生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

与えるサルと食べるシカ 辻大和著 地人書館

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 久しぶりに生態学におけるフィールドワークの面白さを伝えてくれる本が出ました。実を言うと、この本が出たことを知ってはいたのですが、買おうかやめようか迷っていたのですが、著者の辻さんから、私の子供向け科学読み物「ニホンザル」を読みたいので送ってくださいとの要請を受けて、お送りしたところ、お礼にと、この本を送ってくれました。というわけで、手に取って読む機会に恵まれました。

 一読した後の第一印象は、何かデジャブ(既視感)にとらわれて、これまでの私が書き散らしてきたものをまとめたような不思議な感覚にとらわれたのです。

 例えばサルとシカとの関係や種子散布の問題など特に6章以降はその感が強く、35-40年の歳月を経て私の雑報が蘇ってきたかのようです。

 とはいえ、私の書いたものの多くは、発行部数わずか250部程度の「モンキータイムズ-宮島版」という市販されていない広報誌なのだから、その内容を読んだことのある人はほんのわずかに過ぎないのです。その点、辻さんの著作は定量的な分析を伴って、より勢地学的なものになっていますし、市販もされているのだから、多勢の読者を持つことができますし、是非そうなってほしいと感じています。

 本書でも触れられていますが、近年の大学での研究は必ず数年で結果の出そうなテーマ、言い換えれば測定できるものを対象としたものに偏りがちで、泥臭いフィールドワークに基づく研究などする余地もないようです。そんな環境のなかで、辻さんは金華山島という絶好のフィールドに恵まれ、そこに暮らすニホンザルの暮らしぶりを食物という視点から解き明かしていく様子が、研究者の活動を含めて淡々と語られています。

 私が宮島でニホンザル生態学的な研究をしていた頃、日本モンキーセンターで研修員である私の指導者だった伊沢紘生さんが宮城教育大学へ転出して金華山島での調査を再開していたので、サルとシカが暮らす島における両島の比較調査を提案したところ、やろうやろうということになり、計画案までできたのですが、残念なことに予算が付かずこの計画はご破算になってしまったのです。照葉樹林帯の宮島と落葉樹林帯の金華山島では何がどのように異なるのか、あるいは共通なのか、かなり面白いテーマで、後々屋久島を含めての比較調査もと考えていましたが、残念なことに実現はしませんでした。

 そんな経験があったので、金華山島の様子をこの本で確認できたことは大変面白く、価値あるものでした。

 少しだけいいわけをしておくと、宮島は常緑樹林帯で視界が開けず樹上のサルの行動を観察することはまずできないことや標高差が500m以上もあり、かつ急峻で急崖が多いこと、規制が厳しくシードトラップなどの調査器具を設置することも難しく、仕事上の制約も多いく、金華山島のようにどこまでもサルについて歩くことができない上に定量的な調査そのものができないといったハンディを背負っていたのです。

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花崗岩質の宮島はこのような急崖が多く、とてもサルについて歩けない場所が多い

 その点、金華山島は理想的なフィールドといえるし、粘り強い辻さんの調査で見事に私たちの断片的な調査からの予想を立証してくれています。とはいえ、辻さんも指摘しているとおり、金華山島では見られないエピソードもあることも事実です。 

 例えばサルとシカの関係のなかで、シカからサルへの恩恵の例が無いようですが、宮島ではヤマモモを介して面白い例があります。シカは落下したヤマモモの果実を大量に食べますが、種子そのものはまとめて口から吐き出します。そのヤマモモの種子をサルが殻を割っていわゆる天神さん(種子)を食べるのです。ヤマモモの多い宮島ならではの話です。また、シカはサルのフンを好んで食べます。こうしたことは金華山島では堂なのでしょうか。林床植生の貧弱な照葉樹林ではシカは野鳥を含めた他の動物の動向に常に気を遣って暮らしています。

 いずれにしても、環境の異なる各地でのフィールドワークに根ざした暮らしの解明をしてみたいという若い人が少しでも増えてくれればいいなと思いますし、この本がそうした人たちの良き入門書となって欲しいものです。

 最後に一つだけいいたいことを言っておきます。

前半のニホンザルの社会に関する紹介記事ですが、正直に言えば、やはり第一世代のサル学は乗り越えていないのだなと思いました。

 第一世代を一言で評価すると、ニホンザル生態学的な問題を社会学として解明しようとしてました。第2-3世代の私たちはそれを批判して、社会学的な問題を生態学的に解明するのだとして、行動学をコミュニケイションという視座で解明してきました。

しかしながらその点は、全く議論にもならず、第一世代のサル学は無かったことになっているように見受けられます。その不完全な批判のままの現状が前半のニホンザル社会の紹介になっています。そこはもう少し批判的に捕らえる必要があるでしょうし、若い人たちにももっと考えてほしいところでもあります。

そして、このようなフィールドワークを主体とする長期観察を前提とする生態学はもはや大学には荷が勝ちすぎているように思う。この手の学問には大学に期待するのではなく、生物の生息地を基盤とした生物同士の諸関係をまるごと資料とするフィールドミュージアム(野外博物館)こそがふさわしいのではないかという私の考えを確信させる内容でもある。

 とにもかくにも是非、自然科学、生物科学、生態学に関心のある人たちに読んでほしい一書です。

 目次概要

  1章 めぐり逢い

  2章 サルってどんな動物?

  3章 「シカの島」のサルの暮らし

  4章 サルの食べものと栄養状態

  5章 実りの秋と実らずの秋

  6章 食物環境の年次変動とサルの繁殖

  7章 与えるサルと食べるシカ

  8章 森にタネををまくサル 種子散布

  9章 ところ変われば暮らしも変わる

 10章 私たちとサル