生きもの千夜一話 by 金井塚務

大型ほ乳類の生態学的研究に関するエッセイ、身の回りの自然、旅先で考えたことなどをつれづれに書き連ねました。

絶滅危惧種ー東南アジアの霊長類 奥田達哉

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  昨日、予約しておいた写真集「絶滅の危機種ー東南アジアの霊長類 奥田 達哉」が届きました。異色の経歴をもつ写真家の奥田さんは2年間にわたり、東南アジアの霊長類に焦点を絞って撮影してきたという。

 私も霊長類学を志して50年になるが、その頃から森林棲の霊長類は絶滅の危機に瀕しており、年々厳しさを増している。そんな危機感が奥田さんを東南アジアの森に駆り立てたのだろうと思う。

2年間にわたる撮影記録の中から17種の霊長類を選んだということですが、大変美しくかつ貴重な記録となっています。

 例えば表紙にも登場しているアカアシドゥクラングールは以前、横浜の野毛山動物園で飼育されていたと記憶しているが、見たことはない。2002年タイのドゥシット動物園で見たのが最初であるが、その美しさに感嘆してものである。そのドゥクラングールはかつてのヴェトナム戦争の枯れ葉剤による森林破壊で大きなダメージを受け、その後も商業作物用のプランテーション開発による森林破壊で生存の危機に直面している。加えて大変美しいが故に密猟の危険にもさらされている。そんな絶滅危惧種が見せる野生の息吹が伝わってくる写真集に仕上がっている。樹上で眠っているドゥクラングールは何を夢見ているのだろうか。平穏な明日が来ればいいのだが、と思わずにはいられない。

 話は変わるが、私も2004年から2013年までの10年間、タイのカオヤイ国立公園にシロテテナガザルの観察のエコツアーを行ってきた。このカオヤイ国立公園では、本文でも紹介されているようにポウシテナガザルが同所的に生息している場所として知られている。私たちも公園内のロッジに滞在して観察をしたいたのだが、ボウシテナガザルの生息地は宿舎から10Kmほど離れていて、時間を割いて出かけることができなかったので、この写真集をみてちょっとだけ嫉妬の念を覚えた。少し無理をしてでも行っておくべきだったか、いやいや森林生態学的な視点から生物学的多様性を体験してもらうエコツアーとしてはやむを得なかったのだろうと自分を慰めている。カオヤイ国立公園では比較的楽にシロテテナガザルを観察することはとはいっても、日帰りのサファリツアーではまず無理である。

 樹高も高く一年中葉が茂っている東南アジアの熱帯雨林やモンスーン林の中での観察は意外と難しいものである。ヒルもいればダニもいる。それに加えて政治状況の不安定さも撮影行に大きな影響を与えるだろう。このたびは、タイ、ヴェトナム、マレーシア、インドネシア(スマトラ島)が撮影現場となっているが、例えばインドネシアスラウェシ島のムーアモンキー(スラウェシクロザルの一軍)や、中国大陸のキンシコウやイボバナザルなど多くの絶滅の危機が存在するが、政治的な不安定さや国策などのハードルもあり簡単には取材ができない状況にある。

 

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閑話休題

 このドゥクラングールよりもさらに厳しい状況に置かれているのがデラクールラングールである。明日をも知れぬほど追い詰められているこのラングールはこの写真集以外ではもうお目にかかれないのかもしれない。

 葉に含まれるタンニンで歯が真っ黒になっているテングザルの歯列はまさに葉食性のラングールの面目躍如といったところか。

 ボルネオオランウータンの目つきの鋭さは決して動物園ではお目にかかれない。野生に生きる大型類人猿の貫禄が十分に描き出されている。

 いずれもまさに「生きている」ことが伝わる写真に仕上がっている。素晴らしい一冊といえるのではないだろうか。

 とはいえ、ここが難しいところなのだが、美しいが故に危機が伝わりにくいという問題が生じる。これは著者(奥田さん)の責任では全くないのだが、この美しさの裏にある世の中の矛盾にどれだけの人が気づいてくれるのだろうかといささか心配になる。東南アジアのみならずアフリカや南米の森林は商業的農業の進出によって壊滅的な破壊を受けている。確かに保護区域は設定され、それなりの保護策は講じられてはいるものの、一歩境界を越えれば徹底してプランテーションや鉱業のために破壊されている。SDGsなどと行ってはみても、それも突き詰めればビジネスの方便に過ぎない。

 となれば、この美しい写真集とセットで破壊の現場の写真集もいるのではないだろうか。本文には絶滅危惧の背景が触れられています。これらは現地の問題というより、消費地であるグローバルノース(先進諸国)の問題です。野生動物の密猟はペット需要も無視できません。日本のペット需要による野生動物輸入は現地での密猟圧を確実に高めているし、食糧の輸出は現地でのブッシュミート需要を高め、密猟せざるを得ない状況さえ生み出しているともいえます。

 この素晴らしい写真集が霊長類たちのレクイエムにならないよう、節に願うばかりです。写真集をご覧になる皆さんには、この美しい野生の背景に迫る黒い魔手を見つけてくださるよう希望します。

 

 

馬毛島基地(仮称)建設事業に係る 環境影響評価方法書に関する意見

九州の南端からおよそ40キロメートル南東の海上に平らな種子島という島がある。鉄砲伝来やロケット発射基地(種子島宇宙センター)などでよく知られた島であるその種子島の東10キロメートルほどのところに、馬毛島という無人島がある。今は無人島と為っているが、かつては500人を超える人が住み着いてサトウキビ栽培や酪農などに従事していたという。その馬毛島には、マゲシカというニホンジカの亜種にあたるシカが生息しているのだが、今まさに絶滅の縁に立たされている。
 馬毛島という島は数奇な運命に翻弄されてきた不運な島と言うべきだろうか。
戦後の開拓として入植したものの、水は乏しく、農業に適さない環境の中、離農者が相次ぎ、1980年に最期の島民が離島して以来無人島となったという。以後、この島はある私企業が買い上げ、レジャーランド化をもくろんだがあえなく挫折し、その後紆余曲折を経ながら、最終的には防衛省が買収して今日に至っている(この間のいきさつについてはウィキペディアを参照)。
 防衛省はこの馬毛島に米軍のFCLP基地として提供することにしているが、地元である西之表市では基地建設反対の声も強く、世論は二分している。
 日本を母港とする米軍の航空母艦が出国するたびに、練度を保つためにFCLPと呼ばれる訓練が実施されるのだという。このFCLPが無い間には、航空自衛隊が訓練に使用するのであろうから、静寂が訪れることはほとんど無いのかもしれない。世界自然遺産に登録されている屋久島へもほぼ40キロメートルほどしか離れていないので、戦闘機による騒音に影響から免れることはないだろう。なにしろ、米軍の活動は日米地位協定のおかげで無制限、日本の法制度が適応されることもない。訓練空域から外れようが事故を起こそうが、日本の法支配は及ばない。一端基地ができてしまえば、もうどうしようもない。マゲシカが絶滅しようが、漁業権が侵されようが、騒音が住民の暮らしを破壊しようがお構いなしだ。それがわかっていながら、目先の金に目がくらんだ、一部の利権屋と防衛省は何が何でもごり押しで基地建設のための、アセスを強行しようとしている。
 このアセスに関わる方法書には、本来の環境影響を評価できる内容ではない。すでにひどい破壊がなされた後に、とってつけたような形だけの手続きとなったいる。しかし残念なことに、この手順を止める有効な手立てはない。
 法律の立て付けがそうなっているのだから、止めようがない。政-官-業-学-報-司のハニカム構造を破壊し、新たな国際基準に合致したアセス法に改正しない限り自然も過疎地の住民も蹂躙され続けることになる。

 とはいえ、黙っているのも業腹なので、一応、意見書をしたためて防衛省に提出した。

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   馬毛島基地(仮称)建設事業に係る 環境影響評価方法書に関する意見

                 広島フィールドミュージアム代表 金井塚 務

 馬毛島に建設が予定されている基地建設事業は、すでに防衛省が民間事業者から買収する以前に、同事業者による大規模な違法開発が行われていたという事実が存在する。それ故、今後、防衛省が将来予定している基地建設はアセスを実施しないままに事態が進行していることになる。本来、環境影響アセスメントの意義に照らしてみれば、違法開発以前の状況において評価をすべきである。その手順を省略し、すでに破壊された環境を基準とするアセスメントには何の意味もない。つまり破壊された生物多様性への影響は、予定されているアセスからは導き出せないことは道理である。

1.回避又は低減に係る評価
調査及び予測の結果並びに環境保全措置を検討した場合においてはその結果を踏まえ、対象事業の実施により選定項目に係る環境要素に及ぶおそれがある影響が、実行可能な範囲でできる限り回避され、又は低減されており、必要に応じその他の方法により環境の保全についての配慮が適正になされているかについて評価します。
2.基準又は目標との整合性の検討
また、国又は関係する地方公共団体が実施する環境の保全に関する施策において、選定項目に係る環境要素に関して基準又は目標が示されている場合には、当該基準又は目標と調査及び予測の結果との間に整合が図られているかどうかを評価します。

との文言の実態は空疎なものでしかない。すでに消滅している個体群があるか否かの評価さえできないのが現状である。ここに最大の矛盾が露呈している。
仮にアセスを実施するのであれば、馬毛島の自然状況が破壊以前の状況に限りなく近い状態に回復することを待つ必要がある。現時点でアセスを挙行することは許されない。

マゲシカ(Cervus nippon mageshimae)を例にとって
 面積820㏊という面積は大型哺乳類の生息地としては極めて小さく、常に個体群の存続は危機的といっても過言ではなく、環境省レッドリストに絶滅のおそれのある地域個体群として記載されているのもそのためである。このマゲシカ個体群は、南西日本に生息するニホンジカ同様、カシ類の堅果に依存する傾向が強く、照葉樹林面積や生産力が生存に大きな影響している。中部以北のササ型林床落葉樹林帯のシカ個体群とは異なり、照葉樹林帯のシカは、四肢が短く、オスの角が小さいことなど栄養条件の良くない地域に適応した形態が見られる。特に馬毛島のようにちさな島嶼では堅果類を生産するカシ類の存在は重要である。しかしながら馬毛島はすでに違法な開発事業によって島のおよそ9割が開発され(すでに基地建設が現実化している状態になっている)、個体群の存続は危機的な状況にある。
 基地が開設される以前の現在でも保全の措置が必要であるにも関わらず、基地稼働後は、米軍によるFCLPが予定されている。戦闘機によるタッチアンドゴーは、想像を超える爆音と振動が繰り返し生じる。そのことがシカの個体に与える影響は全く考慮されていない。
 現在日本各地でドローンを利用した獣害対策が始まっているが、小さなドローンでさえイノシシやシカを排除できる可能性が立証されつつある。まして戦闘機が繰り返し離着陸・タッチ・アンド・ゴーは長時間にわたって轟音と振動をとどろかせることになる。
 かつて宮島でニホンザルニホンジカ生態学的研究に携わってきたが、ここでは時折、岩国基地から大型ヘリコプターが飛来し、宮島上空を低空で旋回するということがあった。その時、ヘリコプターの爆音と機影にサルもシカパニックに陥り森林内を右往左往する事態となった。わずかに1機のヘリコプターでこのような状況に陥るのだから、それを遙かに超える爆音と振動はマゲシカ個体群に相当なダメージを与えるであろうことは容易に想像できる。島の片隅追いやられたシカの個体群がパニックに陥れば、逃げ場を失い、滑走路を囲むフェンスへ激突して死亡する事例や海へ逃避して溺死する事例が生じる可能性もある。生活の場そのものの消失と爆音と震動による安寧の喪失は、個体群を消滅へと導く可能性は極めて高いと予測される。
 さらにパニックになったシカがフェンスを越えて滑走路へ進入する事態が生じれば、戦闘機を巻き込む大事故につながる可能性もあり、シカのみならず訓練機や訓練支援のための人員に相当な被害をもたらすことも想定される。
しかしながら、この点に関しては、アセスの項目にすら上がっていない。
以上のことを勘案すれば、この方法書はアセスとしての体をなさないものであることが明らかである。よって、現時点でのアセス方法書の全面見直し自然の回復を待った上で実施することを強く要望する。

カモシカ調査の思い出-下北半島

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上野発の夜行急行「十和田」、今はもうありません。上野から常磐線経由で青森まで12時間ほどの夜行急行だ。座席は硬く、背もたれは垂直の旧型客車で乗り心地はお世辞にもいいとはいえない。一日一往復、19時過ぎに上野駅を出発する。
1976年の頃だったと思う。当時学生で、ニホンザルの生態を追いかけようと奮闘している時だった。私の学生時代はキセルで、入学し、卒業したのはS大学だった。生化学を学ぶはずだったが、どうもなじめず、当時隆盛を誇っていたサル学に関心を持ち、東京N大学で自称客員学生という身分で活動していた。当時の大学はかなり自由度が高く、S大学の先生もそれを許してくれたばかりか、むしろ応援してくれていた。というか、厄介払いされたのかも(はっはっはっ)。
 主たる対象はニホンザルではあったが、周りの学生たちの中にはニホンカモシカを対象として活動しているグループもあった。フィールドワークは時として、マンパワーを必要とする場合があって、個体数調査は特にその典型である。そんな時には、植物屋さんも含めて、互いに協力し合うということもあって、見聞を広めることもできた。
 1970年代は森林破壊がピークに達し、各地で大面積皆伐スーパー林道計画が目白押しということもあって、大学では自然保護講座が台頭してきた時代でもある。特に天然記念物として知られているニホンカモシカはその希少性もあって保護対象動物として注目を集めていた。
 大型哺乳類の生態学はまだまだ初歩の段階で、今日のような調査機器もなく、ひたすら直接観察を目指すか、フンや食痕などの痕跡調査が主流で、個体数調査法の確立はできていなかった。東京N大学や千葉大学の学生たちの中から、カモシカの個体数調査法に関する研究が始まり、私たちサル屋も群馬や青森(下北)の調査に駆り出されたのである。この個体数調査は伐開地を含む森林を一定の広さを、受け持ち区域とし、赤線で囲った地図を持ってその中を歩き回ってその範囲で見つけたカモシカの個体を記録するという、いたってシンプルなものである。分割面積は一人あたりの調査区域を5ヘクタール、10ヘクタール、20ヘクタールに設定して、個体数を数え、それを集積するのだが、一人あたりの受け持ち面積がどの程度あれば信頼度の高い個体数の推定が可能かを検証する実験である。
 そして12月の寒い下北半島、脇野沢での調査に駆り出されたのである。
 その当時上野駅は東北地方から東京への玄関口であった。集団就職や出稼ぎの人にとっては「ああ上野駅」なのだが、私には初めての東北旅行で、ニホンザルの北限の生息地下北やカモシカの姿を想像するだけでなんとなくウキウキしてきたもんだ。
 7時過ぎに出発した列車はゴトゴトと快い揺れ伴いながらのんびりと漆黒の中を進んでいる。そのうち車内のしっとりとした暖かさでうとうとしていたが、何分座席は硬く背もたれは垂直の板なのだから、眠るには不都合である。幸い車内はすいていてる。旅慣れた人たちはいち早く床に新聞紙を敷いて床に寝床をしつらえて足を伸ばして寝ている。見た目には酔っ払いの行き倒れのようではあるが、体を伸ばして寝られるという快感には勝てない。そこでに私もそれを真似て床に寝転ぶとこれがすこぶる具合がいい。床に染み込んだ油のかすかな匂いわ嗅ぎながらウトウトしていると、時々巡回の車掌がやってくるが、なれたもんで、寝入っている乗客をまたぎながら、何事もなかったかのように通過していく。熟睡とまでは行かないが、うつらうつらしているうちに、次第に空が明るさをましてきた。

 朝6時。

 列車は野辺地駅に到着。眠い目をこすりながら、下車すると東北の寒気が突き刺さるように頬をなでていく。ここで大湊線に乗り換え、終点の大湊へ。大湊からはバスで脇野沢へ向かう。脇野沢へは16時間をかけて午前11時頃に到着。本州北端の下北半島には強い北風が吹き付け寒さは一段と厳しい。

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 寒さは厳しいが、下北の自然は素晴らしいものだった。脇野沢から半島南西端の北海崎まで歩き、その周辺の山林での個体数調査が始まる。下北半島はヒバ林とブナ科の落葉樹の混交林で表土層は薄く、火山性の堆積物の地質は滑ることもなく歩きやすい。

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 調査で林内を歩いていると、突然カモシカと出くわすことがある。子牛ほどの大きな体が小尾根の向こうからやってきて目の前を通過していく。写真を撮る間もないが感動の一瞬である。ただ多くの場合、切り立った岩場の上からこちらを見下ろしている場合が、出会いの一般的なパタンである。調査もなれてくると、いつも同じところに同じようなカモシカを見つけることができるし、それ以外ではほとんど出会えないという具合であった。この調査では残念ながら、期待していた下北のサルには遭遇できずじまいであったが、後にこのあたりに生息していた群れは捕獲され、飼育施設に閉じ込められることとなる。

 宿舎から調査地へ向かう海岸沿いの道路からは入り江にたむろする白鳥や通学する少年少女たちとの出会いも楽しいものであった。強風が吹く付け、風花が舞う厳寒の地では私たちは目出し帽をかぶり寒さ対策に余念がないが、地元の子供たちはそんな私たちを珍しそうに見つめているのが印象的であった。
 あれから45年。下北半島とは無沙汰が続いている。もう一度訪れてみたいが、あのときの自然は残っているのだろうか。そして

あのとき出会った少年少女たちも今では立派なおじいさんおばあさんになっているのだろうか。

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西中国山地における風力発電計画に対する意見書(アセス方法書)

「(仮称)広島西ウインドファーム事業環境影響評価方法書」
が縦覧されています。
意見書の受付もしていると言うことで、何の役にも立たないのを承知で簡単な意見書を提出してみます。
これって本当に何の役にも立たない「やりました。聞きました」というだけの制度なのです。事業主体の電源開発に言ってもなんの意味もない意見書ですが、皆さんに届けばこんな見方もあるのか程度には参考になるかもしれません。
ということで、環境アセスメントというものを考える参考資料としてアップします。
かつて、大規模林道問題で保全調査委員会の議論をめっためったにした経験から、本当に意味のあるアセスメントとは何か身にしみています。
どんどん、声を上げて、実効あるアセスメントを求めていきましょう。
*意見書本文には写真は含まれていません。

 

風力発電計画における環境アセスメント方法書に関しての意見
 
 計画地は西中国山地の外縁部に当たり、集落との結節部における二次林帯は多くの野生生物の生息地としてその重要性は高まっている。西中国山地生物多様性の維持にとって極めて重要かつ最後の砦ともいえる地域である。近年、ツキノワグマの集落周辺への出没が相次いでいる状況は当該地域のブナ科堅果類をはじめ、ミズキ、ウラジロノキ、サルナシなどの液果類の豊凶に依存している可能性が高い。
 計画地周辺にはニホンヤマネやモモンガ、コテングコウモリをはじめ小型コウモリ類など多様な野生動物が生息しているが、個体群動態はもちろん、食性や繁殖生態、環境利用など具体的な生活状況はほとんど把握されていない。

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ノウサギ、ムササビ、モモンガのフン(大きい順に。雪中越冬するコテングコウモリ、樹洞に木くずを詰めて冬眠するヤマネ

 一見、均一に見え森林でも、生活主体となる種もしくは個体にとって、森林が有する価値は一律ではなく、環境の利用度は大きく異なる。動物には移動能力があるとはいえ、環境の激変は生活の維持そのものに直結する可能性が高く、個体群の維持という点から見れば、森林を改変して大きな人工構築物を設置することは決定的な変化となる可能性が高い。単にいかなる種が生息しているか否かといった、個体生息状況調査では個体群の維持に関する評価はできない。影響評価をするならば、少なくとも個体群の動態を含めた生活史の実態を把握するだけの具体的事実を時間をかけて調査する必要がある。
 生物には「何故そこでそのような暮らしをしているのか」という歴史的偶然性とそれによって現在の暮らしが存立するという必然性がある。生物とは個々無関係に存在しているわけではなく、長い進化史の中で構築されてきた同種他種を含む生物群集及び無機的環境との相互作用の結果(動的平衡)である。
 移動の力の低い動物群集や植物、生活範囲の狭い動物たちに与える影響はさらに大きい。尾根筋あるいはそれに近いところの森林伐採、道路開設などは、その後予見される乾燥化をもたらすであろうし、新しく出現する法面には外来種の侵入も予見される。こうした初期の変化はやがて周辺の地域の生態系を大きく変容させることになることは容易に想像できる。
 例えばツキノワグマのさらなる集落周辺への出没であったり、法面の植生(外来種草本類)を利用するイノシシやニホンジカの侵入や増加である。こうした植生や動物相の変化は次第に集落における被害増大につながり、ひいては集落の存立までも脅かすことになる。

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法面の崩落は毎年のように生じる。法面植生は外来の草本。シカやイノシシの餌場となる。

 こうした危惧に答えられるだけの内容をもつものでなければ、アセスメントとはいえない。方法書に開陳された内容ではとても納得できる内容ではない。生物群の生息状況リストづくりのようなものでは不十分であり、実効あるアセスメントへの変更を強く求めます。

 

大規模風力発電の問題点

 大規模風力発電の問題点
                                                          2020年10月31日(土)/ 佐伯区役所西館6階大会議室

※ 大規模風力発電学習会 講演(広島2区市民連合

 

子どもたちに未来を拓く広島2区市民連合学習会

金井塚務(環境NGO代表・広島2区市民連合呼びかけ人)

 

■環境正義(Envilomental Justice)

 ご紹介いただいた金井塚です。冒頭、私自身はもともと、風力なり太陽光なり、自然エネルギーを利用する、そのことには反対していません。ただしこれが、大規模、メガ施設となると話は別で、そこが問題になります。我々は人として、人間として、生きていく上で、環境に働きかけてエネルギーを消費して、生産物をまた返すという環境とのやりとりの中で生をつないでいるわけですから、まったく何も利用しない、エネルギーを消費しないというわけにはいきません。これは当たり前のことですね。だけども、程と言うことがあります。今日は、環境正義・公正の観点から考える、ということからお話ししてみようと思います。

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 まず、環境正義とは何だと思われる方もいるかもしれません。私は先ほども紹介されたように、日本森林生態系保護ネットワークの代表でもあるのですが、この組織は、大規模林道問題の全国ネットワークから発展してきて、森林問題を考えましょうということで、出来てきたネットワークです。今、主に、沖縄ヤンバルの森林破壊問題を扱っているわけですが、要するに、日本全国で自然が徹底的に破壊され尽くされようとしていますが、実はこれ、日本だけの問題ではなく世界的なグローバルの問題として、非常にゆゆしき問題なんです。都会で暮らしているとあんまり意識しないんですが、自然なんて、普通、ほっとけば何とかなるもんだ、と思っている人が大方なんです。そこで、そうじゃないということをもう一度考えてみましょうというのが今日の話なんです。

 環境正義(Environmental Justice)、アメリカの黒人解放運動の一端から出てきた考え方、運動のようです。日本でもそうなんですが、ゴミの処理問題、産業廃棄物、あるいは核のゴミ、それらをどこかに捨てなきゃいけないわけです。そのときに、都会には絶対に捨てないのです。どこに捨てますか。要するに少数者のところに押しつけるわけです。それはレイシズム、民族差別主義と密接に結びつくのですが、要するに弱いところにやっかいな物を押しつける、ということが、資本主義社会の中でずっと行われてきたわけです。社会主義の国でもそうなのかもしれません。

 人間の集団の中でそういうことが行われている。要するに、都会ではおいしいところを頂きますが、汚い物はあなたたち、弱い者が引き受けてね。そういう話です。それはまったく公正に反することでしょ、と言う議論がアメリカから沸き起こってきて、今、欧米を中心に、そういう考え方が理解されつつあります。

 

■利権のハニカム構造 

 日本ではまだ議論の俎上にも上っていないのですが、大規模林道計画というものが、私が直接これにかかわることになった問題なのです。それ以降、ずっと弱い者いじめといいますか、いわゆる環境弱者にしわ寄せする政策が脈々と続いている。そのときに、大規模林道問題のときも、政・官・業・学・報の、司法をのぞく五つ、ペンタゴンが諸悪の根源であると指摘された方もおられるのです。実際に自然保護運動、環境正義を確立していこうとする運動の中で強く感じるのは、この5角プラス司法、これが決定的なのです。このハニカム構造、利権の構造ががっちりと構築されていて、我々が立ち上がって裁判に持ち込んでも、行政の裁量権で全部撥ねられる、ほとんどの環境問題は最終的に負ける、ということがあるのです。そこにみなさん、目を向けなけりゃいけない。このハニカム構造をいかに崩していくか、この構造を崩すのは、我々の蜂起しか無いんですね。要らないものは要らない、絶対に受け入れない、ダムもしかりです。

 この風力発電・大規模風力発電もまったくこの構造の一つなのです。

 

■エネルギー消費生活は持続可能か

 そこでもう一つ考えてみます。電力は必要だということは万人が認めるところですね。今日の学習会だって、これは電力が無ければ出来ないのです。マイクが無くたって、大声を上げればいいわけですから、ムリすりゃ出来るのです。けれども普段の生活の中でエネルギーを使わずに生活することは出来ない、電気は必要です。しかし振り返って考えてみれば、これほど莫大なエネルギーを使い続ける生活というものが続けられるものかどうか。そこを考えなければいけないんじゃないかと思うのです。

 次の世代の問題です。最終的には自然と経済の関係です。我々が暮らしていく上で経済活動、コロナか経済かという話も出ていますが、経済とはギリシャ語でOIKOS、家族という言葉が語源なのです。家族の中のOIKOSとNOMOS、お金のやり取りを経済学、社会の会計を指します。

 自然の方はOIKOSプラスLOGOS、生態学というものがありますが、ものの循環・やりとり、生物間のどんなやりとりで生物界が成り立っているか、あるいは、自然というものはどう成り立っているか、と言うことを調べるのが生態学です。

 どう考えても、自然の体系・収支がきちんと合わなければ、経済や社会の大系も続くはずが無いのです。我々は今、社会の会計の問題を非常に重要視しているんですが、それは、自然の会計学が無限にあると誤解しているからです。

 

地球温暖化

 先ほど、地球温暖化の話が出ていますが、なぜ温暖化するかというと、おわかりですよね。化石燃料を使って、閉じ込められていた二酸化炭素を大気中に放出してしまう。そうすると二酸化炭素濃度が高まるから、地面(地表)から跳ね返ってくる輻射熱が、今までは地球の外にある程度抜けていたのが、その抜ける度合いがかなり少なくなると、こもってしまう。熱がこもるから温暖化が進む。そういう構造になっているのですがそれも一直線に進むわけでは無い。世の中には色んな複雑な行程がありますから、例えば海のようなものの中に二酸化炭素が溶け込んでいれば、しばらくは大気中の二酸化炭素濃度が増えないで収まっている。しかしもう、海が、これ以上はもうダメですよとなったら、海からも出てきてしまう。あるいは、海水温が高くなっていくと、気体は海水に溶ける量が減ります。またそこからも出てくる。

 よく言うのは、森林というものが二酸化炭素を吸収して、肺のような役割を発揮して、酸素を出すと言う風に言われますが、これは完全にオフセットな関係です。森林が二酸化炭素を取り込んで固定化しているわけではありません。それはナゼかというと、葉っぱにしろ、枝にしろ、花にしろ、樹木はいったん枯れてしまうと、今度は放出する側に変わるからです。木が永久に生長し続けている限りでは、二酸化炭素を吸収してくれます。けれど、一部は吸収するけれども、同じ量を輩出していくわけですから、カーボンオフセットの関係に基本的にはあるわけですから、森林に頼るわけにはいかないのです。

 

化石燃料の大量消費

 では、なぜ、今まではうまくいっていたのに、うまくいかなくなっているのかというと、二酸化炭素を固定していた化石燃料を、石炭・石油、こういうものを大量に使い始めたからです。

石炭・石油というものは、色んな説はありますが、生物の歴史5億年以上ありますが、太陽エネルギーの活動の結果、ためてきた生産物が化石化して、今、石油・石炭になっているわけです。太陽エネルギーが生物を通して蓄えられ、二酸化炭素が固定化されてきた経過があって、やっと今、私たちが暮らせる酸素濃度にいたり、環境が落ち着いてきたわけです。大量に蓄えられてきた石油・石炭を、産業革命以降、大量に使い出し、ものすごくエネルギーを使うようになって、大変便利な世の中になりました。私もそれを享受しています。常日頃からそういう生活をしていながら、こういうことを言ったり書いたりしているのは、大変な矛盾だと言うことは承知しています。それでも、もういい加減にしましょうよといわなければ、この生活は続かないんじゃ無いか、と言うのが、この温暖化の問題です。

 

■過剰利用と文明・社会の崩壊

 こういう状況に合った、いわゆるメガ、過剰利用が生んだ社会がどうなったのかが問われます。

少しだけ考えてみても、かつて反映したメソポタミアとかギリシャの文明は、みなさんよくご存じだと思いますが、今では砂漠になったり、あるいは、ほとんど木の生えていないエーゲ海の周辺、ほとんど裸地に近い状態で存在しています。それはナゼかというと、端的に言えば過剰利用なのです。自然の生産力以上に消費してしまう。だから当然、ストックは無くなって砂漠化していく。生産力も無くなる。自然の経済が破綻したおかげで、人間の経済も破綻した。と言うことが歴史上ずっと起こってきたわけです。

 しかしまだ幸せだったのは、これは一ローカルの問題だった、メソポタミア、今のイラクです。ギリシャ、エジプトもそうですが、いわばローカルの問題でしたから、別のところで人間は暮らしを営むことが出来たわけです。

 ところが、今日はどうでしょうか。地球の隅々まで使い尽くそうとしていますから、逃げ場が無い。地球上での人間の経済活動が破綻する状況が起きていますよ、起きているのです、本当に。それをみなさん気がつかない、私もたいして気がついていない。言っているけど、そんなに実感として気づいているわけでは無い。けれども、気づいたときにはもう、どうにもならない、修復不能の事態になっている状況が訪れることは間違いが無いのです。

 こういうことは頭では分かるのです。頭では分かるけど実際はどうなのよと言うと、なかなか難しい。

 日本でも、これは北海道の十勝三股というところですが、そこに豊かな森林があったのです。ところが洞爺丸台風での風倒木の処理を理由に林野庁が大伐採にのりだし、うっそうとした森は丸裸になります。こうなってしまうと、この十勝三股から人も消えてしまった。今行ってみれば、道が一本、まっすぐに伸びている、廃線跡があるだけ、ある意味、観光地になってしまった。こういうことは結構、あっちにもこっちにもあるのです。森林破壊、自然の破壊、つまり生産の糧を失ってしまうと、そこには我々は暮らすことは出来ないのです。経済も成り立たなくなってしまうという、一つの事例です。

 

■高度成長とダム・水力発電

 二つほど歴史を振り返ってみますと、明治維新があって、そこからどんどん文明国になっていく歩みを日本は始めるわけです。特に戦後の話をしますと、戦後復興のためには、様々な資材・資源が必要だったわけです。エネルギーをどこに求めたかというと、主にダムによる水力発電、そのためにダムをたくさん造るのですが、日本の主な大きな河川、大規模な一級河川の中で、本流にダムが無い河川はほんのわずかしか無くなっています。長良川四万十川ぐらいです。四万十川は最後の清流と言われていますが、清流では無くて、本流にダムが無いという最後の自然河川なのです。

 そういう中にあって、多くの河川、広島もそうですがダムをたくさん造ってエネルギーを取り出す。そのエネルギーはどこに行くのか。当然、家庭用では無くて産業用です。沿岸地域に埋め立てて工場を作って、そこのエネルギー源として使われる。ただ、エネルギーを供給しただけではものは作れません。労働力というものが要ります。どこから取ってくるのか、もう農業は辞めて工業で稼ごうよ、と言うことで、都市周辺に人口を集める政策をやってきた。過疎の中山間地域と過密の沿岸地域という風に、人口の分布濃度が変わってくるのです。内陸・山間部の経済が疲弊してくる。基本的には工業で稼いで、輸出で稼いで、外貨で稼ぐ、その富を再配分しなければいけないんだけれども、当然、声の大きい都市部に重点配分されていく。そういう政策がずっと続けられていき、第一次産業はどんどん衰退していく。

 こういう構造が定着する中で、クマの問題とか、シカやサルによる獣害問題が、まったく同じ構造の中で起きてくる。ドングリがならないからクマが町に出てくるのでは無い、こういう構造こそが諸悪の根源なのです。

 こういう構造の中で風力発電を考えましょう、と言うのが、今日の私の提案です。

 

■里で何が起きているのか

 かつての中山間地では何が行われていたのか。農業の肥料として、生活のエネルギー源として、里山はのどかなものだと思っている方もいるかもしれませんが、実は資源として搾取の対象だったわけです。里とは農地です。山っていうのは林、森なんです。里山って、みなさん、大変良い響きとして受け取られていると思いますが、実は厳しい環境の中にあって、ほとんど収奪の対象地域でした。ですから、広島の中山間地域、人がまだ多かった地域では、戦後復興の流れの中でもありますが、里山にはほとんど樹木らしい樹木も無くて、林床はほとんど草も生えずに真砂土が露出している山だったのです。だから松茸もボコボコ出てきた。松しか生えていないから。そういう産物として戦後しばらく、松茸が広島の、生産量日本一という地域を保ってきたわけです。

 しかし、人口が減って里山に人が入らなくなる、里山というのは徹底して農業のために、落ち葉や小枝は農業生産用の堆肥として使われてきた。そして生活のエネルギー源、薪炭として10年生・20年生の広葉樹が切られ、薪として、エネルギー源として使われてきた。栗とか少し太い木は建築資材として、道具の材料として活用される。そういう中で里があり、農地があり、裏に山があると言う里山風景が作られました。

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■大江戸の循環社会

 武蔵野というのは、みなさんもご存じだと思いますが、東京近郊の雑木林です。トトロの森なんて言われて喜ばれていますが、江戸時代、元禄までは火山灰土が積もる、荒涼とした荒れ地だったのです。「武蔵野は、月の入るべき峰も無し、尾花の裾にかかる白雲」だったかな、そういう歌があるように、茫漠とした荒れ地だったのです。江戸を開府していろいろな消費財が必要になる、5代将軍綱吉、その側用人だった柳沢吉保、後の川越藩主ですが、一計を案じまして、クヌギ・コナラ・クリを農民に植えさせたのです。森を作って、その森で、堆肥を作って、芋のような食物を作らせた、森が少しずつ出てきて、だんだん広がっていく、生産力が高まってくると、農業が成立するようになってくる。生産物を江戸に持って行き、代わりに、江戸の廃棄物を持ち帰ってまた肥料にする、そういう循環社会ができた。これが大江戸の循環社会の成立の起源なんです。

 里山はそういう風に経済を支える豊かな自然として成立していたのです。野生動物との軋轢もありつつ維持されてきた。

 里山というのはある意味、荒れています、生産力を人間が取っていきますから、考えてみれば野生動物の取り分が無い。野生動物の取り分が無いと言うことは、里山には大型の野生動物は生活圏を持てなかったということです。もちろん、タヌキ、キツネ、イタチ、アナグマなどの小動物は細々と、畑の生産物も利用しながらそれなりに生きていましたが、大型動物はそうはいかない。カモシカ、クマ、サルなどはそういうところでは生活できないから、奥の山に行くしか無かった。奥の山は当時それほど利用されていなかった。川が輸送手段のルートになっていましたから、川の状況によっては、木材の切り出し・運搬が出来ません。放置されていたというか、人が入っていかなかったところがかなりあるのです。いろいろな説がありますが、この辺、中国山地の沿岸部は、江戸時代、すべてはげ山だったと言います。それはそうで、沿岸地帯は、人が利用できるものはすべて利用し尽くす、アクセスの良いところは過剰利用で荒れ果ててしまう。アクセスが悪いところは、細見谷のように、どこから入るにしても遠すぎ、しかも滝が連続していて、木材の輸送が出来なかった。だから手つかずで残ったのです。そういうところは渓畔林としてポツポツと残っていたのです。

 

■江戸・明治の獣害

 そういう時代が長らく続いていたのですが、もう一つの条件として、江戸時代はかなり森林の規制が厳しくて、あるいは、農民が武器を持つことは許されなくて、農家に数挺の銃を持つことが許されることもあるし、槍だけ許される場合もあるのですが、獣が出てきても集団で追い払うだけということも行われていたようです。ところが明治時代になると、江戸時代の幕藩体制の管理機能が失われて、それこそ銃規制が無いような社会に、みんなが自由に銃を持つようになります。お金になるものを手当たり次第に採るようになります。カモシカ、クマ、シカ、イノシシ、それから大形の鳥、採って食べるというより剥製にして海外に売るということが起こり、ずいぶん、日本の中山間地から獣が消えていったと言う経緯があるのです。

 ですから、明治時代から昭和の初期まで、獣害というものがほとんど無かった。非常に農民にとっては楽な時代だった、獣害に対してはですよ。そういう時代でした。

 しかしこれが1960年以降は大きく変わります。エネルギー革命があって、高度経済成長と人口の流出、中山間地は過疎になり、商品作物として植えられていた果樹、畑、水田などが放置されていく、人間が利用しなくなる、里山に生産物を蓄積するようになる。里の周辺が生産物で豊かになっていくという状況がひとつあります。その一方、奥山の方はどうなっていったのか。電源開発でダムが出来、砂防ダムが造られ、造林事業で杉や檜が植林され、生産力が大きく減っていくのです。奥山の生産力が大きく減り、集落周辺の、里山の生産力が相対的に上がっていく、人間が使わなくなった里の周辺の森は、当然、野生動物が利用するようになる。当たり前の話です。

 そういう自然の生産物をどう利用するのか、誰が利用するのかを問わないままで、獣害が大変だから採れば良いといっても、エネルギーのムダなんです。我々が何をすべきかということは、エネルギー消費型の我々が、どうすればエネルギーを使わないで暮らせるか、社会をどう変えるのか考えなければいけないと思います。

 

■西中国ウインドファーム

 それで今回の風力発電の問題です。風力発電が計画されている地形は吉和・筒賀・湯来にまたがる山嶺地域、尾根部分に計画されていますが、実は、この場所に風車を立てて、発電できるのかという疑問もあります。山々の尾根筋に沿って風車を建て、風車が林立するという形になります。どうでしょうか。すばらしいと思う人もいるでしょう。問題は、風車が立つということはどういうことか、風車というのはものすごく大きい、風車の羽、ブレードは60メートルもあります。一本ずつ運んできて現地で組み立てます。輸送しなければなりません。60メートルもあるものをどうやって運ぶのかというと、当然、車で運ぶしかありません。想像できますか。とんでもなく大きい羽を運ぶ道なんて現地にはありませんから、無ければ作る、道路を作るのです。だからいけないのです。山の尾根筋に羽や機材を運ぶ大きな道を作るのです。

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風力発電装置の設置イメージ

 それでどういうことになるか。私は今、ヤンバルで森林問題をやっていますが、たまたまヤンバルにも小さな風力発電があります。20メートルくらいのブレードを交換するときに、ちょうどすれ違いました。海沿いでそんなにカーブしている道ではありませんが、それでも道幅いっぱい、すれ違いが出来ないほどの状況でした。車をよけてくれと言われ、道ばたによけたのですが、「何を運んでるのか」と聞けば、「風力発電のブレード(はね)です」といわれ、これがブレードなんだとビックリしました。そのときの倍以上に大きなブレードなんです。まっすぐに積んで運ぶなんてムリです。どうするのか、立てるのだそうです。それでも大型林道、片側2車線、高速道路並みの道を切らなければなりません。道を切るとどういうことが起きるか、実は色んなことが起きるのです。立岩ダムの上流部から稜線を見上げ、こんな風に風車が立つと合成してみました。パソコンで立てるのは簡単です。いくらでも立てられる。しかし実際に立てるのは大変です。

 四国の高知県徳島県の境に天神丸というところがあります。そこにも風力発電の計画があり、今、地元で反対運動が始まっています。四国の場合には割合スムーズに計画が進んで、愛南町では風力発電がもうできています。根筋に立派な道が出来る、大規模林道、広域基幹林道をまっすぐに作ります。そうすると風が吹き抜けますから、まわりの乾燥がきつくなって、木がバタバタと枯れ始めます。木が枯れると、土壌をつかむ力がありませんから、雨が降ったり雪が降ると、地盤が弛んで必ず崩落します。

 

風力発電の負の影響

 風力発電の場合、自然への影響と社会への影響、二つの大きな影響が起こります。自然環境では取り付け道路の問題点があります。大規模で直線的な道を尾根筋に作りますから色んな問題が起こります。四国はなぜ簡単にできたのかというと、すでに大規模林道を作っていたからです。四国の山間部の尾根筋に、ずっと大規模林道が出来ているのです。そこを利用しているのです。あるから出来るよと、作っちゃった。広島でも安佐山とかは危ないのです。実際に動き出しているようです。大規模林道を止めるのは、その点でも意味があったのです。

 大量の残土が出ます。その残土をどこに捨てるのでしょうか。谷を埋めて、今度は大規模ソーラー、一つの破壊が次の破壊を生む。これは連鎖するのです。このネットワークというのはかなり巧妙ですから、我々が個人個人でけしからんと言っていてもどうにもならない。どうにかするには、最初にもいった利権構造を崩さなければいけない。

 

■自然への影響

 バードストライク。羽に鳥が当たって死ぬ。渡り鳥も風に乗って風車を越えようとする、大丈夫だろうと飛んでいっても、間に合わなくて羽に当たり、小さな鳥や大きな鳥、渡り鳥が落ちる。鳥も多難な時代なんです。ジェットエンジンに吸い込まれたり、風車の羽で殴られたり。どのくらいの早さなんだろう、風力発電を遠くから眺めていると、割合ゆっくり、数秒かけて回っています。たいした早さではないと思ってみていたのですが、60メートルのブレードが5秒間で一周するとなると大体時速200数十㎞、新幹線並みです。それがシュッとくる、どうしてもぶつかっちゃう。だからあんなのどかなものでは無いのです。外から見ると角速度はゆっくりなんですが、羽根の先端の早さというのはものすごい。そういう問題があります。

 音も出ます。震動も出ます。道を切った法面に草を吹き付けます。これは外来種です。そうすると何が怖いかというと、そこがシカやイノシシの餌場になる。

 地形の変化や乾燥など、色々問題があるのですが、そういうことをまとめてみると、生物多様性の喪失というものが無視できないほど大きい。ますます里に獣が押し寄せる要因になってくるのです。これがずっと続くわけです。永久に続くということは、森林そのものがかなり大きな範囲で毀損されると言うことです。

 

■社会的な影響

 さらに大きいのは社会的な影響です。低周波による健康被害、もちろん人も家畜も被害を受けます。災害の危険性の増加というのは、構造物を作るわけですから、それも風でぐるぐる動いているわけですから、ある一定の強さを超えて、台風などの巨大な風が吹くと、当然、倒れますよ。倒れることも想定しなければいけない。そうなったときに一体誰がそれを補修して、修復して元に戻せるのか。ほとんどこれは不可能なんです。壊れたら放置、なぜかというと、撤去する費用が馬鹿にならない。だったら放置した方が安い。つまりコストなんです。どの程度コストがかけられるか。

 問題はもう一つあって、こういうものが作られるとき、賛成・反対で必ず世論が割れるのです。お金がもらえる人、もらえない人、被害がある人、ない人。当然、コミュニティの中で今まで仲良くやっていたものがギスギスしてくる、協力体制が損なわれますから、コミュニティそのものが機能しなくなる。さらに施設を維持するためには当然、地元、行政を含めて負担がかかってくる。税金が吸い取られる。とんでもないことばっかりなんです。良いことはひとつも無い。

 ここで作った電気は地元の人が使うわけでは無い、ほとんど産業用です。地元のみんなが使うものでは無い。そんなことのためにコミュニティが破壊されて、長期にわたって住めなくなる。住めなくなるところがどんどん増えてくる。食糧の生産基地がどんどん破壊され、人が住めなくなって、エネルギーは外に出す、そんな社会が永続するわけが無い。

 

■地域崩壊の入り口

 だから大規模風力発電というのは、単にエネルギーだけの問題では無い。食糧生産基地である農山村地域をどう存続させるかが一番問われているのに、それを立ち上がれなくなるほど壊して、エネルギーだけは取り出しましょうと言うのが、一部の利権屋の発想なのです。だから、私たちは都市に住んでいるから関係ないよ、というのは間違いで、将来、都市の人も食糧難と水不足で悩むときが来る、今、地球上で一番問題になっているのは食糧生産と水の奪い合いです。水はほとんど足りなくなっています。どうやったら物資を使わず、長く細く生きられるかということに一歩踏み出すことが、今、求められているのです。

 風力発電の効用というのは、それを考える機会になるということだけです。

 道路を作ると、必ず、法面が崩壊するのです。道路周辺では風が吹いて木がどんどん枯れるのです。計画地の東側の斜面、立岩山です。中国道のトンネル東側の出口ですが、2004年の集中豪雨で法面が崩れているのですが、多くの場合道路の路肩が土石流の起点になります。道だけで無く、盛り土を伐採した境目、つまり、今まで樹木や植物ががっちりと石や土をつかんでいたところが、その機能が無くなったところが簡単に崩落するのです。風化にさらされ、水が染みこみ、冬は凍るからです。

 

■電力は足りている

 次に見ていただきたいのは電力需要のグラフ図です。一番上のグリーンのところが家庭用のエネルギー消費ですが、日本の全エネルギー消費のうち、家庭用で使われているのは3分の1にも満たない、多くは産業用です。業務用34%、産業用・工場生産とかは37%、家庭用は28%。これからもこんな時代が続くのかといえば、そんなことは無いですよね。日本は世界の工場であることをとうの昔にやめたのです。これからもその望みは無い。だけどもエネルギー消費を続けなきゃいけないからと、エネルギーを作る装置を色々と考えています。そういうことはもうやめましょうというのが、この図で分かります。

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エネルギー庁 エネルギー白書2018 より

 例えば自動販売機。お茶とかジュースの自動販売機を3分の1に減らしましょうといって、困りますか。困らないですよね、あんまり。困る人もいるでしょうが必須では無い。必須ではないものはたくさんあるのです。無駄に使われているもの。そういうものをいちいち自然環境エネルギーに頼ってやっていきましょうと問われれば、当然、取捨選択しなければいけません。我々の望む食糧・水の確保、安定的なエネルギーの供給を考えれば別の社会を描けるわけです。社会を描くときは、そういう物質を基盤に考えるのはわりあい重要です。食料増強、水をどう確保するか、エネルギーをどうするか。日本という一億人近い人が半分に減っても5000万人、その人間がうまくやって行ければ良いじゃないか。貧乏でも豊かに暮らせれば良いじゃないか、という世の中もあるのではないか。

 最近、私は「人新生の資本論」(斎藤 幸平・集英社新書)という本に目を通したら、同じようなことを考えている人がいると思いました。関心のある方は、後で読んでみてください。

 

風力発電の適地なのか

 次に、それでは本当に、今計画されている吉和、湯来、筒賀、この地域というのが適地なんだろうか、つまり、立てたは良いけれど風が吹かないでは笑い話にもならない。そこで、1994年、大分古いんですが、このデータで適地となる風が吹くところを網目で示した地図を見ていただくと、そういう形で見ると、広島県というのはダメなんです。ソーラーなら多少は良いんでしょうが、風力はダメというのは風量数値です。風が12メートルから20メートルの範囲で吹いてくれると、安定的に風車が回って電気を作れるんだけれど、弱すぎても強すぎてもダメなんです。稼働率が悪いと、作ったは良いけれど儲からないから辞めましょうということになります。やめたらどうするの、撤去してくれるのと言えば、撤去してくれません。削った山を元に戻してくれるのか、これも無い。被害だけが残って。あちこちにありますよね、バブルの時にあちこちにホテルなどが建てられて、廃墟になっている、そういうものができることになります。

 その証拠に、今までほとんどが日本海側、そして四国・九州。今日、九州の水俣で同じような集会をやっているのですが、九州の鴟尾山系にも計画されています。そこでも反対という声が上がっています。全国各地で、秋田でもそうですが、反対運動がかなり強くなっています。我々も早くから反対の声をあげることが重要になってくると思います。

 もういっぺん計画地の地図を見て、これは辞めようよと思っていただきたい。

 風車の工学的な理屈を示したグラフを見ていただきます。今日は割愛しますが、発電量のグラフでは、12メートルから20数メートルの間でしか、発電に適した風はありませんと表示されています。こんな風が広島でズッと吹くのかと言えば、吹きません。

 

■風が吹かないのになぜ作るのか

 吹かないのになぜ作るのか、それがよくわからない。前は補助金目当てでしたがその制度は無くなりました。ただ、計画の主体が電源開発です。なんか胡散臭いんです。「原発」に代わるものとして候補地を押さえておこうという、そういう思惑があるのかな、何か事業をしなけりゃ行けないんだろうとか、よく解らないのです。その辺の事情は私には全く理解できません。

 地質的に見ても新しく確認された断層が計画地に走っています。そこには県の天然記念物の「押しヶ峠断層帯」という立岩山系の断層があります。そこには細見谷渓畔林の細見谷がありますが、あそこは全部断層帯なのです。その断層帯にあたるところに作ろうというわけですから、これまた無茶なんです。無茶ですね。

 中には観光に良いんじゃないかと言う人もおられますが、良いわけが無い、風車の方がよっぽど良い。

 風力発電と言うから、風さえ吹けば発電するかというと、そうでも無くて、例えば止める時には別の電源がいるとか、不安定な電源ですから、安定させるためには別のバックアップ電源がいるとか。そうなると火力とか原子力の別の電源が必要になってくることになります。何のために作るのか、やっぱり過疎をいじめるため、環境正義に反することを好き好んでやるとしか思えない。これはもう憲法25条に反することだと思います。

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■自然の多様性を育てること

 十分これまで自然は多様性を破壊され、生産力を奪われてきたのですが、それがこれだけの要因があるわけです。河川生態系の破壊、ダムや砂防ダムを作って物質循環を止めちゃったから、サツキマスが遡上していたのも全然ダメでしょ。太田川も遡上しなくなった。上流部にはアマゴやゴギがいるのですが、それもほとんど姿を見なくなった。放流しなければ維持できないくらい弱っている。それはダムや砂防ダム、護岸工事などによる河川の生態系の破壊がとても大きい。産業構造の変化に伴う中山間地の過疎化、さっきも言いましたがそういうことです。森林は森林で大面積皆伐とスギ・ヒノキの人工拡大造林への転換、広葉樹林の破壊。森林の生物多様性と生産力の減退が行われてきました。動物には林道網の敷設による移動経路と餌場の出現。獣って、通るところはだいたい決まっているんです。どういう所か、歩きやすいところ、平らなところ。好き好んでブッシュに入るのはイノシシくらいです。ほとんどは、道を切ったらそこを歩きます。だから、クマに出会うのは道を歩いているから、クマも道を歩いているのです。川を歩いていると、クマも川を歩きますから、出会うんです。人間は、藪の中を一生懸命こいでいると合わない。だからこういう特定の動物だけが増える環境になっている。

 

■山に生き物がいない

 それに温暖化というものがあるでしょ。温暖化が進んで、豪雪地帯の細見谷もちょっと様子がおかしい。ドカンと雪が降ると、一週間、雪が降らずに、それが溶けちゃってまたドカンと降る、根雪ができない。何が問題かというと、温帯の動物ってどうやって冬を過ごすか、食料が無いですから。食糧難を省エネで過ごす方法をそれぞれ獲得してきたのです。冬になって寒い時は寝てる。活動しない、代謝を落とす。エネルギーを消費しないでやり過ごそうとしてきたけど、どういうわけか小春日和が一週間も続いてしまう。春だと思っていたらまたドカンと雪が降る。個体群が減ってしまう。春になっても復活しない。今実際に山の中に行ってみれば解りますが、虫はいません。虫を食べる鳥もいません。魚もいません。蛇もいません。ほとんどいません。ところが過疎地に行くと、クマはいる、シカはいる、イノシシはいる。動物を見ようと思ったら過疎地に行くに限るのです。そのくらい生活の場所が変わってしまったのです。

 この構造を変えなければいけない。元々豊かだった森を豊かにする、豊かな里山は、その生産物を人間の生産物に付け替える。農業生産です。だから石油に依存する農業では無くて、自然の生産物を利用した農業への回帰、これが一つのテーマなんです。

 柳沢吉保がやった雑木林の造成による農業生産の確立、その延長線上にあるリサイクル社会、先ほど私、エコロジー・生態系と言いましたが、EcologyのCを、最近、私はDに変えたのです。何になるかというとエドジー・Edology、これは何かというと、江戸の循環社会というものを生態学的にもう一度再評価したらどういうことになるか、別の社会が見えてくる、別の社会が生まれてくる。江戸時代は暗黒の社会だと皆さん思っておられるかも知れませんが、意外や意外、そうではないのです。非常に豊かな循環社会が息づいていた。世界にまれに見るエコ社会だった。そういうものを再評価しようじゃ無いかと思っています。

 

■川を断ち切るダム・砂防堤

 どういうことかというと、ダムの写真、川を断ち切っていますから、砂はダムに溜まります。、本来、土砂・山の砂というのは山から流れ流れて、大きいものは上流、小さいものは中流に、さらに小さいものは下流に流され、三角州を作って干潟を作る。という形で国土保全を川に担わせていたのです。川によって海も山も川も、豊かになっていたのです。それがダムでブチブチ断ち切られてしまうと、ものはダムでストップしてしまいます。そうすると何が起こるか。気温が低い上流部に砂が溜まり有機物が溜まると、分解されず、ヘドロができ、硫化水素が発生する。その結果生物が全部死滅する。そのヘドロをどうするのか、重機を使って掘りあげて、処分場に持って行く、あるいは谷に持って行って埋める。どう思いますか。本来なら栄養豊かで魚や貝を育てるはずのものが、上流に止められることになって、有害物質になって、産業廃棄物になって、さらにエネルギーを費やして処分される。こんな馬鹿な社会がありますか。ということなんです。

 風力発電、メガ風力発電もこうなんです。自分の家で風車をくるくる回しているのは何の問題も無い。

 

■天然林は大幅に減ってきた

  最近、森林が増えたとあちこちで言われるようになりました。確かに森林面積は増えています。廃田や休耕田が森林になっている。けれども、天然林と人工林の割合を見てみると、だいぶん、天然林は減っているし、林野庁はもう切る木が無くて切れなくなっている。天然銘木は北海道と東北の一部にしか無い。これはまた別の問題として重要です。原生的な森林は1960年は38%、2006年は11%、2006年と1960年でこれだけ違うのです。林野庁は金になる木はどんどん切っている、拡大造林は、木は売れなくなりましたから天然銘木しか売れないのです。林野庁の借金を返すために天然木を切って売ろうとするのですが、もう、切る木が無い。これは大規模林道反対の運動で、我々が資料を集めて明らかにしたことです。

 

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日本の天然林を救う全国連絡会議 2008年 より

ツキノワグマの出没

 次に紹介するのがツキノワグマの出没状況の変化です。出現率のグラフを見ていただくと分かるように、その年度の一番多く出没した月は7月~9月に遷移しています。今までは秋の終わり、10月~12月。11月頃しか出てこなかった。それが今では初夏から出没している。初夏から夏の期間というのは、クマにとってあまり食べるものが無いのです。特に6月・7月頃は、植物ではウワミズザクラくらいしか無くて、ほとんど昆虫食です。アリ、ハチ、アブ、社会性昆虫。ところがこういう昆虫類が山にいないのです。いないから山には住めない。どこに出てくるかというと、里周辺に出てくる。里周辺では一年中何かしらの食べ物がある。秋頃まで出てきて、人間に捕られてしまうから、その後はいなくなる。という傾向が、最近、出てきています。

 色々、どんぐりが無いからとか、マスコミが書くんですが、違うんです。どんぐりが無いのも一つの要因ではありますが、ドングリにしか依存できないクマというのは可哀想なんです。前は、秋に、今頃になると、ゴギとかアマゴとか、魚をどんどん食べられた。それが、そういう環境がありませんから、栄養の乏しいドングリ類に頼らざるを得ない。そうなると、たくさん栄養を取るためには広く動き回らなければいけませんから、生息密度も低下して、食糧の得やすい里周辺にシフトしてくる。そこには幸い、やっかいな人間はいませんから、そこを生息域にして世代交代を繰り返していくと、そこが故郷になったクマが増えてくるわけです。だから、通勤電車に乗ってみようかなってクマも出てくる。

 

■メガ風力は自然と地域を壊す

 ざっとこういう背景があって、それでもなおかつ風力発電をやるのかという話です。自然破壊を著しく進めるようなメガ風力というものを、我々が本当に必要としているかどうか、考えることが大事では無いか、それが本日の私のテーマです。

 今日はいくつかの本を紹介します。一つは「八ッ場(やんば)ダムと倉渕ダム」(相川俊英緑風出版 2020年10月刊)、これは民主党政権が脱ダム宣言をして、「コンクリートから人へ」という政策がどうしてダメになっちゃったのか、二つのダムの対応を例にして書いているもので、結構面白かったです。もう一つは「日本の堤防はなぜ決壊してしまうのか」(西島和・現代書館2020年9月刊) 、そしてこれはもう少しグローバルな本で「コンゴ共和国、マルミミゾウとホタルの行き交う森から」(西原智昭・現代書館 2020年3月刊)というタイトルからでは内容が分からないのですが、これも、自然の保全というものが我々にとってどんな課題を持つか、きちんと国際的な立場・現場で報告している本です。こういう本を図書館でリクエストして、広めていっていただきたいと思います。 これで私の話を終わりたいと思います。ありがとうございました。

八ッ場ダムと倉渕ダム 相川俊英 緑風出版 2020年

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 いったい日本の国土にはどれくらいの数のダムがあるのだろうか?そんな疑問がふとわいてきた。様々な統計に当たってみたものの、ダムの国や県、電力義者などと管理団体ごとにバラバラで統一された統計上の数字はよくわからない。そこで水源連のHPを覗いてみると以下のような記事が見つかった。

国土交通省関東整備局利根川ダム統合管理事務所のウェブサイトでは、既設ダム2,738か所、建設中331か所の合計3,069ヵ所としていますが、この出典は財団法人日本ダム協会のダム便覧2003です。しかし、日本ダム協会のウェブサイトの最新記載では、既設(2011年3月31日までに完成)が2657か所、新設(2011年4月以降完成予定のもの)が144か所、合計2,801か所としています。また、社団法人日本大ダム会議が国際大ダム会議ダム台帳・文書委員会に提出した3,045ヵ所という数値もあり、どうもダムの台帳数は明確ではありません。
また、砂防ダムは土石流危険渓などに作られますが、多い所は一ヵ所あたり十基前後の砂防ダムがあり、砂防便覧によると全国に85,000基余りの砂防ダムがあります。」(水源連HPより)

 最近ではダムマニアなる集団もいて、ダムカードの収集に熱を上げているとか。生態学を専攻している私にとって、ダムは物質循環を阻害する大きな障害物として歓迎せざる構築物である。が、飲料水や工業用水、農業用水の確保といって利水施設として、あるいは河川の氾濫を防止するための治水施設として不可欠な社会資本として認めざるを得ない場合もあることは十分理解できる。

 しかしながら、ダムの功罪を考える上で、ダムがもつ機能の効果と建設するための経費(B/C)はもちろん、金銭的評価が困難な生態学的な観点からの評価がなされていないことも事実である。

 これまでもダムの問題に関しては

syara9sai.hatenablog.com

でも紹介したとおり、政・官・業・学・報・司の利権構造が無駄なダムを造り続けるエンジンとなっていることを紹介したが、「八ッ場ダムと倉渕ダム」では、ダム廃止に成功した倉渕ダム計画と失敗に終わった八ッ場ダムというふたつの具体的な事例からより生々しいドラマがドキュメンタリーとして語られている。

 ダムに絡む政治家の思惑(利権)と無能ぶりに翻弄される地元民の葛藤、地域の苦悩の様子が生の取材活動を通じて語られている。良質なルポルタージュとして読み応えがあるし、市民が自立しなければ、行政の横暴に立ち向かうことが困難なこと、そしてそれは大胆な情報公開制度の確立なくしては成立し得ないことが見えてくる。

 とはいえ、だまって待っているだけでは、政策決定に関する情報が市民に公開されることはあり得ない。市民が正当な権利として行政の意思決定プロセスに関する情報公開を求め続けることが不可欠であることも教えられるであろう。

 公共工事には利権がらみの不都合な真実が必ず紛れている。それを明らかにした上で、市民による検証ができるシステム(例えば淀川流域委員会のような)を構築する必要があるし、それなくしては無駄な公共事業をとめることはかなわないのかもしれない。

 それと同時に、市民の声を聞くことができ、それを政策に反映させることができる政治家を育てることも同じように重要な課題といえるだろう。今日見られる多くの利権にまみれた2世3世の世襲議員や情報過多で自信過剰のエリート議員では多様な社会の要求を整理し、妥協点を見つけて政策に生かすという困難な仕事を全うすることはかなわないだろう。

 実際、世襲議員は本人よりそれを取り巻く「後援会」の利益を低コストで確保することが目的にみえる。議員本人は生きた看板に過ぎないのかもしれない。そんな問題意識を起こさせる一である。ぜひ手に取って読んでいただきたい。

内容

はじめに

第1章 ダムをとめた住民と県知事

第2章 国策ダムに翻弄される住民と地方自治

第3章 八ッ場ダム復活の真相

おわりに

相川俊英 著 緑風出版(同社の書籍はアマゾンでは扱っていません)

1800円+税

 

 

林間放牧再考ーいわゆる獣害をなくすために

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  もう30年以上も前のことだが、神石町へ厩ザルの調査に行ったことがある。当時の神石町では黒毛和牛の林間放牧が盛んであった。最近、当地を訪れていないので、林間放牧の状況がどのようになっているのかは知らない。
 この神石という所は資源林としての里山と放牧用の山林、そして耕作地である畑がモザイク状に入り組んでいた。里山から落葉や小枝を集めて堆肥とし、畑に敷き込むという有機農法を行う(写真)典型的な日本の農村(中山間地)の風景が残っていた。

 神石町の山間地では、黒毛和牛を飼育する農家が多く、牛の健康を祈るために、飼育小屋には大山神社のお札とともにサルの頭骨を祀っていた。f:id:syara9sai:20201001110127j:plain

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 今日の話は、「厩ザル」ではなく、林間放牧の効用についてである。

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 1980年代前半当時、すでに神石町でも農家の高齢化が進み、徐々に過疎化も深刻な状況になってきていた。里山の手入れは行われていたものの、サルの出没には手を焼いているとのことだった。私たちが訪れたときにも、初冬の畑に取り残した大根を求めて、ニホンザルの一群が畑へ姿を現していた(写真に見える小さな黒い点がサル)。農作物をあさりに来るのはまだサルだけだったが、最近の中山間地域では(最近ではそれに隣接する市街地まで)、サルだけではなく、イノシシやシカ、クマまでが過疎の村に押し寄せて来るようになった。

 こうした現象に対するマスメディアの論調は、野生動物が増えたというのが基本姿勢である。これまでいなかった地域に野生動物が出現したのだから、増えたと考えるのも無理からぬことではあるが、しかし、一歩ひいて日本の生産システムや社会構造の変化を考えてみれば、それが真実かどうかはある程度わかるのではないだろうか。

 明治期以前は農山村は常にケモノとの戦いであった。野生鳥獣の狩猟は幕府や藩に大きな制限を受けていたからであるが、収穫期には不寝番をしなければならず、常に田畑に人が出て警戒しておく必要があった。明治になり、銃器規制のたがが外れ、商品化できる毛皮や剥製を売るために狩猟圧は急激に高まり、多くの野生鳥獣は個体数を激減させた。その結果、明治期以降1970年代までは野生鳥獣による農作物への被害は減少した。森林棲のクマやカモシカ、サルなどは奥地の森林へ追い込まれていた。

 ところが1960年代にはいると、工業化をベースとした高度経済成長が国策となり、奥山の広葉樹林皆伐され、スギ・ヒノキの人工林へと転換が図られた。その結果、奥山に追い込まれていた野生鳥獣は、逆に奥山から里へと駆り出されることとなった。1970年代の自然保護運動が盛んになったことは多くの著作からもよくわかる。

 高度経済成長には農山村に決定的な変化をもたらした。その一つは産業構造の変化に伴う過疎化(人口流出)である。特に労働の担い手である若者が農山村から都市へと流出した。と同時に中山間地にもエネルギー革命の波は押し寄せ、それまで里山の生産物に頼った生活は石油依存のものにとって代わられた。その結果、それまで暮らしの資源であった里山の生産物は利用されぬままに放置された。

 折しも奥山の生息地を追われた野生鳥獣はこうした放置された二次林の生産物を頼るようになった。

 奥山や河川の自然の生産力減退と放置された二次林の生産物放置が相まって、今日の野生生物は中山間地を主たる生息地へと変えざるを得なくなった。これがいわゆる獣害の根本原因である。

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 であれば、奥山や河川の生産性の回復を講じつつ、里山資源の再活用が問題解決の要諦である。その一つは、牛や馬の林間放牧かもしれない。二次林の生産物を人間の暮らしのために利用すること、言い換えれば野生動物の取り分をなくすことが肝要である。家畜の林間放牧はそのための方途である。

 食料自給率を高め、農山村の再生には野生動物との付き合い方を真剣に考えることが欠かせない。駆除一辺倒の獣害対策や個体数管理にたよる保全論はすでに役立たずの政策なのだ。社会構造の再編を模索しつつ豊かな農山村を再構築することは近未来の日本の興亡を左右するに違いない。

 もちろん、そのためには野生動物が暮らせる奥山の多様性と豊かな生産力の回復は不可欠であることは言を俟たないが。

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日本の堤防はなぜ決壊してしまうのか-水害から命を守る民主主義へ 西島 和 著 現代書館 1600円+税

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 最近とみに増加している河川の氾濫、堤防の決壊、あるいは土石流による大災害は市民の生命と財産はもちろん、将来にわたる地域の暮らしに大きな不安をもたらしている。
 マスメディアは地球温暖化という遠因を指摘しつつ、ダムや砂防ダムの未整備が直接的な原因であることを暗に指摘する報道も目立つ。しかし、本当にダムを整備すれば大水害は防げるのだろうか。ダム万能論はもはや神話に過ぎないことは科学期にも証明されている。しかし行政はこうした河川の氾濫や豪雨被害を名目に、ダムや砂防ダムの整備に精を出している。もちろん中には災害防止(治水)のためにダムや砂防ダムが必要な場合もあろう。しかし大半は災害を名分にしてダムを設置することが目的化しているのではないだろうか。そんな疑問がわいてくる事例が多い。
 ダム(砂防ダムも含む)は、生物の生存に不可欠な物質循環を分断し、生物生産と多様性を破壊するという、生態学上大きな問題を抱える構築物である。残念なことに生物的自然は無限に再生産するものと言わんばかりに、社会インフラの整備の可否を検討するさいに生態学的な見地は無視され続けている。持続可能性が厳しく問われている21世紀の今日において、これは決定的な欠陥でもある。
 日本の社会的インフラの整備事業には必ずしも必要なものばかりではない。これは誰もが知っている事実なのだろうが、実際にはこうした無駄な公共事業はそれが科学的に根拠がなくともあるいは経済的に効果が期待できるものでもないことが明らかになっても止まることがない。
 なぜだろうか?こんな疑問が当然のごとく湧き上がってくるはずなのに、世間ではそんなものさという冷めた感覚というか、無関心が蔓延している。どうせ民意は無視される、それが日本の政治状況なのだろう。政権は脱法だろうが違法だろうがやりたい放題なのだが、問題は政府だけではない。
 公共事業は政(府)・官(僚)・業(界)・司(法)・学(界)・報(道)の六環がハニカム構造のごとくがっちり連関し、既得権益を手放さないからである。市民の批判や政策提言はいかに科学的・合理的であろうとも、ほぼ無視されてしまう構造がある。

 官僚組織を維持するためには仕事を作り続ける必要がある。最初にダムを造ると決めると、ダムを建設するための部局が作られる。つまりポストができ予算が付く。そのポストと予算を存続するためには、何が何でも仕事を作り続けなければならない。従ってダムをつくって災害を防止しようとする手段が、次第にポストを維持するための目的となる。地図を眺めて、ダムが造れそうなところを見つけ、理由をこじつけても、鉛筆をなめなめ計画を練ることになる。これが実態ではないだろうか。林道問題ではそうした事態が明確に見て取れた。そんな計画を推進してもうけるのが業界であり、それを後押しする政界である。また問題となる計画にお墨付きを与えるのが御用学者を擁する学会であり、ご用報道である。もし仮に裁判と言うことになれば、司法が行政を追認することとなる。

 こうして政(府)・官(僚)・業(界)・司(法)・学(界)・報(道)の六環の見事な利権のハニカム構造が完成する。

 このような難攻不落の構造に素手で立ち向かってかなう相手ではないが、一つだけ戦う手段はある。それが権利を手にした市民による民主主義の確立である、というのが著者の主張である。お願いではなく、権利としての政策決定への市民の「参加」が重要であるというのだ。
 私はこれまで、広島県の「細見谷渓畔林を縦貫する大規模林道問題」に関わる中で、著者の主張のだだ示唆を実感している。この問題では署名によるお願いや意見書の提出など「お願いの参加」から、条例制定の直接請求、監査請求を通じての住民訴訟と強制力のある権利行使を通じて、大規模林道建設阻止と受益者付加金の行政による肩代わりが違法であることを確認し、その返還に一定の成果を上げることができた。 しかし多くの場合、市民運動は連戦連敗である。その理由を著者は、八ッ場ダム訴訟や成瀬ダム訴訟などを通じて科学的、具体的に暴き出し、その解決への提言をまとめている。
 故に本書は、一般の市民の皆さんに読んでいただきたいと強く感じている。絶望的な状況ではあるが、決して諦める必要はない。かのハニカム構造を打ち破ることができるのは、選挙を通じての権利行使に始まる。政界の構造を変えることができれば、その先の構造も変えることができる。ただし、先の民主党の失敗を真に批判的に乗り越える必要はあるが。と同時に、市民の政策決定に関して参加する権利を自覚し、行使すべく運動を展開していくことも忘れてはいけないことも本書の教えるところである。

目次

はじめに 堤防の決壊から民主主義の課題がみえる

第1章 水害対策における堤防強化の重要性

    あいつぐ堤防の決壊

    水害対策の必要性と現状    

第2章 重要な水害対策が消されてしまう 日本の政策決定プロセス

    「決壊しにくい堤防」はなぜ消されたのか

    堤防の決壊からみえてくる民主主義の課題

第3章 堤防を決壊させない民主主義へ

おわりに 変化のきざしと変化への抵抗

与えるサルと食べるシカ 辻大和著 地人書館

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 久しぶりに生態学におけるフィールドワークの面白さを伝えてくれる本が出ました。実を言うと、この本が出たことを知ってはいたのですが、買おうかやめようか迷っていたのですが、著者の辻さんから、私の子供向け科学読み物「ニホンザル」を読みたいので送ってくださいとの要請を受けて、お送りしたところ、お礼にと、この本を送ってくれました。というわけで、手に取って読む機会に恵まれました。

 一読した後の第一印象は、何かデジャブ(既視感)にとらわれて、これまでの私が書き散らしてきたものをまとめたような不思議な感覚にとらわれたのです。

 例えばサルとシカとの関係や種子散布の問題など特に6章以降はその感が強く、35-40年の歳月を経て私の雑報が蘇ってきたかのようです。

 とはいえ、私の書いたものの多くは、発行部数わずか250部程度の「モンキータイムズ-宮島版」という市販されていない広報誌なのだから、その内容を読んだことのある人はほんのわずかに過ぎないのです。その点、辻さんの著作は定量的な分析を伴って、より勢地学的なものになっていますし、市販もされているのだから、多勢の読者を持つことができますし、是非そうなってほしいと感じています。

 本書でも触れられていますが、近年の大学での研究は必ず数年で結果の出そうなテーマ、言い換えれば測定できるものを対象としたものに偏りがちで、泥臭いフィールドワークに基づく研究などする余地もないようです。そんな環境のなかで、辻さんは金華山島という絶好のフィールドに恵まれ、そこに暮らすニホンザルの暮らしぶりを食物という視点から解き明かしていく様子が、研究者の活動を含めて淡々と語られています。

 私が宮島でニホンザル生態学的な研究をしていた頃、日本モンキーセンターで研修員である私の指導者だった伊沢紘生さんが宮城教育大学へ転出して金華山島での調査を再開していたので、サルとシカが暮らす島における両島の比較調査を提案したところ、やろうやろうということになり、計画案までできたのですが、残念なことに予算が付かずこの計画はご破算になってしまったのです。照葉樹林帯の宮島と落葉樹林帯の金華山島では何がどのように異なるのか、あるいは共通なのか、かなり面白いテーマで、後々屋久島を含めての比較調査もと考えていましたが、残念なことに実現はしませんでした。

 そんな経験があったので、金華山島の様子をこの本で確認できたことは大変面白く、価値あるものでした。

 少しだけいいわけをしておくと、宮島は常緑樹林帯で視界が開けず樹上のサルの行動を観察することはまずできないことや標高差が500m以上もあり、かつ急峻で急崖が多いこと、規制が厳しくシードトラップなどの調査器具を設置することも難しく、仕事上の制約も多いく、金華山島のようにどこまでもサルについて歩くことができない上に定量的な調査そのものができないといったハンディを背負っていたのです。

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花崗岩質の宮島はこのような急崖が多く、とてもサルについて歩けない場所が多い

 その点、金華山島は理想的なフィールドといえるし、粘り強い辻さんの調査で見事に私たちの断片的な調査からの予想を立証してくれています。とはいえ、辻さんも指摘しているとおり、金華山島では見られないエピソードもあることも事実です。 

 例えばサルとシカの関係のなかで、シカからサルへの恩恵の例が無いようですが、宮島ではヤマモモを介して面白い例があります。シカは落下したヤマモモの果実を大量に食べますが、種子そのものはまとめて口から吐き出します。そのヤマモモの種子をサルが殻を割っていわゆる天神さん(種子)を食べるのです。ヤマモモの多い宮島ならではの話です。また、シカはサルのフンを好んで食べます。こうしたことは金華山島では堂なのでしょうか。林床植生の貧弱な照葉樹林ではシカは野鳥を含めた他の動物の動向に常に気を遣って暮らしています。

 いずれにしても、環境の異なる各地でのフィールドワークに根ざした暮らしの解明をしてみたいという若い人が少しでも増えてくれればいいなと思いますし、この本がそうした人たちの良き入門書となって欲しいものです。

 最後に一つだけいいたいことを言っておきます。

前半のニホンザルの社会に関する紹介記事ですが、正直に言えば、やはり第一世代のサル学は乗り越えていないのだなと思いました。

 第一世代を一言で評価すると、ニホンザル生態学的な問題を社会学として解明しようとしてました。第2-3世代の私たちはそれを批判して、社会学的な問題を生態学的に解明するのだとして、行動学をコミュニケイションという視座で解明してきました。

しかしながらその点は、全く議論にもならず、第一世代のサル学は無かったことになっているように見受けられます。その不完全な批判のままの現状が前半のニホンザル社会の紹介になっています。そこはもう少し批判的に捕らえる必要があるでしょうし、若い人たちにももっと考えてほしいところでもあります。

そして、このようなフィールドワークを主体とする長期観察を前提とする生態学はもはや大学には荷が勝ちすぎているように思う。この手の学問には大学に期待するのではなく、生物の生息地を基盤とした生物同士の諸関係をまるごと資料とするフィールドミュージアム(野外博物館)こそがふさわしいのではないかという私の考えを確信させる内容でもある。

 とにもかくにも是非、自然科学、生物科学、生態学に関心のある人たちに読んでほしい一書です。

 目次概要

  1章 めぐり逢い

  2章 サルってどんな動物?

  3章 「シカの島」のサルの暮らし

  4章 サルの食べものと栄養状態

  5章 実りの秋と実らずの秋

  6章 食物環境の年次変動とサルの繁殖

  7章 与えるサルと食べるシカ

  8章 森にタネををまくサル 種子散布

  9章 ところ変われば暮らしも変わる

 10章 私たちとサル

 

 

野生生物保全論を考える-コンゴ共和国 西原智昭著

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西原智昭著 増補改訂版 現代書館 2300円 2020年

 昨今、生物多様性を守るということで、野生生物保全論がもてはやされている。その反面、現実には生物多様性は日々失われているのも現実である。保全論をうたう大学の講座には大きく二つの流れがある。一つは生態学的なアプローチであり、もう一つは環境政策論による社会学政治学的なアプローチである。しかし残念なことにどちらの流れも真に自然の多様性の維持に寄与するものとはいえないのが事実であろう。

 人間も生物である以上、生活していくためには環境に働きかけ、改変してしまうことは逃れようのない必然である。しかし、人間が自然的な存在でありつつも文化を持ち、自然への働きかけはこの文化というフィルターを通して、あえて言うならば文化という外的自然の中で暮らしを成り立たせる、例外的な生物となってしまっているということである。かつて生物としてのヒトは太陽エネルギーによる生産物のみに頼っていたものが、いつの日か、進化の過程で蓄積されてきた太陽エネルギーの生産物(遺産)までにも手をだして高エネルギー消費社会に生きる存在となったってしまった。このことが人類にとっていかなる意味を持つのかを考える間もない早さで進行している。ここに問題の根源があるのだが、しかし現実にはその原則にではなく、今日のやりくりに目の色を変えているのが実情である。

 この本は、そうした保全論の根源的問題を提起し、考えるための指標を提供している好著である。

 内容は

プロローグ

 1.熱帯林とゴリラとの出会い

 2.虫さん、こんにちは

 3.森の中で生きるということ

 4.熱帯林養成ギプス、内戦、そして保全業へ

 5.新たな旅立ち~森から海へ

 6.森の先住民の行く末

 7.ブッシュミート、森林伐採、そして象牙問題へ

 8.海洋地域での漁業と石油採掘

 9.日本人との深い関わり

10.教育とメディアの課題

11.ぼくの生き方~これまでとこれから

12.さらに隠蔽される"真実"

エピローグ

1-3 は霊長類学者としてのフィールドワークにおけるエピソード

2-8 は霊長類生態学から保全業の実践に関わる諸問題についてであるが,それはさながら冒険小説を読んでいるような現実が緊迫感をもって迫ってくる。過酷な保全の現場と現状が伝わってくる。

9-12 は保全の裏側にある真実―社会的政治的諸問題と保全の関係について、人権や文化、経済などが複雑に絡み合う現状に画一的な答えがないという、ある意味絶望感を味わうことになるが、この点こそ、我々自身の置かれている、いわは平和で豊かな暮らしの不都合な真実を直視するところである。

全体を見渡せばほぼこのような内容である。 

 保全論は生態学的な問題である以上に、政治経済上の問題である。このことが問題の解決に大きな困難をもたらしている。ではどうすればいいのだろうか?

経済の持続性は生態系の持続性の可否にかかっている。こうした問題解決の原則は誰にでもわかっている(あやしいけど)。

 日本における保全論の現状は、生態学講座から派生したワイルドライフマネージメントで、野生動物の駆除と防除といったテクニックが中心で、野生生物の生息地の保護ないし回復という視点はほぼ見えない。生態学であれば、生息地や生活実態の把握は欠かせないのだが、実態は恣意的な個体数推定に基づく個体数管理に過ぎない。

 環境政策に至っては、現地の実情を無視した机上の空論のような政策論の展開でしかないように思える。

 それに反して筆者は徹底的に現場主義である。現場を知り、現場に即して考え、解決に奔走する。その過程で見えてくる不都合な真実に悩む。筆者は決して安易な解決策を提示しているわけではないが、日常の暮らしに潜む多くの格差や矛盾に気づくことを求めている。高エネルギー消費に支えられている便利な日常生活の裏にはひどい差別と人権無視の差別が潜んでいることを。アフリカでは日常生活に欠かせない水の確保すらままならない現実、木材の確保やパームヤシ、バナナ、綿花、コーヒー、紅茶などのプランテーション造成の目的でぱ日々失われつつある熱帯林、これらはほとんどがグローバル企業経営の先進国向けの事業である。地元に還元されることはなく、逆に過重労働や差別といった人権侵害が横行する現実。

 厳正に守られている国立公園の外側にはプランテーションが広がる(写真はウガンダ

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水くみは子どもたちの仕事、しかしきれいな水は手に入らない。

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国立公園の周囲はすでに森は切り払われている

 ペットカフェや動物園水族館で飼育される野生動物を確保するためにどのくらいの野生個体群の犠牲を強いているか、などなど、見るべき考えるべき不都合な真実は日常生活の至る所にある。つまり私たちの日常生活はこうした矛盾に満ちたものであるということに気づかされるのである。

 保全論に関心を持つ方も、そうでない方も、この本を手に取って熟読してください。

そして熟考してください。