生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

林間放牧再考ーいわゆる獣害をなくすために

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  もう30年以上も前のことだが、神石町へ厩ザルの調査に行ったことがある。当時の神石町では黒毛和牛の林間放牧が盛んであった。最近、当地を訪れていないので、林間放牧の状況がどのようになっているのかは知らない。
 この神石という所は資源林としての里山と放牧用の山林、そして耕作地である畑がモザイク状に入り組んでいた。里山から落葉や小枝を集めて堆肥とし、畑に敷き込むという有機農法を行う(写真)典型的な日本の農村(中山間地)の風景が残っていた。

 神石町の山間地では、黒毛和牛を飼育する農家が多く、牛の健康を祈るために、飼育小屋には大山神社のお札とともにサルの頭骨を祀っていた。f:id:syara9sai:20201001110127j:plain

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 今日の話は、「厩ザル」ではなく、林間放牧の効用についてである。

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 1980年代前半当時、すでに神石町でも農家の高齢化が進み、徐々に過疎化も深刻な状況になってきていた。里山の手入れは行われていたものの、サルの出没には手を焼いているとのことだった。私たちが訪れたときにも、初冬の畑に取り残した大根を求めて、ニホンザルの一群が畑へ姿を現していた(写真に見える小さな黒い点がサル)。農作物をあさりに来るのはまだサルだけだったが、最近の中山間地域では(最近ではそれに隣接する市街地まで)、サルだけではなく、イノシシやシカ、クマまでが過疎の村に押し寄せて来るようになった。

 こうした現象に対するマスメディアの論調は、野生動物が増えたというのが基本姿勢である。これまでいなかった地域に野生動物が出現したのだから、増えたと考えるのも無理からぬことではあるが、しかし、一歩ひいて日本の生産システムや社会構造の変化を考えてみれば、それが真実かどうかはある程度わかるのではないだろうか。

 明治期以前は農山村は常にケモノとの戦いであった。野生鳥獣の狩猟は幕府や藩に大きな制限を受けていたからであるが、収穫期には不寝番をしなければならず、常に田畑に人が出て警戒しておく必要があった。明治になり、銃器規制のたがが外れ、商品化できる毛皮や剥製を売るために狩猟圧は急激に高まり、多くの野生鳥獣は個体数を激減させた。その結果、明治期以降1970年代までは野生鳥獣による農作物への被害は減少した。森林棲のクマやカモシカ、サルなどは奥地の森林へ追い込まれていた。

 ところが1960年代にはいると、工業化をベースとした高度経済成長が国策となり、奥山の広葉樹林皆伐され、スギ・ヒノキの人工林へと転換が図られた。その結果、奥山に追い込まれていた野生鳥獣は、逆に奥山から里へと駆り出されることとなった。1970年代の自然保護運動が盛んになったことは多くの著作からもよくわかる。

 高度経済成長には農山村に決定的な変化をもたらした。その一つは産業構造の変化に伴う過疎化(人口流出)である。特に労働の担い手である若者が農山村から都市へと流出した。と同時に中山間地にもエネルギー革命の波は押し寄せ、それまで里山の生産物に頼った生活は石油依存のものにとって代わられた。その結果、それまで暮らしの資源であった里山の生産物は利用されぬままに放置された。

 折しも奥山の生息地を追われた野生鳥獣はこうした放置された二次林の生産物を頼るようになった。

 奥山や河川の自然の生産力減退と放置された二次林の生産物放置が相まって、今日の野生生物は中山間地を主たる生息地へと変えざるを得なくなった。これがいわゆる獣害の根本原因である。

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 であれば、奥山や河川の生産性の回復を講じつつ、里山資源の再活用が問題解決の要諦である。その一つは、牛や馬の林間放牧かもしれない。二次林の生産物を人間の暮らしのために利用すること、言い換えれば野生動物の取り分をなくすことが肝要である。家畜の林間放牧はそのための方途である。

 食料自給率を高め、農山村の再生には野生動物との付き合い方を真剣に考えることが欠かせない。駆除一辺倒の獣害対策や個体数管理にたよる保全論はすでに役立たずの政策なのだ。社会構造の再編を模索しつつ豊かな農山村を再構築することは近未来の日本の興亡を左右するに違いない。

 もちろん、そのためには野生動物が暮らせる奥山の多様性と豊かな生産力の回復は不可欠であることは言を俟たないが。

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