生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

やんばるの森事情 3 森は生物の暮らしの場

 前回はオキナワウラジロガシについてでしたが、少しだけ補足しておきます。

 やんばるに産する樹木はたいてい成長が速く、材質が柔らかく耐久性に問題が有り、建築材などには余り適していない。そのかなではオキナワウラジロガシ、イジュ、モッコク、イヌマキなどは材が堅く、数少ない有用材として貴重な存在となっている。中でもオキナワウラジロガシやモッコクは貴重で、琉球政府によって厳重に管理され、一般市民用の住宅にはほとんど利用されることはなかったようだ。ちなみにオキナワウラジロガシは首里城の「守礼門」の門柱に使われている。

 わずかにイタジイ(板椎)が利用されていたが、現在でも沖縄の木造住宅に利用されるのは県外産が大部分を占め、やんばる産の建材はほとんどない。このうちモッコクやオキナワウラジロガシは、かなり希少なので古くから伐採が制限されていたようだ。

 もう一度やんばるの森を構成している樹種を見てみよう。典型的なやんばるの森を遠望すると、ブロッコリーのようなモコモコとしている。これらはほとんどイタジイが優占する森なのだが、古い森に足を踏み入れてみると、様々な樹種が生育していることに気づく。

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 やんばる地域には網の目のように林道が敷設されていて驚くばかりなのだが、その林道に車を止め、谷を下って川へ出る。やんばるでは川を道代わりに歩いて森を観察するのも一つの方法である。日当たりが良く水の豊かな場所には、沖縄の森ならではの木生シダであるヒカゲヘゴが見られる。

 ヒカゲヘゴは高さ10mを超えるものもあって、いかにも亜熱帯らしさを醸し出している。春、ヒカゲヘゴの大きな葉が展葉する前、伸びた若葉はゼンマイのように山菜としても利用されるという。湯がいてマヨネーズで食べるとそれなりに美味しいとのことだが、私はまだ試していない。このほかにも着生シダのオオタニワタリも山菜として利用される。

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 亜熱帯のやんばるには大型の木生シダ以外にもリュウビンタイ(写真)やオニヒゴなど多くのシダ類が生育している。

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 さて話を少し戻そう。川を遡上しながら観察してみると、イタジイに混じってイジュ、崖の上にはオキナワウラジロガシ、少し斜面を上がったところにはタブ、小尾根にはヤマモモといった具合に一抱えもありそうな巨樹が点在している。 
 そうした巨樹の幹をたどって情報へと視線を写すと、時に一風変わった植物を見つけることがある。先ほどのオオタニワタリもそうだが、もっと美しいオキナワセッコクやフウランなどのラン科植物が見つかることもある。

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オキナワセッコク

 これら着生植物は他種の幹に着生しているだけで決して寄生しているわけではない。つまり、生息地を提供してもらっているだけで、栄養分を横取りしているのではない。着生植物が多いということはとりもなおさず、空中湿度が高く、安定していることの証でもある。林冠が閉じた古い森は林内の湿度が高く保たれており、様々な生息地を作り出している。これが生物学的多様性の一例でもある。生物の多様性が高いということは多くの種が存在しているということではあるのだが、もう少し深く考えて見ると多様な生物が生きているということは、それだけ多様な関係が存在しているということを意味している。生物はそれぞれに固有な歴史をがあり、その歴史の中で他種との関係を培ってきたのだが、こうした生物同士の相互作用が新しい世界を生み出し、その世界に適応すべく自らの振る舞いや暮らしぶりを変えていく。この生物の歴史を進化という。だから地域の自然はそれぞれに固有なものとなる。とくに琉球列島の島々にはそうした固有性が色濃く残っている。世界自然遺産としての価値はそこにある。

 

薄い腐葉土

 樹上から地面に目を転じてみよう。やんばるの森は本土の山地とはやや異なり、地面が余りふかふかではない。スポンジのような腐葉土層が断然薄い(写真)。

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腐葉土層が薄い

 やんばるの森の腐葉土層はせいぜい数センチほどで、すぐに堅い基質が現れる。湿度の高い熱帯や亜熱帯の多様性に富んだ地域は、当然のことながら生物の活動が活発である。落ち葉や動物の死骸はたちどころに分解され、その産物はそく他種の生産のための養分として利用される。したがって分解物のストックがない。在庫を置かないどこかの生産現場のようにある意味自転車操業的な面がある。一旦森林が破壊されると、薄い土壌層は失われ基質が露出することとなる。こうなると多様性の復活はかなり困難になりかねない。

 オキナワウラジロガシやイタジイ、ヤマモモなどの巨樹は板根状の根を斜面に張り、そこに腐葉土層を形成するという機能が認められる。強い雨樹冠で受け止め、樹幹を伝わってゆっくりと地面に流す。その流れを板根が受け止め腐葉土層を形作るのだ。やんばるの森の巨樹の周辺にできた暑い腐葉土層にはそれこそ多様な菌類など目に見えない生物が様々なネットワークを形成する。そうした複雑な生物ネットワークに支えられてラン科植物が生き抜いてきたらしいこと、ランの研究者に教えていただいた。

 これら目に見えない土壌生物も含めて森の様々な生きものについてはおいおい紹介していくことにするが、とにかく、古い森の皆伐は、想像以上に生物世界に大きなダメージを与えている。次回は、イタジイとノグチゲラについて、その後は森林伐採による湿度の低下がもたらす様々な影響と枯れ木の存在意義について考えてみたい。

 爺のつぶやきー最近どうも頭が働かない。いいたいことはたくさんあるがうまくまとまらない。まさに老化現象。今回もまとまりのない話となって締まったのですが、勘弁してください。一つには自然が余りに複雑なので、やむを得ない面があるのですが、どうか辛抱強くお付き合いください。

 

 

 

 

シカのフンからガラスを作る

サル・シカ・原始林ニュース  139号 2003.04.23

やけくそで作ったガラスー宮島野外博物館セミナーリポートー

 

という記事があったのを思い出した。このサル・シカ・原始林ニュースはこの後、HFMエコロジーHFMエコロジーニュースへと発展し、このブログへとつながるものです。広島フィールドミュージアムの広報誌です。

改めて読んでみて、この頃は実にいろいろな試みをしていたものだと我ながら感心する(冗談です)。

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シカのフンで作ったガラス

埋もれさせてしまうには惜しい記事なので、ここに再録することに。

 2003年4月20日日曜日はあいにくの雨模様だった。この日は久しぶりに野外博物館セミナーを宮島で行うことになっていたのだ。なんでこんなめでたい日に雨が降るのだ。小雨決行(結構)と案内しておいたが、これが小雨と判断する人は少ないかも知れない。はっきりした雨で傘ナシではしんどい。というわけと案内の不徹底とが重なって参加者は少ないと覚悟して集合場所へいった。案の定少ない。今年の春はいつになく花が多く、宮島の森を散歩するのが楽しみだったのだが、雨に打たれてせっかくの花もうなだれて、愛でるに愛でられないといった塩梅だ。大元公園ではモミの新緑と実生がちらほら目に付くが、程なくして全てシカに食べられてしまうことになる。
 大元公園の地面はシバとコケに覆われたところと、それすら生えていない裸地同然のところがある。とりあえず、約束のシカのフンからガラスを作るために、材料となるフンを集めてもらう。そぼ降る雨にフンを拾う姿は決して美しくない。がそれよりも好奇心が勝るのでみんな一所懸命にフンを拾う。

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ガラス作りの原料となるシカのフン

 あいにくの雨なので、大元公園無料休憩所にある事務所を使わせてもらうことにした。窓を開け放ち、換気を良くする。何しろフンを焼くわけだから臭かろうというわけではない。シカのフンは焼いてもまったくそれらしい臭みは出ない。そうではなく、ガラス製造の過程で使う、鉛の化合物の蒸気を排気するためである。ほんの微量ではあっても密室で作業するのは危険である。換気を良くするのに越したことはない。
 では、実際にガラス製造の工程を順を追って紹介しよう。
 まず、集めたシカのフンに着いているゴミをきれいに取り去り、カップ一杯ほどを用意する。このきれいになったフンを100円ショップで購入したステンレスの小鍋にいれ、ガスバーナーで焼却する。

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2台のバーナーで焼かれたフンはまもなく炎を上げる。これでもかというくらい、およそ15分ほど焼き続け、徹底して有機物を燃焼してしまう。有機物が消滅したフンは、ふわふわのねずみ色をした俵のようになる。バーナーにあぶられると飛んでいってしまいそうになるのをなだめなだめてパウダー状の灰にする。

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 もうあぶっても炎が出なくなると、冷やしてからこれまた100円ショップの茶こしでふるい、大きな不純物を除く。この灰を2グラム計測して、そこにホウ砂と一酸化鉛をくわえ攪拌して、るつぼに投入。
 再び、バーナーで1000度C以上に熱すると、るつぼの中の灰が飴のように溶け始める。完全に溶け、流動性が出てくると、今度は冷却してガラス化を待つ。ただ、冷やすときに焦ってしまうと、ガラスは細かく砕けてしまうので、時間をかけて冷やさねばならない。冷却用の鍋を温めておいてるつぼの中で解けている飴をそこへ流し込む。ゆっくりと冷やしてできたガラスはやや茶色がかった鶯色の半透明のきれいなものだった。

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 思った通りシカのフンからガラスを作ることができた。国内初、いや世界で初めての快挙かどうかは知らないが、シカのフンからガラス作りというのはそうそう思い付くものではないだろう。いったいなぜそんなことを考えたのか。とよく聞かれるのだが、そのいきさつはこうだ。
 まず、今回協力してくれた寺山さんは勤務する学校の化学クラブの生徒と一緒に校庭の土からガラス作りをしていた。その話の中で、よく覚えていないのだが、植物からもガラスは作れるでしょうと私が尋ねたときに、シダで作ったことがあるといったように記憶している。シダでできるなら珪酸を多量に含むササでもススキでもできるに違いない。しかもこれらは動物の消化液で分解することもなくそのままフンとして排泄されるはずだから宮島でシバを食べているシカのフンからガラスを作ることは可能であろうと発想したわけである。また、殆ど人間の与える餌に頼って生きているシカのフンではガラスはできない。そこで、フンからガラスを作ることを通じてシカの食物の質を知ることもあるいは可能なのかも知れないと思っている。これは今後の課題だ。
 それと、花粉にもガラス質が含まれているので、春に大量に飛散するマツやモミ、スギの花粉からもガラスができるかも知れない。誰か挑戦してみますか?
 写真の大きな円い黒いガラスは鉄製の鍋で溶かしたもので小さく割れてしまったガラスがるつぼで溶かした不純物の少ないガラスです。
 というわけで、天気には恵まれなかったが、大変おもしろいセミナーでした。
以上 再録

 

 

やんばるの森事情 2 オキナワウラジロガシの話

  やんばるの森は、照葉樹に覆われた亜熱帯の森であるが、それがどのようなものななのか本土の人間にとってあまり馴染みがないのである。本土だけではなく、沖縄県民でも都市に暮らす人たちにとってはやはり馴染みの薄いようなので、本土の人にとっては一段と馴染みが薄いのも無理からぬことかも知れない。馴染みがなければなかなか親しみも湧いてこないのも道理である。自然への無関心はその破壊に対しても無関心とならざるを得ない。やんばるの森の皆伐問題はそうした無関心を背景として止むことなく続いている面もあるに違いない。逆にみんなが強い関心を持てば、現状も変わるのではないかと期待して、まずはやんばるの森について、話題提供をしていくことにした。今回は、オキナワウラジロガシの話です。

 日本にはドングリのなる樹種が数多くある。落葉性のミズナラ、コナラ、クヌギ、アベマキなどはいわゆる里山の樹木として知られているし、常緑樹であればアラカシ、シラカシウラジロガシ、ツブラジイ、スダジイなどが身近な存在である。

 たとえば私の地元宮島とその周辺の常緑林には、海岸沿いにウバメガシ(備長炭の原料)、そこから標高が上がるにしたがってシリブカガシ、ツブラジイ、ウラジロガシ、ツクバネガシ、アカガシが見られるようになるが、アラカシは海岸沿いから山頂部まで広く生育している。このようにドングリがなる樹木はごく当たり前の存在となっている。ところが驚いたことに沖縄の人たちは、自分たちの暮らす島にドングリがなる樹があることを知らない人が意外に多いという。この話を聞いて、こちらが驚いた。

 沖縄にはオキナワウラジロガシ、マテバシイ、イタジイというドングリのなる樹はあるし、特にイタジイはやんばるの主要な樹種である。それにも関わらず、知らないとは、驚きの極みである。

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  この写真は国頭村伊部集落近く、県道70号線から西へ30分ほど歩いた伊部岳の麓にあるオキナワウラジロガシである。胸高直径が2mを超えるこの樹はやんばるでも最大級のオキナワウラジロガシである。ちなみに後ろに写っている人物は、一緒に調査をしていただいた故河野昭一先生の懐かしい姿である。

 オキナワウラジロガシ(Quercus miyagii)はウラジロガシ(Quercus salicina)に似ているが、奄美大島西表島までの琉球列島にのみ生育する固有な樹種で、その果実、ドングリは直径2.5cmを超えるものもあり、日本最大である。11月下旬に川沿いのやんばるの森を歩いていると、時々、ドボッという音ともに大きなドングリが落ちてくる。ポチャンではなくドボッという鈍い音は恐怖ですらある。頭にでも当たったらかなりのダメージを受けるに違いない。材質はイタジイよりも堅く、寿命も長い。そんなオキナワウラジロガシだが、林道沿いではほとんど見かけることがない。

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 それはオキナワウラジロガシの生育する場が、ここやんばるでは川沿いの斜面や湿地に限られているためである。オキナワウラジロガシは湿潤な環境でしか再生できないようなのだ。西表島のように一様に温暖湿潤な環境であればほぼ全域で生育できるのであろうが、比較的乾燥がきついやんばるでは沢から離れた斜面や尾根部には生育していない。

 私たちは2009年に、林道敷設予定地の伊江川流域でオキナワウラジロガシとイタジイの再生に関する調査を行ったことがある。その詳しい内容は「やんばるにおけるオキナワウラジロガシの現状と保全」(日本森林生態系保護ネットワーク論文集Ⅰ)か「やんばるの森のまか不思議」(沖縄大学地域研究ブックレット12 2011)に譲るが、オキナワウラジロガシの置かれている現状や特徴についてかいつまんで紹介してみよう。

 私がオキナワウラジロガシと初めて出会ったのは2003年、西表島でのことである。しかしこのときはなんということもなく、その印象もサキスマスオウの板根やマングローブ林に比べれば、極めて薄かったというのが正直なところである。それから5年後、やんばるの林道問題へひょんなことから首を突っ込むことになり、現地視察をすることになった。伊江川へ案内されてそこでオキナワウラジロガシの群落にであい、いくつかの疑問が湧いてきた。そこで見たオキナワウラジロガシはどれも大径木で若木が見あたらないのだ。そしてどの樹にも萌芽した痕跡がない。そもそも萌芽更新はないのだろうか?それに加えて若木もないということはとりもなおさず、オキナワウラジロガシの再生がうまく行っていないことの証なのではないかということである。その阻害要因は何か、やんばるの森林問題に関わる中で、これを解き明かす必要があるという問題意識を次第に抱くようになった。まずはオキナワウラジロガシの生育状況を把握しようと、あちこちの森林を見て回ったが、意外なほど少ないということがわかった。ただ、伐採地に立ってみると、沢筋に近い斜面や谷底の湿地に大きなオキナワウラジロガシの切り株が見つかるということを経験的に学んだ。どうやら湿度(水)がオキナワウラジロガシの生育に大きな要因として関わりがありそうなことがみてとれた。

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 2009年。この年はオキナワウラジロガシが大豊作で、調査地の伊江川の支流には大きなオキナワウラジロガシのドングリが転がっていた。それが翌年の2月には一斉に芽吹いて20cmほどの幼樹となっていた。伊江川の支流では写真の様に川沿いのごく限られた範囲に集中しており、川から十mも離れた斜面にはもうほとんど実生は見られない。

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 植物の種子は、母樹からなるべく遠いところで発芽し、母樹と競合しないような工夫がみられる。たとえば、果実を実らせる多くの樹種は鳥やケモノに運んでもらうための工夫を果実に施しているし、カエデやテイカカズラのようなものは風の力を借りて分散する工夫がみられる。またヤナギやカツラのように水辺に生育する樹種は水流によって種子が運ばれるものも少なくない。

 ではオキナワウラジロガシのこの大きなドングリはどのようにして種子をばらまいているのだろうか。この大きさから見てどう見ても動物や風によって運ばれる種子ではなさそうだ。本土のブナやミズナラ、コナラなどのドングリ類は、アカネズミやヒメネズミなどの哺乳類、カケスなどの鳥類がドングリを運び出して土中に埋設し、そこで発芽するというケースもあることが知られているが、やんばるでは大きなオキナワウラジロガシのドングリを運ぶようなネズミ類も鳥類もいない。ケナガネズミくらいの大きさがあれば、あるいはそれも可能かも知れないが、ケナガネズミそのものも希少であり、種子頒布に貢献することはほぼないだろう。ほとんどのドングリは斜面を転がし落ち、水路へ落ち込んでいく。たまに斜面の岩の凹みや平坦な湿地に落下したドングリはそこで発芽する。ひたすら重力と水流に依存しているとしか考えられない。イタジイなどの小さなドングリであれば、台風などの強い風が吹けば斜面上部へと吹き飛ばされることも考えられるが、さすがにオキナワウラジロガシのドングリでは相遠くへは吹き飛ばされることもなさそうだ。

 つまり、オキナワウラジロガシは母樹の近辺か、それより低いところへ向かって転がったり、流されたりして分布を広げていく樹種なのだろう。実生の分布を調べてみるとこうした実態が見えてくる。

 つまりオキナワウラジロガシの種子は

1.種子頒布はひたすら重力と水流に依存している。

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オキナワウラジロガシの実生

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 つまり、少なくともやんばるでは川沿いに分布を広げていく河川依存型の樹種といえる。そして水辺に分布が限られる要因はもう一つある。それは

2.種子は耐乾性が低く、再生には川沿いなどの安定して高い湿度条件を必要である。

ということである。

 ドングリ類は乾燥に弱く、意外と短期間で発芽能力を失ってしまうものらしい。やんばるの森は、沢から少し離れた斜面は意外に乾燥している。したがって斜面に取り残されたオキナワウラジロガシの種子は発芽することなく、消滅していくことになってしまうのだろう。そしてさらに

3.一定樹齢をすぎると萌芽更新する再生力は低下し、再生が困難である。

という事実が再生を困難なものにしている可能性もある。

 カシ類を始め広葉樹はおおむね再生力が強く、幹が折れたり、切られたりしても根が残っていれば萌芽して再生するが、それもある程度の樹齢までのこと。樹種によって再生能力寿命はことなるが、大木となったオキナワウラジロガシではほぼ萌芽による再生はできないようだ。ほとんどのオキナワウラジロガシは株立ちしていないことも、萌芽更新が少ない樹種の現れなのかも知れない。

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イジュの萌芽

したがって私は当初、オキナワウラジロガシは萌芽更新しない樹種なのだと思っていたのだが、ある場所でそれを覆す事実にであった。若く湿度の高い環境ではちゃんと萌芽更新することを確認してそれまでの考えを改めたことがある。

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萌芽更新しているオキナワウラジロガシ

 伊江川の調査地近くで、切り株の直径が20cmほどの若い樹で萌芽更新をしているのを発見したのだ。幹はもうほぼ腐りきってしまうような状態であったが、萌芽は5cmほどにまで成長していた。おそらく幹の腐朽と萌芽とは時間との競争なのだろう。

 オキナワウラジロガシについては、まだ多くの謎が残されている。たとえば何故あのような大きなドングリを稔らせるのか。これについてはまだ明確な答えが見つからない。一つの可能性としては初期成長の速さが生き残りに重要な性質なのかも知れない。これまで見てきたように、やんばるのオキナワウラジロガシはほとんど土壌のない岩の凹みのようなところで発芽し、生育している。たっぷりと栄養をため込んだ大きな種子は暗い森の中で少しでも他の植物の上に葉を広げ、一定期間を生き延びるのに効果的な形質であることは想像できる。

 これに加えてオキナワウラジロガシにはもう一つ面白い性質がある。それは板根を発達させるというものだ。

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写真の板根はまるでサキシマスオウのものに匹敵するほどだ。これほどではないにしても多くのオキナワウラジロガシは板根を持っている。イタジイなどにもある程度は見られるが、オキナワウラジロガシは土壌層の薄い生育場所とも関連しているのだろうが、よく発達している。川沿いの崖地や急斜面に生育するオキナワウラジロガシの発達した板根は、斜面上部から流れてくる土砂や落ち葉などを根元にため込み、土壌層を形成する。このこともやんばるの生物多様性の創造に一役買っているに違いない。その話はいずれまた、ということにしよう。
 土壌はないが比較的光の届く沢筋で成長すれば、
これまでの話を総合して考えて見れば、皆伐が続くやんばるの森では、オキナワウラジロガシが減少しつつあるのも頷ける。 

 いかに保全に気を遣っている様な印象を与える施業形態でも皆伐は生物の生存に大ダメージを与える。源頭部(河川源流部)のオキナワウラジロガシの喪失は、その下流域への種子供給を根底から破壊する。源頭部の母樹の保存は流域全体の利益につながることを肝に銘じてもらいたい。

 オキナワウラジロガシにまつわる話はこれくらいにしておきましょう。果たして次回はどんな展開になるやら。お楽しみに。  

 

 

やんばるの森事情 1 やんばるの森散策

 前回は森林伐採の現場を紹介したが、こうした森林伐採がやんばるの生物多様性にいかなる影響を与えるかということを考えてみたい。だがその前に、そもそもやんばるは本来の森林って?、そこはどんな世界なのか、どのような生きものが暮らしているのか、といった素朴な疑問に答えておくことにしよう。

 下の写真は大国林道・長尾橋から眺めたやんばるの森である。よくポスターなどで見るやんばるの森はたいていここからの眺めたものである。もこもことしたブロッコリーのような森。このもこもこした樹木はイタジイ(スダジイ)で、このイタジイが優占する森、それこそやんばるの森の基本的景観である。写真は5月、いわゆる「うりずん」に撮影したもので、白い花はイジュ(ツバキ科)である。写真を見る限り、やんばるはこうした立派な森が延々と続いているかのように思えてくる。

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大国林道・長尾橋から見たやんばるの森

 しかし遠目には立派な森林に見える森でも、実際に足を踏み入れてみると意外に細い樹ばかりでがっかりすることも少なくない。というか、今のやんばるにはそんな森のほうが圧倒的に多いのだ。

 では本当に豊かなやんばるの森とはどんなものなのだろうか。その一部を画像で紹介してみよう。写真アルバムやんばるの自然 をご覧ください。

 

 やんばるの森散策

 やんばるとは山原の意味で、その地形は本土の山岳帯とは異なり、大きな山体を有するものではない。名前の通り、丘陵といった方がわかりやすい。千葉の房総半島内陸部や下北半島の地形に近く、平らな地面が東西南北から押されて地面にしわが寄った様な地形に特徴がある。せいぜい2-300mの山が複雑に連なり、小さな川が網の目のように流れている。森を眺めての印象は一見なだらかで歩きやすい森に見えるが、実際はかなり歩きにくい。それは樹木が地形の厳しさを覆い隠しているからに他ならない(下の写真参照)。

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 伐開地に立って森の断面を見るとわかるように、谷に近い樹木は樹高も高く太い。それに比して尾根部では季節風も強く、乾燥しやすいために樹木の生育は遅れ、樹高もかなり低い。また地形は沢筋の土壌は浸食されて岩盤が露出し、川沿いは数メートルの高さの崖となっていることが多い。つまりお椀を伏せたような地形の集合体と思えばわかるだろうか。その結果、樹木に覆われたやんばるの山並みはなだらかに見えるが、実際に森を歩くのは、粘土質の赤土の斜面と相まって容易ではない。またこの赤土の土壌はかなり酸性が強く農業には適さない。

 薄暗い森

 やんばるに残る古い森に足を踏み入れてみるてまず感じるのは、暗いということかも知れない。その暗さにはすぐに馴れて気にはならないのだが、写真撮影をするとなるとこの暗さに苦労することがある。動きのある鳥やパンフォーカスで景観をカメラに収めようとすると、どうしてもスローシャッターを切らねばならなくなり、息切れした身体では手持ち撮影で苦労する。

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 写真はそれほどでもないのだが、巨樹に覆われた森では樹冠が完全にふさがれて林床はかなり暗い。そのため林床に生育する植物は意外なほど少なく、すかすかである。熱帯、亜熱帯の森は、いわゆるジャングルのような樹が密性して歩きにくいと思うかもしれないがそれは誤解である。

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 森林内部は暗いだけではない。沢沿いの森は湿度が高くしっとりとしている。ところが尾根部は冬の強い北西風のためやや乾燥がきつい。そんなこともあってわずかな高低差ではあっても、生育している樹種は斜面の上部と下部(沢沿い)とでは異なっている。たとえば高温多湿の谷筋から中腹まではイタジイやオキナワウラジロガシの巨木が生育しているが、尾根部周辺は乾燥に強いアデクリュウキュウチクの群落となっているだどわずかな標高差でも大きく植生が異なる。

 生物にとって湿度(水分)は生死を分けるかなり重要な要素である。極端な言い方をすれば、水問題を解決することも生物の進化に大きな影響を与えてきたのである。逆説的な言い方をすれば、水を求めて水と縁を切るように大進化が生じたと言えるのかも知れない。身体の内部に豊かな水環境を保持できる身体の仕組みを獲得することで水の少ない新しい生息域を獲得してきたことは脊椎動物の進化史にも見られる。

 生物はこのような水問題の解決とともに 1.いかにして食物を獲得するか、そして逆に 2.いかにして他の生物の食糧とならずに暮らすか、そして3.いかにして子孫を残すか、という三つの難問を同時に解決しなければならなかった。この多元方程式を多様な環境の中で解決するために生物同士の多様な相互作用が生じ、多様な関係が構築されてきた結果が現在の生物世界である。 

 だから湿度も気温も高い亜熱帯のやんばるには、本土にはない多様性がある。そんなやんばるの森を探索しながら散策してみよう。 

 やんばるの川筋を歩くとそこここにかなりの巨樹に出会う。ほとんど岩盤のような川沿いの崖地の上部には、板根を発達させたオキナワウラジロガシがまるで斜面の崩落を食い止めるがごとく岩盤に板根を伸ばして立っている。

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川縁の岩盤にそそり立つオキナワウラジロガシの巨木

 日本最大のドングリで知られるオキナワウラジロガシであるが、今、このオキナワウラジロガシは毎年の皆伐で姿を消しつつある。その辺の事情を少し詳しく述べたいが、それは回を改めてのこととしたい。ここまでやんばるの森事情を紹介しようと書き始めてものの、どうもそう簡単には話が進みそうにない。ということですこし予定を変更して、これからはシリーズでやんばるの森事情を紹介していくことにします。

 次回はオキナワウラジロガシについて、これまで調査してきてわかったことなどを少し詳しくお話をします。ということで、中途半端ではありますが、今回はこのくらいにしておきます。

 

 

 

 

 

2019年やんばる紀行-森林破壊の現場を歩く

 暖冬とはいえまだ肌寒さが残る広島の我が家を出て、岩国空港へ。ここから約2時間ほどのフライトで沖縄県那覇空港に着く。3月2日土曜日、那覇は薄曇り。機外へでるとねっとりした暖気が身体を包み込む。やはり那覇はもう夏だ。Tシャツだけでも十分暑い。空港で北海道から来る市川弁護士らと合流して、レンタカーで最北部のやんばる(国頭村)へ向かう。伐採現場を訪ねる私たちのやんばる通いはもう11年目となる。

 やんばるの森林整備事業を巡っては、2008年から2014年の6年にわたって争われた第2次「命の森やんばる訴訟」で実質的な勝訴を収め、県営林の伐採とそれに関わる林道工事は止まった。

 しかしことはそう簡単ではなく、やんばるに存在する国頭村の村有林は訴訟の対象ではなかったために毎年10ヘクタールの森林伐採が続いている。

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謝敷(じゃしき)の現場

 ご存じのようにやんばるの森には多くの固有種が生息し、極めて特徴的な生物的自然の残る地域として「世界自然遺産」としての価値を有する地域である。その価値は県も、地元も国も認めていながら、こうした森林破壊は止むことがないしこの実態は基地問題にかくれて余りよく知られていないのが実情だ。

 昨年の登録延期決定を受けて、国は米軍演習場の返還地を国立公園に組み込むことで再度、登録申請をしたが、根本的な自然破壊活動には目をつむったままだ。こうした現状にストップをかけようと地元の弁護士や市民が協働して「沖縄DONぐりーず」なるNGOを立ち上げ活動を開始した。私たち日本森林生態系保護ネットワークもこれに協力する形で訴訟と調査活動を行っている。

 今回は情報公開請求によって明らかとなっている、2018年度の伐採予定地である、辺戸と宜名真の伐採現場を視察することにしていた.。ところが宜名真では伐採した形跡がなく、その代わり、偶然、謝敷で新しい伐採現場を確認したのである。この謝敷の伐採は、公開請求後に新たに計画されたものなのかも知れない。とはいえ、見た以上は現場を見ておく必要がある、ということで今回は、辺戸と謝敷の伐採現場の状況と、皆伐という事業がやんばるの生物多様性にどのような影響を与えるかということについて2-3回に分けてレポートすることにする。 

伐採現場を歩く

1.辺戸・吉波山

  国頭村の計画によれば、<辺戸・吉波山1149-1>における今回の伐採面積は書類上では1.49haということになっている。しかし現場に立ってみるとどうもそれ以上の広さえる。図面上ではわずか1.49haとはいえ、実面積でいえばその1.5倍から2倍近かそれ以上にまでになる。こうした皆伐による生物への影響は決して小さくはない。

 国頭村辺土名から国道58号線を北上し、最北端の辺戸岬への分岐を東進し奥集落方面へしばらく走って、細い舗装道路を左折する。ここは観光客も訪れることのない森林が広がっている。遠くに石林山がそびえ、独特な雰囲気を醸し出している。写真は2012年の伐採現場跡地で、6年後の今ではちょっと見にはだいぶ森林植生が復活しているように見える。

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 伐採現場へ足を踏み入れるとまず作業道として切り開かれる林地の惨状が目に飛び込んでくる。腐葉土層を含む土壌を破壊し、無機質に赤土が露出し、雨が降れば真っ赤な泥流が沢を流れ下る。河川に流入した粘土質の赤土はコロイド状になって河床や海岸周辺に堆積する。そのため浅海性のサンゴは死滅する。

 現場は沢に沿った右岸の斜面。ほぼ直線的に数百メートルの尾根から谷底まで幅100メートルほどの規模で森がはぎ取られている。尾根近くにはうち捨てられた枯損木や枝が積み上げられ無残なゴミの山が残されている。かつてはイタジイやイジュが優占する林齢40年ほどの林が広がっていたことが伐痕から見て取れる。もう少し放置しておけば、ノグチゲラが営巣することができる程度(直径20cm)のイタジイに成長するであろうに、もったいないことである。

2謝敷・(林道佐手与那線)

 この謝敷の伐採現場は事前に情報がなく、偶然見つけた現場である。謝敷、佐手地区では以前から伐採が進んでいるのだが、その理由は「しょぼい森」ということで、やんばる型林業における林業生産区域に指定されており、5ha未満であればほぼ自由に伐採できる事になっている。ところが、謝敷を含んでこの周辺には、オキナワウラジロガシやイタジイの巨樹が残存する立派な森林が残っていて、貴重なストックとして重要な地域なのだ。

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オキナワウラジロガシ

 

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人の大きさと比べてみるとその太さがわかる

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謝敷の伐採現場

 この伐採現場に立ってみて、まず驚いたのはその伐痕の太さである。全体を俯瞰してみればわかるが、巨大な伐痕がかなりの間隔を置いて認められる。つまり、ここにはイタジイやオキナワウラジロガシの巨木が生い茂る熟成した森林であったということだ。辺戸の現場と異なり、細い樹木の残骸はない。巨樹が樹冠を覆い、林床に光が届かず林床植生も若木も多くはない、そんな森であったことが見えてくるではないか(動画有り)。

 環境省はこのやんばるを含む南西諸島を世界自然遺産登録を目指してこの2月にユネスコに再申請したという。米軍返還基地を国立公園に編入したことでハードルをクリアしたということなのだろう。しかし、現実にはこうした森林破壊が続いており、生息地の消滅、分断、孤立化という、やんばるの生物にとっての脅威は日に日に強まっている。

 次回は森林伐採によってやんばるの自然生態系にとってどのような危機が生じるのかという点について生態学的な視点から考えて見たい。
 

 

 

ニホンザルのスギ花粉症-発見物語

 2019年3月14日付けの毎日新聞1面にニホンザルの花粉症に関する記事が掲載されていました。淡路島モンキーセンターに花粉症のサルがいるという、いわゆる季節の話題といった記事なのですが、この記事からは何時どのようにしてサルの杉花粉症が見つかったのかという点について、関係者として改めて紹介してみようという気になったのです。

 記事によれはニホンザルにスギ花粉症が発見されたのはおよそ30年ほど前とされていますが、正確には1986年、宮島でのことです。

 発見のいきさつは、1984年4月発行のモンキータイムス宮島版Vol.13-No.14に記事になっているのですが、当時のタイムス(タイムズではなくタイムス)の記事を覚えている人もいないでしょうから、ここに再録した上で、加筆して紹介することにします。
*以下、当時の記事から引用* 
 今年(1984年)で24才になる年寄りのメス(このメスは、今の宮島群の中でただ一頭の小豆島生まれのサルである)が、しきりと目をこすっている。一度手首あたりをなめ、その手で目をこすっている。いわゆる洗顔と同じである。はて、と見れば、両目とも腫れ上がって、上下のまぶたがひっつき、つぶれてしまっているようだ。くしゃみはするわ、涎は流すわで、たいそうしんどそうな様子である。風邪でもひいたかと思っていると、他にも同じ症状のサルが2頭いる。

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 まてよ。そういえば、このサルたちは去年も、いや一昨年も同じように眼を腫らしていたではないか。確か数年前から、春先になると、決まってこんな症状を見せるサルがいることに思い至った。一体全体どうしたというのだろう。毎年同じ時期に同じような症状を見せる。何かあるに違いない漠然とそんな感じを持っていた。ところがある日、突然「あっ、もしかしたらこれだ」と、直感がひらめいた。
 「おはようございます。私、花粉アレルギーかしら」と言って潤んだ目をして山口さんが出勤してきた。「涙やらくしゃみやら大変なんですよ」。このとき、私には妙にあのサルたちと山口さんがダブって見えた。「もしかしたらあのサルたちも花粉アレルギーなのではないだろうか」、もしそうだとすれば、大変面白いことだ。今までサルに、いや人間以外の野生動物に花粉アレルギーがあるなんて話は聞いたことがない。常識で考えても山野を生活の場にしているニホンザルがそんなにデリケートであるはずがない。場合によっては生死に関わる体質といえよう。
 とはいえ、今の段階では「花粉アレルギー症」と決まったわけではなく、状況証拠があるだけだから、今後は専門の研究者と協力して真相を明らかにしていかねばならないであろう。もしこのサルが本当に花粉アレルギーということにでもなれば、サルには悪いが野生動物として何とも締まらない話である。
                             *以上、記事引用 *

 さてこの話を聞きつけた地元中国新聞の記者が京都大学霊長類研究所にその真偽のほどを確かめようとして問い合わせた結果、「野生動物のサルにスギ花粉症はあり得ない」とのコメントを受け、それが新聞記事となって世間に伝わった。そこでこの件は一件落着したかにみえた。

 ところが、スギの花粉症に悩む霊長類研究所の研究者が伝え聞いたこの話をされに主治医(耳鼻咽喉科)である横田医師(当時:名古屋大学医学部)に伝えたところ、横田医師は大いに関心を示し、実際に確かめてみようということになった。

 1985年4月のことである。広島市内に用事があったくだんの横田医師は、宮島へ足を伸ばし、アレルギー治療のための皮内テストを行い、さらにアレルゲン試薬をサルの目に投与して症状が出るかどうかの実験を行ったのである。 

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8種類アレルゲンを用いた皮内テスト

 

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スギの抗原を用いた点眼テスト

 残念なことに皮内テストでは、発症する赤斑の大きさを定規を当てて測ろうとしてもサルの皮膚のたるみが大きく、正確に測ることができず、点眼試験でははっきりした症状が認められないという結果になった。そもそも人間用の試薬を使用してテストで試薬の濃度の適正値も定かではなく、その有効性が不明ではっきりした結果は得られなかったのも無理からぬことではあった。

「どうもはっきりしませんねぇ。でも話を聞く限りでは、花粉症である可能性が高いように思います。」ということで、翌年(1986年)、もっと本格的に調査してみましょうということになった。

 そして翌1986年、京大の霊長類研究所と横田医師の調査チームが再来し、症状を持つ個体に加えて何頭かのサルを捕獲し、採血を含む本格的な調査調査を行い、後日、症状を有する個体の血中からスギに特異的なIg E抗体を発見したのである。ここにニホンザルのスギ花粉症が科学的な証拠に基づいて確認されたのである(霊 長 類 研 究 Primate Res. 3: 112-118, 1987) 

 事実が明らかになると、多くの研究者がサルの花粉症を研究対象にと望み、今では生理学、遺伝学的な詳細な研究が進展しているということを風の便りに聞く。

と同時に、それまで各地の野猿公苑や動物園に対して花粉症らしい個体の存否を訪ねるアンケートを出しても、ほとんど罹患している個体の発見は難しかったのだが、このニュースが各メディアで報道されると、あっちからもこっちからも花粉症と疑われるサルが見つかったのである。

 なかでも、淡路島モンキーセンターではかなりの数のサルが花粉症に罹患していることがわかってきた。

 さて、今(2002年現在)の宮島のサルはどうだろうか。実は皮肉にも、花粉症が明らかになった頃から、花粉症に典型的な症状は比較的少なくなってきている。その原因はよく分からない。花粉症の因子を持っているサルは少なからずいるのだが、発症しない。これは、もしかすると、大気が以前よりもきれいになってきていることの証なのかもしれない。あるいは、花粉の飛散量が少ない年が続いているからかもしれない。人間はかなり敏感で、わずかな花粉量でも発症するが、サルはもう少し鈍感なのかもしれない。
 いずれにしても、この当時、私が宮島のサルと出会っていなかったら、サルの花粉症は知られていなかったであろう。当時花粉症支持派はほとんどいなかったのだから。 それはともかく、花粉症のサルの写真をご覧ください。1984年に撮影したものです。

(宮島の餌付け群は動物愛護法の改正により、野外飼育ができなくなったため、2010年に犬山市の財団法人日本モンキーセンターへ移送され、以後同園内で飼育されている)

サルと屋久島・ヤクザル調査とフィールドワーク

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 私がいわゆるサル学を志したのは、1973年のことである。S大学の生化学科に入ってまもなくのことだ。大学に入るまでに時間を要した私は、それなりに多くの疑問を抱き、やっと生命とは何かという問題に取り組んでみようと思い出していた。
 医学部の受験に失敗し、生化学こそそれに答えを与えてくれる学問分野と思い込んでここに進んだのであるが、すぐに違和感を覚えたものである。
 還元主義的な力学的世界で解明できそうにないことが、うすうす感じ取れた。そんなときたまたま、T大学で伊谷純一郎さんのサル学の集中講義があると聞き込んで、聴講しに出かけていった。そしてそこで衝撃を受けたのである。
 私はそこで生命体が暮らしを持つこと、そのことで初めて生物として存在するということ、つまり生活を科学するという新たな世界に気がついたのである。
 そこからは一目散にサル学の世界へ走り込んだ。そして1975年だったと思うのだが、京大のヤクザル調査に参加するため初めて屋久島を訪れた。このとき関東では東大・東京農工大を中心に野生のニホンザル調査グループが雑誌「ニホンザル編集会議」を立ち上げようとしていた。そこで屋久島のサルの行列の様子を8ミリ動画に記録してくるというミッションを受けて参加することになった。
 調査も最終段階に入って、西部林道の工事場の群れを見ていた同い年の丸橋さんについてサルの群れが林道を横断する場面を記録することにした。丸橋さんは大学院進学を決めて屋久島での調査を行うことになっていて、工事場の群れをよく観察していた。夏の昼下がり、木陰に入って群れの登場を待っていたが、まだしばらくは林道まで降りてきそうにないとうことで、二人で昼寝をして待つことにした。それがいけなかった。ふと目を覚ますとサルの群れは既に林道を渡り海側の斜面に移動してしまっていた。とんでもない失敗をしてしまったという苦い経験をした島である。


 この調査をきっかけに、紆余曲折を経ながらも途絶えることもなく屋久島での調査が継続されてきた。 そして1989年屋久島のニホンザルの生態調査を目的として、ヤクザル調査隊(隊長好廣眞一)が結成され、大きな成果をあげてきた。
  その成果の一端を語る「サルと屋久島」という面白い本が出版された。この本はいわゆるサルの行動や社会生活を紹介したものではないが、生態学という学問の面白さ、中でもフィールドワークの醍醐味を伝えるという点で貴重な読み物である。
 半谷悟朗・松原始という中堅の生態学者の屋久島での奮闘ぶりとその経験談は、学生はもちろん、研究者を志す若者、現役の研究者などにも大いに参考となるにちがいない。昨今の生態学は汎遺伝子論やモデル化、さらには野生生物管理学などが主流となっており、博物学的なフィールドワークは影を潜めている。しかし環境と暮らしとの関係を追求する生態学は本来、フィールドワークが基本となるべき分野である。これは極めて効率の悪い、成果の出にくい学問であるが、決してムダなものではない。生物の有り様は極めて多様で複雑なものだ。彼らの了見を知ろうとすれば、フィールドにでて直接観察する以外に方法はない。とはいえそんなことを口に出して言えば、懐古趣味のノスタルジーにすぎないとう批判をあびるのがおちである。
 しかしこの「サルと屋久島」という本はそんな批難に動じることなく、フィールドワークの価値を淡々と語っている。そこに大きな価値があるように思える。是非手にとって、読んでみてください。
 サルと屋久島 ヤクザル調査隊とフィールドワーク
 半谷悟朗・松原始 著 旅するミシン店 1600+税

アマゾンでの取り扱いはありません。
http://tabisurumishinten.com へアクセスしてみたください。
池袋ジュンク堂でも扱っていました。

川に生きるー新村安雄 読んでみませんか

 ニホンザルの行動学、生態学に没頭していた頃には、川の問題についてはそれほど強い関心は持っていなかった。というより持ち得なかったというべきだろう。しかしながらニホンザルの進化に伴う諸問題を考えるうちに、哺乳類としてのニホンザルを考えるという視点から、やがて学問的な関心は大型哺乳類の生活史へと広がってきた。中でも西中国山地ツキノワグマの生態調査を行うことになってからは、川の生物生産という点を無視し得ない重要な問題であることに気がついた。

 そんなところに、西中国山地国定公園内の細見谷渓畔林を縦貫する「大規模林道計画」への反対運動に関わることで、森林ー川ー海という流域一体の生態学的視点は必要不可欠なものとなった。

 ついでにいえば、アサリの養殖に手を染めたことで実生活にも直結する問題になってきたのです。

 幸い、この細見谷渓畔林を縦貫する大規模林道問題は中止となったのだが、しかし全国各地での森林、河川、海岸の破壊は今でも止むこことはなく、日々、破壊は続いている。それは野生生物の生息を危うくするだけではなく、地域の人々の暮らしをも破壊する。しかし地域外の人にとっては自身の問題としてとらえることはほとんどできていない。こうした問題はやがて私たちの将来を破壊するものであるという認識が持てないことに少なからぬ苛立ちを感じて入るがもどかしい限りである。

 とはいえ、希望が全くないわけではない。御用学者に比べれば数は少ないものの、人々の暮らしという視点から、自然破壊の問題を捉え、告発している研究者・学者・市民はいるのである。

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 先日、中日新聞者から発行された、「川に生きるー新村安雄」はそんな希望を持たせる好著である。

 もとは中日新聞に連載されたものを再編集して上梓されたものであるが、大変読み応えがあるものに仕上がっている。人々にとって川が暮らしとどのように関わってきたのか、魚(ほとんど鮎だが)の暮らす場としての川とは、そして川を取り巻く破壊の現状など、広い視点で書かれた本書は、自然保護の意味を人の暮らしと関連づけて考える格好の教材となっている。

 自然保護は人の暮らしと不可分であるのだが、多くの市民は「自然好きのわがまま」程度にしか理解していなことも事実である。自然を保護するということは、目先の暮らしを意識しつつも将来にわたる子々孫々にわたる生存をかけた運動であることを多くの市民に理解してもらうにはどうすればいいのか日々悩みはつきない。

 この「川に生きる」は決して保護運動を大上段にかまえるのではなく、流域の人々との交流をとおしてその辺のことをじんわりと伝える記事にあふれている。

 行政や政治に携わり、政策の意思決定に関わる人たちには是非、目を通していただきたい一書である。

 もちろん、学生諸君にも市井の皆さんにも一読していただき、自然保護に対する認識を新たにしていただきたいと思っています。

1300円+税です。図書館へのリクエストもいいかもしれません。

 

イノシシとシシウド

 今年の雨の降り方は半端じゃない。広島県の瀬戸内沿岸部では大変な被害をもたらしたことは、連日の報道のとおりである。幸い広島県西部ではそれほどの被害はなかったものの、調査地の沢は河床が大きく洗われ、瀬では砂礫が流され、新たな淵が形成されたり、あるいは既存の淵が消失したりとその変化は生物の暮らしにも影響を与えたに違いない。

 世の中は何か常なる飛鳥川きのうの淵ぞ今日の瀬となる (古今集

という、自然は常に動的ということを実感させるに十分な大雨であった。 

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イノシシがシシウドを菜食した現場

 話は少しずれるが、真夏のクマの食物として重要な位置を占めているウワミズザクラ。毎年、ある程度の実りがあってクマはお盆の頃、恒例のようにウワミズザクラの樹にやってくるのだが、ここ数年はどうも不作続きで今年は特に酷いようだ。

今年の様子を写真に採ってきたのだが、ごらんの様にほとんど実がついていない。f:id:syara9sai:20180818134147j:plain

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 これでは食べたくとも食べようがない。初夏の花付きは決して悪くはなかったので、激しい雨のせいなのかも知れない。とにかくこの大雨でアリもハチもことごとく巣ごと流されてしまったかのようで、森林内にはアリもハチもアブもほとんどいない。かつての細見谷地域の夏は、アブの大群に悩まされたものだが、今はそんなことはない。半袖のTシャツでもなんの不都合もないほど穏やかなのだ。それだけではない。セミの声もなく、わずかに聞こえてくる音の中で生きものらしい音といえばソウシチョウの声だけである。これは雨だけのせいでもないだろう。今、森林帯の生産力衰退が危機的状況になってきているのだが、ほとんどの人たちは全くその事実を知ることがない。

 静かに破滅的状況が近づいてきているような不気味さを感じながら調査行を続けている。この夏の 雨続きでカメラも故障しがちになる。そこで一時引き上げて乾燥させ、安定した状態に戻したカメラを再設置してきたのだが、沢の至る所でイノシシがシシウドを掘り返している現場に遭遇した。調査地の沢を片っ端からシシウドの根を掘り起こし、太い木化した根を食べているのだ。これまでシシウドは初夏にクマが柔らかい地上部の茎を食べた痕跡はかなり目にしていたが、今年はそれも目につかないほどクマの痕跡は薄くなっていた。

 そもそもシシウドを漢字で表記すると「猪独活」である。その原義は、「ウドに似るが堅くて食べられず、イノシシが食べるのに適している」ことからの命名だという。ウドはウコギ科でシシウドはセリ科に属している。実際には食べられないこともないようだが山菜としての価値はあまりない。ただ、沈痛、鎮静、血管拡張などの効用が有り、漢方として利用されているようだ。またリュウマチ、神経痛、冷え性などには入浴剤としても効果があるとされている。ただし、温性なので盛夏には用いないとか。この真夏の食性からすると、どうやらイノシシはそのことを知らないらしい。

 シシウドはウドに似てはいるが、より水気の多い土地に生育しているようだ。セリ科に特有の花が咲けば、間違うことはない。北海道では寄り大型のエゾニュウが生育している。この花のてっぺんで囀るノゴマは野鳥図鑑でもおなじみである。

 シシウドの根は太く木化しており、漢方にはなっても、歯が立ちそうにない。しかし今年に限ってはイノシシはこれをよって食べているのだが、なるほどシシウドと納得する食べっぷりである。

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 泥だらけの食べ残しを沢で洗ってみたのだが、太く堅い根をしっかりと食べていることがわかる。この採食の様子はVTRでも確認できたが、かなり時間を掛けて丹念に掘り起こして食べ歩いていたことが見て取れた。

 夏も終わろうとする8月下旬頃から、クマはブナの若い果実を目当てにやってくる。イノシシはシシウドで夏を乗り切ることができそうだが、クマはどうだろうか。頼みの昆虫類がないとなるとかなり厳しい夏となりそうだ。

 甘くジューシーな果実があれば、何とかこの夏もしのげるかも知れない。幸い、その後に稔るミズキやサルナシなどは豊作の模様だ。クマはこの夏場何を糧にしのいでいるのだろうか。痕跡の薄さが気になる調査行であった。

オシドリが繁殖していた。母親と7羽の雛

やっぱり、オシドリがいた 。
細見谷でオシドリが繁殖している可能性が高い。
HFMエコロジー・ニュース54(211)で書いたのが2007年5月30日のことだ。

とはいえ、このときも繁殖の事実を確認するには至らなかった。
 かつて、吉和ではオシドリの繁殖が確認されていたし、細見谷を含む県内各地で越冬するオシドリが観察されてきたが、こと繁殖ということになると、吉和ではここ20年以上もその記録はない。

ちなみに広島県レッドリスト最新版では、「要注意」の定義は、要注意種(AN)評価するだけの情報が不足している種,または,広島県の自然特性等から保護上の重要度の高い種現時点では絶滅危険度の評価は困難であるが,上記のランクに移行する要素を有するもの、だそうだが、何のことやら意味不明だが、要するに実態が不明ということ。野生生物のフィールド調査をしていないのだから情報不足はべつにオシドリに限ったことではないのですが。とにかくよくわからないが希少であるということです。

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/139053.pdf

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オシドリのペア 2008年

 その後、細見谷川流域でクマの調査を続けているが、その調査の過程で思わぬ発見がある。特に野鳥に関する貴重なデータが集まる傾向がある。クマタカハイタカオオコノハズク、アオシギなど思いがけぬ姿をとらえることができている。またミゾゴイの繁殖も初めて確認することができた。そして今年はオシドリの繁殖が見事に確認できた。写真は動画を切り取ったので背景に溶け込んで見にくいが、母親の後を着いて歩く7羽の雛が写っている。雛は歩くというより流れに身を任せて必死に親の後をついて行くといったほうが正確かも知れない。とにかくその必死さがかわいいのです。

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 きっとこの上流にある樹洞が営巣地なのでしょう。それを確かめる仕事ができた。うれしいやら大変やら、老体の身が持ちそうにない。

 西中国山地国定公園の一角を占める細見谷渓畔林流域はクマだけではなく野鳥にとっても最後の避難地となっているのではないだろうか。その意味ではこの流域一帯を国定公園の特別保護区に指定し、多様性の保全を計る必要がある。

 こういうと自然保護では「飯は食えない」という反論が聞こえてくるが、それは何も野生動植物のためだけの政策ではない。むしろ私たちの生存に直結した問題なのだ。
 なぜならこうした多くの貴重なストックと生産力の維持こそが経済の持続性を保証し、我々の生存にとって欠かせないものであるからなのだ。