチもテンもアナグマも生物生産力があり、多様性に富む河川沿いは生活の場として大きな価値を有している。

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 ↑水に潜って魚を探すイタチ。

 ↓モリアオガエルを捕まえたオオコノバズク

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 ↓ミゾゴイも繁殖

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 ↑渓畔林を代表するカツラの巨樹

 ↓人工林の複層林化が進めば野生動物の生息場となるであろう。

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細見谷調査余録

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  中国地方も梅雨入りしたというが、ほとんど雨らしい雨もなく毎日が晴天、いわゆる五月晴れが続いている。本格的な梅雨になる前に自動撮影装置の点検とデータの回収をするために細見谷へとやってきた。林道に車を止めて目的の沢へと斜面を下る。緑を濃くした広葉樹林の中はしっとりとして涼しい。右手にヤマザクラの古木を見て進と、木の陰から突然大きな羽音をたててヤマドリのメスが飛び立ち、左前方へ低く滑空し、沢を越えて対岸の斜面に姿を消した。それに気をとられていると今度は小さな丸っこいヤマドリの雛が小さい羽を一所懸命に羽ばたいて親鳥とは反対の右手の藪に飛んで消えた。少なくとも二羽の雛を確認した。ひよこに毛が生えた程度のあんな体つきでよくも飛べたもんだと感心する。それにしても今年はヤマドリによく出会う。

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 帰宅してから回収したVTR画像にはこの親子と思われる雛3羽が何カ所かで捕らえられている。どうやら皆無事に育っているようだ。クマやイノシシ、タヌキ、キツネ、アナグマ、テン、イタチといった捕食者が少ないのもヤマドリにとっては幸いしているのかも知れない。ヤマドリは林床に生育するウワバミソウなどの草本類や昆虫類、陸産貝類などを主な食糧としているので、少なくとも雛が育つための食糧事情は例年とそれほど大きく変化してはいないはずだ。それに引き替え捕食者たるケモノの生息密度は痕跡から見る限り近年低下してきている。特にツキノワグマは多くの問題を抱えている。21日付けの中国新聞の社説にも「実態検証と対策急務だ」と題する錯誤捕獲と捕殺処分の問題点を指摘する論説記事が載っていた。島根県はこれまで奥地放獣を熱心に進めてきたのだが、残念なことに広島県での放獣例が極めて少ないことも影響して、島根県民の間から捕殺処分を望む声が高まり、それに抗しきれなかったという事情もあるようだ。とはいえ、いま根本的な対策(クマが暮らしていける奥山を取り返すこと)を講じなければ、早晩西中国山地ツキノワグマは絶滅の道をだどるにちがいない。これは再々指摘していることでも有り、今年度策定の保護計画にも触れていることなのだが、クマの分布域の拡大と中核的生息地での密度低下が生じている。つまり分布のドーナツ化だ。確かに都市部への出没は突然生じることではあるが、全体的なトレンド(生息状況の傾向)を考えれば何時どこへ出てもおかしくない状況にある。クマはもはや奥山の動物ではなく、集落周辺の二次林を主たる生息場所としている野生動物なのである。たまたま山に餌がなかったから出てきたという突発的現象ではないのだ。

閑話休題

 ヤマドリを観察してのち、斜面を下りきって沢へ出る。このところの好天続きで沢を流れる水量は少ない。この沢沿いにカメラを設置して継続観察を続けているのだ。

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 さらに上流を目指す。と、小さな淵に小さなゴギを2匹見つけた。体長4cmほどだろうか。今年生まれた幼魚のようだ。この2匹は円を描くようにグルグルと旋回している。大きい方が小さい方を追いかけているようだ。せっかくだから動画撮影に切り替えようとしたとき、1匹が追い払われていなくなってしまった。小さな落ち込みを巡って縄張り争いをしていたようだ。大きい方のゴギはしばらくそこに留まっていたが、私たちは先を急ぐことにした。

 この沢はケモノたちがよく利用するので、私たちの恰好の研究フィールドとなっている。細見谷渓畔林そのものではないが、その支流として多様性に富み西中国山地の自然がコンパクトに存在している、そんな沢である。山が豊だった頃、クマがどんな食生活を送っていたか、その残像がここにはまだ残っている可能性がありそうで、長年調査を続けているのだが、それでも往年の豊かさは望むべくもない時代にあって、なかなか成果は上がってこない。

 しかし確実にケモノ痕跡は他地域よりも濃いのだ。

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 沢沿いのぬかるみに、クマとイタチ、少し離れてテンの足跡がしっかりと残っていた。クマの足の幅は10.5cmで比較的若いオスかオトナのメスのもののようだ。少なくなったとはいえ、ここはクマの利用価値の高いところでもあるらしく、複数の個体が入れ替わり立ち替わりして姿を見せる。今後カメラに残された映像などから個体識別を試みようと思うが、個体を特定するのはかなり難しい作業でもある。f:id:syara9sai:20170622144447j:plain

 また多くのケモノも水辺をよく利用することが足跡からもこれまでのVTR記録からも推測できる。特にイタチ(ホンドイタチ)はカワウソのように水に潜って魚を捕食する。この沢でもイタチのそんな姿がカメラが捕らえていた。

 話は変わるが、春から初夏に掛けて、水辺を歩いていると様々な花に出会うことができる。今回はそんな植物のいくつかを紹介して話を終えることとしよう。

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ツルアジサイ

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コアジサイ

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コバノフユイチゴ

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 タンナサワフタギ

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 アザミ(種名不明)

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 オオルリ

 

追記ークマ問題への繰り言 

 余録の書きですが、一旦没にしたものの、やはり一言言っておきたいのでここに再録します。

  広島・島根・山口県境にほど近い西中国山地・細見谷渓畔林流域で続けているツキノワグマ生態調査では、クマ以外の様々な野生動植物に出会うことも少なくない。さすがに急斜面での藪こぎなどは年齢的にもきつく、最近では小さな渓流沿いに絞って定点観測のような長期観察を中心にしている。そこで活躍しているのが自動撮影VTRである。デジタルの自動撮影装置は近年急速に進歩し、価格も1台1万円ほどになって、資金源の乏しいNGOでも何とか活用できる状況になってきたのが幸いしている。
 もともとニホンザルの行動・生態を専門にしていた私がツキノワグマに関わるようになったのは、1990年代以降のことである。この頃から県北西部ではツキノワグマの集落出没が問題となっており、地元自治体は保護と駆除との間に揺れていた。西中国山地ツキノワグマ個体群は本州西端の孤立個体群として規模も小さく孤立しており、絶滅が危惧されていた。しかしながら当時(今もそうだが)大型ほ乳類の生態学に通じている研究者がいないという事情もあって、クマの生活実態に関する正確な情報がほとんど得られていなかったことが議論に混乱をもたらしていた。
 その後、クマに関しては1994年に狩猟禁止措置や原則奥地放獣を基本とする保護対策が示されたが、その実態は「県民の生命と財産を守る」ということで実態は駆除(有害鳥獣駆除)が中心となっていた。その流れは今でも変わっていないのだが、鳥獣保護法の法改正(1991)によりと特定鳥獣保護管理の策定が可能となり、西中国山地では関係三県が共同して保護管理に取り組むこととなった。これは科学的データに基づいて保護策を策定し、個体群の維持を図りつつ被害の低減を目指すというものである。そのため西中国山地ツキノワグマの保護計画策定にあたっては「科学部会」が設置され、不十分ながら科学的なデータを基に保護対策を策定できる様になったという点は高く評価して良いのではないかと思う。
それでもこれまでのフィールドワークからは、クマを取り巻く状況は悪化の一途をたどっていると考えざるを得ないのである。最近のマスメディアを通じての報道のされ方を見て感じることは、ウソではないが正しくもないということである。番組や記事は断片的な事実を組み立てて一つのニュースに仕上げていくのだが、その事実の背景のとらえ方に問題があるように思える。決定的なのは、現在起きている事件を歴史的に俯瞰していないということにある。今起きていることには必ず歴史的必然があるのだが、その歴史的背景をすっ飛ばして「今」があるかのような報道が目につく。昨日も地元(中国)新聞にクマの出没に関する記事が出ていたが、その中で出没の原因として「春に急に気温が上昇し、山に食べ物が少ないので餌を求めて里に出てくる」といった内容の動物園関係者のコメントが紹介されていた。新聞記事でのコメントだから実際にはもっとたくさんのことを話した内の一部が切り取られて記事にされたのだろうが、これはウソではないが正しくもない典型例かも知れない。クマが奥山から里へと分散し、集落周辺の二次林を主な生息場所する傾向(トレンド)は199年代から始まっていた。ちなみに広島県で有害鳥獣駆除でクマがその対象となったのは1975年以降のことである。こうした集落への定着はクマの世代交代(およそ10年ほど)とともに段階的に顕在化する。つまり突然急増するのである。こうした状況が顕在化するまでには長い助走期間があるものなのだ。長期観察からはそのように見える。

 

 

 

アサリ漁民となってみたーアサリ養殖は儲からないが役に立つ

 

 「アッサリー、シンジミ」
 春ともなると早朝の街中をアサリやシジミを売り歩く行商人の掛け声が響いたものです。今は昔、昭和30年代はじめの頃の話です。少し耳の遠いご隠居さんは、朝から「あっさりー死んじめぇ」 とは縁起でもねぇと言ったとか言わなかったとか。ともかくアサリやシジミは朝餉の味噌汁の具材として庶民に親しまれていたことは間違いありません。 この庶民の味方のようなアサリですが、近年は不漁続きで市場に出回らなく成ったばかりか、汐干狩場も閉鎖の憂き目に会っているとのことです。

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 ちなみに関東出身の私は小中学生の春の遠足は、千葉の幕張や稲毛での汐干狩が定番でした。かつてアサリをあさっていた干潟は埋め立てられて今じゃ高層ビル群や倉庫群の地下に消えてしまいました。考えて見れば、「罰当たりなことです」
 生物多様性に富み生産力が豊かな干潟をつぶして、どれほどの冨を生み出したというのでしょうか。いまこれだけの生物生産量を人工的にまかなうとすると一体どれほどの金銭が必要なのでしょうか。工業化がもたらした便利な暮らしではありますが、生産現場を破壊しての消費財の生産基地への転換はどう見てもプラスではあり得ません。何しろ自然の生産は太陽エネルギーだけで再生産されるのですから、食糧生産の持続性だけを考えても貴重な財産と言わねばなりません。
 私が暮らす宮島の対岸、廿日市市大野は昔からアサリの生産(養殖)が盛んで、「大野の手掘りあさり」としてその筋では結構知られた存在なのですが、近年、市場に出回る量を確保するのも困難なほど生産量が減退しています。そんな状況ですから、商売としてはなかなか成り立ちにくく、農業と同じく後継者不足も深刻なのです。つまりアサリ養殖に携わる方々の平均年齢はかなり高く、年々、従業者が減っています。そんなこんなで、高齢者の仲間入りした私にも漁業権を取得するチャンスが巡ってきたのです。
 3年前に某漁協の准組合員として、廿日市市大野の前潟干潟に約100平米ほどのアサリ養殖場を借り受け、アサリ養殖を手がける権利を手に入れることができたのです。
 これまでサル学若しくはほ乳類生態学、森林生態学といった山の生きものに関わってきた私が漁民として海に関わることになったのです。なんと言うことでしょう。
 漁民となって3年、ようやくわずかながら立派なアサリを出荷できるまでになりました。今年からは稚貝の確保(地元での再生産)計画に参加して、アサリの養殖を行いながら干潟の保全活動を考えて見たいと思っています。
 というわけで、今年からの取り組みを紹介してみることにしましょう。

 大野方式でアサリ養殖の復活を
 かつて、といっても1960年代頃まででしょうか、大野あたりでは特別何をすることもなく、大野瀬戸の干潟では毎年ざくざくとアサリは採れたものだったという。しかし所得倍増を目指して高度経済成長を突き進むなかで、川にはダムができ、山では広葉樹林皆伐とその後の拡大造林の進行、治山ダムや砂防ダムの設置、河川でのコンクリート護岸、農地からの農薬の流入、生活排水の垂れ流し、干潟の埋立などこれでもかといって生物の生活場の破壊が矢継ぎ早に続き、気がついたときには豊かな干潟は消えていたのである。それでもアサリの生産は細々と続いているのだが、今やかなり人手を掛けなければ収穫はおぼつかない事業となってしまった。

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 かなり貧弱になっていた30年前と比べてみても今の海はさらに酷い状況で、漁港の岸壁でアジやサバを釣ることもできない。何しろ魚影がないのだから釣りようがない。当時満潮には岸壁で群れをなる小イワシ(カタクチイワシ)を簡単にすくい取ることもできたし、アジやサバは子どもたちの魚釣りの恰好の対象魚であった。それも今は昔。
 ということで、アサリも放っておけば再生するような状況ではなくなってしまった。養殖を続けるためには初期投資として稚貝を播く必要がでてきたのだが、問題はこの稚貝をどう調達するかだ。そして調達したこの稚貝をいかにロスすることなく成貝にするかである。出荷できるような大きさ(4cmほど)に成長するまで、今ではかなり手間を掛けなければならない事態になっているのだ。
 
 地元で資源を確保する
 これまで稚貝は他地域、多くは熊本有明海産のアサリの稚貝を購入して利用したいたが、近年、熊本でもアサリの稚貝が少なく調達するのも難しくなったようである。場合によっては東アジア諸国からの輸入することもあったようだし、熊本県産とはいえ元々は東アジア諸国で採取されたものを一時的に有明海などで成長させたものが流通していた可能性もある。こうした他地域産の稚貝を利用するに当たっては、寄生虫や病原菌などの感染や有害外来種の混入などの危険性もあって好ましいものではない。また消費者にとっても産地のトレーサビリティーに問題があり、倫理的にも生態学的にも問題があった。そうした問題を克服するためにはどうしても地元で再生産する以外に道はないということで、数年前から独自の取り組みが地元有志の間で試験的に行われてきたという。その成果はかなり期待できるということで、地元漁協の呼びかけで普及活動が始まったのである。
 この方法は、極めて簡単でコストもかからず、アサリ養殖にとって福音となるとの期待が寄せられている。簡単に紹介してみよう。
 まずアサリの稚貝が豊富な海浜を見つけること。宮島の西端近くの砂浜や大野前潟干潟には天然のアサリ稚貝(1-数ミリ)が定着していることがわかっている。これを放置しておけばそこで多くのアサリがとれるようになるかと言えば、なかなかそううまくは行かない。最近、この付近の瀬戸内海にはナルトビエイやチヌ(黒鯛)が増加しており、アサリの稚貝はほとんどこうした魚類に捕食されてしまうのだ。
 生物多様性の喪失がこうした特定魚種の増加につながることは往々にしてある。その原因は多々あるが、少なくとも護岸や埋立による藻場の消失は魚類の生活史を遮断する効果をもっているだろう。特定の有用魚種を人工的に採卵し、稚魚まで育てて放流することが蔓延しており、海は巨大な養殖池に変質してしまったようだ。もちろん、ダムなどの構造物が栄養塩類などの物質循環を断ち切ってしまったことも無関係ではない。

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 というわけで、アサリの稚貝を魚による捕食から保護して成長を待つ必要がでてくる。その方法は至って簡単なものである。稚貝が多く生息している砂浜でタマネギ用の網袋を置き、その下の砂を十能(炭などを救うスコップ状の道具)で深さ2-3cmほどをすくい取り、網袋に入れて口を縛り、砂浜にならべておく(上の写真)。これのまま数ヶ月稚貝の成長を待ち、その後、選別して稚貝を収集し、養殖浜(畑)まで運んで播種する。実質の作業はのべ5日(稚貝の確保に2日、メンテナンス1日、選別に2日)ほどで1人あたり24Kgほどの稚貝が確保できる予定である。

 アサリ養殖は儲からないが役に立つ
 稚貝が確保できれば、あとは畑の手入れである。昔のように掘っておけばとれる時代ではない。生涯にわたって捕食から保護する必要があるのだ。ここ大野地区では、防鳥ネットを浜に敷き詰め、魚類からの捕食を回避する必要がある。浜にネットを敷き詰めるのは景観上好ましいものではないが、食糧生産を維持するためにはやむを得ない措置である。ネットを敷き詰めれば、そこには海藻類が定着する。様々な海藻類が付着するのだが、アオサなどが付着すると干潮時に浜を覆い、やがて腐敗してアサリが酸欠で死んでしまう。こうした海藻類は冬に増殖するので、春先にはかなりの手間を掛けて網の掃除をしなければならない。また、ベントスと呼ばれるゴカイなどの底生生物も貧弱になっているので、砂浜はすぐに堅くしまってしまう。これも海底の砂層に酸素不足をもたらし、ヘドロ化した砂層が硫化水素を発生させるので、逐次、耕して酸素を供給してやらなければならない。こうした努力をして、100平米足らずの畑で収穫できるアサリは年間100Kgほどである。その現金収入は10万円に満たない。最低賃金にも遠く及ばない時間給で赤字覚悟の自家菜園程度の事業である。これでは勤労意欲が湧くわけはない。 とはいえ、食糧を生産する喜びや海の生態系を考える実習とみれば大変魅力的な活動でもある。
 第一、こうしてとれるアサリは身もぷっくりして大きく、とにかく美味しい。決してスーパーでは手に入らない美味しいアサリなのだ。これに勝る喜びはない。

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ちょっとした違和感ー推薦できない水仙の道

 季節の移ろいは早いもので、ここ瀬戸内では葉桜を楽しむ季節となった。対岸の宮島の森のあちこちにサクラやザイフリボクの花のぼんぼりが見えていたのが、今日は既に花も散り、すっかり萌葱色となった樹林に溶け込んでしまっている。
 すっかり春めいているのだが、同じ廿日市市でも細見谷のある西中国山地(車で1時間ほど)ではまだまだ春の足音はかすかなものである。例年4月下旬の雪解けをまって細見田調査行が始まるのだが、最近は、暖冬の影響で4月に入ると入山可能となることも珍しくない。ということで、春めいてきた16日に細見谷渓畔林ヘ出かけてみたのだが、案に相違して、残雪が林道をふさいでおり、車での入山を諦めるしかなかった。
 そこでもう一つの目的地へ向かうことにした。そこは、細見谷川の支流でツキノワグマの採食行動(主に魚食)を検証するためのフィールドとして利用しているところである。
 ここは駐車場所からも近いので多少の雪は障害とはならない。残雪があるとはいえ、日向は気温も高く初夏を思わせるのだが、残雪をなめて時折吹いてくる冷たい空気が早春の気配を感じさせてくれる。なんとも気持ちが良い調査日よりであった。

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 この時期はブナもまだ芽吹いておらず、明るい谷底を流れる細流がきらきらと輝き、時折ニホンヒキガエルの卵塊が姿を見せるゴギもなんとなく春を感じさせる。沢の水たまりには水をすって膨らんだ寒天状のニホンヒキガエルの卵塊がみえる。
 生物の息吹をかんじる光景であるが、生があれば死もまた見える。沢のほとりの草むらに、ひからびかけたヒキガエルの遺骸を見つけた。まだ水を吸収していない細い紐状の卵塊が斜面に伸びている。何が起こったのであろうか。産卵するような水たまりがあるわけではなく、産卵場所へ向かう途中で捕食者に出会ったのであろうか。身体には目立った傷もなく、行き倒れのような感じでひからびかけている。「生者必滅会者定離 頓証菩提南無阿弥陀仏」 と心で唱え、回向してその場をはなれた。

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 ここでは自動撮影用のVTRカメラを設置してクマをはじめ様々な動物たちの行動を記録しているのだが、今回の目的はクマの新生個体の状況を把握できればと思い、例年より早く設置するための入山である。カメラは一応防水仕様となっているが、決して完全ではない。長雨や大雨などによる誤作動は避けられない。できれば雨が降らなければ良いのだが、あいにく設置翌実の17日は大雨警報が出るような悪天候にみまわれ、このブログを物しながらいささか心配になってきている。次回の入山時まで無事に働いてくれていれば良いのだがと今は祈ることしかできないのである。
 西中国山地ではようやく春らしくなってきたのだが、今年は春を告げるタムシバが不作もしくは凶作で、昨年の様な斜面一様に白い花が咲き乱れるといった風情はなく、ぽつぽつと斜面に目につく白い花で、あっ、タムシバもあったんだなという程度のさみしい春の風景である。

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 調査行としては報告すべきことはまだないので、別の話をしてみようと思う。
 調査地の入り口までは車で1時間ちょっとなのだが、車からみえる景色は沿岸部、佐伯地区、吉和地区と高度が上がるにしたがってかなり大きな変化がある。九州から東北南部までの景観を圧縮したような変化である。自然植生の変化はそれなりに楽しめるルートなのだが、一つだけどうにも違和感がぬぐえない場所がある。
 国道186号線を小瀬川沿いに走り、羅漢渓谷、飯室集落を過ぎて峠を越えると旧吉和村地域に入る。吉和に入ったとたん、道の両側に黄色いスイセンの花が出現する。「水仙の道」という看板があり、地域の人たちが町おこしのために苦労して植栽したものである。その努力たるや尊敬に値するものである。地域発展のために企画したものに違いない。それに対して多くの観光客は素晴らしいと感嘆の声をあげるに違いない。

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 こうした活動は各地で行われている。あるところではアジサイが、またあるところではシバザクラヤコスモスといったように。しかし私はどうしてもこの手の企画に違和感を覚えざるを得ないのである。花ばかりではない、モミジやサクラといった樹木の植栽にしてもどうも違和感をもってしまうことがある。かといって並木などの植栽がすべてダメというわけでもない。うまくいえないのだが、沖縄のフクギ並木や関東のケヤキ並木などは受け入れられるのだが、多くの場合違和感がまさってしまう。違和感の一つの要素に「在来」というものが関係しているのかも知れない。
 たとえば水仙という植物の自生地は海岸周辺に多く、そんな自生地での群生は違和感は生じない。吉和地域の林縁部には多様な在来種があり、季節ごとに特徴ある花を咲かせるにちがいない。それをすべて排除してスイセンを植栽してスイセン街道にしてしまうことは在来種の否定であり、多様性の否定でもある。落葉林の林縁にも田んぼのあぜ道にもスイセンを植え、黄色一色に染め上げてしまうセンスは私には受け入れがたい。
 生態学という生きものの暮らしを解明することを目指す学問に関わる身にとってこうした違和感をもつことはある意味当然なのだが、多くの人が「いいね」と言っている事象に意義を唱えるのは決して居心地のいいものではない。
 さてもさてもどうしたら良いのだろうか、戸惑うばかりの今日この頃である。

北ノ俣沢を歩くーその4 斜面崩落の意味

 ブナ-ミズナラの夫婦樹から湛水域の終点まではもう2Kmほど北ノ俣沢を遡上しなければならない。その前にもう一カ所、風穴の温度測定をしなければならない。その風穴はかなり遅くまで積雪が溶けずに残るところにできた累石型の風穴で、対岸(左岸)の大規模な崩落地で垂直に切り立った崖の一角にある(写真)。

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 ここはかなり頻繁に崩落が起こる場所のようだが、最近では2008年の岩手宮城内陸地震の際に大規模な崩落があったと聞いている。その地震で崩落した巨岩が写真で見るとおり、沢の中央に鎮座していて、キタゴヨウの若木が数本生育している。落下した際には既に生育していたと言うから、岩は回転することもなく滑り落ちてきたのであろう。

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 風穴上部の切り立った岩場には、きっと崖地特有の植物も生育しているのだろうが、残念なことに、そこへたどり着くことは容易ではない。もちろん今回は見るだけでパスするしかない。しかしここも水没予定地域なのだ。この崖地周辺の尾根にはキタゴヨウがまとまって生育している。見事な針広混交林となっている。
 一通りの作業を済ませて先を急ぐ。
 天候不順が続いていたにしては、水はどこまでも澄んでいる。20cmを超えるイワナが悠然と泳ぎ、大岩の影へと消えていく。同行の釣り師、斉藤さん曰く、今日は毛針には反応して寄ってくるのだが、食いつくまでには至らない。餌を使えば簡単に釣ることはできるがねと。台風の後のイワナの食事内容を知りたくて、数匹釣り上げてもらうことにしていたのだ。そう言いつつも、斉藤さんはあくまで毛針を使っての駆け引きを楽しんでいる。私は周囲の植生や地形、沢の状況を観察しながら遡上することに専念する。
 調査地から荒倉沢・唐松沢の合流点までは、幅広の河原(瀬・早瀬)と函(淵)の繰り返しであるが、両岸の斜面は比較的なだらかで安定しているように見受けられる。それでも左岸の尾根筋はキタゴヨウが群落をなして沢筋まで続いているところもままある。

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 比較的歩きやすいのだが、何カ所かは切り立った岩を巻いていかねばならず、うっかりすると川へ落下することになる。そして、市川さんはまさにそんな不運に見舞われたのだ。「あっ」と声がしたので振り返ると、市川さんの身体は真横になって、まさに水面に没しようとしていたのである。幸いすぐに岸へ這い上がることができたが、全身ずぶ濡れで戦意喪失感は否めない。空は青く水はあくまで澄んでいる。そこでこれ以上の遡上は諦め、さわやかな日射しの中でのんびりと待っていてもらうことにして、先を急ぐ。f:id:syara9sai:20161018104244j:plain
 年寄りにはこの沢登りは、楽しくもあるが、けっこうきつい作業でもある。何しろ地面が平ではなく、ぬるぬるとした大石小石が歩行を不規則なものにし、時折、絶壁をトラバースしなくてはならないのだから、年寄り向きではない。
 広い河原にでてしばらく歩くと、正面にキタゴヨウが見えてきた。その左右から水が流れてきている。どうやらここが荒倉沢と唐松沢との合流点のようだ。左手から流れ込む唐松沢は岩盤を流れてきており、川底はなめらかな岩盤である。水量は多い。一方の荒倉沢は大小の石が堆積しており、少し高い位置から水流が合流点へ流れ落ちている。湛水域はこの少し上流までとなる。ここ合流点は標高520mほどである。

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 合流点から荒倉沢側、つまり北ノ俣沢右岸をみると、河畔には1m近く石が堆積している。石の大きさは様々だが、大きいもので1㎥ほどのものからこぶし大ていど石である。その多くがどうやら火山性の岩石で節理にそって割れたもののようだが、角は丸く削れている。こうしてみると荒倉沢は北ノ俣沢の礫の主たる供給源となっているのであろう。北ノ俣沢右岸の山塊はガレ地が多く、斜面のあちこちに崩落した跡が残っている。おそら急斜面に厚く積もった雪がなだれることで斜面は崩落する一種の雪食地形(アバランチシュート)なのだろう思う。

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 荒倉沢出口周辺に堆積しているようなサイズの石であれば、春の雪解けや大雨での激流で流されるのではないだろうか。川幅が広くなる瀬あたりに広がる河原が、テンをはじめ様々な動物たちの暮らしの場となっていることは、歩いてみてその痕跡の多さが証明している。もし仮にダムが完成し、湛水が始まれば河原は水没し、切り立った斜面からいきなり水域という野生動物にとっては生活圏の断絶が大きな問題となる。主要通行用の道としての場もなくなり、対岸への行き来も困難な状況となるに違いない。そして、さらに大きな問題は堆砂の問題である。現在の水流であれば、多くの砂礫は川に流され下流へと運ばれるのだが、ダムが水流を止めると、たちまちダム湖に堆積する。その量はいかほどか。泥質(火山灰)の砂礫がおおい木賊沢からの流入も併せて考えれば、たちまち湛水域の水底は砂礫と有機物が堆積するに違いない。富栄養化も問題となろう。

 

 本来、これらは流下して下流域に栄養豊かな土砂を提供しつつ最終的には海浜を形成し、海の生物相をはぐくむ貴重な資源となるものである。それがダム湖に堆積すると、有機物を含む砂泥がヘドロ化し生物の生存を阻害するものとなる。それを除去するには大量の経費とエネルギーを投入する必要がある。自然を徹底的に破壊し、負の遺産をのこすムダなダムをなぜ作らねばならないのか。合理的な説明はない。
 人の暮らしは当たり前のことだが、生物の生産力に依存している。自然の生産力を破壊すれば、行き着くところ生活圏の破壊に他ならない。これは自明の理である。持続可能性を追求していけば、自然の生産力の持続性、多様性の持続性に行き着くのだ。それを実現するのが政治というものではないのか。
 話を少し戻そう。イワナは何を食べていたのか気にかかる。
 釣り師の斉藤さんは、最後の最後で餌つりをすることにして、唐松沢へ入っていった。私は合流点付近で休憩しながら観察をして待っていると、まもなく2匹のイワナを釣って戻ってきた。早速、胃の内容物を見聞することにした。ナイフで胃袋を取り出し、内容物を絞り出すが、何にもでてこない。うち続く雨で水生昆虫も流されてしまった上に、風で陸生昆虫類も飛ばされ、今の水中は食糧不足なのかもしれない。とはいえ小さな支流にはまだまだヨコエビなどの生物が豊富なので、まもなく回復して産卵期を迎えるに違いない。

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北ノ俣沢を歩く-その3 ブナとミズナラの夫婦樹

ブナとミズナラの夫婦樹

 ともかく昼飯をすまして、さらに上流を目指す。河原へ出てすぐのところで見つけた風穴へ温度測定にむかう。風穴は左岸と右岸にそれぞれ1カ所ずつあるが、まずは右岸の風穴へむかう。ちょっと見にはなんの変哲もない川沿いの森なのだが、踏み行ってみると岩塊が積み重なったところにコケやシダが覆っており、その岩の隙間から冷気がかすかに吹き出している。規模は大きくないが崩落した岩石が累積して形成された風穴である。二人が温度測定をしている間、私は付近の巨樹を見て回っていたのだが、そこでひときわ太いミズナラが目に入った。このミズナラをよく見るとその影にブナらしい木肌の巨樹がみえるではないか。この成瀬川源流域は巨樹・古木が多く、それだけでも見応えがある。その話は、後ほどゆっくりするとして、今回はブナとミズナラの巨樹が抱き合うようにして生育しているブナ-ミズナラ合体樹(便宜的にそう呼んでおく)の話である。

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 上の写真を見てもわかる通り、このブナとミズナラ、いずれも相当樹齢を重ねているに違いない。根元をよく見ると、どうやらブナの方が少し古いようだ。二本の古木が根元で癒合するかのように重なり合っている。ミズナラはブナの幹を取り巻くようにねじれ大枝を上流側に伸ばしている。
 じつはここ成瀬川源流域には、不思議と夫婦樹のようにブナとミズナラがセットで生育しているケースが目につくのである。じつに面白い現象であるが、この現象を最初に知ったのは、2013年5月の環境法律家連盟(JELF)の現地視察の時である。そのときは入山することもなく写真だけの解説であったが、そんなこともあるのかという程度の印象もったにすぎない(下の写真)。

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そして今年2016年に4回に渡って現地調査をしている中で、この写真以外に少なくとも3例のブナ-ミズナラの合体樹を見つけている。最初に出会ったのは、北ノ俣沢の左岸中腹の斜面で見つけた。これはHFMエコロジーニュース112でも紹介した事例である。ついで成瀬川の支流、赤川流域の赤滝神社近くで、そして今回の北ノ俣沢上流の3カ所である。

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写真:斜面中腹の合体樹。ミズナラがガレ場で生育した可能性を垣間見せている。

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写真:赤滝神社近くで見つけた。この近くに風穴がある。

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写真:北ノ俣沢上流のミズナラとブナ

 少なくとも広島の森では、ブナとミズナラが混交している西中国山地でもこうしたブナ-ミズナラが合体した例は見たことがない。成瀬川源流域の特殊な事情があるのだろうか?偶然にしては多いような気がする。

 これら4例の合体樹は、その生育場所が岩場ないし岩の多い場所ということだ。つまり重力散布によって拡散する両種の種子がたまりやすい場所だともいえる。つまり尾根だったり岩場の上部であったりということで、他所よりも少しだけ日当たりがよかったということなのだろうかとも思うのだが、面白いことに、赤滝神社付近と北ノ俣沢上流の2カ所のブナ-ミズナラの合体現象は風穴が存在する場所でもある。
 風穴植生とは言わないが、風穴ができる斜面崩落による岩石の累積によってて形成される地形が生み出した現象なのかも知れない。ちなみ中腹の斜面は雪による斜面の浸食がかなり激しい場所でもある。そんな岩の凹みは比較的安定してブナやミズナラが生育できる小さな小さな場所だったのかもしれない。
 だとすれば、常に崩落の起こる豪雪地帯の北ノ俣沢の特徴ともいえるだろう。
 そこで次回は、この斜面崩落の問題について考えてみよう。いやはや北ノ俣沢を中心に成瀬川源流域は本当に自然の実験場として興味が尽きないところである。

二つ目のクマゲラの巣穴(HFM-122)

4度目の北ノ俣沢-その2
 二つ目のクマゲラの巣穴
 崩落地と園周辺の風穴での温度測定を終え、さらに上流を目指す。左岸の高茎草原で鮮やかなムラサキ色の花の群落を見つけた。花はトリカブトに間違いない。だが葉は見慣れたトリカブトよりも幅広で厚い。どうやらオクトリカブトのようだ。
 夏も過ぎて初秋の気配が漂い始めた北ノ俣沢では秋の花がそこここに見られる。少し下流の河原ではヨツバヒヨドリが花を咲かせていたし、ヤマブドウの果実はまだ青いもののブドウらしくなってきた。もう秋はそこまでやってきていることを感じる。

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 まもなく正午だ。少しばかり腹が減ってきた。目指す調査地はもうすぐだ。調査地へは左岸から右岸へ浅瀬を探して渡渉する必要がある。幸い浅瀬が続いているので、市川さんには先に行ってもらい、調査地周辺の写真をとっていると、先行した市川さんが私を呼ぶ声が聞こえた。何事と思って、急ぎ川を渡ったのだが、余りに慌てていたので石に躓き、こけてしまった。カメラをぬらすまいとして少し膝をひねったようだ。そのときは擦り傷以外にはそれほど痛みもなかったのだが、帰広してから膝に違和感を感じる日が続いている。年寄りの冷や水そのものだ。

 閑話休題
 とにかく川を渡ってテラスへ上がると、「クマゲラの巣が」と市川さんが少し興奮しておしえてくれた。テラスから斜面を少し上がったところにあるブナ。そのブナの幹の地上7-8mほどのところに、南南東に向かって、まん丸の穴が空いているではないか。まさにクマゲラの巣穴である。このブナは方形区調査でNo43(胸高直径57cm)の調査対象樹である。なぜあのとき気がつかなかったのか。あのときは天候も不安定で時間に追われ、樹種の同定と胸高幹囲の測定に目を奪われていて、樹木全体に目を配っていなかったに違いない、とも思ったのだが。かすかな記憶をたどると、穴には気がついていたような気もしてくる。ただそれがクマゲラの巣穴とは考えなかったのだ、とも思えてくる。いずれにしても「心そこにあらざれば見れども見えず」ということを身をもって体験してしまったことになる。痛恨のミス(見ず)だった。 双眼鏡で覗くと樹皮のはげた円形の穴にドーナツの様に木質の輪が見える。穴の内径はどのくらいなのだろうか。余りに高い位置にあるので直接測定することはもちろんできない。比較対照できるものを使って間接測定するしかないが、それでも現場でそれをしても精度が悪すぎる。そこで全長50cmの折り尺があったのでこれを使うことにした。

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 折り尺の2節目を直角に折ると、その部分が10.5cmとなる。逆L字型にした折り尺をスケールとして地面から巣穴までが入るように写真を撮り、プリントアウトした画面上で計測することでおおよその大きさを測ることにした。
 その結果、樹皮に穿たれた穴の大きさは、高さ、幅とも13cm ほどで木質部の穴は、6.5 ~ 7.0cm であることがわかった。樹皮の薄利や形成層の盛り上がり状況を勘案すれば、元々の巣穴の大きさは8 ~ 10cm ほどと推定できる。クマゲラの巣穴の大きさである。

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 こうした二つ目のクマゲラの巣穴を見つけたのだが、このときまたもや、同じ失敗を繰り返したのは、大いに恥じなければならない。巣穴の写真は望遠レンズでもとっておいたのだが、その写真をみると、問題の巣穴の右下1mほどのところにもう一つ穴が穿たれていたのだ(写真)。
 おもわず、「うっそー」と口走ってしまうほどの驚きだった。穴は正面を向いていないので正確にはわからないが、どうやら縦長の穴のようだ。穴の高さは20cmほどになろうか。この穴は何なんだ。巣穴でもなさそうだし、採餌痕でもなさそうだ。もしかしたらねぐら様の穴なのかも知れない。いずれにしても再度詳しい調査が必要だ。
 どうやら北ノ俣沢を含む成瀬川源流域はクマゲラの生息地としてかなり重要な地域なのではないだろうか。とこんなことを考えて意見書の追加と訂正を準備しているところに、成瀬ダム訴訟の控訴審に関する記事(9月8日)が地元の新聞に載った。内容は原告側が現地調査を行い、クマゲラが生息する可能性があり、ここの自然環境が世界自然遺産白神山地」に匹敵する貴重なものといった内容をしたためた意見書を提出したことを伝えるものだった。こうした記事が出たことで、北東北のクマゲラの調査をしている NPO法人本州産クマゲラ研究会の藤井氏も関心を持ったようで、このブログのクマゲラの巣穴発見の記事に次のようにコメントを寄せてくれた。
 「新聞記事のことやこのブログを見ましたが、この穴は試し彫り言って、未完成巣穴です。クマゲラの生息が十分可能なブナ林ですから、ダム建設は望ましいものとは言えません。小笠原先生は、何を根拠に大丈夫とお墨付きしたのか?」(原文のママ)(クマゲラの巣を見つけた 参照)。
 このようにクマゲラの専門家が関心を示してくれたことは、原告にとって大きな励ましになったし、今後へ調査への追い風になったこと思う。感謝する次第である。その上であえていえば、私にはこの巣穴がなぜ「試し掘り」と断定できるのか、という疑問が頭から離れないのだ。
 キツツキ類が樹幹に巣穴を掘り始めて途中でやめてしまうことはままあることは私も知っている。しかし、奥行き(深さ)は不明なものの、完全に穴が開いている巣穴が何故試し掘りと断定できるのか、そこがどうしてもわからないのだ。
 たとえば、巣立ちまで育雛に使用した巣穴であれば、もう少し穴の周辺へんに使い込んだ痕跡があって当然ということなのかも知れない。仮に使い込んだ痕跡が薄いとしても、何時の時点で使わなくなったのか、少なくとも穴の下縁にはひっかいたような爪痕が残っていることを考えれば、ある程度は出入りしていたことが推測できるだろう。
 ここと決めて巣穴を穿ち始めたが、どうも材質が堅すぎるとか水気が多すぎるとか育雛には適さない感じたとかで放棄するというのならわかる。が、それでもそうしたことならもう少し早い段階で放棄するのではないだろうか。どんな事情いがあって堀かけの巣穴を捨てたのかという事情はクマゲラに聞かなければわからないことだが、放棄すべき何らかの事情があったことは間違いない。かなり困難なことであったとしても、生態学者はそれを知ることが仕事なのだと私は考えている。
 たとえば巣穴を放棄するには、こうした営巣不適木というこの樹木特有の問題以外にも、たとえば、立地がよろしくないとか途中でテンやカラスなどの邪魔が入ったとか、ダム関連の工事が邪魔だったとか様々な要因が考えられる。   
この巣穴が未完成で使われなかった「試しぼりの穴」と断定するだけの根拠がわからないので改めて、その辺のことを聴いてみようと思う。
 そしてもう一つの疑問。藤井氏はクマゲラの生息環境として広大なブナ林が必要と考えているようだ。確かに広大なブナ林にクマゲラは生息しているし、そうでないところには生息していない。この事実からブナ林の重要性を指摘するのはよく理解できる。しかしこの事実は森林が破壊されることなく存続してきた森林、言い換えれば生産力の衰えてない森林(東北地方では当然それがブナ林ということだ)が必要と言うことに他ならない。問題は、雪深いこの地域で、クマゲラはどのように冬を越すのかという点である。冬を越せるだけの食糧を主とする生活資源をどう確保するのかが重要な問題である。そう考えるとブナの存在とは違った条件が必要なのではないだろうか。これはクマゲラに限らず、温帯域の野生動物全般に当てはまることである。

 食糧の乏しい冬越しにはたとえばクマやコウモリなどの冬眠のように生理活性を低下させてエネルギー消費を押さえるか、冬でも利用できる食糧を確保するかのどちらかである。クマゲラは冬眠をしたり冬に極点に生理活性を落とすということはなさそうだから、どうにかして栄養価の高い食糧を確保しているに違いない。

 私にはキタゴヨウの種子がその鍵を握っているのではないかと考えている。北ノ俣沢を中心に成瀬川源流域にはキタゴヨウの群落(写真下)があちこちに点在している、キタゴヨウの種子は油脂分に富んでおり、それがクマゲラの冬越しの貴重な資源になっている可能性がある。食糧の端境期である冬をこの種子を頼りに乗り切ることができるとすれば、白神山地などと比べてもキタゴヨウなどの針葉樹が混交し、多様性に富む成瀬川源流域はクマゲラにとって暮らしやすい森林なのだと思う。

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 この二つ目の巣穴発見に興奮しつつ、かつ悔やみつつ、昼のおにぎりをほおばり休息もそこそこに上流を目指したが、その話はまた次回に。